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オレンジャーからのメッセージ「すべてを与えられている」 [アセンション]

オレンジャーからのメッセージ「すべてを与えられている」


(ここから)

おれはオレンジャー!

今の地球が
新しいステージに
アセンションするために
必要なものは

すべて
地球上に
存在している

何かを新しく
調達する必要はなくて
与えられている材料で
それらをどう料理するかが
今、問われている

すべての人類が
飢えずに食べられるだけの
食料を人類史上初めて
手にしているのに

相変わらず
世界のどこかでは
飢えに苦しんでいる人が
存在しているし

どこかの国では
まだ食べられるものが
どんどん廃棄されている

結局地球人は
何をしたいのか

この食料のことも
宇宙人から見れば
地球人の意図が
分からない

君たちは
どんな世界を
実現したいのだろう

すべては
君たちが
どんな世界を
イメージしているかに
かかっているよ

今日はこんなところだ
じや!

(ここまで)



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世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:こんなことが仕事になる??」 [アセンション]

世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:こんなことが仕事になる??」




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ワークショップの中でよく出るご質問です^^

アシュタールやさくやさんは好きなことを仕事にしてくださいって

言いますが、仕事以前に好きなこと、得意なことがわからないんです。

どうしたら好きなことが分かってそれを仕事にすることが出来ますか?


・・・ということです。


では、お願いします、アシュタールぅ~~^0^




「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

お金になりそうな?仕事になりそうな?中から好きなことを

探そうとするからです。


先ず前提に仕事、お金を求めてしまうと何もわからなくなります。

そうお話しするとすぐに・・でも、本を読むのが好き、ゴロゴロと

寝ながら音楽を聞くのが好き、こんなことは仕事にはならない

ですよね・・という反応が返ってきます。


この時点ですでに私の好きなことは仕事にはならないと

あきらめてしまっていますので、何もアイディアは

浮かんできません。


何でも仕事になるのです。

あなたが好きなこと、得意なことをどうしたら他の人に提供できるかな?

と考えるところから仕事ははじまるのです。

仕事とは需要と供給です。

需要を見つけることが出来ればあなたが好きなことは仕事になるのです。


いま社会にある仕事はすべてここからはじまっているのです。

当たり前にあると思っている仕事も最初はなかったのです。

誰かが創りだしたからいま存在しているのです。


最初はこんなことが仕事になるの?って思うようなことです。

こんなものを欲しがる人がいるの?って思うことなのです。

需要を見つけることが出来ればそれは仕事になるのです。


たとえば、お茶もそうですね。

お茶を家で淹れるのが当たり前だったときは、ペットボトルの

お茶が売れるとは思いませんでした。

そんなものはぜったいに売れないと言われたのです。

でも、いまはペットボトルのお茶はとても大きな需要があります。


アイディアなのです。

そして、大切なのは需要を見つけることなのです。

これが好き、だからこれを仕事にしたいという気持ちばかりでは

難しいのです。

私の”好きなこと”を欲している人がいるかな?と考えてください。

どうすれば欲しいと思ってくれるのかな?と考えてください。


でも、さすがにゴロゴロ寝ることが仕事にはならないでしょう・・

と思いますか?

ゴロゴロするのが好きな人は、ゴロゴロすることに長けています。

どうやったら楽にゴロゴロ出来るかな?

何を使えば楽にもっと楽にゴロゴロ出来るかな?

などと無意識に考えて自分なりのゴロゴロの方法をつくっているのです。

ある意味ゴロゴロのプロなのです(笑)


ならば、そのゴロゴロの方法を使えばいかがですか?

ゴロゴロしたいけど楽なゴロゴロの仕方がわからないと思って

いる人にゴロゴロの仕方を教えてあげるということも仕事になります。

ゴロゴロしたいけど、ゴロゴロするスペースがない、とか、

ちょっとだけ仕事の合間にゴロゴロしてリフレッシュしたい、とか

思っている人もいます。

その人たちにゴロゴロするスペースを提供するという仕事も出来ます。


好きなことを仕事にするアイディアはたくさんあります。

あなたが最初から出来ないとあきらめてしまっているからアイディアが

出てこないだけなのです。


そして、自分の好きなことを仕事にしようと思うのではなく

もうすでにある仕事の中から好きなものを選ぼうとするからわからなく

なるのです。

選ぼうとするということは妥協するということです。

このくらいで手を打ちましょうと思うということです。

それは我慢です。

妥協したり、我慢したりすれば、たとえ好きだと思うことでも

楽しくなくなってしまいます。

そして、これは私の本当に好きなことなのでしょうか?と迷うことに

なってしまうのです。


好きなことを仕事にしてください・・というのは、すでにある仕事の

中から好きなものを選んでくださいということではありません。

好きなことを、それを欲している人(需要)に供給出来る形にして

くださいということです。


自分の好きなことをどうやって仕事に出来るかを考えてください。

ワクワクしませんか?

とにかく出来るとか出来ないとか考えないで、荒唐無稽なアイディアでも

良いですので考えてみてください。

そうすれば必ず楽しいアイディアが湧いてきます。

これだ!と思えるアイディアが出てきます。



あなたに愛をこめてお伝えいたします。」


ありがとう、アシュタール!感謝します。


(ここまで)


そうですね。

アシュタールの語るように、私たちは今ある仕事の中から自分の得意なものが

どれに相当するかと考え、探し出そうとします。

だから、どれかに当てはまらないと、それは仕事にならないとあきらめて

しまう傾向が強いと言えます。

まあ、言うなら私も含めて発想が貧困だということです。

あるものの中から探そうとせず、今自分が持っている得意なことを欲して

いる人がいるかどうかを最初に考えるべきなのです。

自分の好きなことや出来ることが今ある仕事とマッチングするかどうか

という視点で仕事を探すのではなく、好きなことや出来ることを欲している

人にどのようにしたら提供できるかという手段を考えるということです。


今では悪名高いコンビニエンスストアだって、最初はなかったはずです。

コンビニエンスとアとは早朝から深夜まで、あるいは無休で日常生活に必要な

品を中心に扱う小型のスーパーストアと言われています。

でも、これって昔からある雑貨屋さんと同じです。

どこが違うのでしょうか?

それは営業時間帯が違います。

今は24時間営業が定着してますが、始まりは朝7時から夜11時までの

営業スタイルで始めたセブンイレブンが日本での始まりでした。

雑貨屋さんはいくら遅くとも夜7時、朝は7時くらいが一般的でしたが

就業時間が早く、仕事で遅くなったときには雑貨屋さんは開いていません。

そのすき間のニッチが需要を呼び発展しました。

そして、個人商店ではなくフランチャイズと言う土地があれば誰でも多大な

開業資金がなくとも始められるという利点がありました。

だから、全国にコンビニエンスストアが広がって行ったのです。

今は24時間営業のやり方そのものが問われていますが、以前は今ほど店舗が

多くなかったので過当競争にならず、適度な利益が上げられていたので問題に

ならなかっただけです。

回転ずしチェーンもかっては今ほどありませんでした。

東京で言えば、神田、上野、池袋など山手線周辺駅にあるくらいでしたが

安く食べられる回転ずしを求めている人が多いということに着眼し、大規模な

チェーン店形式にして大量仕入れによるコストダウンを図り、多数のお客さんを

呼び寄せるというスタイルで、チェーン店数を拡大させることで利益を増やす

ことで、これもある意味フランチャイズ方式のようなものです。

コンビニエンスストアも回転寿司店も同じようなやり方ですが、何が需要を

呼ぶかということと誰もが出来るという視点に目がつけられたものです。

最初は誰もそんな視点で考える人がいなかったから出来たのです。

今や、寿司だけでなく焼肉、カレー店、ハンバーグ店、天丼、牛丼、コーヒー

など多種多様の店があります。

それらも最初はなかったものです。

だから、すべてが誰かの新鮮な発想があって始まっています。

こう考えると、今までにはないものを探す出す余地もまだ残されていると

いうことです。

最近ではYoutubeによる広告掲載による収益化が人気になっています。

Googleのきやくかいせいなどで難しくなったと言われていますが、ある意味

これ以上他の人をYoutuberとして参入させないためのフェイクニュースだと

言う可能性もあります。Youtubeはやり方さえ考えられればまだまだこれから

伸びます。

これはすでにあるから出来ないのではなく、ないものを探すという思考方法が

必要なのだろうと思います。

すべては需要と供給のバランスなのでビジネスチャンスはどこにでも転がって

いると思えるかどうかにかかっているということですね。





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破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:突き抜けてください・・・」 [アセンション]

破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:突き抜けてください・・・」



(ここから)


今日の破・常識!



突き抜けてください。

そうすれば、誰も何も言わなくなります。

何か言われるのは、あなた自身がそう思っているから・・・らしい(笑)


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今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。







「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

突き抜けてください。

そうすれば、誰も何も言わなくなります。

何か言われるのは、あなた自身がそう思っているからです。

何かをしたいときは、私はこうします・・とはっきりと宣言してください。

口に出さなくても、エネルギー場で宣言すれば大丈夫です。

何かしようと思ってるときに、誰かがそれはムリだよ

止めた方がいいよ・・と言うとします。

それは、あなたがそう思っているからです。

あなたの気持ちをその人が代弁してくれているだけなのです。

だから、その人に向かってそんなひどいことを

言わなくてもいいじゃないですか、と怒らないでください。

その人の責任ではありません。

あなたがそう思っているから、それを代弁してくれる人を

現実に入れてしまっただけなのです。

ムリなことだからあきらめたほうがいいですよ・・と言われたら

その人に腹を立てるのではなく

あ~、自分がまだそう思ってるんだな、不安に思っているから

そういう言葉を聞いたんだな・・と思ってください。

その人はあなたの本音を教えてくれているのです。

感謝してください。

自分の本音がわかれば、対処することができます。

不安に思っているということがわかれば、

大きく動きすぎているんじゃないかな、

もう少し小さく動いてみようかなと思いやり方を変えることも出来ます。

何かしようとすることに、あ~だ、こ~だと言われるのは、

あなたの中が揺れているからだということを分かってください。

突き抜ければ、何も言われなくなります。

自分でこうするとしっかりと宣言すれば、誰も何も言わなくなります。

そして、今度は協力してくれる人があなたの現実に登場するのです。

自分にとってイヤな言葉を聞いたとき

それはあなたが自分でそう思っているということです。

どこかで、自分でそう思っているから、その言葉を聞くのです。

その言葉を言う人をあなたの現実に登場させたのです。

揺れること、不安に思うことは悪いことではありません。

それがわかることによって

次にどうしようかと考えることが出来るのです。

軌道修正することもできるのです。

そして、これでいいと思うところまで行くことが出来るのです。

そうなれば、突き抜けることが出来ますので

もう誰も何も言わなくなります。

誰かに何かを言われたら

それは自分の中にあるものだということです。

誰かに反対されたから夢をあきらめました・・というのは、

その人が言ったからではなく、あなたがムリだからやめよう

と思ったからだということを理解してください。

あのとき、親が反対しなければ・・

などと思うのはナンセンスだということです。

あなたが出来ないと判断し

あなたがそれをすることをやめようと決めたから、

出来なかったのです。

親が反対したのは、あなた自身があきらめたからなのです。

あきらめたあなたの気持ちを

親が代弁してくれただけのことなのです。

あなたがあきらめなければ、反対されることもなかったのです。

突き抜けてください。

そうすれば、あなたに協力してくれる人ばかりが

あなたの現実に登場します。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」



ありがとう、アシュタール! 


(ここまで)



他人や知っている人から受けるアドバイスなんかも本当は自分の気持ちを

代弁しているに過ぎないということがあります。


「こう言われて欲しい」という願望が心の中にあり、それが他人の口から

出てくるのですが、それが否定的なものだったということも良くあります。


とく、あれかこれかと迷っている時に「そんなこと止めときなよ!」と言われた

ときに、私はやりたいと思っているのに、どうしてそんなことを言うの?

という気持ちが湧き上がってくると思いますが、それは自分の内面の葛藤を

代弁しているようなものです。

やりたい気持ちとやりたくない気持ちのはざまで揺れているあなたが本当の

ことを言われると実にショックでやりきれないだけです。

どちらも真実なんだろうと思います。


否定的なことを言われた後で、誰かに肯定的なことを言われたりすると、

「そうだよね」と思う反面、「そうではないでしょう・・・」と言う気持ちも

同時に出てきます。

だから、どちらも自分自身の立場からすればどちらも正しいわけです。

だから、腹を立てても、それは自分に対して怒っていることであり、そこに

登場する他人や知っている人には関係のないことです。


この3次元の世界で起きていることは自分自身という視点から見れば、すべてが

自分自身の心の反映のように思えます。

それはあたかも自分を試しているようなときもあれば、自分自身に対する警鐘で

あったり、助言であったりします。

どうも、そのようなことを繰り返しながらあらゆる体験をしようとしている

みたいなところがあります。

そういう意味では周囲のすべてが自分だと言えそうな気がします。



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