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破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:誰かの承認は要らないのです」 [アセンション]

破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:誰かの承認は要らないのです」




(ここから)


今日の破・常識!



私たちは小さなころから教育で、権威者、権力者、

偉い人たちから承認されることで自分の価値?

アイデンティティーを保つように教えられてしまった・・・らしい(笑)



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今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。






「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

他の人からの太鼓判を求めないでください。

誰かの承認はいらないのです。

何に対してもそうです・・

誰かに認められることを追わないでください。

特に権威者?権力を持っている人?

自分より偉いと思っている人?の太鼓判、保障、

承認を得なければいけないと思わないでください。

社会的に認められる・・という考え方は、

誰かの承認を得たいという考え方です。

自分を信じていないから

誰かからそれは大丈夫ですよという承認が欲しいのです。

承認が欲しい・・という考え方は、自信のなさからくるものです。


自信をもってください。

あなたの人生において、誰の承認もいりません。

”よくできました”のハンコを誰かに押してもらう必要はないのです。

あなたが自分で押してください。

あなたが自分を承認すればいいのです。

他人の承認?社会的に認められる・・ことを追い続けて行くと

自分にどんどん自信がなくなります。

いつまでも不安で不安で仕方無くなります。

誰かの?社会的な?承認を求めるのは、

もともと不安からですので、

それを求めれば求めるほど不安が募るというわけです。

自分が承認すれば、誰に承認されなくても自分はこれでいい

と思えれば不安はなくなります。


あなた達は小さなころから教育で、権威者、権力者、

偉い人たちから承認されることで自分の価値?

アイデンティティーを保つように教えられてしまったのです。

先生に”よくできました”のハンコををもらうことで

自分の存在に価値があると思い込まされてしまったのです。

”よくできました”のハンコをもらえない子はダメな子だと

刷り込まれてしまったのです。

だから、自分でどうしたいのか考えるよりも

どうしたら”よくできました”のハンコがもらえるのか?

を優先的に考えるようになってしまったのです。

その考え方の習慣が抜けないので

社会的に認められる存在になることに重きをおき

自分のしたいこと、考えを脇に追いやってしまうのです。

”よくできました”のハンコは自分で持ってください。

そして、自分で押すのです。

人に渡して、人に押してもらおうとしないでください。

自分でハンコを押せるようになると、世界が広がります。

自由になることが出来ます・・

人の目を気にして小さくなることもなくなります。

人のことも気にならなくなり(干渉することに興味がなくなり)

人間関係も楽しくなります。

世間的な形を求めることにも興味がなくなります。



あなたに愛をこめてお伝えいたします」



ありがとう、アシュタール! 



(ここまで)


人は誰でもそうですが、心の奥底に他人からの承認欲求というものを

持っています。

それは他人から認めてもらいたいという気持ちと認められないと不安で

怖いという心理が存在するからです。

しかし、そうした潜在的な心理は幼いころから様々なところで教育されて

きた結果でもあります。

子供の頃なら「これが出来たらご褒美を上げるよ」と言われると同時に

「もし、出来なかったりしたら罰があるよ」と脅されてきた結果でも

あります。

子供心に出来ないことへの恐怖心が他人から認めてもらわないと嫌だと

いう心理を育んでしまっているものと思います。

そして、それは他人からの無視と言う耐えがたい苦痛をもたらされる

ことだってあります。

そうした嫌な経験が認めてもらいたいという潜在心理を創ってしまって

いるものと思います。

これは子供の時だけでなく、大人になってからも仕事で上司が認めてくれ

ないと出世コースから外され低給与に甘んじなければならないという

屈辱的な対応をされることさえあります。それがまた同じような心理的

状況を創ることになるのです。

しかし、こうしたことが行われている原因がどこにあるのか?と考える

ことができる余裕が持てれば、それはある意味幻想であり、意味のない

ことだと理解できるはずです。

この世界はピラミッド社会だと何度もアシュタールが語っているように

強者が弱者をコントロールする世界です。

子供のころであれば親が強者で子供が弱者に当たります。

そして、それは将来成長してから社会的に役に立つ(否、立たされる)

人間になるために教育されているのに等しいものです。

親は子供をコントロールするために飴と鞭を与えます。

それがいつもいつもそうした教育をされたらどうなるでしょうか?

子供はいつも親の顔色を窺い、親の喜ぶことだけしようとします。

そうなると、こどもの自主性と自らの頭脳で考える力を失います。

まあ、そんな子供の方が社会に出てからコントロールしやすいのですが

まさに現代の教育制度とはそうしたものです。

これははっきり言ってピラミッド社会を維持するために全国民をその

ように教育しているのに等しいのです。

そして、それが正しいわけではありません。

そう考えることができれば他人の顔色をうかがうような生活や他人に

承認を得てから自分の行動を取るということがなんと意味のないことかと

思うでしょう。

だから、他人の承認など必要はないものです。

自分自身の価値判断に基づいて判断してもいいものです。

ただし、その判断が他人の自由への干渉と相手の裁量権を奪ったり、

愛のないものだったりしていないかという判断は伴います。

それが十分満たされるならば自分自身の決断に自信を持っていいはずです。

そのため、常にこの判断は他人の委ねたものではないかどうかと疑問を

持ちながら進めることが大事なことと思います。



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