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発達障害なんて大人の都合で作った病気 [健康・病気]

発達障害なんて大人の都合で作った病気


(ここから)

発達障害じゃないよ
 
発達障害なんてこの世に存在しません。
 
ちょっと言葉が出るのが遅い。
ちょっとお話が好き。
ちょっとおこりんぼ。
ちょっと知りたがり屋。
 
ちょっといろんなことが他の子と違うだけなのをいっしょくたに「発達障害」にしないでほしいのです。
そもそも「発達障害」なんて病名は、精神科医が思いつきで作ったものです。
病名が作られたいきさつについて知っている人が、いったいどれだけいるというのでしょう。
反対する人ほどそういう裏事情を知りません。
賢い、知能を蓄積している最中の子どもの頭におクスリ放り込んで台無しにするために。
 
子どもたちの人生はお母さんのそれよりもず――ッと長いのです。
もちろん、子どもたちへの支援は大切です。
本当の意味での支援が必要な方はいます。
しかし脳の障害であることを何も証明することのできない、科学的根拠のない、いいかげんな、だれでもあてはまるADHDや発達障害のチェックリストによって大人たちに「診断」され「病名」をつけられた子どもたちは、どれほど傷ついているのでしょう。
そして、お決まりのパターンですが薬によって、本物の「精神障害者」ができあがるのです。
 
ただ行政や教育機関の言うがままに、精神科医の言うがままに、自分で調べようとも考えようともせず、まして子どもの本当の声に耳を傾けることもなく、「そうなってしまった」のであったなら、あなたの人生はかなりの苦難に満ち溢れていることでしょう。
子どもの事だけにかかわらず。原因があるから結果があり、過去が今を作り、今の連続が未来を作る。
それを「見ない」ようにふたをして、ただ今ある結果を「病気」にするのは違います。子どもは親の鏡です。
そして、人は自分にふさわしいものを引き寄せる。
 
アメリカでは、幼稚園のクラスの中でも最年少でその分未発達であるがために注意欠陥・多動性障害(ADHD)と誤って診断される子どもが約100万人にのぼっている可能性があると、2010年米ミシガン州立大が発表しています。
ADHDは脳の機能障害などと言われながら、診断は脳検査の結果を基に行なわれるわけではありません。
表面的に現れる行動から医師が「主観的に」判定するだけなのです。
もっと簡単にいえば大人の都合で診断されているといっても過言ではありません。
 
要するに100万を超える子どもたちは、詐欺の被害に遭ったのです。
精神科医と大人に彼らは騙されているのです。
「これは遠いアメリカでの出来事だ」では済まない話で、まったく同じ構図が日本の患者にも当てはまります。
日本の子どもたちも米国の子ども同様の危険性にさらされており、薬漬けになっている子どもは後を絶ちません。
ここに精神医学の非科学性があります。
発達障害もADHDもそれを診断できるという検査もアンケートも、すべて捏造の作りごとなのです。

(ここまで)


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コロナウイルスの感染者が世界各国で増加しているのは計画的なもの? [国際・政治]

日本でも、コロナウイルス感染者が中国武漢からの帰国者の中に発見され
ました。これに対する厚生労働省の会見を観ましたが、何と会見中に薄ら
笑いを浮かべているのには大変驚きました。

これはよく観察していないとわかりません。
要するに彼らはすべて知っているということです。





また、これまでの日本政府の対応が後手後手に回っているように見えるのは
すべて計画的なものだと思われます。(異論があるかもしれませんが)


そして、現在世界中でコロナウイルスが中国の春節を契機に拡大し始めている
こともあらかじめ計画されたもののように思われます。


そして、その最終的な目的はワクチン接種を合法化するためのようです。
実際にワクチン開発が終わったとどこかの国で発表していたはずです。


そのため、日本でも感染者が増加し、死亡者が現れ始めた時点で政府によって
ワクチン接種が義務化されるだろうと私は見ています。


場合によっては日本人は発酵食品を多く食べる(ウイルス抵抗性がある)国民
なので計画通り進まない可能性もあります。
これは感染者がいまだに国内で爆発的に増えておらず、実際に感染者の中でも
重症化している例がないことからもわかります。


ただ、重症化には年齢的なものもありますので、今後の日本国内の動向を観察
していく必要があります。


なお、こうしたことも3次元テレビの中で放送されているドラマとして観て
いることが最悪の事態を予防するキーとなると思います。


(追記)

日本政府がコロナウイルス対応が遅いのは安倍が計画している憲法改正法案の
中にある「緊急事態法」が必要だと国民に認識させるために利用しているような
ところがあり、実際に今回も検査拒否した二人に「法的根拠がなくなすすべが
なかった」と説明している。暗に緊急事態法があればこんなことにはならないと
述べているのに等しい。


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オレンジャーからのメッセージ「伝わる関係」 [アセンション]

オレンジャーからのメッセージ「伝わる関係」



(ここから)

おれはオレンジャー!

どんなにすばらしい
プレゼン能力を身につけても

あなたが
一方的に何かを
伝えようとするのであれば
その想いは伝わらない

コミュニケーションを
円滑に図るためには
技術や手段の前に
もっと大切なことがある

それは何か

コミュニケーションを
取ろうとする相手との
信頼関係を築くこと

信頼関係があれば
つたない表現でも
相手がその意図を
汲んでくれて
想いは伝わる

逆に信頼関係がなければ
どんなに素晴らしい演説も
相手の心には決して届かない

相手とちゃんと
コミュニケーションを
取りたいと願うのであれば
まずその相手との間に
ちゃんとした信頼関係を
築く努力をしよう

信頼関係を
築くためには
何をすればいいか

それは
とてもシンプルなこと

言動一致を貫くこと

いいかえれば
小さな約束を守ること

そうして土台を
創っておくことが
とても大切だよ

今日はこんなところだ
じや!


(ここまで)


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世にも奇妙なフツーの話「さくやさん: 名前が一緒じゃなきゃ家族になれない?」 [アセンション]

世にも奇妙なフツーの話「さくやさん: 名前が一緒じゃなきゃ家族になれない?」



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今日はちょっと真面目な話題?(いつも真面目なんですけど(笑)

ロシア革命で政権を取ったレーニンが、女性を家事や育児から

「解放」し、子供を「国家」が育てるという政策を行った。

これが「家族解体政策」だと言われているらしい。


この政策はソ連が子どもの養育費を出す(ソ連式子ども手当)

食事も共同の食堂で食べられるようにするというものだそうです。

子どもを育てるのに教育費が必要無くなり、食事も作らなくてもいい・・

共同の食堂で食べられるようになったことで「母親が子どもの

食事の支度をする」という伝統的な光景がソ連の国中から消えてしまった。


それで、その政策によって自分にお金も使わない、ご飯も作らない親なんて

尊敬も感謝も出来るかってことで子どもたちが親を尊敬しなくなり

感謝もしなくなって家族が崩壊してしまった。

そして、親の愛情を知らないまま(お金も出してくれないし

ご飯も作ってくれないから愛情されていないと思って)育った

子どもはグレ、犯罪を犯すようになった。

離婚も増え、孤児も増え、少子化の方向へ進んでいってしまった。

社会がムチャクチャになってしまった・・だから、大きく方向転換し

離婚を非難し、夫婦や家族の価値を絶賛しはじめたということ

らしいんです。


で、このレーニンの政策を参考に、家族が無くなれば社会が廃れるという

ことで、前から問題定義されている「夫婦別姓」「事実婚」を反対している

人たちがいるとか??

う~ん、親が子どもの教育にお金を出さないとか食事をつくらないから

とかで子どもが親を尊敬しなくなったり感謝もしなくなって愚連隊の

ようになってしまう??・・ちょっと極端じゃないかなぁ~って

思うミナミなのです。

なぜそんなに政治家の人たちが夫婦別姓に対してムキになって反対するのか

よくわからなかったのですが、こういう理由なのねぇ~~って

分かりましたです。


でもね、親子や夫婦って名前が一緒じゃなきゃ家族になれない?

家族が育てなきゃ(親がお金を出し、食事を作らなきゃ)子どもは愛情を

感じることがなく愚連隊になる?

そんな単純なものなのかなぁ~~・・って思うんです。

家族って形じゃないと思うんです。

気の合う、好きな、一緒にいて楽しい人といれば、そこが家族に

なるんじゃないのかな・・って思うミナミなのですが・・・・





では、さくやさんからで~す^0^

「じょうもんの子たちや江戸の子たちは自由にやってたけどね。

いまみたいな結婚制度なんてなかったし、戸籍もなかったわ。

でも、みんなすごく幸せに暮らしていた。

家族?・・・・家族はあったわよ、でもね、血縁なんて関係ないの。

一緒にいる人たちがみんな家族。

江戸時代の庶民たちも同じだったのよ。

好きな人と一緒にいて、ちょっと違うなって思ったら分かれて

また違う人と一緒になったわ。

子どもはみんなの子どもとして近所の人たちが一緒に育ててた。

誰の子でも一緒、近くに住む子はみんな兄弟って感じね。

父親が誰かとかそんなことも興味なかった。


いまのような窮屈な結婚制度が出来たのは明治維新からなの。

明治維新でキリスト教的な一夫一婦制になったから窮屈になってしまった。

何かというと不倫だの、浮気だのって問題になるけど、それはこの

制度のせいね。


江戸時代には一応結婚という形はあったけど、ほとんど機能は

していなかったのよ。

離縁された女性は生きていけなかった?・・そんなことはまったく

無かったわよ。

そして、男性の勝手でいつでも三下り半を突き付けられるから

女性はずっと耐えていなければいけなかった・・なんてこともない。

三下り半は女性からも突き付けていたし、三下り半はある意味

独身の証明として誰とでも再婚しても大丈夫ですということ。

何度も結婚する女性もたくさんいたしね、仕事だって女性は

バリバリしていたから離縁されて食べられなくなったら困るとか

ということもなかった。

自立していたから自立した夫婦でいられたの。

そしてどちらかに別に誰か好きな人が出来てもそれは仕方がないと

いうことで何もなかった。

好きな人が出来ても、いまの人も好き・・ってことになったら

3人で暮らすこともあったし、別に家を持って行ったり来たり

することもあったわ。

それは男の子だけじゃなくて女の子もそう。

男はよくて女はダメということもなかった。

いまのあなた達の道徳観、倫理観から見たらびっくりするかも

しれないけど、それくらい恋愛に関しても自由だったわ。


子どもたちもそんな環境が当たり前だったから、親が離縁しても

あ~そうですかって感じね。

淋しいとか悲しいとかみじめだとか、そんなことは思わなかった。

だって誰も気に留めていないんだから子どもも気に留めないわよ。

いま親が離婚したら子どもがさみしい思いをするっていうのは、

まわりがそういう目で見るから、子どもはそのまわりのエネルギーを

感じて、あ~自分は親が離婚したかわいそうな子なんだって思って

しまうから。

まわりが何も考えなかったら、子どもも何も感じないの。


だからね、結婚制度がなければ社会が成り立たないってことはない。

人々の考え方がもっと柔軟で、もっと自由になれば、家族制度なんて

なくても豊かで楽しい社会になるの。

っていうより、反対にそんな窮屈な制度がない方がいいのよ。


そしてね、じょうもんや江戸の子たちのようにまわりの人たちと

一緒に子どもを育てるようにすれば、いま問題になってるワンオペ?

保育園に入れない?なんてこともなくなるの。

家族だけで何とかしようとする必要もないのよ。

血縁だけが家族だと思ってしまうとどんどん世界が狭くなってしまう。

合う人たちが近所に住んで手を貸しあえば、子どもを育てるのも楽に

なるし、病気のときもこころ強いし、1人でご飯を食べるさみしさも

無くなるわ(1人ご飯が好きな人は1人で食べればいいのよ、ムリして

みんなで食べる必要はないからね)


家族という概念をもっと広げてみたら?

まわりの人たちと手を貸し合って生活すれば、楽になるし、楽しくなるし

不安や心配も減るわよ。


あなた達をこころから愛してるわ~~」


ありがとう、さくやさん!

私たちもさくやさんをこころから愛してるよ~~^0^

(ここまで)

調べてみると、江戸時代と言うのは今の様な戸籍制度はなかったみたいです。

地元のお寺が作成している過去帳(ご先祖様の名前(戒名)と亡くなった年、享年

が書かれている帳簿)や「宗門人別改帳(宗門人別帳・宗門改帳)」(しゅうもん

にんべつあらためちょう)は、領主が村ごとに作成させ、提出させ公的な目的を持

った帳簿というように、役所がすべて一括して管理するものではなかったようです。

武士は武士で別に「分限帳(ぶげんちょう・ぶんげんちょう)」は江戸時代の大名

の家臣の名前や役職などを記載した武士名簿のことをいい、いわば武士の戸籍の

ようなものがありました。

だから、それぞれバラバラだったということですね。

お百姓さんなんかは村単位でどこの誰々という感じで管理されていて、名字とかは

農民にはまだ認められていなかった時代ですから、親の名前を旗印に「孫兵衛の

長男の三吉」てな具合だったでしょう。

人数もそれほど多くなかったからそれですんでいたはずです。それに村の人々は

互いのことは良く知っていて、誰も知らない人はいないという感じだと思います。

だから、結婚制度も今の様なものではなかったと思います。

結婚制度や戸籍が導入されたのは明治以降からです。

要するにアトランティス時代の人頭管理制度ということでしょう。

国はすべてを管理するというやり方です。

先月、義理の兄の死亡届が親族でなければ出せないということで遠方まで出かけて

来たわけですが、内縁の妻であっても認められていいはずです。日本の戸籍制度では

認められないわけですね。それだけ、管理が厳格で情け容赦ないというか、国家への

隷属を意味します。なにせ、戸籍がない人(実際にいますが)は日本人ではないと

いう扱いになります。戸籍がなくとも日本で生まれれば日本人でしょう!と言いたい

ところですが、浮浪者より始末が悪いです。国民としても権利が全く保証されない

分けですからね。

またまた、話が飛んでしまいましたが、私たちはあまりにも今の結婚制度や戸籍と

いう考え方に慣らされ過ぎていると思います。だから、矛盾を感じないのでしょう。

ただ、夫婦別姓については一緒に住んで戸籍が同じであれば問題ないのではないの

でしょうか?











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破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:どうしたら痩せられますか??」 [アセンション]

破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:どうしたら痩せられますか??」



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今日の破・常識!



世界が同じ姿形、同じ顔をした世界をちょっと想像してみてください。

痩せなければ美しくないと言っているのは、

その世界を目指しているのと同じです。byアシュタール


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今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。







「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

どうしたら痩せられますか?・・というご質問をよくいただきますが・・・

私にはお答えできないんです。

私がお答え出来るのは・・どうして痩せなければいけないんですか?

・・という反対の質問しかないのです。

どうしてそんなに痩せたいのですか?

どうして痩せなければいけないのでしょうか?・・と反対に質問すると

痩せたほうが見栄えがいいから、太ると身体によくないから

というお答えが返ってきます。


痩せたほうがきれい・・・それは誰の価値観なのでしょうか?

誰の美的センスなのでしょうか?

太ると身体に悪い・・それは本当でしょうか?

誰が決めたのでしょうか?

あなたにはあなたの身体の一番いい状態があります。

みんなが同じ身体を持っているように見えますが、

それぞれの個性があるのです。

同じ美的センスを持って、みんなが同じ身体(体型、顔)を

していたらどうでしょうか?

どの人をみても、同じお人形のような身体と顔をしているのです。

みんなが美しいとされるお人形の形をしているのです。

そのような世界はどうですか?

楽しいですか?美しいと思いますか?

身体は見かけは同じです。

頭があって、身体があって、手があって、足があって

・・・でも、身体は同じではないのです。

それぞれの特徴があります。

血圧がもともと高めの人もいれば、低めの人もいます。

血糖値もそうです。

それはその人の身体の特徴なのです。

それで元気ならばそれでいいのです。

みんなが同じ数値でなければいけないということはありません。

反対に、何の支障もないのに数値が高い低いということで

無理に正常とされる数値しようと薬を飲む方が危険なのです。

同じ人はいません。

個性があるから面白く楽しい世界が出来るのです。

すべてにおいて、それぞれの個性が発揮出来ればいいということです。

それには、個性がとても大事なのです。

みんなが同じ姿形を目指す必要はないのです。

そして、これが美しい姿です。

これが魅力的な人です。というモデルケースをつくり

みんなにそれになりなさい、頑張ってそれを目指しなさいと

刷り込めば、物が売れ、医療関係が潤います。

すべては商業ベースでしていることだということに気が付いてください。


あなたはあなたの身体が一番いいのです。

あなたがテラでしたいことをするために

自分で創造した身体なのです。

体重40㎏が適性体重の人もいれば、

60kgが一番身体の調子が良い人もいます。

60㎏で体調が良い人が無理に40㎏になれば

どうなるか分かりますね。

体調がおかしくなります。

そして精神的にもバランスを崩してしまいます。

そして、健康を取り戻したいと薬を飲む・・

とてもナンセンスな話しです。

楽しく、美味しく、食べたいものを食べて

自然にしている状態のあなたの身体が、

あなたにとって一番いい身体の状態なのです。

それを無理に食べ物を我慢し、無理に運動をし

無理な体型にしようとする方がよほどおかしなことなのです。

誰か知らない人が商業ベースでつくった

美的モデルケースに乗らないでください。

誰かが作り上げた平均値と呼ばれる数値に振り回されないでください。

それは、お金儲けのためのものです。

あなたを不安にさせ、物を売るために作りあげたシステムです。



世界が同じ姿形、同じ顔をした世界をちょっと想像してみてください。

痩せなければ美しくないと言っているのは、

その世界を目指しているのと同じです。

もう一度言います・・どうして痩せなければいけないのでしょうか?

これが、どうしたら痩せられますか?

というご質問に関しての私の答えです。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」



ありがとう、アシュタール! 


(ここまで)

失礼とは思いますが・・・。

痩せたいと思う人は明らかに太っているんでしょうね。


ただ、どのくらい太っているかが問題で、標準体重が70Kgの人が

140Kgだったら、そりゃ痩せた方が良いです(笑)。

でも、80Kgくらいだったら許せるんじゃないかと・・・。

それを50Kgまで減量したいと思うならば、そりゃ無茶でしょう。

と、いうしかありません。

アシュタールの語るようにその人にとって適正な体重と言うのはあります。

それは標準体重ではないです。

標準体重を少しくらいオーバーしていても何ら問題はないと思います。

ただし、高血圧とか心臓病などの病気のある人は別です。

当然、痩せた方が良いです。


要するにケースバイケースで考えるべき問題であって、他人から見て

痩せてると言わせたいがための痩身美容であれば、止めた方が良いです。

無理に痩せることをすると身体のバランスを崩すからです。

女性の場合にはホルモンバランスが乱れ、生理不順になりやすく

低体温症にもなります。

これは多くの病気を引き起こすでしょう。


太っていても体調に問題がなければそれでいいのではないかと思います。





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