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こども食堂が全国で増えることの異常さと政府の怠慢 [政治・経済]

先日、私も地域の新聞を読んでいてある記事に目が行きましたが

そこには「月1回開催される子ども食堂に訪れる親子」とあり、「親子?」と

思わず驚きましたが、このあたりにもそうした波が押し寄せてきたのを感じました。

もちろん、低所得の県ですのでわかってはいるつもりでしたが、月1回のこども

食堂に100人くらいテーブルに座って食事をしている光景には驚きました。

しかし、これは完全に政府の責任です。日本国憲法に

日本国憲法第二十五条は、(1)「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を
有する。」「国は、すべて の生活部面について社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及
び増進に努めなければならない。」 と、規定して いる。 こ れは国民には生存権があり、
国家には生活保障の義務があるという意である。

これ以下の生活を余儀なくさせている方がおかしいのです。







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日々雑感(My impressions daily)より 読売新聞よ、嘘か?誤報か? [政治・経済]

日々雑感(My impressions daily)より 読売新聞よ、嘘か?誤報か?



(ここから)

<トランプ米大統領は19日、日本による韓国に対する輸出管理厳格化を巡り、韓国の文大統領から事態打開への協力を依頼されたことを明かし、仲介に意欲を示した。ホワイトハウスで記者団に語った。
トランプ氏は「文大統領が私に関与できないかどうかを尋ねてきた。(日韓で)主に貿易に関し、今多くの摩擦が起きており、日本は韓国がほしい物を持っているということだった。文大統領は好きだし、安倍首相はとても特別な男だ。もし私を必要とするのなら、関与する」と意欲を示した。
 ただ、トランプ氏は文氏に対し、「私はどれだけ多くのことに関与しなければならないのか。北朝鮮問題にも関わり、あなたを助けている」と不満を伝えたとも指摘した。その上で、「願わくは日韓で解決してほしい。しかし、間違いなく緊張は高まっている」と話した。
 これに関連し、韓国大統領府は20日、文氏が先月30日にソウルでトランプ氏と会談した際、「最近の日韓の対立に関心を寄せてほしい」と述べていたことを明らかにした。大統領府は、対立解消のため、「外交的努力の一環として言及した」と説明した>(以上「読売新聞」より引用)

 上記引用記事は7月20日の読売新聞のものだ。このブログで「嘘は大概にしろ」で韓国マスメディアを批判したが、日本のマスメディアまでもトランプ氏が「韓国の文大統領から事態打開への協力を依頼されたことを明かし、仲介に意欲を示した」と大嘘を書いていた。
 彼らのワシントン特派員は英語に堪能な記者ではないのか。それとも派遣した記者がトランプ氏が話した言葉のニュアンスの真実を打電しないで、記者の意図した記事を本社へ送ったのだろうか。

 いすぜれにせよ、7/20付けのワシントンから送られた読売新聞の記事は「誤り」だ。トランプ氏は文大統領にウンザリして「俺は嫌だネ」と両手を広げて見せた。介入する意思はトランプ氏に全くない、というのが真実だ。
 それをトランプ氏が「韓国の文大統領から事態打開への協力を依頼されたことを明かし、仲介に意欲を示した」と書くとは捏造そのものではないだろうか。

 もう一度トランプ会見の原文を引用しておく。
In fact, the President of Korea asked me if I could get involved. I said, “How many things do I have to get involved in?” I’m involved with North Korea ― on helping. You know, I’m involved in so many different things. 仲介を頼んできた韓国の大統領に対し「いったいどれだけ私が仲介せねばならぬというのか? 北朝鮮でも仲介し、助けているというのに。そうだろ、私は実に様々のことに巻き込まれているのだ」

・So maybe if they would both want me to, I’ll be. It’s like I’m ― it’s like a full-time job getting involved between Japan and South Korea. 日本は仲介を望んでいないので「双方が望むのなら」とは「仲介する気がない」との意思表示です。さらに「そんな時間はない」

 高校程度の英文読解力があれば日本国民の誰にだって解る文章だ。難解な用語や特別な言い回しもない。それを読売新聞のワシントン特派員は「トランプ氏は介入の意欲を示した」と打電して来るとは驚く。

 国民はマスメディアを頭から信用してはならない。彼らは意図して記事を「捏造」する。そしてプロパガンダを流して国民を洗脳する。今回の参議院選挙でも、消費増税に賛成のバカな国民が過半数いた。いや馬鹿なのではなく、マスメディアによって「日本は借金大国」だから国民は増税に応じて「借金を返済せよ」というプロパガンダを信じているのだろう。

 国債発行残は日銀の累計残高を示しているだけで、日本政府として連結決算すれば日銀は政府の子会社だから日銀の国債保有と政府国債発行残高は相殺されて、すでに日本は国債を400兆円以上と、かなり償還していることになっている。
 しかも国債費(国債につける金利)の大半は日銀に入り、それは日銀余剰金として政府に還流する。そうした仕組みまで丁寧に解説している評論家は殆どいない。なぜ正確な論評を行う経済評論家がマスメディアに登場しないで、財務省が発信した「借金大国日本」というプロパガンダばかりマスメディアは国民に垂れ流すのだろうか。

 マスメディアは往々にして嘘を吐く。それを国民は見抜かなければならない。政府もまた嘘を吐く。安倍氏は毎日のように嘘を吐く。国民はその嘘に騙され、結果として日本を衰亡させている。
 読売新聞はなぜ日韓関係で「トランプ氏が仲介する」と嘘を吐いたのだろうか。嘘を吐かなければならない動機があるとすれば、それは何だろうか。それとも読売新聞の記者の英語読解力が高校生以下ということなのだろうか。

(ここまで)


読売新聞らしからぬ記事だと思います。

政府べったりの読売ならば、トランプが仲介を断ったと書くべきなのだが

そうならなかったということは、記事を本国に送信した記者が在日だった

ということだろうと思います。



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オレンジャーからのメッセージ「あなたの幸せ」 [アセンション]

オレンジャーからのメッセージ「あなたの幸せ」




(ここから)


おれはオレンジャー!

あなたにとっての
幸せとはなにか

誰かの幸せではない

どこかの雑誌やWEBに
載っている幸せでもない

あなたにとっての
幸せとは何か

あなたの幸せは
あなた自身が決めるもの

誰かの幸せ感に憧れて
それを追い求めてるうちは
本当の幸せに気づかない

あなたにとっての
幸せはなにか

よく考えてみてごらん

身近にある小さな幸せに
意識を向けて、あなたの
心が喜ぶことを
見つけてみればいい

幸せは
追い求めるものではなく
あなた自身が感じるもの

是非覚えていてほしい

今日はこんなところだ
じや!

(ここまで)


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世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:身体がピカピカと光ることもありません」 [アセンション]

世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:身体がピカピカと光ることもありません」




(ここから)



あなた達はもう5次元領域に共振しているんです・・って

アシュタールは言うけど、なんだかよくわからないんですよねぇ~~。

だって、まわりにいる人はそんなに変わらないし・・・

イヤなこともそれなりにあるし・・・

5次元領域に共振したら消える??・・でも、私は消えてない・・


う~~ん、わからない・・っていうご意見?ご質問をよく

いただきます。

5次元領域に共振したら・・消えるの??

どこに??

・・教えてアシュタールぅ~~^0^


「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

消える人からは消えるし、消えない人からは消えない・・です。

???ですね・・波動領域のことは、あなた達には理解しにくいと

思います。


あなたはもう5次元領域と共振しています。

そして、同じように5次元領域と共振している人たちはお互いの

存在が確認できます。

つまり、見えているということですね。


でも、違う波動領域に共振している人たちからは、

あなたは見えないのです。

消えたということになります。


極端な礼になりますが・・

あなたの現実に銃を持った人はいませんね。

突然あなたの部屋に銃を持った人が押し込んできて、命の危険を

感じるということはないですね。


でも、そのような現実を体験している人もいるのです。

紛争地帯というところに住んでいる人たちは、そのような生活を体験

しているのです。

そして、そのような人たちは、あなたがそこにいることを知りません。

あなたという存在がいて、命の危険を感じることなく生活している

こともイメージ出来ないのです。

その人から見たら、あなたは消えた人、いない人だということです。


でも、私はその人達のことを知っています・・と思うかもしれませんが、

それは、テレビや映画、などの中の人たちですね。

実際にあなたの生活の中には存在しません。


5次元領域からは、3次元領域は見えるのです。

見えると言っても、現実的に実際に見えるのではなく、テレビなどの

媒体を通して、そういう世界もあるんだなという見かたになりますが。


同じ波動領域に共振している人だけが、あなたの現実に登場します。

その他の波動領域の存在は、あなたがフォーカスしなければ登場しないのです。

たとえば、5次元領域に共振していても、テレビの中の3次元領域を見て

興味を持って、自分もそこに行きたいと思ったら、あなたはそこに

共振することになるのです。

ある意味、5次元領域に共振している人たちから消えて、3次元領域に

共振する人たちに登場するのです。


あなたは自然に5次元領域に共振していますので、あなた自身に

その確信?実感?がないだけのことです。

そして、まわりに知り合いもたくさんいますので、3次元領域から

消えたと言われても、さっぱりわからない、と思うのです。


4次元(異次元)領域に共振している存在(精霊、眷属、妖怪、お化けなどと

呼ばれている存在)が見えないのは、違う波動領域に共振している

からです。


彼らとは住み分けています。

だから、何も問題はないのです。

お互い見えない(消えている)存在なのです。


そのように、3次元領域に共振している存在たちと住み分ければ

何も問題はなくなります。

あなた達が、3次元領域にフォーカスしなければ、3次元領域に

共振している人たちは、あなた達に何も影響することが出来ないのです。

彼ら(3次元領域に共振している人たち)からは、あなた達は見えない

のですから。


いつも言いますが・・5次元領域が良くて(善で)、3次元領域が悪いと

いうことはまったくありません。

善悪で判断しないでください。

どちらの波動領域が好きか・・ということだけです。

嗜好の問題です。


自分のまわりにたくさんの人がいる・・だから、私は消えていると

思わないでください。

5次元領域に共振すると、透明人間のようになるわけではありません。

エネルギー体になる訳でもありません。

身体がピカピカと光ることもありません。


身体的には何も変わりませんので、身体に何か起きることが波動領域が

変わることだという思考は手放してくださいね。

5次元領域は特別なところではありません。

特別なことを求めないでください。


あなたに愛をこめてお伝えいたします。」


ありがとう、アシュタール!感謝します。



(ここまで)


ただひとつだけ、私としては疑問が・・・・。

3次元テレビはあるのに、どうして5次元を映すテレビはないの?

と思うのですが、それは番組の選択次第だと思います。


自然のドキュメンタリー番組や科学番組などの事実を報道する番組を

選んで見たり、地域のほのぼのとした光景を報道する番組を選んで

見るのか?

それとも、ニュースやバラエティやどうでもいいようなドラマを好んで

見るのかの問題かもしれませんね。

要するに自分がどこに焦点を当てて番組を選び、どの番組を見ているかです。

チャンネルを回してみればほのぼのとしたものやそれに近いものは実際に

あります。

「天才、志村どうぶつ園」とか「坂上動物王国」などの動物番組、「世界大自然

紀行」や「JNNふるさと紀行」などがそれにあたりますね。 


結局は何に焦点を当てて自分が選んで見ているかで、3次元に共振している

のか5次元に共振しているかが違ってくるので、3次元テレビしかないと

思ってしまうのでしょう。

そういう意味では私の思考も3次元テレビ7に5次元テレビ3くらいの割合に

なるのでしょうね(笑)。

また、それがわかって見ているのか知らず知らずに見ているかの違いも

あるでしょう。知らず知らずのうちにそうした番組だけを見ている人は

3次元のコントロールを100%受けているのかもしれません。

さらに、3次元の番組を見ていてもその背景を考えながら見ていないと

その情報に振り回され、自分自身のアイデンティを失ってしまいますので

注意が必要と思います。






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破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:誰かの承認は要らないのです」 [アセンション]

破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:誰かの承認は要らないのです」




(ここから)


今日の破・常識!



私たちは小さなころから教育で、権威者、権力者、

偉い人たちから承認されることで自分の価値?

アイデンティティーを保つように教えられてしまった・・・らしい(笑)



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今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。






「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

他の人からの太鼓判を求めないでください。

誰かの承認はいらないのです。

何に対してもそうです・・

誰かに認められることを追わないでください。

特に権威者?権力を持っている人?

自分より偉いと思っている人?の太鼓判、保障、

承認を得なければいけないと思わないでください。

社会的に認められる・・という考え方は、

誰かの承認を得たいという考え方です。

自分を信じていないから

誰かからそれは大丈夫ですよという承認が欲しいのです。

承認が欲しい・・という考え方は、自信のなさからくるものです。


自信をもってください。

あなたの人生において、誰の承認もいりません。

”よくできました”のハンコを誰かに押してもらう必要はないのです。

あなたが自分で押してください。

あなたが自分を承認すればいいのです。

他人の承認?社会的に認められる・・ことを追い続けて行くと

自分にどんどん自信がなくなります。

いつまでも不安で不安で仕方無くなります。

誰かの?社会的な?承認を求めるのは、

もともと不安からですので、

それを求めれば求めるほど不安が募るというわけです。

自分が承認すれば、誰に承認されなくても自分はこれでいい

と思えれば不安はなくなります。


あなた達は小さなころから教育で、権威者、権力者、

偉い人たちから承認されることで自分の価値?

アイデンティティーを保つように教えられてしまったのです。

先生に”よくできました”のハンコををもらうことで

自分の存在に価値があると思い込まされてしまったのです。

”よくできました”のハンコをもらえない子はダメな子だと

刷り込まれてしまったのです。

だから、自分でどうしたいのか考えるよりも

どうしたら”よくできました”のハンコがもらえるのか?

を優先的に考えるようになってしまったのです。

その考え方の習慣が抜けないので

社会的に認められる存在になることに重きをおき

自分のしたいこと、考えを脇に追いやってしまうのです。

”よくできました”のハンコは自分で持ってください。

そして、自分で押すのです。

人に渡して、人に押してもらおうとしないでください。

自分でハンコを押せるようになると、世界が広がります。

自由になることが出来ます・・

人の目を気にして小さくなることもなくなります。

人のことも気にならなくなり(干渉することに興味がなくなり)

人間関係も楽しくなります。

世間的な形を求めることにも興味がなくなります。



あなたに愛をこめてお伝えいたします」



ありがとう、アシュタール! 



(ここまで)


人は誰でもそうですが、心の奥底に他人からの承認欲求というものを

持っています。

それは他人から認めてもらいたいという気持ちと認められないと不安で

怖いという心理が存在するからです。

しかし、そうした潜在的な心理は幼いころから様々なところで教育されて

きた結果でもあります。

子供の頃なら「これが出来たらご褒美を上げるよ」と言われると同時に

「もし、出来なかったりしたら罰があるよ」と脅されてきた結果でも

あります。

子供心に出来ないことへの恐怖心が他人から認めてもらわないと嫌だと

いう心理を育んでしまっているものと思います。

そして、それは他人からの無視と言う耐えがたい苦痛をもたらされる

ことだってあります。

そうした嫌な経験が認めてもらいたいという潜在心理を創ってしまって

いるものと思います。

これは子供の時だけでなく、大人になってからも仕事で上司が認めてくれ

ないと出世コースから外され低給与に甘んじなければならないという

屈辱的な対応をされることさえあります。それがまた同じような心理的

状況を創ることになるのです。

しかし、こうしたことが行われている原因がどこにあるのか?と考える

ことができる余裕が持てれば、それはある意味幻想であり、意味のない

ことだと理解できるはずです。

この世界はピラミッド社会だと何度もアシュタールが語っているように

強者が弱者をコントロールする世界です。

子供のころであれば親が強者で子供が弱者に当たります。

そして、それは将来成長してから社会的に役に立つ(否、立たされる)

人間になるために教育されているのに等しいものです。

親は子供をコントロールするために飴と鞭を与えます。

それがいつもいつもそうした教育をされたらどうなるでしょうか?

子供はいつも親の顔色を窺い、親の喜ぶことだけしようとします。

そうなると、こどもの自主性と自らの頭脳で考える力を失います。

まあ、そんな子供の方が社会に出てからコントロールしやすいのですが

まさに現代の教育制度とはそうしたものです。

これははっきり言ってピラミッド社会を維持するために全国民をその

ように教育しているのに等しいのです。

そして、それが正しいわけではありません。

そう考えることができれば他人の顔色をうかがうような生活や他人に

承認を得てから自分の行動を取るということがなんと意味のないことかと

思うでしょう。

だから、他人の承認など必要はないものです。

自分自身の価値判断に基づいて判断してもいいものです。

ただし、その判断が他人の自由への干渉と相手の裁量権を奪ったり、

愛のないものだったりしていないかという判断は伴います。

それが十分満たされるならば自分自身の決断に自信を持っていいはずです。

そのため、常にこの判断は他人の委ねたものではないかどうかと疑問を

持ちながら進めることが大事なことと思います。



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