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武富士以上…若者を食い物にする学生支援機構の奨学金 [社会・経済]

武富士以上…若者を食い物にする学生支援機構の奨学金、えげつない取り立ての実態


昨日の記事の中で利息・利子について書きましたが、現在の奨学金制度もその典型的な
ものと言えます。住宅ローンの返済時には先に利息返済が優先されることから元金が
ほとんど減らないとことも指摘しましたが、この奨学金制度もまさにその被害者と言える
だろうと思います。かっては無利息だった奨学金が変貌を遂げ利息を取るようになり
その取り立ては勝手のサラ金以上と言われるものです。
こうした制度こそ無利息でなければならないと思います。
一方で外国人への奨学金は無利息無返済ですからね。矛盾してます。



2014.06.14
ビジネスジャーナルより


(ここから)

 朝の情報番組『あさイチ』(NHK総合)が4月28日に放送した特集「奨学金が返せない!?」の内容が物議を醸している。番組内では、大学在学中に日本学生支援機構から有利子の奨学金を借り、大学卒業後に1年契約の非正規職員となった若者が、生活の見通しが立てにくい中で、長年にわたって返済の負担を背負わざるを得ない状況が紹介された。

 これに対し、日本学生支援機構が「奨学金について著しく誤解を招きかねない内容があった」として、機構のホームページに反論文を掲載したのだ。

「返還誓約書に記載された返還総額が借用金額より高い」という番組の指摘については、「返還誓約書には政令で定めた上限利率である3.0%で仮計算した返還総額が印字されている」と反論。さらに「利息が高すぎる」という批判に対しては、「利息付(第二種奨学金)であっても、利率は一般の教育ローンよりかなり低く抑えられている」などと、利率比較表も掲載して説明。そして「奨学金の元々の財源は、国(国民のみなさま)からお預かりしている公的資金であり、約束どおりの返還が行われることによって、後輩学生に奨学金を貸与することができます。どうか、本機構の奨学金事業の仕組みについてご理解いただきますようお願いします」と主張している。

 これを受けて、インターネット上では、奨学金をめぐるさまざまな意見が書き込まれているが、確かに現実の奨学金制度は、機構の主張するような先輩学生から後輩学生へと支援のバトンをつなぐような美しいものではない。

 機構は「奨学金貸与事業」の名の下、えげつない取り立てを行い、債務者からは「債鬼」と恐れられているのだ。

●高い延滞金で増え続ける借金

「まるでサラ金ですね」そう力なくつぶやくのは、90年代に無利息の第一種奨学金を利用していたBさん。『日本の奨学金はこれでいいのか! ―奨学金という名の貧困ビジネス』(奨学金問題対策全国会議・編/あけび書房)で紹介された一例だ。

 Bさんは大学教員を夢見て、研究を重ねてきたものの、教員になるための競争も激化。非常勤講師で日々の生活費を食いつなぐ中、この十数年間(猶予手続き期間も含む)、合計381万6000円の奨学金の返済に追われてきた。精神不安定になって心療内科に通う日々もあったが、時には滞納しながらも返済計画をつくり、毎月5000円ではあるが奨学金を返済してきた。

 しかし、借金はなかなか減らない。というのも、返還期限の到来した未払い元金がある場合、その未払い元金に対して、毎年5%の延滞金(平成16年以前の第一種奨学金の場合。平成17年以降の第一種奨学金、または有利息の第二種奨学金の延滞金は年10%になる)が発生するのだ。返済はまず延滞金に、そして残額が元金に充当されるので、5000円では未払い元金はまったく減らずに、延滞金が増え続けるのだ。機構側は、「毎月3万2000円以上払ってほしい。そうしなければ元本が減らない」と催促する。

「もし80歳まで50年間欠かさず、今後も毎月5000円を払ったと仮定すると、総額340万円に及ぶ支払いのほとんどが延滞金に消えてしまいます。そしてなお、残元金と延滞金合わせて、800万円の借金が残る計算です。Bさんが亡くなって相続放棄できない事情があれば、遺族がこの負債を抱えることになります」(同書)


 しかも、10年の消滅時効を迎えた債権分についても、時効の事実を無視して請求を行い、返還や猶予の手続きをしないまま9カ月延滞すれば、元金、利息、延滞金の一括繰り上げ請求を行うなど、その取り立てはえげつない。救済策としては、自己破産をすれば奨学金返済からは逃れられるが、就職氷河期を乗り超えて、なんとか職に就き、生活を安定させようとしている20~30代の若者にとって、社会的な信用を失いかねない自己破産は心理的なハードルが高い。

 返しても返しても膨らむ借金は、漫画『闇金ウシジマくん』(真鍋昌平/小学館)で味わったような絶望感に通じる。しかも、『闇金ウシジマくん』よりも深刻なことに、政府のお墨付きを得ている事業なのだ。

●貧困ビジネスと化した奨学金

 そもそも、かつての日本育英会の「奨学金」は無利息だった。1984年、アメリカ型の「小さな政府」を目指した中曽根康弘自民党政権が日本育英会法を改正。政府や金融機関から融資を受けた有利息の枠がつくられ拡大していった。2000年代には日本育英会から日本学生支援機構への組織改編が行われ、奨学金制度を「金融事業」と位置付けるようになった。98年から13年度の15年間に有利息の貸与人員は約9.3倍に膨らんだ。

 しかし、「失われた20年」と呼ばれ、就職氷河期が続き非正規労働者が増える一方だった最近の20年間で、若者たちが抱える奨学金返済の負担は大きくなり、現実的に返済困難者が続出するようになった。

 日本学生支援機構の会計資料によれば、10年度の利息収入は232億円、11年度275億円、12年度318億円。延滞金収入は10年度37億円、11年度41億円、12年度43億円と増加傾向にあり、利息と延滞金の合算で年間360億円の収入となっている。その一部は政府や民間金融機関への返済に充てられるが、それでも、12年度の総利益は39億円に上るのだ。

 つまり、機構に融資をする政府や金融機関、債権回収をするサービサー、訴訟を担当する弁護士事務所が、生活費にも困窮する若者たちを食い物にし、奨学金制度が「貧困ビジネス」と化しているのだ。

 同書では、消費者金融・武富士の違法な取り立てなどを告発したジャーナリスト・三宅勝久氏も次のように憤る。

「やはり最大の問題は延滞金です。『教育の機会均等に寄与する』(略)とか、もっともらしいことを言いながら、その欺瞞がよくわかるのが延滞金です。1円もまけません。何十万円であろうが100万円以上であろうが一括で返済しろ(と迫る)。あの武富士でもやらなかった頑なさです」

 日本が手本としたアメリカでは、奨学金機構を民営化した民間学生ローン「サリーメイ」が利潤追求に走り、多くの返済困難者を生み出して社会問題になったが、日本でも同様の悲惨な光景が広がっているのだ。
(文=編集部)

(ここまで)



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世にも奇妙なフツーの話「ミナミさん:この空白の時間って何???」 [アセンション]

世にも奇妙なフツーの話「ミナミさん:この空白の時間って何???」




(ここから)

いままで5冊の本を出版させていただいているんですが・・

本を書くとき、必ず通る道があるんです(笑)

先ず、一か月近く、何も考えられなくなるんです。

締め切りがあるのに、まったく何にも考えられない(汗)

ヤバい、これはマズイ、とにかく何か書き始めなければ・・と焦るんだけど、

まったく書けない。

無理やり書こうとしても、ちょっと書いても、違う、こんなんじゃないって思って

書いたものを消去する・・ということが何度か起き、

そのうち・・泣き言が入ります・・私、書けないかも・・って(苦笑)


で、そんなこんなしているうちに、突然何かが湧いてくるんですよ(驚)

あ、これだ・・って何かが来て、そして、やっと書きはじめることが出来る・・という。

毎回同じです(笑)

1冊目は焦りました・・ホント、毎日、書けない、ダメかも・・って泣きごと言ってました・・

さすがに5冊目は・・あ~、また来たわ・・書けないものは書けないんだから、

仕方ないから、書けるまで放っとこうって思えるようになりました。

(・・と言いながら、ちょっとは内心、今度こそ何も書けなかったらどうしようって

こっそりビクビクはするんですけどね(笑)


この真っ白感って何なんだろ?


・・ということで、今日のアシュタールからのメッセージをお伝えしますね^^

「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

アイディアを受け取るときは、マインドが止まるのです。

何かを考えているとき、あなたは考えていると思っていますが、それは考えているのではなく

受け取っているのです。


いろいろ頭の中で考えていると思っていても、それは考えているのではなく、どちらかというと

探していると言った方が分かりやすいかもしれません。


たとえば、日常のことにしてもそうです。

今日は何を食べようか・・と考えるとき、頭の中にあるデータといまの気分を合致させる作業を

しています。

一瞬かもしれませんが、そこに空白の時間があるのです。

その空白の時間にひらめきとして、あ、これにしようというアイディアが湧いてくるのです。

考えているのではなく、ひらめきを待っているのです。

そのために、頭が止まる空白の時間が出来るのです。


考えるというのは、あなたが意図的にしているんではなく(自分で無理やり考えて

いるのではなく)アイディアが湧いてくるから考えられるということです。


難しいですか?

頭の中にあるデータはそんなに多くはありません。

ほとんどのデータは、エネルギー場にあります。

コンピューターのようなものですね。

コンピューターの中だけでは、そんなに保存できませんが、クラウド?システムのように

他に保存すれば、たくさん保存することが出来ます。

そして、必要なときにそれを取り出し、使うことが出来ます。

(他の人のデータを借りることもあるのです)


そんな感じです。

膨大なデータをあなたはあなたの頭の外においてあります。

そして、必要なときにそれを取り出して、使っているのです。

必要なデータはいくつもあります。

そのデータを探すことを、それを組み合わせて違うデータにして使うことをしているのです。

それがひらめきやアイディアとなって降りてくるのです。


ですから、いくら頭の中だけで考えようとしてもムリなことが多いのです。

というか、無意識に必ずあなたは頭の外においてあるデータを探しているのです。


そのデータを探しているときや、データを組み合わせているときには、頭は止まります。

止めなければ、そこにアクセスすることが出来ないからです。

たくさんのデータが必要なときは、頭が止まる時間も長くなります。


よく、アイディアをひねり出す・・という表現を使いますが、ひねり出すのではないのです。

無理やりひねり出そうとするから、出てこなくて苦しむのです。


アイディアやひらめきが欲しい時は、ひねり出そうとするのではなく、待っていてください。

何も考えず、ただ頭を止めて待つ方がいいのです。

座ってウンウンうなって考えるより、散歩をしたりして気分を変え、ボーっとする時間を

取る方がいいのです。


時間がかかるか、すぐにアイディアが浮かぶかは、その人の個性、その状況、慣れにも

よって違ってきます。

でも、必ず、どんな時でも、どんな状況でも、どんな人でも、同じことをしています。

自分で考えているのではなく、データを探しているのです。


これが食べたい・・というのも、ひらめきなのです。


あなたが問いかけたこと(の答え)を、あなたはエネルギー場で探しているのです。

それをあなたは自分で考えていると思っているのです。


アイディア、ひらめき、答えが欲しいと思うときは、頭を止めて待っていてください。

ただそれにはまず問いかけをしなければダメですよ(笑)

こうしたいけど、そのためのデータはどこ?・・というふうに具体的に問いかけてください。

具体的であればあるほど、具体的なアイディア、答えがおりてきます。

コマンドをいれなければ、コンピューターも何も作動しませんね。

それと同じです。


あなたに愛をこめてお伝えいたします。」


ありがとう、アシュタール!感謝します。

(ここまで)


私も毎日食事の献立を考え作っていますが、何も思い浮かばない瞬間ってありますね。

そこで、ふっと浮かんだ一言をネットで検索してレシピを決めたりします。

その空白の時間が数秒だったり、数分だったりしますが、面倒くさい時にはちょっと

横に置いといて別のことをしたりすると、「ああ、あれがいいね」とアイデアも突然

湧いてきます。そうしたときには今まで考えてみませんでしたが確かにマインドが

止まっているんですね。空想の中で遊ぶ時間のようなものです。

そう考えてみると、そんな場面がいろいろあって面白いですね。







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破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:あなたがそこに存在するのは・・・」 [アセンション]

破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:あなたがそこに存在するのは・・・」




(ここから)


今日の破・常識!



まず一番にあなた自身を尊敬し、

自分がそこに存在することに感謝。

あなたがそこに存在するのは、あなたが居るから。

あなたの意識がそこに在るから。

あなたを存在させているのはあなた・・・らしい(笑)




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今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。







「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

”愛”は、尊敬と感謝のエネルギーなのです。

愛は、何かをしてあげることでも、自己犠牲をすることでもありません。

あなたを含めてすべての存在を尊敬し、

そこに存在してくれることだけに感謝をすることです。

ただ、それだけのことなのです。

では、尊敬し感謝するというのはどういうことなのでしょうか?

それは、干渉しないということです。

相手を尊敬していれば、その存在に対して

何かしようとは思いません。

その存在の思い(思考)を尊重するからです。

その存在が何をしようと、それは自由だと思えるからです。

そして、その存在がそこにいてくれるだけで感謝出来るのです。

そこにいてくれてありがとう・・その気持ちだけで十分なのです。

自分に対して何かをしてくれてありがとう・・ではありません。

その存在の存在がありがとうなのです。

あなたの存在をも含めて、存在することが素晴らしいと思えるのです。


絶対無限の存在は、小さな自分であるあなたが存在してくれるから、

いろいろな貴重な体験が出来るのです。

ですから、どんな体験であろうと絶対無限の存在は

あなたの存在に対して感謝をしているのです。

そして、どんな体験であってもそれは尊重される体験なのです。

この気持ちを思い出すことが出来ると、

あなたのまわりが変わります。

この気持ちを思い出すことが出来ると、

あなたは絶対幸福の中に戻ることが出来るのです。

無条件の愛・・それは差し出す愛、自己犠牲の愛ではありません。

無条件の愛・・それは、絶対幸福の中の愛なのです。

ただ尊敬と感謝なのです。

尊敬と感謝の関係においては、干渉しませんので

とてもさっぱりとした関係になります。

束縛や所有などという概念はありえないのです。

愛することが幸せだからです。

あなたの愛のエネルギーが、その人から戻って来ようが

来なかろうがそんなことは、関係ないのです。

あなたがその人の存在に対して尊敬と感謝を持てた・・

そのことだけが大切なのです。

そして、その気持ちを持てたあなたは、

愛にあふれた素晴らしい存在なのです。

愛とは難しいものではありません。

愛とは、何かをしなければいけないものでもないのです。

相手を尊敬し、相手の考えを尊重し、干渉しない・・

ただそこに存在してくれることに感謝するエネルギーです。


人間だけではありません・・

この宇宙に存在するすべてを愛してください。

あなたの周りに存在する鉱物、植物、動物・・

すべての存在を尊敬し、

いてくれることに感謝してください。

もちろん、意識体であるテラも尊敬し感謝してください。

そのためには、まず一番にあなた自身を尊敬し、

自分がそこに存在することに感謝してください。

誰かに感謝するのではなく、自分に感謝してください。

あなたがそこに存在するのは、あなたが居るからです。

あなたの意識がそこに在るから、

あなたはそこに存在出来るのです。

ですから、あなたを存在させているのはあなたなのです。

ちょっとまた観念的な話になってしまいましたので、

もとに戻したいと思います。


愛の概念を変えてください。

愛とは、尊敬と感謝のエネルギーなのです。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」



ありがとう、アシュタール!

(ここまで)


愛とは?

と問う時に私たちのほとんどが与える愛という言葉を思い浮かべると思います。

愛は惜しみなく与えるものという言葉の裏にあるのは「何かをしてあげる」という

犠牲的な愛です。

それは男女間でもそうですが、何かをしてもらうことを期待し、そうしてもらえない

時には「愛が足りない」と言います。

でもアシュタールの語っている愛はそうではないようです。

アシュタールは差し出す愛という表現をしていますが、これと与える愛の違いは?

果たしてどこに違いがあるのでしょう?

それがわからない限りアシュタールの語る真実の愛はわかりません。


差し出すというのは「行為」を意味していないという事です。

差し出すというのは、ただ私はあなたを愛し尊敬していますという意思表示を示す

だけのことです。そこには愛のために何かをしてあげるというものはありません。

そういわれると本当に冷たい間と思われるかもしれませんが、そうではないようです。

その先に何らかの行為があってもいいのです。まず最初にあるのは相手に対する愛です。

そして、その愛を基盤として相手に対する行為が生じます。

だから、その行為はあってもなくても良いという事になります。

難しいですね。言葉って・・・。


互いにそこに存在し合えていることに対する感謝の気持ちがあれば何でもできる

ことであり、また要求するものでもないということですね。

自然に起こる行為であり、打算的なものではないです。もちろん犠牲的なものも

含みません。だから互いに尊敬し合い必要な時に何かをしてあげ何かをしてもらう

という自然なものです。そしてたがいにありがとうの言葉があればそれでいいものです。

何かをしてくれたから何かをして返してあげなくてはならないと考えることもないし

自分がしてもらったら、誰かほかの人を助けることでその愛を返すことでもいいものです。


ただ、私たちは物質で構成された世界に住み、お金というものを代替え手段として愛を

表現してしまっているので、なかなか難しい面はあると思います。

それをどう変えていくかが課題ですね。





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