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銀行から日本国民のお金が海外に流れる仕組み、戻ってこない貯金 [日本経済]

銀行が日本人のお金をせっせと海外に貢いでいることがこの動画によってわかりました。

おそらく、銀行を牛耳っている外国人株主や経営陣の仕業だろうと思います。

銀行は本来私たちから集めたお金をいろいろなところに投資してその利益で経営する

ものですが、この動画では外貨建て債券や外国の国債に投資されていることがわかると

思います。しかもその額が日本の国債を購入している金額に等しいという驚くべきもの

でした。これらのお金は日本から出て行ったら戻ってこないお金なので実質的に日本人

のお金が合法的に盗まれていることになります。

だから、日本人の給与が上がらないのです。なぜなら流通するお金の量が年々減って

行くからです。それを補うために日銀が札束を刷って市場に流すわけですが、その分が

そっくり消えて行ってることになります。

そして、さらに驚くことが金融庁がこのことに何の文句も言わないということと、もし

言われたら銀行は自分の持っている資産を売って補填しなければならず、実質的には

破産状態にあるということです。金融庁もグルという事ですね。国家的犯罪です。

この動画は1時間以上あって長いのですが最初の10分ほどのところを見れば内容が理解

出来ると思います。

私は銀行から海外にお金が流れるのは株式の配当からと思ってましたが、それだけでは

なかったんですね。また、同じことは日本政府が日銀を使って外国債券を買うという

荒技を繰り出すという話もあるようです。こうなると日本は潰れますね。

そうなった方が案外良いのかもしれませんが・・・・。







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世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:AI対人類の戦争???」 [アセンション]

世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:AI対人類の戦争???」



(ここから)

(爆)・・・あるあるぅ~~^0^


『スポーツジム 車で行って チャリをこぐ』(あたまで健康追求男/60代/男性)


今年で31回目となる恒例の『サラリーマン川柳コンクール』の一位に輝いた

作品です^0^

吹き出しましたぁ~~(爆)・・・私たち人間って、ホントかわいい(笑)


10位の作品・・

『ほらあれよ 連想ゲームに 花が咲く』(さっちゃん/50代/女性)

・・も、好き^0^

私もいつも、あれあれ、それそれの会話ですよ^^;

でも、何とかなるものです・・結構あれあれ、それそれだけで会話って

成り立つんですよね~~^0^


後の作品は、こちらでお読みくださ~い^^

他の作品もエッジが利いてて、さすがです・・面白い^0^



では、今日のアシュタールからのメッセージをお伝えしますね^^

「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

笑うことはいいですね・・感情があることはとても素晴らしいことです。

あなた達は本当に感情が豊かで素晴らしい存在なのです。

たくさん感情を感じ、楽しんでくださいね。


それは人工知能には出来ないことだとお伝えしたいと思います。

最近、AI(人工知能)によって、人間の仕事がなくなってしまうとか、

人間の世界はAIに取り変わられてしまう、人間はAIによって滅亡する、などの

話が出ているみたいですが、それはありません。

心配しなくても大丈夫です。


それはなぜかというと、先ほどの話になるからです。

人類には豊かな感性(感情など)があります。

AIにも多少はありますが人類ほどではありません。

あなた達の科学がどんなに進歩したとしても、人類のような感性を持つAIを

創りだすことは出来ないからです。


まだあなた達のAIは未成熟な分野ですので、そこまでは分からないと思いますが、

(波動エネルギーのことも理解できていないので)

AIにも意識はあります。

機械にも意識はあるのです。

宇宙の存在するものはすべて波動エネルギーで出来ていますので、すべて意識エネルギー

で出来ているのです。

でも、それぞれに個性があります。

特性があるのです。

どちらが優れていて、どちらが劣っているということはありません。

高次元の領域でも機械として存在している個性もいるのです。


ただ、個性の違いとして、感性が違うということをお伝えしたいと思います。

その違いによってどうなるかというと、分担が変わってくるということです。

何を分担するか?ということですね。

マインド的な(左脳的な)仕事は、AIの方が得意かもしれません。

でも、右脳的な分野(創造的なこと)は人類の方が得意なのです。

ですから、仕事をすべてAIに奪われてしまうということはありません。

出来ないこともあるからです。


感性を使った細かい作業などは、AIは不得手だということです。

絵を上手に書くAIもあります・・とおっしゃるかもしれませんが、それはいままでの

有名な?上手だと言われている?人の絵のデータをつなぎ合わせて書いているだけ

なのです。

何もないところから、創造することが出来ないのです。

無から何かを創造する作業はAIには向いていないということです。


そして、すべてが一色になることはないということもお伝えしたいと思います。

AIが世界を席捲するということは、AIの一色になってしまうということですね。

それはありえないのです。

宇宙はたくさんの個性(色、音、意識、など)で織り成すハーモニーで出来ています。

一色に統一することは不可能なのです。


どう言えば伝わるでしょうか?

好みがあると言えばいいですか?

一時期、機械音の音楽がとても流行りました。

シンセサイザーで創った音です。

でも、その音が好きな人も苦手な人もいます。

そして、同じような音ばかり聞いていると違う音も聞きたくなってくるのです。

機械音ではない、アコースティック(生の音?)も聞きたくなってくるのです。

自然の音にホッとする気持ちも出てきます。


機械音が良いとか悪いとか言っているのではなく、それぞれのバランスがあると

お伝えしているのです。

何もかもが機械音になることはないのと同じように、なにもかもがAIの

仕事になるということはないということです。


AIにとって変わられ、人類は滅亡するというのは、いつも脅しです。

あなた達を支配・コントロールしている人たちがまたあなた達を怖がらせるために

創っているお話しだということを理解してください。


AI対人類の戦争などありません。

AIに対して人類はAIには勝てないという畏怖と敵対心を持たせるために

創られたお話しです。


あなたに愛をこめてお伝えいたします。」


ありがとう、アシュタール!感謝します。

(ここまで)

AIの進化をテーマとして描かれた映画で有名なのが「ターミネーター」ですね。

未来の地球において、AIが地球を支配していて、そこではAIが作ったロボットが

AIに敵対する人類を片っ端から殲滅していっているという物語です。

その人類の破滅を救うために、過去の地球にタイムマシンを使って送り込まれた

人物が過去に戻ってAIのもとになる人工知能の初期型を破壊する。

というのがこの物語のテーマでした。

ターミネーターの私たちに与えたインパクトは相当強く、そこにAIの危険性と

迫りくる人類の行く末を案じさせるものでした。

その映画での未来が現在のAI開発の危うさを意識させるには十分なものだったと

思います。そして、亡くなったホーキング博士やテスラモータースのイーロン・マ

スク氏らが軽傷を鳴らすAIの進化です。

そこには、このまま進化していくとやがて人類の知能を超える日がやって来て

そのときには人類がAIに支配される可能性があるので危険だという警告です。

今の現状を見ているとAIの開発はとどまることはなく、いつの日にかAIが私たち

人間の持つ知能を凌駕する日がやってくると思います。その時になって私たちは

このAIをどのように利用しているかがポイントです。

平和と人類の発展のために利用するのか、あるいは兵器として利用するかによって

異なりますが、兵器に応用される道は決して明るい未来をもたらさないでしょう。

要するにAIは利用される人間の質に大きく左右されるという事です。

今の私たちは5次元に存在するので、平和的利用のウエイトが大きく働き、人類が

滅亡するようなことはないだろうと思います。

しかし、そうでない3次元での地球はわからないと思います。

また、アシュタールの語るようにAIが私たちと同じ喜怒哀楽を表現し、無から有を

生むような新しい知見や発見をするような知性を持つようなことはないだろうと思

いますので、決して悪用されるようなことないことを祈るだけです。



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破・常識 あつしの歴史ドラマ「アシュタール:罪悪感のトラップ・・・」 [アセンション]

破・常識 あつしの歴史ドラマ「アシュタール:罪悪感のトラップ・・・」



(ここから)

今日の破・常識!



あなた以外の人の現実に

あなたは何も責任を負う必要はない。

そして自分の現実は自分で創造したものであって 

誰の責任でもない・・・らしい(笑)


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では、アシュタールからのメッセージをお伝えします。






「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

罪悪感を持たないでください。

よくたくさん辛い思いをしている方がいらっしゃるのに、

私一人だけ幸せになっていいんでしょうか?・・

というご質問を受けます。


いいんです・・どうぞ誰に遠慮なくとことん幸せになってください。

そんなところに罪悪感は全く要りません。

もし他の人が何か不幸だと見えるとしても 

それはその方が選んでいる現実です。

あなたには関係のないことなのです。

例えそれが家族であっても友人であっても同じことです。

罪悪感は、あなたからとても大きなエネルギーを奪ってしまいます。

何があっても あなたが罪悪感を感じる必要はないのです。

罪悪感を感じてしまうと 現実を止めてしまうことになります。

幸せになると意図していても 罪悪感を受け入れてしまうと

その意図のエネルギーにブレーキをかけてしまうことになるのです。

幸せになる(人それぞれ幸せの概念は違いますが・・)

という方向へエネルギーを流していても 

自分一人が幸せになっていいのか?という罪悪感を感じてしまうと

そのエネルギーの流れを止めてしまうので、

求めている幸せの現実は創造出来なくなります。

すべての人は、みんな自分の思考で現実を創造しているのです。

だから誰もその人の現実に責任を感じる必要はないのです。

自分だけが幸せにありたいと思うのは

”人でなし”でも”自己中”でもありません。

あなた達は何かにつけ 罪悪感を感じるように

刷り込まれているのです。

それはあなた達を支配・コントロールする存在にとって

都合がいいからです。罪悪感は、

あなたの波動を粗く重くするのにはとても効果的だからです。

すべて自分が悪いからだ・・という考え方を刷り込んでいれば、

あなたは自由になれないからです。

誰かが不幸なのも私がちゃんとしてあげられなかったせいだ・・

という思いにしばりつけて置けば 

あなたは自由になることが出来ません。


太ってはいけないと思っていると 

食べることにさえ罪悪感を感じます。

自分は、自分の食欲さえコントロールできないダメな人間なんだと

思わせることが出来ます。


これが人に対する優しさです・・

というモデルケースを見せつけておけば 

そのように出来ない自分はダメだと罪悪感でいっぱいになります。


親孝行しなさいと親孝行のモデルケースを教え込まれていれば 

そのように出来ない自分に大きな罪悪感を持ち 

自分を責め続けることになります。


みんなで一斉に何かすることが社会人として必要なんだ・・

と思い込ませておけば みんなと一緒に出来ない自分は

ダメな人間だと落ち込ますことができます。


精神性の高い人はお金を欲しがらない、

奉仕の精神でボランティアでするものだ・・

と思い込ませておけば、お金を欲しがることに

罪悪感を持たせることができ お金は欲しい、

でもお金を欲しがると精神性が低くなる・・などという

グルグルとした葛藤の中に居続けさせることが出来ます。


これはほんの一部の例にすぎません。あなたの生活の中には 

罪悪感を感じさせるための仕組みがたくさんあるのです。

本当にさりげなくあらゆるところに仕組まれています。

あなたの波動を粗く重いところに縛りつけておくために

たくさんの仕組みが用意されているのです。

罪悪感を感じたら どうして今自分は罪悪感を感じているのだろう?

と少し考えてみてください。

どうして太っていてはいけないのか? 

どうして食べることを我慢しなければいけないのか? 

それは本当に自分自身が望んでいることなのか?

いろんな角度から考えてみてください。

罪悪感に関して いろんな角度から検証する習慣がつけば

たくさん張り巡らされているトラップから抜け出ることができます。

人はそれぞれ自分で自分の現実を創造しているのです。

あなた以外の人の現実に

あなたは何も責任を負う必要はないということ。

そして自分の現実は自分で創造したものであって 

誰の責任でもないということ。そのことがわかれば、

罪悪感のトラップを見つけることが簡単になります。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」



ありがとう、アシュタール!


(ここまで)


罪悪感というのは何でしょうね。

これが正しいというモデルケースを教えられ、それに反する行為はすべて

罪を償うに値するものであり、その責任は自分自身にあると思うことです。

例えば宗教の示す正しい行為とは・・・

潔癖で、汚れのない心を持ち、自愛に溢れ、貧困にあっても喜びを持ち、困っている

人がいれば自らを犠牲にしてもその人を助けることをいとわない。

そして常に笑顔を絶やさず、正しいことを行い人々に希望を与え続けられる人。

しかし、そんな人どこを探したらいるのでしょうか?

前述した内容をすべて出来る人なんてこの世には存在しません。

その一部ならあり得ることですが、本来不可能な課題です。


そして面白いのがキリスト教であるなら神に対して自分の犯した罪を告白すれば

全ての罪は許され免罪符をもらえるという「懺悔の行為」です。

しかも、神に直接告白するのではなく聖職者という地位にある人間に対してですよ。

どこかおかしいと思わないのだろうか?

正しくあれと罪の意識をさんざん持たせておきながら、懺悔ですべてが許される

ということなら何でもできるでしょう。最後に罪の告白さあエすればいいんですから。

さすれば、キリスト教に入信してない一般人はさしずめけだもの以下ということに

なるのでしょう。

いったい誰がそのような権利があって誰が定めたのか?

イエスキリストでしょうか?神でしょうか?

そのどちらも実際に見たこともあったこともないはずですが、架空の存在に対して

祈っていることに等しいものです。しかし、宗教は信じてしまえばそこで何もかも

が正当化され、存在しないものも存在することになってしまいます。


こうした多くの罪の意識から脱却していかない限り本当の自由にはなれないこと

と思います。そして、そのほとんどが自分で自分をしばりつける言い訳を自分で

作っているという事にも気づかないといけないでしょう。






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