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世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:濃密な人間関系を作ってください・・・」 [アセンション]

世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:濃密な人間関系を作ってください・・・」




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ワークショップの中で、今住んでいるところをじょうもんの頃のような軽い場所に

することはできますか?それともやっぱりどこかに行かなければいけませんか?・・

というご質問がありました。

それに関してアシュタールからメッセージが来ましたのでお伝えしますね^^

「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

じょうもんのようなところ・・それは場所ではありません。

場所があるから出来るのではなく、思考があるから出来るのです。

だから、どこでもそれは出来ます。


もし、あなたがじょうもんの頃のような社会(社会というほど大きくなくても)を

作りたいと思うならば、人との関係をつくって行ってください。

いまのような希薄な人間関係ではなく、融合的な(濃密な)人間関係です。


融合的な(濃密な)人間関係というと、あなた達はイヤな顔をします。

それは、融合的な(濃密な)人間関係を間違ったように教えられてしまっているからです。


濃密=べたべたとした関係・・というイメージを植え付けられてしまっているのです。

べたべたと干渉しあう関係を濃密だと思ってしまっているのです。


濃密というのはそうではありません。

エネルギーの交流が出来ている関係のことを言います。

エネルギーの交流がうまく出来ている関係では、お互いを信頼し合えるのです。

信頼し合えるということは、干渉しないということなのです。


人間関係が希薄というのは、エネルギーの交流が出来ていないということです。

エネルギーの交流が出来ていないから、信頼し合うことが出来ず干渉しあってしまうのです。

難しいですか?


人間関係が希薄だから、反対にべたべたしたくなると言えば理解していただけますでしょうか?

希薄でエネルギーの交流がうまく出来ていないから、いつもべたべたとしていないと

不安でたまらなくなるのです。

不安だから、いつも一緒に行動したり、一緒の行動しない人に干渉したくなったりするのです。

エネルギーの交流がうまく出来ていると、エネルギー的に満足できますので不安はなくなります。

エネルギーの交流が出来ると、常にお互いとつながっていることが分かります。

別々の行動をしていても、根底はつながっていることが実感できますので安心していられるのです。

だから、お互い何をしてても干渉しようとは思わないのです。


これが濃密な関係です。

表面は反対に見えます。

常に一緒にいて、一緒の行動をしている方が濃密な関係なのではなく、

濃密な関係を保つことが出来ていると、表面はサバサバとしてあまり仲が良くないのかなと

見えることもあるのです。


そして、エネルギーの交流が出来ると、お互いを信頼できますので階級?レベル?分けなど

考えなくなります。

立場の上下などなくなります。

横並びの関係を築くことが出来るのです。

不安があるから上下の関係をつくり、干渉し束縛しようと思うのです。


濃密な人間関係を保つことが出来る社会は、とても風通しがいいのです。

みんながそれぞれ違うことをしています。

そして、お互いを干渉しません。

でも、みんな信頼し合ってつながっていますので、安心していられるのです。


では、その濃密な人間関係はどうすればいいのでしょうか?

それは、あなたがご機嫌さんでいることです。

自分だけが?・・そうです。

あなたがご機嫌さんでいれば、あなたは他の人に気持ちよく接することが出来るようになります。

他の人に気持ちよく声をかけ、手を差し伸べることが出来るのです。

気持ちよく声をかけれた人は、気持ちよくなります。

それはエネルギーの交流が出来たからです。

何かしてほしいと思っているときに気持ちよく手を差し伸べ合えれば、そこに気持ちのいい

エネルギーの交流が出来ます。

手を差し伸べた人も、手を貸してもらった人もどちらも気持ちよくなるのです。

ここにエネルギーの循環が起きるのです。

循環しているのでエネルギー不足になることはありません。


これが濃密な人間関係です。

干渉し合ったり、束縛しあったりするのが濃密な人間関係ではないのです。

濃密な人間関係になればなるほど、表面上はサバサバとしたものになります。


その関係を少しずつでも広めていくことが出来れば、あなたのいるそこがじょうもんの頃の

ような場所になるのです。

どこかにじょうもんの頃のような場所があるのではなく、あなたの思考の中にそれはあります。

ですから、どこにでも、ひとりからでもそれをはじめることが出来るのです。

先ずは、あなたがご機嫌さんになり、希薄な人間関係を濃密な方向へと意図してください。


いまの社会はあまりに希薄になり過ぎたので、あなた達は融合のエネルギーを求めています。

あなた達の集合意識はそちらに動いています。


あなたに愛をこめてお伝えいたします。」


ありがとう、アシュタール!感謝します。

(ここまで)



私の人間関係は案外サバサバしています。

それは親子であっても同じであまり干渉することはしません。

必要な時は互いに助け合っても常にそんな関係でもないです。

そして友人や男女関係であっても同じです。

だから、長続きするものと思います。


特に男女関係などでは相手を束縛してしまいたいという衝動を感じるときも

ときにはありますが、そんなときは「相手は相手、自分は自分」と思うので

そういう衝動も大きくなりません。

そのため他人から見たらかなりサバサバした人に見えるだろうと思います。

でも、それでいいものと思います。

必要な時には助け合えばいいだけのことですから。





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破・常識 あつしの歴史ドラマ「アシュタール:ただ価値観が違うだけ・・・」 [アセンション]

破・常識 あつしの歴史ドラマ「アシュタール:ただ価値観が違うだけ・・・」




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今日の破・常識!



みんな同じ存在であって、違う個性を持っている。

個性の違いを認め合い、尊重し合う。

ただ考え方、感じ方、価値観が違うだけ・・それだけ・・・らしい(笑)


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では、アシュタールからのメッセージをお伝えします。








「こんにちは こうしてお話しできる事に感謝します。

私たち宇宙ファミリーは、ケンカはしません。

もちろん、それぞれに違う意見は持っています。

だから自分の意見を他の存在に伝えることはします。

でもそれだけです。

考え方、感じ方がそれぞれ違うのは当たり前のことです。

考え方、感じ方の違いをお互い尊重しています。

私はこう思います・・あなたはこうなんですね・・少し私と違いますね・・

それだけです。


人は(すべての存在は)たくさんの面を持っています。

だから考え方、感じ方、価値観が同じところもあれば、

違うところもあります。同じところで話をすれば楽しいですし、

違うところはそれぞれ違う考え方に触れられて

それはそれで楽しいことです。

自分には持っていない価値観を教えあえて、とてもいい刺激になります。

違うことを受け取りあえると、

とても豊かなコミュニケーションが取れるのです。

自分と違うからといって、それを否定し拒否してしまうと

その楽しさをなくしてしまいます。

違う考え方、感じ方、価値観を受け入れると変化することができます。

宇宙は常に変化しています

(進歩、成長、とかと言う概念ではありません)

変化は、とても大切なのです。

変化するからエネルギーの循環が起きて、常に新鮮でいられるのです。

変化を拒むと循環が起きなくなりエネルギーが淀んでしまいます。

淀むとどうなるかはわかりますね。

相手が自分と違う考え方、価値観を言うと 

何だか自分が拒否されているように捉えてしまうかもしれませんが、

そうではないことをわかってください。

拒否されているのではありません。ただ違うだけなのです。

ただ違うだけ・・それを受け入れられるようになると 

とても楽に自由になれます。

お互いの意見を尊重し合えるようになります。

そうするとケンカと言うコミュニケーションはなくなります。


自分の考え方、価値観、感じ方を信頼してください。

それがあなたの表現なのです。

自分の表現を信頼し、それを頼りに出来るようになると 

外のことは気にならなくなります。

どんなに他の人が違う服を着ていても、

自分はこの服が着たいから着ているの・・って言えるようになります。

そうなると他の人が着ている服にも興味が無くなります。

いい意味で人のことはどうでもよくなりますので

干渉しようと思わなくなります。

自分に自信がないから、自分のことを大切に思えないから 

人のことが気になるのです。

自分の意見をその人に押し付けたくなるのです。

自分の意見が正しいと認めさせたくなるのです・・

正しいという確証が欲しくて

誰かに太鼓判を押してもらいたくて仕方が無くなるのです。

そして干渉したくなるのです。


あなたはこの宇宙の中で一人しかいない

とてもユニークな存在なのです。他の人もそうです。

それぞれが、ユニークで素晴らしい存在なのです。

みんな同じ存在であって、違う個性を持っているのです。

個性の違いを認め合い、尊重し合ってください。

ただ考え方、感じ方、価値観が違うだけ・・それだけです。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」



ありがとう、アシュタール!

(ここまで)


自分と考え方が違うとなんとなく違和感を覚え否定したくなるというのはあると思います。

なぜなら、そこには自分が正しいという考えが根底にあるからです。

しかし、そうした考えも数年後になって改めて考えると自分の考え方に柔軟性がなかったと

改めて気づくこともあります。そして今ならそうと思えるということです。

やはり、誰もが自我を否定されたように感じるのだろうと思います。

アシュタールの語るように相手の考え方を認められるようになるためには自分は自分、相手は

相手と割り切れる考え方が必要です。それが出来るようなると少し寛容性が出てきます。

ただ、中には自分の意見はこうだからとごり押しをし、力づくでも認めさせようとする相手は

相手にしない方が良いでしょうね。喧嘩になるだけです。そうですねと言ってその場を逃げる

のがいちばんかな・・・・。


ただ、討論会はまた違うでしょう。お互い同じルールの中で議論し合うものなのでそれは

それで自分の意見の正当性を主張してもいいものと思います。それでも、相手の意見を認める

柔軟性は必要だと思います。







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