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破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:あなたがそこに存在するのは・・・」 [アセンション]

破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:あなたがそこに存在するのは・・・」




(ここから)


今日の破・常識!



まず一番にあなた自身を尊敬し、

自分がそこに存在することに感謝。

あなたがそこに存在するのは、あなたが居るから。

あなたの意識がそこに在るから。

あなたを存在させているのはあなた・・・らしい(笑)




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今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。







「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

”愛”は、尊敬と感謝のエネルギーなのです。

愛は、何かをしてあげることでも、自己犠牲をすることでもありません。

あなたを含めてすべての存在を尊敬し、

そこに存在してくれることだけに感謝をすることです。

ただ、それだけのことなのです。

では、尊敬し感謝するというのはどういうことなのでしょうか?

それは、干渉しないということです。

相手を尊敬していれば、その存在に対して

何かしようとは思いません。

その存在の思い(思考)を尊重するからです。

その存在が何をしようと、それは自由だと思えるからです。

そして、その存在がそこにいてくれるだけで感謝出来るのです。

そこにいてくれてありがとう・・その気持ちだけで十分なのです。

自分に対して何かをしてくれてありがとう・・ではありません。

その存在の存在がありがとうなのです。

あなたの存在をも含めて、存在することが素晴らしいと思えるのです。


絶対無限の存在は、小さな自分であるあなたが存在してくれるから、

いろいろな貴重な体験が出来るのです。

ですから、どんな体験であろうと絶対無限の存在は

あなたの存在に対して感謝をしているのです。

そして、どんな体験であってもそれは尊重される体験なのです。

この気持ちを思い出すことが出来ると、

あなたのまわりが変わります。

この気持ちを思い出すことが出来ると、

あなたは絶対幸福の中に戻ることが出来るのです。

無条件の愛・・それは差し出す愛、自己犠牲の愛ではありません。

無条件の愛・・それは、絶対幸福の中の愛なのです。

ただ尊敬と感謝なのです。

尊敬と感謝の関係においては、干渉しませんので

とてもさっぱりとした関係になります。

束縛や所有などという概念はありえないのです。

愛することが幸せだからです。

あなたの愛のエネルギーが、その人から戻って来ようが

来なかろうがそんなことは、関係ないのです。

あなたがその人の存在に対して尊敬と感謝を持てた・・

そのことだけが大切なのです。

そして、その気持ちを持てたあなたは、

愛にあふれた素晴らしい存在なのです。

愛とは難しいものではありません。

愛とは、何かをしなければいけないものでもないのです。

相手を尊敬し、相手の考えを尊重し、干渉しない・・

ただそこに存在してくれることに感謝するエネルギーです。


人間だけではありません・・

この宇宙に存在するすべてを愛してください。

あなたの周りに存在する鉱物、植物、動物・・

すべての存在を尊敬し、

いてくれることに感謝してください。

もちろん、意識体であるテラも尊敬し感謝してください。

そのためには、まず一番にあなた自身を尊敬し、

自分がそこに存在することに感謝してください。

誰かに感謝するのではなく、自分に感謝してください。

あなたがそこに存在するのは、あなたが居るからです。

あなたの意識がそこに在るから、

あなたはそこに存在出来るのです。

ですから、あなたを存在させているのはあなたなのです。

ちょっとまた観念的な話になってしまいましたので、

もとに戻したいと思います。


愛の概念を変えてください。

愛とは、尊敬と感謝のエネルギーなのです。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」



ありがとう、アシュタール!

(ここまで)


愛とは?

と問う時に私たちのほとんどが与える愛という言葉を思い浮かべると思います。

愛は惜しみなく与えるものという言葉の裏にあるのは「何かをしてあげる」という

犠牲的な愛です。

それは男女間でもそうですが、何かをしてもらうことを期待し、そうしてもらえない

時には「愛が足りない」と言います。

でもアシュタールの語っている愛はそうではないようです。

アシュタールは差し出す愛という表現をしていますが、これと与える愛の違いは?

果たしてどこに違いがあるのでしょう?

それがわからない限りアシュタールの語る真実の愛はわかりません。


差し出すというのは「行為」を意味していないという事です。

差し出すというのは、ただ私はあなたを愛し尊敬していますという意思表示を示す

だけのことです。そこには愛のために何かをしてあげるというものはありません。

そういわれると本当に冷たい間と思われるかもしれませんが、そうではないようです。

その先に何らかの行為があってもいいのです。まず最初にあるのは相手に対する愛です。

そして、その愛を基盤として相手に対する行為が生じます。

だから、その行為はあってもなくても良いという事になります。

難しいですね。言葉って・・・。


互いにそこに存在し合えていることに対する感謝の気持ちがあれば何でもできる

ことであり、また要求するものでもないということですね。

自然に起こる行為であり、打算的なものではないです。もちろん犠牲的なものも

含みません。だから互いに尊敬し合い必要な時に何かをしてあげ何かをしてもらう

という自然なものです。そしてたがいにありがとうの言葉があればそれでいいものです。

何かをしてくれたから何かをして返してあげなくてはならないと考えることもないし

自分がしてもらったら、誰かほかの人を助けることでその愛を返すことでもいいものです。


ただ、私たちは物質で構成された世界に住み、お金というものを代替え手段として愛を

表現してしまっているので、なかなか難しい面はあると思います。

それをどう変えていくかが課題ですね。





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