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破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:ジンクス・・・」 [アセンション]

破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:ジンクス・・・」



(ここから)


今日の破・常識!



プラシーボ効果、ジンクス、縁起・・

それらは波動エネルギーを

使いこなせるようになるまでの補助的なもの・・・らしい(笑)



------------------------------------------------------------------------------------------------------



今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。







「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

プラシーボ効果を上手に使ってください。

プラシーボ効果というのは、信じれば何でもできる

・・ということを証明しています。


何の薬効のない偽薬でもそれが効くと思い込めば、

本当に薬効のある薬と同じ効果を得ることが出来るということです。

黄色い財布を月に向かって振ればお金が溜まる・・ということも

信じれば本当にお金は入ってくるのです。

それが本当になる人と、ならない人の差は・・

信じているか、信じていないかの違いなのです。

結局最後は物は関係ないのです。

これを持つことでお金持ちになれる

これを飲むことで身体が良くなる・・

その意識エネルギーがそれを現実にしているだけなのです。

思考が先、現実があと・・ということを体現しているだけなのです。

その意識エネルギーを上手に使うことが出来るのが

”波動使い”なのです。

でも、最初からすぐに意識エネルギーを使うことは

なかなか難しいと思います。

ですので、はじめはプラシーボ効果を使って、

意識エネルギーの使い方を少しずつでいいので

思い出していってください。

黄色い財布を持つことでお金が入って来る・・

と思う思考がお金が入って来る現実を創造するのです。

黄色い財布がお金を引き寄せてくれるわけではありません。

それを分かってくださいね。


ジンクス、縁起を担ぐ・・というのも、同じことです。

左足から靴下をはくと試合に勝てる・・

というジンクスを信じていれば、そうしてください。

それでいい方向へ自分の意識エネルギーを

向けることが出来るのであれば、

それは現実化する大きなツールとなります。

良いことは使ってください。

プラシーボ効果として、自分の求める?好きな?現実を

創造するためには、いくらでも使ってくださいね。


何が言いたいのかというと・・

反対のノセボ効果ということもある

ということをお伝えしたいと思います。

ノセボ効果・・それはプラシーボ効果の反対で、

偽薬でも副作用が出てしまうということです。

良い方向へ向かうのではなく

反対によくないと思われる方向へ行ってしまうということです。

ジンクスもそうですが、反対に使ってしまうとよくありません。

左足から靴下をはくと良いことが起きる・・というジンクスは、

楽しい方向の現実を創造しますが、

朝黒いネコが目の前を横切るとよくないことが起きる・・

というジンクスを信じてしまうと

本当にそういう現実を創造してしまうということです。


たとえば、赤い財布をプレゼントすると

その人と別れることになる・・などという話を

プレゼントした後に聞いて、それを信じてしまうと

本当にそういう現実を創造してしまいます。

分かりますか?

何が言いたいかというと・・思考は、

どちらにでも使えるということです。

良いと思うジンクスを信じれば、

良いと思える現実を創造しますし、

良くないと思うジンクスを信じれば、

よくないと思う現実を創造するのです。


思考エネルギー自体は、何も判断しません。

その思考エネルギーを注いだところに現実を創造するだけなのです。

プラシーボ効果も、ノセボ効果も、

どちらもあなたの思考エネルギーなのです。

同じ偽薬でも、あなたの思考がどちらに向かっているかで

効果が出たり、副作用が出たりするのです。

ならば、どうせならばプラシーボ効果の方が

いいのではないでしょうか?

同じジンクス、縁起を担ぐならば、あなたの良いと思える方向に

使えばいいのではないでしょうか?

それらは思考エネルギーを使いこなすまでの

ツールだということを分かってください。

それらはツールにすぎないのです。

偽薬にパワーがあるのではなく

黄色い財布にパワーがあるのではなく・・

あなたの思考にパワーがあるのです。

だから、もし悪い方向(願ってない方向)の

ジンクスを持ってしまったら

即座にそれをキャンセルすればいいのです。

黒いネコが横切った・・それは悪いことが起きる前触れだ

・・と思ったとしたら、それを即座にキャンセルしてください。

そうすれば、そのジンクスは効果を失いますので、

悪いことは起きなくなります。


あなたが信じたことが現実になるのです。

ですから、プラシーボ効果を上手に使ってください。

そうすれば、そのうち思考エネルギーだけで

(物など使わなくても)好きな現実を創造する

ことが出来るようになります。

”波動使い”であることを思い出すことが出来ます。


プラシーボ効果、ジンクス、縁起・・

それらは波動エネルギーを使いこなせるようになるまでの

補助的なものだと思ってください。

自転車に乗るための補助輪、

泳げるようになるまでの浮き輪(ビート板)の

ような物だと思ってください。

思考エネルギーを使いこなすことが出来るようになれば

いずれいらなくなります。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」



ありがとう、アシュタール! 


(ここまで)


「夜に爪を切ると親の死に目に会えない」という言葉を信じたことがありましたが

信じても全然そんなことが起きないので、そのうち自然に忘れてしまいました(笑)。

結局、自分が信じ切れるかどうかですね。


何かを信じるときには思いっきり信じた内容が現実化したという情報を集めた方が

結果は良い方に働くような気がします。

そして、それが真実だと信じ切れたらそれを実行すればいいだけです。

これは病気の場合なら薬だけでなく何らかのおまじないの入った水でもいいでしょう。

にわかに祈祷じみた感じになってしまいましたが、それが現実化を引き起こすなら

それも真実ということですね。



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オレンジャーからのメッセージ「恵まれている」 [アセンション]

オレンジャーからのメッセージ「恵まれている」



(ここから)

おれはオレンジャー!

あなたは十分
恵まれている

日本という国に
生まれたというだけで
十分な教育を受け
高レベルのインフラの上で
暮らすことができている

現代に
生まれただけで
過去のどんなすごい
歴史上の王様よりも
おいしい食事と
素敵なエンターテイメントに
囲まれている

あなたは自分には
何も与えられていないと
思ってはいないだろうか

実は
すでにたくさんのものを
与えられているんだよ

当たり前すぎて
有難いという感覚を
失っているだけだ

これだけ
恵まれた環境に
生きているのだから
この機会を十分に
活かした方がいい


ないものに
目を向けるのではなく
あるものに
目を向けてごらん


あなたがいま何をすべきか
そのヒントが見えてくるはずだ

今日はこんなところだ
じや!


(ここまで)


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世にも奇妙なフツーの話「さくやさん:起きている現実に抵抗してるからじゃないの?」 [アセンション]

世にも奇妙なフツーの話「さくやさん:起きている現実に抵抗してるからじゃないの?」





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ある日のさくやさんとの禅問答のような会話です^0^

「あなた達がよく言う ”辛い”って言葉だけど・・

”辛い”ってどういうこと?」


辛い・・って、・・そう言われてみれば何なんだろう?

楽しくない事?・・かな・・・


「じゃ、楽しくないことをやめればいいじゃない?」


そりゃそうだけど・・・そうもいかないよね・・


「どうして? 私には辛いことが分からないのよね・・

苦しいとか、辛いとかって、どういう意味なの?」


そう言われてみれば・・何が苦しいんだろう・・何がつらいんだろう??

自分の想い通りに現実が動かないこと・・かな??


「それって起きてる現実に抵抗してるからじゃないの?

抵抗すれば軋轢が起きてきてスムーズに事が進まなくなるのは

分かるでしょ?

風が吹いている方向へ進めばスムーズに進むものを、逆に進もうとするから抵抗があって

なかなか進めないのと一緒・・水の流れもそうだよね(笑)

今、起きてることが自分にとって悪いことだと判断してそこから何とか

抜け出そうとするから余計に抵抗を作り出してるんじゃない?」


う~~ん・・・よくわからないけどそうなの?

でも、病気とか、痛みとか・・身体が動かない事も辛いよ。

身体は自分ではどうしようもないじゃない?

「それも思い込みじゃないの?

身体はどうしようもないの?

まず病気は自分で創造したものなんだから、自分で健康も創造できるのよね。

そして、病気を悪いものだと思いそこから逃げようとすればするほど

そこにフォーカスするから逃げられないのよ。

身体のどこかに支障があるということは、身体が何かを訴えているってことなんだから

その声を聞いて、それを満たせば身体の不調は良くなるのよね。


身体はあなたのハートの翻訳機だから身体の声をしっかりと聞けば、

ハートが望んでいることが分かって、ハートが望んでいることを選択していけば

現実もあなたの望んでいるものになってくるのに・・


歳をとって身体が動かなくなる・・って言うのも長~~い時間をかけてあなた達の

集合意識へ刷り込まれてしまった常識?から自分でつくり上げてしまったドラマ

だということなのよね。

だから、時々、集合意識に共振していない人いるでしょ?

歳は重ねているけどとても若々しい人・・・歳は重ねているけど下手に若い人より

パワフルでびっくりするようなことを成し遂げる人・・・

そういう人は、自分の年齢にフォーカスしていないのよ、年齢にフォーカスする前に

自分のしたい事にフォーカスしているから自分の中のパワーを落とすことがない。


だって、あなた達の声を聞いていると、すぐに もう何歳だから・・とか 

もう若くないから・・とか、言ってるじゃない?

あれって、自分に制限をかけているだけなのよね。

自分で出来ないことを増やしていってるだけなのよね。

自分がやりたいことだけにフォーカスしてれば身体の年齢なんて関係ないの。


あと痛みもそうなんだけどね・・

痛いことが悪いことだからって、痛いことから逃げようとすればするほど 

もっと痛みにフォーカスしてしまうから、痛みから逃げることが出来ないのよ。

痛みは悪いことじゃないの・・痛みがあるから身体を守ることができるの。

もし、怪我をして痛みがなかったらどう? そのままいつものように動かしてたら?

もっと怪我が悪くなって身体が壊れてしまうでしょ?

痛みがある時はじっとしてなさいってことなのよ。

痛みがあるから身体を動かすことなく回復することが出来るんだから!


人間以外の動物は無理はしないわ・・怪我をしたり、病気になれば、じっとして 

ただ身体の回復を待つ・・自分の治癒力を信じてそれだけで回復させる。

身体はね自分で自分の治し方を知ってるんだから邪魔をしないでじっと身体に

任せておけばいいの。

それをいろんなことをして、マインドで何とかしようとするから

さっきも言ったように抵抗を造りだしてしまうのよね~~。

もし、命に関わるようなことでも人間以外の動物はそれも受け入れるから

何も抵抗せずにそのまま身体を脱ぐのよ。

そのことさえも抵抗して身体を脱ごうとしないからもっと苦しくなる・・ってこと。


病気も、痛みも、死でさえ、何も悪いことじゃない・・すべて自然なことだとして

それを受け入れれば辛いことなくなるんじゃない?

起きて来た現実に抵抗しようとジタバタすることが 

苦しみやつらさを生み出すんじゃないの?


結局ね、あなたがさっき言った現実が自分の想い通りにいかないことがつらいこと・・

っていうことは、自分がこうなりたいと思っていることはマインドが望んでいる事

だということなのよね・・マインドがいくらこうしたいと思っても、ハートがそれを

望んでいなければそれは現実化しないということ。

そしてマインドがそれを悪いことだと判断するからこの現実は辛い、苦しい、

になってしまう。


分かるかな??


マインドとハートが別々になって、違う方向を観ているから辛い 苦しい、になるの。

マインドとハートが融合すれば辛いことも、苦しいこともなくなるわ。

すべては必然・・すべてに感謝・・ね^^


あなた達をこころから愛してるわ~~~」


ありがとう、さくやさん^^

私たちもさくやさんを心から愛してるよ~~~^^



(ここまで)



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破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:こころの栄養・・・」 [アセンション]

破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:こころの栄養・・・」



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今日の破・常識!



バランスを崩してしまったら、休むしかない。

カラカラになってしまったこころに栄養を与えるしかない。

こころの栄養は、余裕からしか補給できない・・・らしい!


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今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。



「こんにちは こうしてお話出来ることに感謝します。

こころにも栄養が必要なんです。

あなた達はあまりにも合理性、効率を重視しています。

合理的に、効率的に・・

そればかりを考えてしまうと余裕がなくなります。

余裕なんていらない・・そんなものは無駄なこと

・・そう思いますか?

合理性、効率性・・そればかりを重んじて、余裕を失ってしまうと、

伸びきったゴムのようになってしまいます。

ちょっとしたことでプッツリと切れてしまうことになります。

あなた達の社会は、もう本当に伸びきって

切れる寸前になってるのです。

それでもまだ頑張ろうとしているのです。

もう無理です・・と身体が言っているのに

その声に耳を傾けようとせず、

まだ頑張らなくてはいけないと思ってしまっているのです。

そして、気が付かないうちにこころのバランスを崩してしまう

・・これがうつ症状と呼ばれるものです。

うつ病という病気はありません。

ただ、あまりに頑張りすぎてこころが疲れ切って

バランスを崩してしまっているだけなのです。


その症状を緩和するには、休むしかないのです。

薬を飲んでも無理なのです。

その上、薬を飲みながらでもまだ頑張ろうとするなんて

ナンセンス以外の何ものでもありません。

疲れてしまったら休む・・それしかないのです。

身体を休めるのもそうですが、

まずはこころを休めなければ治りません。

こころを休める・・それは、罪悪感を持たないことです。

休んでいる自分はダメな人間だ・・などと思って

早く治そうなどと思うことは症状をもっと悪化させるだけなのです。

早く社会に出て働かなければ、頑張らなければ、

などと焦れば焦るほど、こころは休まらず

症状も悪化してしまいます。


何のために、誰のためにそんなに頑張らなきゃいけないのでしょうか?

どうして道端に咲く花に感動する余裕も持てないほど

急いで仕事に行かなければいけないのでしょうか?

どうして、ゆっくりとご飯を楽しむ時間さえ取れずに

働かなきゃいけないのでしょうか?




合理的に時間を使いなさい・・

効率を考えてどんどん無駄を省いて行きなさい。

花を見る時間など無駄な時間なのです。

早く、早く、急いで、急いで・・・




ずっとこうして追い立てられているのです。

小さなころから、学校で時間を無駄にしなさんな、怠けてはいけません。

実質的な結果が出ないものは無駄なことなのです

・・と教えられてきました。

ゆっくりしたペースの子は、ぐずぐずしないで

サッサと動きなさいと追い立てられ

自分をダメな子だと思ってしまったのです。

そして、ゆっくりとしたペースの子が叱られるのを見て

自分も叱られないように

急がなきゃと思い込んでしまったのです。

時間を無駄にしない子が賢い子だと言われてきたのです。

だから、いつもいつも何かをしていなければ

気持ちが落ち着かないということになってしまったのです。

だから、すぐに結果を出さなければいけない

と思い込んでしまったのです。

余裕なんて言ってる場合じゃない・・余裕なんて必要ない

・・そんなことをいえる人は余程恵まれた人です・・と。


もう一度考えてみてください。

誰のためにそんなに忙しくしなければいけないのでしょうか?

何のためにそんなに急がなきゃいけないのでしょうか?

こころのバランスを崩してまで、

どうしてそんなに働かなきゃいけないのでしょうか?

バランスを崩してしまったら、休むしかありません。

カラカラになってしまったこころに栄養を与えるしかないのです。

こころの栄養は、余裕からしか補給できません。

あなた達がムダだと思っているものからしか補給出来ないのです。

あなた達がムダだと思っていることが、こころの栄養なのです。

合理性、効果的・・そればかりを追っていると

こころがカラカラになってしまいます。

うつと言われる症状を感じたら、とにかく休むことを考えてください。

自分をすり減らしてまで頑張る必要なんてないのです。

いまそんな症状はありません・・と思う人も、

こころの栄養ということをもう一度考えてみてください。

特に、子どもたちにはこころの栄養が

とても大切だということもお伝えしたいと思います。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」



ありがとう、アシュタール! 


(ここまで)


確かに今の社会はあまりにも忙しすぎます。

誰もが毎日必死になって働いています。

効率化と言うのは最初は作業の効率化とされ、工場などのオートメーション化が

進められてきました。

それが簡単な作業をロボットに任せることで一段落しましたが、その次にやって

きたのが人の効率化と合理化です。

いかに短時間の間に業務を終わらせるかが追及された結果、分刻みの業務になって

きました。その典型的な例が日本の鉄道です。

山手線などは1時間の間に何本の電車が来るでしょうか?

朝7時8時台には21本の電車が走っています。その時間間隔は短い時で3分です。

3分なんかあっという間です。


この間隔で電車を走らせているのはものすごい合理化と効率化が追及された結果

だろうと思います。



そして、問題はこの時間に合わせて人が乗り降りする光景です。

混雑する中で必死に乗り遅れまいとしてぎゅうぎゅう詰めの電車の中に押し込まれる

ように消えて行く様はすごい大変さを通り越して哀れさえ感じます。

と書いている私もそれを経験していますが、ホント!当時はそんなことを「おかしい」

と思うことさえなく、それが当たり前であり田舎に帰った時に自慢話の一つでした。

それだけ私たちは感化教育を受けてしまっています。

むしろ忙しい方が充実感を感じてしまうほどの状況だと思います。

忙しければ他人より多く仕事をしていて、他人より有能だと自画自賛しているからです。

それが当たり前であって、それが何らかの事情(うつ病など)で出来なくなると

すぐさま業務から外され、誰かがそれに代わって同じことを始めます。

完全に歯車であって、その人の個性とか考えなどは二の次です。

他社も同じように合理化と効率化を進めているのでわが社も負けないくらいの効率化を

図らなければ対抗できないというのが社会的背景としてあるのでしょう。


もう、そろそろこの辺でこうしたやり方から脱却しない限り日本社会は擦り切れて

しまい、二度と立ち上がエれないようになるかもしれません。

今いちど、自分自身の状況を顧みて改善していくべき時期にあると思います。












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1995年14匹の狼が放たれた。23年後人々は目を見張った [科学]

1995年14匹の狼が放たれた。23年後人々は目を見張った

自然は巨大なビオトープであるということがよくわかる例です。
たった14匹の狼が自然環境を劇的に変化させたのです。






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オレンジャーからのメッセージ「あなたのルール」 [アセンション]

オレンジャーからのメッセージ「あなたのルール」



(ここから)


おれはオレンジャー!

あなたの生きている
世界において
あなたは創造主と
同じ力を持っている

あなたの意識が
あなたの世界を作り
すべてのルールを
決めている

サッカーの試合において
ボールを手で扱っては
いけないという
ルールがある

でも
サッカーコートから
一歩でれば
だれでも自由に
ボールを手で触ることができる

あなたの世界においても
サッカーのルールと同じように
あなた自身が決めている
強固なルールが存在する

このルールは
潜在意識に深く
刻み込まれていて
あなたの世界を
強く定義し続けている

あなたが現実を
変化させたいのであれば
あなたのルールを
書き換える必要がある

そのルールは
あなたのために
設定された経緯を持つが
すでに不要なルールも
多いはず

自分にとっての
違和感が
一つのシグナル

自分のルールの
鎧を脱ぎ捨てて
ぜひ自由に
羽ばたいてほしい

今日はこんなところだ
じや!

(ここまで)


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世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:肌感覚を思い出す・・・」 [アセンション]

世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:肌感覚を思い出す・・・」





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今日のアシュタールからのメッセージをお伝えしますね^^

「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

肌感覚を大切にしてください。

肌感覚・・言葉でお伝えするのはとても難しいですが・・

肌感覚です(笑)

なんとなくお分かりいただけると思います。


フッと感じるものです。

あ、何か違う、とか、これ面白そう、とか、何か変、とか・・・

何か・・というところです。

考えてもわからない、言葉に出来ない、説明出来ない・・けど、でも、何か・・

というところです。


それは、とても大切な感覚なのです。

他の人と違っても大丈夫です。

その感覚はあなただけのものです。

そして、その感覚があなたにとっての真実なのです。


それはエネルギーで感じていることなのです。

エネルギーで合う、合わないを感じて、あなたが反応している感覚なのです。


どんなに条件が良くても、何か、うん?って思うときは、あなたにとっては

違うということです。

肌感覚を感じて、それで判断することをあなた達は教えられていません。

頭だけで判断するように教えられてしまっているので、肌感覚の感覚を

思い出すのが少し難しいと感じるかもしれません。

でも、大丈夫です。

ちょっと意識をそちらに持って行くだけで、すぐに思い出すことが出来ます。


フッと感じたから見た・・そこに何かあなたにとって欲していた情報があった。

フッと違和感を感じたから、やめておいた・・そしたら、やっぱりあなたに

とって不利益になることだった。

そういう経験があると思います。


それを意識的に出来るようになると、判断しやすくなると思います。

何か違う気がするけど、でも、条件的に良いから・・どうしよう??と

迷うことがなくなります。

条件ではなく、あなたの感覚を信じてください・・とお伝えしたいと思います。


肌感覚を研ぎ澄ましていけば、分かってきます。

あなたの社会の中の矛盾点、問題、疑問点が分かってきます。

原因が分かってきます。

社会の矛盾、問題、疑問を感じることが出来るようになれば、原因が分かってきます。

原因がわかれば解決することが出来ます。


それには、肌感覚が大切になってきます。

とても良いことを言ってるようだけど、何かが違う・・と思うことが

出来るようになれば、あなたにとっての不利益を回避することが出来ます。

表面的なことだけでなく、その先にある意図なども分かってきます。


頭で考えることはもちろん大切ですが、その前に感じた肌感覚にも

しっかりとフォーカスするようにしてみてください。

フォーカスすると意図すれば、感覚を思い出すことが出来るようになります。


あなたに愛をこめてお伝えいたします。」


ありがとう、アシュタール!感謝します。


(ここまで)


今日も夕方NHKのニュースで国会閉幕となり、その後の会見で安倍総理と麻生氏が座って

いる場面が映し出され、安倍総理の顔がクローズアップされましたが、ものすごい

違和感を感じましたね。

何というか「どす黒さ」ですね(笑)。

決して清楚なイメージとは程遠い人たちです。

これも肌感覚の一つと思います。



国会議員も選挙で有権者に「私はこのようにして政治を変えていきますから、どうか清き

1票をください」と訴えているときはいいのですが、いったん当選して国会議事堂の門を

くぐると、もうそれ以降は嘘のように変わり果てます。

有権者のために、国民のためにと言っていたのが、最後は自分たちのためとなります。

ワタミの渡邉美樹氏が今回の参院選には立候補せず、引退することになりましたが

あれほど話題になったひとでしたが、政治のどす黒さにはついていけなかったのでしょう。

社員を自殺に追い込んだほどのモーレツ経営者でしたが、自身の持つモットーと相いれ

なかったのではないかと思います。

彼は田原氏とのインタビュー対談の中でこう述べている。

僕は経営者時代も、いまの自民党でも、つねに正論しか言いません。それが気に入らない

人がいるんじゃないですか。

この一言が政治の世界を言い表しているような気がします。

なお、渡邊氏の支持者でもなんでもありません。あくまでも例として出しただけです

のでご了承ください。











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破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:あなたの思考エネルギーが刺激・・・」 [アセンション]

破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:あなたの思考エネルギーが刺激・・・」




(ここから)


今日の破・常識!



あなたのエネルギーが、

あなたのまわりの場の雰囲気を作っている・・・らしい(笑)


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今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。







「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

エネルギーは、お互い影響しあい

共振しあって現象を起こしているのです。

波紋をイメージしていただけるとわかると思います。

何かの刺激があると波が立ちます。

その波がまた刺激となって、別の波が出来

そしてその波同士が影響しあい、共振しあって

別の波を作りだすのです。


あなた達のエネルギー場でも同じことが起きているのです。

あなたの思考エネルギーが刺激となって

別の人の思考エネルギーに影響を及ぼし、

その人の思考エネルギーと

あなたの思考エネルギーが干渉しあい

共振しあって二人の現実を創造するのです。

二人だけではなく、他に誰かがいると

その人達も巻き込み複雑に影響しあっていくのです。

もちろんあなたも誰かの思考エネルギーの影響を受け、

あなたの思考エネルギーも変化します。

でも、結局はあなたの思考エネルギーが最初となるのです。

意味が分かりませんか?


他の人のエネルギーを受けて、それに影響されたとしても

その時にあなたが出すエネルギーが

最初の刺激となってまた別の波を作りだすということです。

たとえば、怒りのエネルギーを隣の人から受けたとします。

その怒りのエネルギーに怒りのエネルギーを出すと

怒りのエネルギーが増幅されてもっと

怒りのエネルギーに巻き込まれてしまうということもあります。

でも、怒りのエネルギーを受けたときに

あなたが怒りのエネルギーではなく、そこに調和の

エネルギーを返すと、怒りのエネルギーは

違うエネルギーになりますので怒りのエネルギーの共振にならず

怒りのエネルギーを体現する現実とはならないのです。

自分が発したエネルギーであっても

人から受けたエネルギーであっても

結局はあなたの出したエネルギーが最初のものとなるのです。

これは理解していただけましたでしょうか?


・・ということは、どんなエネルギ―を受けた(影響された)としても、

あなたが自由にそのエネルギーを

変えることができるということです。

場の雰囲気を変えることが出来るということです。

すごくトゲトゲした雰囲気の場所であっても

あなたがそれに巻き込まれることを拒否すれば、

あなた自身でその雰囲気を変えることが出来るのです。

怒ってる人に、調和の笑顔を向けてください

(もちろんあなたが望むならですが。)

どうしたのですか?・・と調和のエネルギーで声をかけてください。

そうすれば、怒ってる人も気分が和ぎ、雰囲気も変わります。

怒っている人をにらみ返すと

もっと怒りを増幅させるのはわかりますね。

結局は、あなたが出すエネルギーが

あなたの現実を創造しているということです。

場の雰囲気が悪いから、自分も気分が悪い・・のではなく

場の雰囲気を受け入れ、それに影響され、

共振しているから、気分が悪くなるのです。

その雰囲気に影響されず、共振することなく、

自分の好きなエネルギーを放出すれば、

場の雰囲気は変わり、あなたもまわりも気分が良くなるのです。

波も違う角度から干渉を受けると、方向が変わります。

それと同じなのです。

なんだか難しく感じるかもしれませんが・・

とてもシンプルなことなのです。

あなたの出しているエネルギーが、

場の雰囲気を作るということです。

あなたがピリピリしたエネルギーを出すと、場もピリピリするのです。

ならば、楽しい場にしたいと思うならば、

あなたが楽しいエネルギーを放出すればいい・・それだけのことです。


あなたはどのエネルギーの中に居たいですか?

どのエネルギーと共振したいですか?

それが決まれば、あなたのエネルギーをそのエネルギーにしてください。

そうすれば、場の雰囲気はそうなります。

でも、自分より影響力のあるエネルギーが来たらどうですか?

そのエネルギーにどうしても影響されて

自分のエネルギーも消えてしまうのではないですか?

たとえば、ものすごく怒っている人の方が影響力は強いので

自分がいくら調和のエネルギーを

放出してもそれは消えてしまうのではないですか?・・

と思うかもしれませんが、

実は一番影響力があるのは調和のエネルギーなのです。

だから、どんなに怒りのエネルギーが強くても

調和のエネルギーを放出すれば、怒りのエネルギーは和らぎ

別のエネルギーとなって影響力はなくなるのです。

調和のエネルギーは丸くて包み込むエネルギーだからです。

エネルギーには個性があります。

トゲトゲのエネルギーでも

丸く包み込まれたらトゲトゲがなくなるのです。

この話しはまた長くなってしまいますので

別の機会にお話ししたいと思います。


今日は、あなたのエネルギーが、

あなたのまわりの場の雰囲気を作っているということを

お伝えしたいと思います。


あなたに愛とこめてお伝えいたします」



ありがとう、アシュタール! 

(ここまで)


怒りのエネルギーが飛んでくれば普通ならすぐさま怒りのエネルギーを

出して反応すると思います。

だから、その場が余計険悪な状況になってしまうものです。

こうしたことは良く経験することと思います。

しかし、そうした経験も何回も続けばやんわりとやり過ごすコツも

つかめて来て軽く受け流すことも出来るようになるはずです。


そして、その受け止め方はその人の個性が大きく関与すると思います。

やさしく弱弱しい性格の人であれば黙って嵐が過ぎ去るのを待つという

のも一つの手(推奨しませんが)かもしれませんが、いちばん効果的なのは

「そうですね、あなたが怒るも無理はないですね」といったん受け止め

「それなら、こうした場合はどうなのでしょうか?」と言いf組めることも

ひとつの手です。


なぜなら、怒りのエネルギーを出した人は、当然相手も同じように怒って

怒りのエネルギーを返してくるだろうと待ち構えているので、それが

まったく効果がなければ軽いショックを受けるので、それ以上怒りの

エネルギーを放出するのが止まります。

その間が大事なことです。

そうすることで相手も少し冷静になれるので、場が少し和らいだエネルギーに

なることと思います。

だから、自分自身の反応次第でどうにもなるということですね。






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ノーベル賞・野依博士「本気で怒っている」日本の教育に危機感 [社会・経済]

ノーベル賞・野依博士「本気で怒っている」日本の教育に危機感


現代教育は社会で歯車にしかならない金太郎飴を育てるものであって、自由な考えや
思想を持つ子供は要らない。という方針が明確に貫かれているのが今の教育界です。
その弊害に強い憤りを感じていることが野依博士との対話でひしひしと伝わってきます。
その原因はおそらく文部科学省の学習指導要綱にあるのでしょう。
少し長文ですが、科学界の重鎮だけに現代教育の問題点を的確にとらえています。


(ここから)

「教育の究極の役割は、人類文明持続への貢献だ。加えて、わが国の命運もかかっている。私はいまの教育と世相に大いに怒っている」――。

2001年にノーベル化学賞を受賞し、現在は科学技術振興機構の研究開発戦略センター長を務める野依良治博士は、日本の未来、そして教育への危機感をあらわにする。令和の時代が始まったいま、ノーベル賞受賞者には日本の教育がどう見えているのか。教育新聞の小木曽浩介編集部長が聞いた。


野依博士.jpg
「本気で怒っている」と語る野依博士(撮影:志和浩司)


学校教育は「金持ち」になるためではない

――日本の教育はいま、大変革期を迎えています。先生が座長を務められた教育再生会議(※1)から干支がほぼ一回りし、令和の時代に入りましたが、いまの教育をどう見ていますか。

 私は教育の専門家ではありません。だが、この硬直化した教育の状況について言いたいことはたくさんある。本気で怒っています。本来、なぜ教育があるのか。まず、個々の人々が豊かな百年の人生を送るため。国の存立と繁栄をもたらすため。さらに人類文明の持続に資することが最も大事で、この根幹を忘れてはならないと思うわけです。

 問題は、じゃあ、どういう人生、あるいは国、あるいは人類社会であるべきか――ということ。そこに理念あるいは構想がなければ、とても教育はできませんね。

日本は戦後、欧米から民主主義や人権など多くのことを学んできたものの、残念ながら受け身であり続け、自らが考えた「国是」、英語で言うナショナルビジョンが共有されていないことに、根本的な問題があると思っています。

―― 学校教育については、どうでしょう。

 学校教育は、社会のためにある。個人が自由に生きる権利は大切だが、決して入学試験に合格するためだとか、あるいは金持ちや権力者になるためにあるのではない。教育界というのは日本であれ、あるいは世界であれ、あるべき社会を担う人を育まなければいけない。健全な社会をつくることが、国民それぞれの幸せにも反映するわけです。

 日本は他国並みではなく、格段にしっかりした次世代を育てなければなりません。行政にも現場にも、その覚悟が求められる。

 そして、多様な文化を尊重する文明社会をつくっていかなければいけない。

(※1)教育再生会議=教育改革を検討するために第1次安倍政権が2006年に設立。各界有識者16人がメンバーに選ばれ、野依氏が座長を務めた。第2次政権発足を受け、2013年に教育再生実行会議として復活した。



時代を生き抜く若い世代をつくるのが教育

―― 多様な文化とは何かを詳しく。

 私は、文化は4つの要素から成ると思っています。「言語」「情緒」「論理」、そして「科学」。

 言語は地域によってものすごくたくさんあり、他方で科学は一つしかない。情緒や論理の多様性は、その言語と科学の間にある。これらの文化的な要素をきちんと尊重しなきゃいけない。決して軍事力や経済力で踏みにじってはならない。

 私は科学者ですが、将来を考えると科学知識や技術だけでは、人々は生きていけないと思います。やっぱり文化に根差す思想がないと、未来を描くことも、実現することもできない。

―― そのためにも、教育しなければいけない、と。

 その通りです。同時に人は時代と共に生きているわけで、その時代が求める知は何かということです。教育は教条的ではいけない。昔の教育と今の教育は違うはずで、近未来も含めて時代を生き抜く若い世代をつくることが、個人のためにも、社会のためにもなるのです。


科学教育の本質は「無知の知」

―― 科学者の立場から見て、科学教育とは何でしょう。

 科学とは、真理追究の営みです。ポール・ゴーギャンの「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」という絵がありますよね。この問いにまっとうに答えるのが科学だと思っています。

 科学は客観性の高いものですが、人々の営みとか自然観、人生観、死生観などの、まっとうな主観を醸成します。いたずらに経済的利益追求に貢献するだけではなく、これが本当の意味での科学の一番大事な役割なのです。

―― 非常にスケールの大きい命題ですね。

 そうです。科学は森羅万象に関わるからです。とはいえ、そんな大きな命題にはなかなか答えられない。だから個々の人は身の丈に合った科学的課題を選び、研究をし、ささやかでも人類共通の資産をつくるのです。そして誰かが、その知識を使うことになる。

 ソクラテスは「無知の知」と言っていますが、科学教育の本質はまさにここにある。人々は謙虚でなければいけない。つまり、何かを発見したら、その背後にはまた、大きい未知が残っていることが分かる。

 ニュートンは「私がかなた遠くを見渡せるのだとしたら、それはひとえに巨人の肩に乗っていたからです」と言っています。ニュートン自身もすごい科学者でしたが、ガリレオやケプラー(※2)の業績の上に乗っていたからこそ「遠くが見えた」と。科学の本質は知識の積み上げです。だから、いつの時代にも若い人が未知に挑む。最高水準の研究をして、新しい知に挑んでいる。

(※2)ニュートン(1642~1727)は「万有引力の法則」を発見した英国の物理学者。ガリレオ(1564~1642)は「地動説」を主張したイタリアの物理学者。ケプラー(1571~1630)は惑星運動の「ケプラーの法則」で有名なドイツの天文学者

「科学者に必要なもの」野依博士の答えは?

―― 次代を担う若者たちですが、学力についてはどうでしょう。

 その話をするには、まずこちらから質問しましょう。科学者として成功するには、何が必要なのか分かりますか。

―― 観察眼やセンスでしょうか。

 それらも必要でしょうが、違います。ものすごく単純なんです。自分でいい問題を見つけて、それに正しく答えるということです。この生き方を貫くのです。

―― そう言われますと、新聞記者も同じですね。自分でいい問題を見つけることが一番重要です。

 もちろん、そうでしょう。それで日本の青少年の基礎的な学力ですが、PISA(※3)やTIMSS(※4)などの国際調査結果などを見ると、割と頑張っています。

 ただ問題は、学びが消極的な点。積極的に定説に対して疑問を投げ掛けたりすることがない。教科書などに書いてあったら、「ああ、それはそうですね」で済ませ、自分で考え「そうじゃないんじゃないか」と、工夫して挑戦しないのですね。

 創造性のある科学者に必要なのは、いい頭ではなく、「強い地頭」。自問自答、自学自習ができないといけない。

 それから、感性と好奇心。これが不可欠です。そして新しいことに挑戦しなければいけないから、やっぱり反権力、反権威じゃないと駄目ですね。年配者や先生への忖度(そんたく)は無用です。先生や社会は若者のこの自由闊達(かったつ)な挑戦を温かく見守る必要がある。

 今の大きな問題は、好奇心を持って自ら問う力、考える力、答える力。これらが落ちているということ。なぜそうなるのかというと、社会全体を覆う効率主義、成果主義のせい。しかも実は本当の成果を求めていない、形だけの評価制度は許せない。評価は本来、人や物の価値を高めるためにあるのですが、そうなっていない。問題の全体像をつかみ、自ら考えて、答えを得るというプロセスがなければ、知力を培うことは絶対にできません。

(※3)PISA(ピザ)=経済協力開発機構(OECD)の学習到達度調査
(※4)TIMSS(ティムズ)=国際教育到達度評価学会(IEA)の国際数学・理科教育動向調査



「目次」に関心のない現代の大学生

―― 全体像を把握する力も足りていませんか。

 例えば私たちは一冊の本があったら、まず第1章、第2章、第10章、第15章と、前から目次を順次眺めながら、全体の学問の構造を勉強しました。目次は大事です。

 しかし、今の大学生は目次には関心がなく、索引を見ます。例えば索引で万有引力の部分を読んで、「おお、万有引力とはこういうことか」と。細胞死なら細胞死の記述だけを読んで「これは分かった」と。だから知識が体系化されず、ばらばらで断片的なのです。

“教育最貧国”の日本「先生が気の毒」

―― “巨人の肩に乗る”格好にならないのですね。

 そう、なりません。ドローンでさっと舞い上がって、あらかじめ見たいものだけをピンポイントで見てくるようなものです。

 考える力、答える力が落ちていると言いますが、最も心配なのは「問う力」がほとんどないこと。誰かに作ってもらった問題に答える習慣が染み付いている。幼い子供たちは好奇心を持つが、学校教育が疑いを持つことを許さないのではないか。発展につながるいい問題を作るのは、与えられた問題にいい答えを出すよりも、ずっと難しいのです。平凡な既成の問題に答えてもまったく意味を成さないはずで、なぜこんなことが分からないのか。

 しかし、これは生徒が悪いのではなく、国なり、社会の教育に対する考え方が、科学研究を損なっているのです。

 私は教育再生会議(※4)の座長を務めましたが、やはり「社会総がかり」で教育に取り組まないといけない。その意味で日本は“教育貧困国”なのです。学校だけに任せては駄目です。学校教育だけでなく、家庭、近所、地域、さらに産業界、あらゆるセクターの組織、あるいは人々が教育を支えるという気持ちにならないといけない。そして教える側自身も、そこから多くを学ぶ。

 しかし実際には、今の小学校から大学の教育を見ても分かる通り、教育が学校に偏重している。そして皆、自分の義務を果たすことなく、「学校が悪い、先生が悪い」と言っていて、先生たちが気の毒です。一方でメディア報道によると、身勝手な教育者らしからぬ先生も大勢いるようです。不祥事は根絶しなければなりません。

 学校の先生に全部任されてもね。「親の顔が見たい」という言葉がありますが、家庭でしつけのできていない子供たちを教育できませんよ。学校教育はもちろん大事で、教育の中核を成すものだと思いますが、あくまで教科が中心でしょう。現代、そして将来の社会を支える人をつくる、そして、その個人が幸せに生きるということを、社会全体で考えない限り駄目です。


若年層の創造性を損なう入学試験の弊害

―― 何がひずみを生んでいるのでしょう。そして、教育界はどうするべきなのでしょう。

 わが国の教育界は、個々の若者に新たな社会環境を生き抜く力を与えるとともに、国全体の知的資質と資産の最大化に努めるべきです。あらゆる分野で人材不足で、特に均質性が気になる。

 私は、入学試験の弊害がものすごく大きいと思います。若年層の創造性と感性を損なう非生産的な過当競争は絶対に避けるべきだが、一方、現状を利する守旧派勢力は大きい。教育を取り巻く全てのセクターが世界の変化を直視し、近未来を担う若者を育てるべきです。

 まず入試にある科目しか勉強しないことは大問題だ。確かに学力は合否判定の軸です。しかし、筆記試験の成績が神のご託宣のように思われているが、その「信仰」の根拠は何か。この「神」は一人ひとりの獲得点数を1点刻みで正確に知っているが、人物の内容については何一つ理解していません。

 入学者の選抜においては、子ども、青年たちが、この学校・大学に入ってどのくらい成長するかという観点で、総合的に判断すべきだと思います。筆記試験で今まで詰め込んだ知識の量はそれなりに測れるかもしれないが、それだけでは不確実性に満ちた時代に生きる成長性は全く判断できないではないですか。

 人には個性と意志がある。学校も個性と意志を持つ。どういう若者を育てたいのか。子供たち、青年たちの過去の経験や、特技、人柄、志を勘案して、法人として自主的かつ総合的に選抜しなければいけないと言っているんですよ。

 「評価」は「分析」と異なり、本来は客観じゃなく主観です。大学はそれぞれに特色があるので、どういう学生が望ましいかは、みんな違うはずです。文学部と医学部、体育大学と外国語大学、芸術大学、みんな同じわけがない。

 もちろん最近の医学部入試のように不当差別があってはならず、公器たる大学が自らの意志で、あらかじめ評価の観点、項目を明確化し、公表することが不可欠であることは言うまでもありません。

 数量的物差しだけでは、事の本質を測れない。人の精神の営みや感性、文化的特質は計量化できないはずです。だから学生を受け入れる学校側が、自分たちのこととして、しっかりと見る目を持たないといけない。一般的な商品の購入には客観データが助言してくれるかもしれない。しかし工芸作品の美しさや文化作品の品格の鑑定は難しい。

 ましてや、人間の面白さや大きさはね。人々の人生にとって最も大切な伴侶の選択は、いかになされるべきか。人を物質化、機械化した客観的数値評価で幸せが得られるわけがないでしょう。



世界が多様性に向かう中、画一性に固執する日本

―― 「客観でなく主観で」は、選抜法の180度の転換ですね。

 「主観は偏見が入るからいけない」「筆記試験は客観的で公平だからいい」と言う。では本当に子供、青年たちの機会均等は保障されているのか。受験技術の習得に多額の費用がかかり、親の経済力が機会獲得の支配因子とも言われる。ならば現行の選抜法は、むしろ「政策的偏見」ではないでしょうか。

 特定の階層の、既得権の再確認であり、国家的には人的資源の大きな損失です。当人が預かり知らない外的要因で、18歳の時にその後の運命が決まっていいはずがない。将来の進路にもよるが、“規格品”が通用しない科学分野にとっては大問題です。ここでは要領の良さは通じません。守りの姿勢ではなく、全く無から有を生む、ひたむきな攻めの姿勢こそが求められるのです。

 世界が多様性の尊重に向かう中で、日本はなぜ、画一性にこだわるのか。民族性が関係するのでしょうが、私は全く理解できずにいます。世界では人材獲得競争が激化する中、英米の学長らに実情を話し、意見を聞いてみてほしい。これで海外の優秀人材を確保できるのか。安易な形式的公平性を排し、責任を持って主観的判断をすべきです。もはや18歳人口はわずか118万人、1992年の205万人からほぼ半減した。私立大学の定員割れ状況をみても、国内の人材枯渇は明白です。さらに大学生については、国内外の「頭脳循環」(英語でいう「Brain circulation」)を欠くため、数量、質ともに危機的状況にある。このままでは座して死を待つのみです。

 さらに言えば、大学院入試における、学部学生の囲い込みもひどい。大学院教授は、同一大学内の学部で教えてきた学生たちを審査する。他大学出身生が太刀打ちできるはずがない。利益相反の極致にあります。米国などでは同一大学生の内部進学を回避するところも多く、全く考えられない状況です。

 学生たちは勇気を持って動いて、武者修行するべきですね。

※本記事は教育新聞に掲載したインタビュー記事を再構成したものです。
《プロフィール》

■野依良治(のより・りょうじ) 1938年9月生まれ、京都大学卒業。名古屋大学特別教授、工学博士。00年に文化勲章を受け、01年に「不斉合成反応の研究」でノーベル化学賞を受賞

■小木曽浩介(おぎそ・こうすけ) 1973年1月生まれ。早稲田大学卒業。岐阜新聞記者、ライブドアニュースキャスターなどを経て、教育新聞編集部長


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donのブログから「高齢者の自動車事故は、寧ろ減っているんですよ」 [社会・経済]

donのブログから「高齢者の自動車事故は、寧ろ減っているんですよ」



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高齢ドライバーの事故が急増というウソ。統計データでは高齢者の起こす死亡事故は激減している

85歳以上のドライバーが死亡事故を起こす確率は高いが、前年比では28.6%も減っている

高齢ドライバーの運転ミスに起因する交通事故が急増している……昨今のメディア報道からそんな風に思ってはいないだろうか。たしかに、80歳を超える高齢ドライバーは明らかに事故を起こしやすいという統計データがあるのは有名な話だ。では、最新データでも高齢ドライバーの交通事故は増えているのか、警察庁が発表している『交通事故統計月報』の最新バージョンである令和元年5月末版でのデータから確認してみると、報道のイメージとはまったく異なる数字が見えてくる。

結論からいえば、交通死亡事故についていえば高齢ドライバーの起こした事故は減っている。それも前年比で20%以上というレベルの激減なのである。

高齢ドライバーの起こす死亡事故は激減していた

ここでは「原付以上運転者(第1当事者)の年齢層別免許保有者10万人当たりの死亡事故件数の推移」というデータに注目してみよう。少々長い題名の表組だが、人口当たりではなく免許保有者10万人当たりの数字であることがポイント。免許の保有率が低い年齢層でもドライバーの事故率が想像できる数字といえる。

さて、本年累計で5月末段階での交通死亡事故件数は1,186件(前年比-149件・-11.2%)となっており、死者数は1,212人(前年比-156人・-11.4%)となっている。基本的に死亡事故は減っているのだ。では、統計データでもっとも年齢の高い85歳以上の数字がどうなっているのかといえば、10万人当たりの死亡事故発生件数は4.72ポイントで、前年比-28.6%となっている。全年齢での10万人当たり死亡事故件数は1.27ポイントなので、85歳以上のドライバーが第1当事者(≒事故の主たる原因となった運転手)として死亡事故を起こす確率は高いといえるが、前年比で3割近く減っているというのは紛れもない事実。つまり高齢ドライバーの事故が急増しているというのは報道イメージであって、実際には高齢ドライバーの起こす死亡事故は激減している。

死亡事故を増やしているのは55~59歳

さらに、別の数字を見てみよう。70歳以上のドライバーが第1当事者となった死亡事故は、10万人当たりで1.94ポイント。こちらも前年比では-27.2%と大幅減になっている。むしろ、10万人当たりの死亡事故件数が前年比で増えているのは少数派。55~59歳の年齢層の11.1%(1.31ポイント)と60~64歳の6.2%(1.43ポイント)くらいで、他の年齢層では軒並み減っている。その中でも65歳以上になるといずれも20%以上も減っているのだ。どう考えても高齢ドライバーの事故が急増しているという風には読み取れない。

もちろん、高齢ドライバーが確率でいうと交通事故を起こしやすいというのは統計からも明らかであり、なんらかの対策をすべきであることを否定はしない。だが、今年に入ってから増えているという事実はない。事実はないのに、その対策を求めるというのはナンセンスといえる。報道で目立っているというのは、メディアのバイアスがかかった情報であり、統計サンプルとしては有効といえない。対策を考えるのであれば、しっかりとした統計情報をもとに議論をすべきであって、イメージだけでは適切な結論を導けないだろう。前述したように前年比で大きく死亡事故を増やしているのは55~59歳の年齢層なのだ。

単純に年齢だけで判断するのはミスリード

なお、交通死亡事故について前年比でもっとも減らしているのは30~34歳の世代で、なんと-40.0%の0.66ポイントとなっている。この10万人当たりの事故件数は過去10年でも見たことがないほど小さな数値である。ちなみに、10万人当たりの事故件数が1.00ポイントを切っているのは、この30~34歳のほかに、35~39歳(0.91ポイント)、50~54歳(0.98ポイント)といった世代グループが達成している。単純に年齢だけで事故リスクを判断するというのはミスリードになるだろう。

興味深いのは、現在の30~34歳のグループが25~29歳の多くを占めていたであろう5年前のデータを見ると、その際にも前年比で20%以上も事故の発生率を減らしていること。偶然かもしれないが、交通事故の対策において単純に年齢だけでみるのではなく、世代による違いも考慮していく必要がありそうだ。

https://carview.yahoo.co.jp/news/market/20190620-10420787-carview/

実に興味深い。そうなると裏で糸を引いているのは誰だ?

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高齢ドライバーの事故が急増というウソ。統計データでは高齢者の起こす死亡事故は激減している(carview!)https://t.co/vSXPkJrUyl

まあ、老人の運転能力に押し付けようとしたマスゴミと政府。海外からブレーキシステムの欠陥を突かれる。

【緊急事態!】トヨタ・新型「RAV4/カローラ/カムリ/プリウス」とレクサス「ES/UX」の回生ブレーキシステムに異常があるとして販売停止へ。日本市場でも販売停止の恐れも? | Creative Trend https://t.co/HjzrGBBWgo
#Toyota #Lexus #トヨタ #レクサス #RAV4 #プリウス #カムリ #カローラスポーツ


オーストラリア市場並びにニュージーランド市場にて販売しているトヨタ・新型「RAV4/カローラ・スポーツ/カムリ/プリウス」と、
上位ブランドとなるレクサス「ES/UX」のハイブリッドモデルに搭載される回生ブレーキシステムに問題があるとして、これらのモデルを販売停止していることが判明しました。

既に販売し納車されている上記のモデルも対象にしているとのことで、今後早期的に点検を行っていくとのことですが、現時点での最善となる予防措置は調査中であり、加えて販売再開時期も全くもって不明となっています。

既に納車されているモデルに関しても、この回生ブレーキによる不具合ならびに事故が発生しているかも不明ということで、これについても調査を行っているようです(それだけ今回の問題はかなり致命的?)。

ただ、この問題に関して今のところトヨタはリコールの届け出を行っていないとのことですが、原因が明かされるまではおそらく届け出が行われないと思われます。
そうなると、オーストラリアやニュージーランド市場だけでなく、日本市場においても上記のハイブリッドモデルが対象となる恐れもあり、
すぐさま調査が入り販売停止となる恐れも十分に考えられそうですね(この辺りは不具合や事故が発生する前に早急に対応してほしいところ)。

http://creative311.com/?p=66444


「相次ぐ高齢者ドライバー暴走事故はプリウスのせい」説は本当か? トヨタタブーで検証放棄するマスコミの体たらく 前略

しかし、である。プリウスが100パーセント安全かといえば、それもまた断言できない。というのも、プリウスは他の同程度売れている車種と比べて、ブレーキ関連のトラブルの報告が突出して多いことは事実だからだ。

●ブレーキトラブルの報告が突出して多いプリウス

実際、国土交通省の「自動車リコール・不具合情報」サイトで報告されているプリウスおよびプリウスα、プリウスPHVの「ブレーキ装置」の不具合情報を2014年から2019年4月30日現在で調べると、実に75件もヒットする。そのなかには以下のように大惨事を引き起こしかねないケースもあった。

〈ブレーキアクチュエーターの不良により、高速道路を走行中に突然メーターに赤いランプが5つ点灯し、ピピピという警告音が鳴ってブレーキが効かなくなったため、エンジンブレーキで減速しつつ、最後はブレーキペダルを目一杯踏みながらパーキングボタンを使って避難帯へ停車した。〉(2019年4月、大阪)

〈走行中に突然警告音が鳴り、ブレーキが効かなくなった。運よく30km/hで走行していたのと、前車との距離がかなり空いていたので、ブレーキペダルを思いっきり踏み込んだら、横滑りしながら辛うじて前車と僅か2~3cmのところで停車した。〉(2018年6月、福岡)

〈公共施設の駐車場から発進して反対車線に出るべく転回中、切り返すためブレーキを踏んだが車両は停止せず、その後強くブレーキを踏み続けたにもかかわらず、反対側の角の生け垣に突っ込んで、ようやく停車した。結果、バンパー他車両前面が破損した。低速にも拘らず、プリクラッシュセーフティシステムは作動せず衝突後に「ブレーキ」という警告表示が運転パネル上に現れた。障害物センサーの警告音は衝突前に間欠音が1回鳴ったのみで、衝突して停車後に連続音が鳴った。〉(2017年10月、神奈川)

他にも「ベタ踏みしても抜けてしまいブレーキが一切効かなくなった」などブレーキトラブルの報告が数多く存在している。

一方、プリウスと同程度売れている他の車種はどうか。たとえば、トヨタのアクアは2014年以降の新車販売台数でプリウスに匹敵する人気車種だが、同じ期間に報告されたブレーキ不具合は、実に12件しかなかった。また、2018年の年間新車販台数でプリウスとアクアを上回った日産のノートおよびノートe-POWERシリーズを見てみると、ブレーキ不具合の報告は22件だった(2014年~19年4月30日現在)。もっとも、現役で走っている型(世代)や台数が異なることは考慮するべきだが、それにしても、プリウスのブレーキトラブルの報告数は明らかに抜きん出ていると言えよう。

なお、プリウスをめぐっては2018年10月、トヨタがハイブリッドシステムの異常を判定する制御プログラムが不適切であり、急加速時などに走行不能になる可能性があるとして、プリウス、プリウスα、ダイハツ・メビウス(製造はトヨタ)の計124万9662台のリコールを国土交通省に届け出た。これは、急加速時等の高負荷走行中に昇圧回路の素子が損傷した場合、フェイルセーフモード(故障時に自動的に減速するなど不具合を最小限に抑えようとする機能)に移行できない危険性があるからというものだった。

●トヨタタブーでプリウス問題を一切検証しないメディア

ところが、こうしたプリウスの不具合報告の多さや重大なリコールについて、新聞やテレビなどのマスコミが報じることはほぼ皆無だ。そして当然のように、いま、ネット上で騒がれている“プリウスミサイル”説もまったく検証しようとしない。というか、「高齢者の運転」は連日のようにとりあげるにもかかわらず、「事故車はプリウス」ということには触れようとすらしないのである。

前述の6月4日福岡事故での“プリウスミサイル”デマも、マスコミがそれまでの事故でプリウスの車名を意図的に隠しているように受け止められていたことが、ネット上でのいわゆる“オルタナティブファクト”に繋がった部分も大きいのではないのか。

実は、マスコミが暴走事故報道に関してプリウスの車名を報じないのは、トヨタによる莫大な広告費の存在、つまり“スポンサータブー”があるからに他ならない。

もともと、トヨタは「世界最大の自動車メーカー」として、国から手厚い保護を受けると同時に、メディア関係者のなかでも長らく絶対的なタブーになっていた。実際、トヨタ車はこれまで何度も国内で欠陥が発覚し、その度に大量のリコールをおこないながら、新聞は数行のベタ記事を申し訳程度に載せるだけ、テレビにいたってはほとんど無視といった状況で、大々的な追及や検証をする動きはなかった。

例外は2009~2010年、レクサスやプリウスなどの欠陥問題に関する報道だが、これはアメリカで激しい追及が起き、豊田章男社長が米下院の公聴会に出席して謝罪する事態に発展したため、日本でも報道せざるをえなくなったにすぎない。

日経広告研究所の調査報告によると、2017年度のトヨタの広告費は5096億円でトップ。しかも3年連続のトップの地位を誇っている。2位ソニーの4071億円と比べてもトヨタがいかに莫大な広告費を投じてメディアに出稿しているかがわかるだろう。相次ぐ重大事故が社会の注目を浴びるなか、マスコミ報道ではプリウスの名前が避けられている(そして、プリウスではない事故のときだけ「ネットのデマ」だと強調する)のも、こうした“スポンサータブー”が染み付いているからとしか思えないのだ。

しかし、「高齢ドライバーによる暴走事故」がここまで社会問題化している以上、本当の原因と事故抑止のため、タブーを排した公正な検証が必要なのは間違いない。マスコミは今回の“プリウスミサイル”説をネット上の流言飛語として無視するのでなく、大スポンサーであるトヨタにもメスを入れるべきだ。(編集部)

https://www.excite.co.jp/news/article/Litera_4759/


(ここまで)


トヨタがあのようなブレーキシステムを搭載したのはやはりなんらかの意図があっての

ことだろうと思います。

最初はハイブリッドというところにだけ焦点が当てられていたので、それ以外の

システムは先進的な試みととらえられ誰もその欠陥に気づかなかったと思います。

トヨタの意とはいったちどこにあったのでしょうか?

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アメリカ合衆国でトヨタ車を運転中に発生した急加速事故について、事故の原因が
トヨタ車にあると主張された。これらの事故と原因に関する主張などについて米国で
大々的に報道された。この騒動を受けて、トヨタは大規模リコールを実施した。
2011年2月8日、急加速問題の原因調査をしていた米運輸省・米運輸省高速道路交通安
全局(英語版) (NHTSA)・NASAによる最終報告で、トヨタ車に器械的な不具合はあ
ったものの、電子制御装置に欠陥はなく、急発進事故のほとんどが運転手のミスとし
て発表された。
Wikipediaより引用
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と言うように過去にも問題になっていることから最近の暴走事故頻発から何らかのシス
テム上の欠陥があるとしか思えないものです。

しかし、高齢者の事故は逆に減少しているということをマスコミは一切報じることなく
何度も高齢者であることとペダルの踏み間違いを強調するところに国民を洗脳する
目的があったものと思われます。
おそらく、政府の意向が高齢者の免許を取り上げるところに在るのでしょう。



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