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世にも奇妙なフツーの話「さくやさん: 名前が一緒じゃなきゃ家族になれない?」 [アセンション]

世にも奇妙なフツーの話「さくやさん: 名前が一緒じゃなきゃ家族になれない?」



(ここから)

今日はちょっと真面目な話題?(いつも真面目なんですけど(笑)

ロシア革命で政権を取ったレーニンが、女性を家事や育児から

「解放」し、子供を「国家」が育てるという政策を行った。

これが「家族解体政策」だと言われているらしい。


この政策はソ連が子どもの養育費を出す(ソ連式子ども手当)

食事も共同の食堂で食べられるようにするというものだそうです。

子どもを育てるのに教育費が必要無くなり、食事も作らなくてもいい・・

共同の食堂で食べられるようになったことで「母親が子どもの

食事の支度をする」という伝統的な光景がソ連の国中から消えてしまった。


それで、その政策によって自分にお金も使わない、ご飯も作らない親なんて

尊敬も感謝も出来るかってことで子どもたちが親を尊敬しなくなり

感謝もしなくなって家族が崩壊してしまった。

そして、親の愛情を知らないまま(お金も出してくれないし

ご飯も作ってくれないから愛情されていないと思って)育った

子どもはグレ、犯罪を犯すようになった。

離婚も増え、孤児も増え、少子化の方向へ進んでいってしまった。

社会がムチャクチャになってしまった・・だから、大きく方向転換し

離婚を非難し、夫婦や家族の価値を絶賛しはじめたということ

らしいんです。


で、このレーニンの政策を参考に、家族が無くなれば社会が廃れるという

ことで、前から問題定義されている「夫婦別姓」「事実婚」を反対している

人たちがいるとか??

う~ん、親が子どもの教育にお金を出さないとか食事をつくらないから

とかで子どもが親を尊敬しなくなったり感謝もしなくなって愚連隊の

ようになってしまう??・・ちょっと極端じゃないかなぁ~って

思うミナミなのです。

なぜそんなに政治家の人たちが夫婦別姓に対してムキになって反対するのか

よくわからなかったのですが、こういう理由なのねぇ~~って

分かりましたです。


でもね、親子や夫婦って名前が一緒じゃなきゃ家族になれない?

家族が育てなきゃ(親がお金を出し、食事を作らなきゃ)子どもは愛情を

感じることがなく愚連隊になる?

そんな単純なものなのかなぁ~~・・って思うんです。

家族って形じゃないと思うんです。

気の合う、好きな、一緒にいて楽しい人といれば、そこが家族に

なるんじゃないのかな・・って思うミナミなのですが・・・・





では、さくやさんからで~す^0^

「じょうもんの子たちや江戸の子たちは自由にやってたけどね。

いまみたいな結婚制度なんてなかったし、戸籍もなかったわ。

でも、みんなすごく幸せに暮らしていた。

家族?・・・・家族はあったわよ、でもね、血縁なんて関係ないの。

一緒にいる人たちがみんな家族。

江戸時代の庶民たちも同じだったのよ。

好きな人と一緒にいて、ちょっと違うなって思ったら分かれて

また違う人と一緒になったわ。

子どもはみんなの子どもとして近所の人たちが一緒に育ててた。

誰の子でも一緒、近くに住む子はみんな兄弟って感じね。

父親が誰かとかそんなことも興味なかった。


いまのような窮屈な結婚制度が出来たのは明治維新からなの。

明治維新でキリスト教的な一夫一婦制になったから窮屈になってしまった。

何かというと不倫だの、浮気だのって問題になるけど、それはこの

制度のせいね。


江戸時代には一応結婚という形はあったけど、ほとんど機能は

していなかったのよ。

離縁された女性は生きていけなかった?・・そんなことはまったく

無かったわよ。

そして、男性の勝手でいつでも三下り半を突き付けられるから

女性はずっと耐えていなければいけなかった・・なんてこともない。

三下り半は女性からも突き付けていたし、三下り半はある意味

独身の証明として誰とでも再婚しても大丈夫ですということ。

何度も結婚する女性もたくさんいたしね、仕事だって女性は

バリバリしていたから離縁されて食べられなくなったら困るとか

ということもなかった。

自立していたから自立した夫婦でいられたの。

そしてどちらかに別に誰か好きな人が出来てもそれは仕方がないと

いうことで何もなかった。

好きな人が出来ても、いまの人も好き・・ってことになったら

3人で暮らすこともあったし、別に家を持って行ったり来たり

することもあったわ。

それは男の子だけじゃなくて女の子もそう。

男はよくて女はダメということもなかった。

いまのあなた達の道徳観、倫理観から見たらびっくりするかも

しれないけど、それくらい恋愛に関しても自由だったわ。


子どもたちもそんな環境が当たり前だったから、親が離縁しても

あ~そうですかって感じね。

淋しいとか悲しいとかみじめだとか、そんなことは思わなかった。

だって誰も気に留めていないんだから子どもも気に留めないわよ。

いま親が離婚したら子どもがさみしい思いをするっていうのは、

まわりがそういう目で見るから、子どもはそのまわりのエネルギーを

感じて、あ~自分は親が離婚したかわいそうな子なんだって思って

しまうから。

まわりが何も考えなかったら、子どもも何も感じないの。


だからね、結婚制度がなければ社会が成り立たないってことはない。

人々の考え方がもっと柔軟で、もっと自由になれば、家族制度なんて

なくても豊かで楽しい社会になるの。

っていうより、反対にそんな窮屈な制度がない方がいいのよ。


そしてね、じょうもんや江戸の子たちのようにまわりの人たちと

一緒に子どもを育てるようにすれば、いま問題になってるワンオペ?

保育園に入れない?なんてこともなくなるの。

家族だけで何とかしようとする必要もないのよ。

血縁だけが家族だと思ってしまうとどんどん世界が狭くなってしまう。

合う人たちが近所に住んで手を貸しあえば、子どもを育てるのも楽に

なるし、病気のときもこころ強いし、1人でご飯を食べるさみしさも

無くなるわ(1人ご飯が好きな人は1人で食べればいいのよ、ムリして

みんなで食べる必要はないからね)


家族という概念をもっと広げてみたら?

まわりの人たちと手を貸し合って生活すれば、楽になるし、楽しくなるし

不安や心配も減るわよ。


あなた達をこころから愛してるわ~~」


ありがとう、さくやさん!

私たちもさくやさんをこころから愛してるよ~~^0^

(ここまで)

調べてみると、江戸時代と言うのは今の様な戸籍制度はなかったみたいです。

地元のお寺が作成している過去帳(ご先祖様の名前(戒名)と亡くなった年、享年

が書かれている帳簿)や「宗門人別改帳(宗門人別帳・宗門改帳)」(しゅうもん

にんべつあらためちょう)は、領主が村ごとに作成させ、提出させ公的な目的を持

った帳簿というように、役所がすべて一括して管理するものではなかったようです。

武士は武士で別に「分限帳(ぶげんちょう・ぶんげんちょう)」は江戸時代の大名

の家臣の名前や役職などを記載した武士名簿のことをいい、いわば武士の戸籍の

ようなものがありました。

だから、それぞれバラバラだったということですね。

お百姓さんなんかは村単位でどこの誰々という感じで管理されていて、名字とかは

農民にはまだ認められていなかった時代ですから、親の名前を旗印に「孫兵衛の

長男の三吉」てな具合だったでしょう。

人数もそれほど多くなかったからそれですんでいたはずです。それに村の人々は

互いのことは良く知っていて、誰も知らない人はいないという感じだと思います。

だから、結婚制度も今の様なものではなかったと思います。

結婚制度や戸籍が導入されたのは明治以降からです。

要するにアトランティス時代の人頭管理制度ということでしょう。

国はすべてを管理するというやり方です。

先月、義理の兄の死亡届が親族でなければ出せないということで遠方まで出かけて

来たわけですが、内縁の妻であっても認められていいはずです。日本の戸籍制度では

認められないわけですね。それだけ、管理が厳格で情け容赦ないというか、国家への

隷属を意味します。なにせ、戸籍がない人(実際にいますが)は日本人ではないと

いう扱いになります。戸籍がなくとも日本で生まれれば日本人でしょう!と言いたい

ところですが、浮浪者より始末が悪いです。国民としても権利が全く保証されない

分けですからね。

またまた、話が飛んでしまいましたが、私たちはあまりにも今の結婚制度や戸籍と

いう考え方に慣らされ過ぎていると思います。だから、矛盾を感じないのでしょう。

ただ、夫婦別姓については一緒に住んで戸籍が同じであれば問題ないのではないの

でしょうか?











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