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財政破綻、病院消滅の夕張で老人が元気な理由 [医学]

財政破綻、病院消滅の夕張で老人が元気な理由


病院が減った方が健康維持の努力をすることから、病気になる確率が下がるという
良い例が今回の記事です。



(ここから)

毎年受ける健康診断に、意味はあるのだろうか。本当に医者のいうことを信じていいのだろうか。さてあなたは、財政破綻した夕張では市から病院が消えたのに、高齢者が元気になっていたことを知っているだろうか。「プレジデント」(2020年1月3日号)の特集「信じてはいけない! 健康診断」より、記事の一部をお届けします――。

夕張市では171床あった病床が19床に大幅減少した

北海道夕張市では171床あった病床は2006年の財政破綻後、19床に大幅減。総合病院は消え、市にはいくつかの診療所が存在するのみとなった。住民の約半分が高齢者で、その分医療を必要とする人が多かった当時の夕張。多くの患者があぶれ、適切な医療を受けることができなくなると予想された。しかし、実際はまったく逆の現象が起こったという。夕張市立診療所の元所長、森田洋之医師は「日本人の主な死因であるガン、心疾患、肺炎の死亡率について、女性のガンを除きすべて破綻後のほうが低くなっている」と指摘する。

なぜ病院がなくなることで病気が減ったのか。森田医師は「それは、プライマリーケア中心の医療にシフトできたからです」と話す――。

財政破綻の夕張で見えた医療の希望

プライマリーケアとは、大病院での専門医療に対し、地域かかりつけ医による予防から在宅看取りまでを含む総合的な医療のことです。たとえば、風邪の症状を訴えて来院した患者に関して、入院が必要な場合にのみ専門病院へ取り次ぎ、そうではない場合は診療所レベルでの治療で対処するというもの。プライマリーケア後進国の日本ではそれを専門とする医師は存在せず、個人開業医や小児科医がその役目を果たしていることが多いです。

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夕張では、総合病院が消えたことでプライマリーケアに移行せざるをえませんでした。患者さんの重症度を見てふるい分けし、入院や手術など大きな治療が必要な場合のみ札幌の病院にお任せするという方式をとり、プライマリーケアを徹底しました。そうしていくと、入院治療が必要な患者さんというのは、実は非常に少ないことがわかりました。

そして破綻前に比べて、心疾患、肺炎を原因とする死亡率が減りました。代わりに、増えているのが老衰です。実は、破綻前も老衰の過程を辿っていた方は多くいましたが、プライマリーケアが浸透したことで、老衰という診断が増えたのです。

老衰とは体全体の機能が落ちるということです。それは、心臓も肺も胃腸も全体的に徐々に弱くなってくるということで、どれがトリガーになって亡くなるかは判断が難しい。たとえば、飲み込む力が衰えて肺に食べ物が落ちてしまい、肺炎になった超高齢の患者さんがいたとします。運ばれた先の緊急病院で亡くなったら、初めてその患者さんを診た医師は肺炎という死亡診断を下すでしょう。その人の体が老化でどう変化してきたかではなく、目の前の病気だけ見ているのですから。しかし、老いの過程を見てきたプライマリーケア医がいれば、最期がたとえ肺炎でも「これは老衰のパターンですね」と家族に説明ができるのです。

プライマリーケアのおかげで、救急車の出動回数も破綻前から半減しました。「何かあったらいつでも救急車で病院に来ていいですよ」というスタンスは、一見市民の安全・安心のためになっているように見えるのですが、実は違います。なぜなら、そこで初めて会う救急医と患者さんの間には信頼関係がないので、人ではなく病気を見る医療にしかならないからです。人間はいつか必ず死ぬのですから、本人の意思を無視してとにかく延命の治療をすることは、本当の幸せではありません。


プライマリーケアが広がらぬ理由

特に、90歳を超えたら、死ぬ直前まで本人なりに幸せでいられるかが一番大事と考えます。その年齢になったら何かしら病気が見つかるのは当たり前。強制的に入院させられ、病院のベッドに縛り付けられて治療を受けるよりも、最期まで自分の家で好きなことをしていたいという考えの人もいるでしょう。

救急車で病院に運ばれてくる患者さんには終末期の高齢者の割合も少なくありません。しかし、終末期に医療で解決できることは限られます。そのような時期に、病気だけを見て治療を行うことは避けるべきです。プライマリーケアとは、一人ひとりの人生に向き合い、その人にとっての最善の医療を行うことなのです。

「指定管理者制度」をとることでうまく対処した

ただ、プライマリーケアが広まれば国の医療費も個人の支出も抑えられる一方、医療を提供すればするほど収益につながる日本の制度では医療機関の経営が苦しくなります。夕張ではその問題は「指定管理者制度」をとることでうまく対処しました。

指定管理者制度とは、地方自治体が所管する公の施設の運営をノウハウを持った民間事業者などが担い、効率化を図ることです。夕張の市立診療所でもその制度を取り入れていて、市の所有物である診療所を民間が管理・運営しています。努力して医療費を削れば市町村国保の財政が改善するわけですから、そこでwinwinの関係になれるのです。

国の医療費が減らないのは、医療が日本で一番強大な宗教と化してしまっていることも理由の1つです。

具合が悪くて病院にかかったら、医師の言うことは何も疑わず信じるしかないですよね。入院して、あの検査をして、点滴も打って、手術もしましょうと言われたら、全部受け入れるしかない。それが過剰な医療だったとしても、多くの患者さんには判断が難しいでしょう。

本来、医師はもっとフラットに話ができる存在でなければならないと思っています。だから私は現在、訪問診療のときも白衣を着ないでラフなスタイルで行っています。患者さんの本当の思いを聞き出すということが、プライマリーケアで最も大切なことですから。

たしかに病院には従業員の給料を支払うという大きな責任があります。収益を確保することも大事でしょう。しかし、それでは過剰な医療になってしまいがちです。プライマリーケアを実践するには、自院の収益以上に、「患者さんの幸福」を追求する覚悟が必要なのです。そのためにも、予防医療や患者中心の医療の重要性を医師自身が深く理解できるような教育の充実が急務と私は考えます。

命に向き合うということは、その人の人生を包括して考えていくことです。長生きがすべての人にとっての幸せというわけではない。どうすればその人らしく生き、その人らしく死ねるかを患者と一緒に考えていけるのは、プライマリーケアの制度の下でしか実現することはできません。夕張市の医療モデルは、右肩上がりを続ける日本の医療費問題解決への糸口としてしばしば語られますが、経済的な意味以上に、プライマリーケアは「人の幸福を最大化する」という役割を担っているのです。

(ここまで)


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「ノートが取れない」中学生。日本の子どもたちの読解力はなぜ落ちたのか? [教育]

「ノートが取れない」中学生。日本の子どもたちの読解力はなぜ落ちたのか?


先日、日本の子どもの学力が落ちたというニュースと日本人の論文数が減って
来ているというニュースを目にしている人も多いかと思います。

しかし、今回の「ノートが取れない」中学生。日本の子どもたちの読解力はなぜ
落ちたのか。新井紀子さんインタビュー」の記事を読んで驚きました。

記事にあるように中学生で授業中に「ノートを取れない」、「ノートを取れない」
というこどもが増えているようです。

私も小学校や中学校ではとくにノートを取りませんでしたが、それは取らなく
とも、ほぼ記憶できていたからですが、それでも今は必要があればノートを
書いています。

文章を書くという作業はとても大事なことで、自分の思考力を鍛え、推論する
力を養ってくれます。それを繰り返すことと語彙数を増やすために必要に
応じて国語辞典を引くという作業は大変重要です。

今の子供たちはそのようなことはしないし(子供によると思いますが)、
そもそも、やり方を教えてもらっていないのではないかと思います。

また、後半でIT教育の問題点についても指摘されておられますが、実に同感
です。基礎もないままITだけ使えても決して子供のためにならないだろうと
思います。

ましてや、夫婦共働きと言う窮屈な生活の中で子供の自主性を尊重し、自由に
学ばせることの出来る親の少ないことを考えるとなおさらのことです。


本当に、これからの日本の将来を危ぶんでしまいます。


記事の詳細は著作権の関係もあるので以下のリンクからお読みください。
https://www.businessinsider.jp/post-204493



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オレンジャーからのメッセージ「つながっている」 [アセンション]

オレンジャーからのメッセージ「つながっている」


(ここから)

おれはオレンジャー!

あなたが
どんなに
孤独を感じていても

あなたは
誰かと必ず
つながっている

あなたの命は
あなただけが
支えているのではなく

たくさんの人や
たくさんの存在達によって
支えられている

あなたの身体には
これまで何度も
たくさんの存在を
支えてきた水や空気が
あなたの身体を巡っている

これまでに蓄えた
たくさんの情報を
シェアしながら
あなたは今を生きている


孤独を感じるのは
あなたが
あなただけの世界に
入り込んでいるから

ちょっと
目を開いて
耳を澄ませてごらん

どれだけの存在が
あなたの周りにいるか
気付くことができるよ

今日はこんなところだ
じや!

(ここまで)



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世にも奇妙なフツーの話「さくやさん:大人と一緒!」 [アセンション]

世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:大人と一緒!」




(ここから)


子どもたちがキライなものは絶対に食べないんです・・

どんなに工夫して調理してもすぐにバレる・・

バレたら最後絶対に食べないんですよ・・

でも、栄養のことを考えるとやっぱり好き嫌いしないで食べて

欲しいと思うんです。

何でも好き嫌いしないで食べてもらえる方法はないですか?

・・っていうご質問をいただきましたぁ~~

この件に関して今日はさくやさんからのメッセージをお伝えしますねぇ~





「子ども達に完璧を求めすぎていないかしら?

食べ物のことだけじゃなくて、すべてにおいて完璧を求めすぎて

いるように思うんだけど?


好き嫌いしないで何でも食べなさい。

たくさんのお友達をつくって、ケンカせず誰とでも仲良くしなさい。

お手伝いをすすんでしなさい。

学校ではおとなしく先生のいうことを聞いてたくさん勉強しなさい。

お行儀よくしなさい。

親のいうことは素直に聞きなさい。

ゲームは時間を決めて時間が来たらすぐにやめなさい。

早寝早起きをして規則正しい生活をしなさい。

外に出て元気よく遊びなさい。


・・・などなど、言い出したら切りがないくらい要求してない?


こんなの全部出来る人っている?スーパーマンじゃないんだから・・

大人たち、子どもに要求していること全部やってる?


ケンカしない?

好き嫌いしない?

休みの前や休みだからってダラダラしてない?

会社や上司のことに文句ばかり言ってない?

趣味のことをしていて、時間が来たからってすぐにやめてる?


イヤなことをすすんでしなさい・・って言ってる大人がイヤなことを

すすんでしてるかな?・・ってことよ。


ケンカをしてはいけません、みんなと仲良くしなさい・・って言ってる

大人がケンカしてたらまったく説得力ないわよね。


説得力がないことを諭してもまったく聞く耳は持たないわよ。

子どもは大人を見ているの。

大人が出来ていないことを子どもがしようなんて思うわけない。

出来る訳ないの。

建て前だけで話をしても仕方がないの。


こんな人に育ってほしいって思う理想?思い?はあると思うけど、

それなら、あなた自身がそんな大人になってちょうだい。

そうしたら子どもに何も言わなくてもその子はあなたの背中を見て

あなたのように育つわ。


子どもはすべて分かってる。

この人は建て前だけで話をしているか、本心からそう思っているか

全部お見通しなの。

建て前だけで話をして、自分はまったく違うことをしている大人の

いうことなんて聞かないわ。


子どもに何か要求する時は、自分なら出来る?って自分に聞いてみて。

自分なら出来ると思うなら言えばいいと思う。

でも、自分はイヤだな、出来ないなって思うなら言わない方が

いいんじゃない?

だって、子どもにウソをついていることになるから。

子どもにウソをつけば、子どもは大人を信用しなくなるわ。

そして、こころを閉ざしてしまう。


子どもとは本音で話し合うことが大切なの。

小さな子どもでも同じ。

子どもは身体は小さくても個人なの。

親とは別の個性なの。

親の言うなりにすることが育てることじゃない。

その子の個性を尊重し、見守ることが育てること。

手を出し、口を出し、大人の都合良いようにしようとするのは

育ててるのではなくコントロールしているだけなの。


子どもに完璧を求めないでね。

あなたも完璧になりなさい、完璧を求めなさいって言われたら

しんどいでしょ。

子どもも一緒だということを忘れないでね。


キライな食べ物があるのは個性として当然よね。

大人だってそう・・そう思えれば好き嫌いがあることなんて何も

悩む必要はない・・でしょ?


勉強が好きな子もいればキライな子もいる。

運動が好きな子もいればキライな子もいる。

友だちとワイワイするのが好きな子もいれば一人でいるのが好きな

子もいる。

ゲームが好きな子もいれば本を読むことが好きな子もいる。

大人と一緒!


子どもはこうでなければいけない!・・な~ンっていう大人が勝手に

作り上げたモデルケース(子ども像)にはめ込もうなんてしないでね。

そんなことをされたら子どもは苦しくて息が出来なくなってしまう。


大人と一緒!

このことを忘れないでね。


あなた達をこころから愛してるわ~~」


ありがとう、さくやさん!

私たちもさくやさんをこころから愛してるよ~~^0^


(ここまで)

人参が嫌い、ピーマンが嫌い、キュウリが嫌い!

と、ともかくいろんなものが嫌いなのが子どもです。

私は魚、なかでもドジョウが嫌いでした(笑)。

ドジョウと聞いてわかる人もいないかもしれませんね。

昔はと言っても、昭和30年代ですが、あの頃は田んぼと

小川の境目に網を仕掛けておけば、いくらでもドジョウが

捕れました。

今のように何でも買えば手に入る時代ではなく、その辺に

ある野草もおかずになる時代でした。

あざみ、たんぽぽ、つくしなども季節になればそこかしこに

生えてきます。それを採って食べました。

だから、ドジョウは大切なたんぱく源でした。

何と言ってもただでしたからね。


話が飛んでしまいましたが、人参が嫌い、ピーマンが嫌いと

言っても必ず食べないと死んでしまうなんてことはないはずです。

私たちの学ぶ栄養学ではこれとこれを食べないとダメという

教え方をしていますが、実際にはそんなものに従う必要はない

のだと私は思います。


もっとも、私はドジョウが嫌いで食べなかったために、魚類が

ともかく嫌いで食べませんでした。

そのおかげでカルシウム不足だったのか歯並びが悪く(歯茎の

土台になるあごの骨の成長が遅れたのでしょう)今でも歯が

ジグザグになっています。


そういうこともありますが、今はむしろいろいろな食材に恵まれて

いるので、大きな栄養不足にはならないはずです。

ピーマンを食べなくともキャベツが食べれられればいいですし、

人参が嫌いでも、他の赤色の野菜で代用できます。


むしろそのように子供に強制する方が子どもの心をゆがめます。

好きなようにさせましょう。

そうすれば、ある日何気なく食べて違和感がないことを知れば

それ以降食べるようになるでしょう。

子どもは自分が派遣したことには夢中になるものです。

それよりものびのびと自由に育てましょう。


それと、私の記事はかなり投稿するのが遅い時がありますが、

それは、毎日夕食の準備と、食事、後片付けに追われるので

日中用事があって6時ごろまで記事が書けないときには夜8時半

以降に投稿することになりますので、悪しからずご了承ください。








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破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:宇宙はすべてOK!」 [アセンション]

破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:宇宙はすべてOK!」


(ここから)

今日の破・常識!



私を尊敬出来なければ、あなたを尊敬することも出来ない。

世界を善悪、正義、良い悪いで判断しないで。

宇宙はすべてOK・・・らしい(笑)


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今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。







「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

すべては同じものから出来ています。

出来ているという表現もおかしいですが・・

すべては絶対無限の存在なのです。

すべては絶対無限の存在の分身なのです。

分身と表現しましたが、絶対無限の存在そのものなのです。

小さな絶対無限の存在なのです。

だから、同じ存在なのです。

ワンネスです。

ただ、それぞれに表現が違うだけなのです。

そこに善悪も、良い悪いも、正義もありません。

それぞれに違うだけなのです。

宇宙人と地球に住む人たちは表現が違うだけです。

人間でも、肌の色が違うのは表現が違うだけです。

習慣や文化や価値観も表現が違うだけなのです。

動物、植物、鉱物も表現が違うだけです。

そして、テラには目に見える存在(物質化している存在)と

物質化していないのであなたの目には見えない存在もいます。

どちらも絶対無限の存在であり、表現が違うだけなのです。

ですから、みんな同じであり、高貴な存在も

特別な存在も絶対的に正しい存在もいないのです。

人間が動物より素晴らしい存在だということもないのです。

目に見えない存在が

人間より素晴らしい存在だということもありません。

ここを忘れてしまうと、いろんな問題、諍いが起きてしまいます。

あなたの社会で起きている問題は、

すべてここから発生しているのです。

お互いを尊重し、尊敬し、存在していることへの

感謝の気持ちを忘れなければ、とても気持ちの良い世界になります。

そして、合わないと思えば、お互い離れればいいのです。

離れることも、相手を尊重することなのです。

そして、自分自身を尊重することなのです。

自分自身を尊重し、尊敬し、自分が存在することに感謝出来なければ

他の人を尊重することは出来ません。

ワンネスです・・あなたは私、私はあなた・・

私を尊敬出来なければ、あなたを尊敬することも出来ないのです。

世界を善悪、正義、良い悪いで判断しないでください。

宇宙はすべてOKです。

善悪、正義、良い悪いは、立場が変わると反転します。

とても一方的で脆弱な考え方なのです。

すべて表現の仕方が違うだけなのです。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」



ありがとう、アシュタール! 


(ここまで)


私たちのこの世界はほとんどと言って良いほど、「善と悪」の価値判断で

成り立っています。

考え方も、価値判断と同時に起きる感情もすべてが善悪の価値判断に従って

行われています。例外はありません。

自分にとって気持ちの良いものは善であり、その反対は悪です。

なぜなら悪は気持ち悪いという感情を引き起こすからです。

でも、中には悪が気持ちいいもので、善が気持ち悪いものだと判断する人も

いると思います。

私たちからすればほとんどが前者であり、支配者側から見れば反対になります。

つまり、絶対的基準ではないということです。

立場が変わればその価値判断は180度反転します。

今回のIRに絡む賄賂も国民からすれば悪ですが、もらっている議員からすれば

善の行為なのです。それに対して良心の呵責を感じれば、議員で会っても悪と

いう思いを感じることでしょう。


よく考えてみれば、この世界は対立する考えの人が存在して初めて成り立つ

ように出来ているようです。どちらかが欠けてもこの世界は成り立たないと

いうことです。

善は悪を知らしめ、悪は善を引き立たせる。

そしているも善と悪の攻めぎあいがあり、両者の価値を際立たせている

ということですね。


そう考えると、善も悪も同じで立場が違うだけと言えそうです。

でも、その考えを日常生活の中に反映させるのは少し難しいでしょうね。

それでも、そのことを理解しておくべきでしょう。


世界を善悪、正義、良い悪いで判断しないでください。
宇宙はすべてOKということです。


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