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我々日本人は、国の象徴である天皇のことを理解しているだろうか・天皇は外国籍という噂 [社会・経済]

我々日本人は、国の象徴である天皇のことを理解しているだろうか・天皇は外国籍という噂



これは真実かどうかわかりませんが、今までの天皇の存在様式から考えるとあり得ない
こととも思えませんでした。

平和の象徴とされる天皇の本当の姿とは?
一説には日本赤十字の重鎮として名を連ねているのも天皇家であるという話があります
ので、天皇という制度については見直してみる必要があるかもしれませんね。

こんなことを書くのはかなりのタブーとなり、非国民と言われるかもしれませんが
すべての常識、特に権威とされているものには何らかの存在理由があるわけで疑問を
抱くのもありと思います。

このあたりに日本の始まりを知るひとつのきっかけにもなると思います。



(ここから)

以前に元公安の方が、元日本在住のCIAの方から聞いた話として、

日本の天皇は韓国人、韓国人だから姓はある、と聞いた話をご紹介したことがある。

私たちは、天皇家のことをちゃんと理解しているのだろうか?

ほとんど、象徴として、普段はあまり関心を持たない。

それが国民の目を引いたのは、

生前譲位するのと、眞子様の婚約者の話が国民の目を引いたからだ。

^^^

日本とは、なんだろう?

日本人とは何だろう?

どうも‥

一般の日本人は何も知らないで生きているような気がしてきた。

皇室や皇族の話はあまりおもてに出てこない。

彼らが何をしているか、何で生計を立てているのか、ほとんど知らない。

天皇家が、反日であるようなここ数年のウワサ話だ。

天皇自身も誤解を招くような発言をすることもあったからだが…。

案外、在日の方が詳しいかも知れない。

韓国には、一生おもてに出ない奥の院があると、元外交官の馬淵氏が語っていた。

一生表に出ない奥の院とは、何だろう?

やはり李王朝だろうか?

^^

また、こういう記事を書いてる人がいた。

https://blog.goo.ne.jp/j4goocast/e/fa6b0b030b4340083e48b0b9b58228b1

tennnouke.jpg



これは「本物黒酢」さんという方のツイートで、以前、誰かが教えてくれましたね。

このかたは、天皇は外国籍であると言っています。

‥…



本当なのかも知れません。

嫌になりますね。

今の日本の不可解さが皇室や皇族を調べるとわかるかも知れません。

でも、バイヤーなのだそうです。



^^^^^^

もっと調べてみました。

すると、こういう話が出てきました。

全ての裏には、RIIA(英国王立国際問題研究所)がいるのだそうで、英国=ヴェネチアだそうです。

さっぱりわからん。

一番上は、ハザールではなく、オリンピアンズであるそうで、そう言えば、以前に天才天海さんが、「トランプはオリンピアの神々」とか言っていて、何を言っているのか意味不明だったのですが、このことだったのですね。

彼らのことをオリンピアンズと言うそうです。

この人々は、英国がブレクジットや地球環境激変でダメになるので、寄生先を日本にしたと言います。

そのために邪魔者の今上天皇を生前譲位させるのだそうです。

そうして徐々に英国化させていくのだそうです。

それをパックスジャポニカというそうで、原田研究所と繋がりますね。

彼らが言っている王族とは、英国のことだったのですね。

どうりで、エールフランスが皇居の上を飛んでも、何もできない。

日本の天皇は下々なのでしょう。

本当かどうかなんて、わかるわけがございません。

https://blog.goo.ne.jp/j4goocast/c/137c720cdc96bff9b7e09b23ced10cc1

天皇がどうであれ、大きな力はなく、激動に揉まれる犠牲者なのかもしれません。

(ここまで)

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世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:こ見えない檻・・・」 [アセンション]

世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:こ見えない檻・・・」





(ここから)

今日のアシュタールからのメッセージをお伝えしますね^^

「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

はっきりお伝えさせていただくと・・

あなた達はとても過酷な環境にいるのです。

とても不自由なところに閉じ込められてしまっています。

牢獄のようなところにいるのです。


でも、あなた達は生まれたときからそこにいるので、その環境が当たり前だと

思ってしまっています。

牢獄で生まれた子どもは、そこが世界のすべてだと思ってしまうのです。


アシュタールはイヤなことを言いますね・・

でも、それがわからなければそこから出ることが出来ないのです。

いえ、そこが良い、ここから出たくない、この環境を楽しみたい・・と思う方は

それでいいと思います。

それもまた貴重な体験なのですから。


でも、私はイヤだ、ここから出たい・・と思う方にお伝えしています。


先ず、あなたがいる現実を知ることです。

あなたがいる現実、ホログラムがどれほど過酷なものであるかを知ることからはじまります。

そんなに過酷ですか?ちゃんと生きていけていますよ・・そう思うかもしれませんが、

生きていくために生きているのが現状ではありませんか?

食べるために、住むために、着るために、一日中あなたの時間を削って働く・・・

それはもうすでに過酷な現状なのです。


お金のために働く・・それが当たり前になってしまっている環境は異常なのです。

お金のためにやりたいことも我慢して時間を切り売りしなければいけない・・・

それはとても異常なことなのです。

それを分かってください。


いろんなことで脅され、いつも不安と心配と怖れとともにいなければいけないことは

自由からはかけ離れたものなのです。


でも、アシュタールは牢獄の中にいると言いますが、何も拘束されているわけじゃないし

好きなところに行くことが出来ます。

そして、牢獄のように常に監視され、命令されているわけじゃないですよ・・

と思っているようですが、あなた達を閉じ込めているのは物理的なものではありません。

あなたを閉じ込めているのは思考の牢獄なのです。

思考を操作されてしまっているので、自分では牢獄にいるとは思っていないのです。

閉じ込められているとは気がつかないのです。


誰も監視していないしと言いますが・・

あなた達はお互い監視しあうようにされています。

常識というルールを与えられ、それに従うように教育されているので、そこから誰も

離れないようにお互い見張り合っているのです。

親が子どもに、それをしてはいけません、これはしなければいけません、

・・などと教えるのも常識という暗黙のルールに閉じ込めているのです。

常識という不安定なルール(わざとはっきりとさせないのです。

あなた達を混乱させ、対立させるために、不明確にしているのです)

から出る人を、みんなで非難するということはお互い監視しあっていると

いうことなのです。

みんなから非難されるのが怖いので、仕方なくその常識に従う、そして従わない人を

今度は自分が非難する側になる・・こうしてお互い監視のもとあなた達はその狭い牢獄に

しばり合っているのです。


誰もいちいち命令しませんと言いますが・・

表だっていちいち命令はしませんが、先ほどの話と同じで

思考が操作されてしまっていますので、命令されなくても命令に従っているのです。

常識、道徳観、倫理観・・等によって、これはしてはいけない、これはしなくてはいけない・・

と見えない、聞こえない命令に従っているのです。

思考を操作することで、自発的に命令通りに動くようにされてしまっているのです。


税金は払わなければいけない、労働と納税は国民の義務です・・というのも完全なる

思考の操作によるものです。

生きるためには労働しなければいけない、お金を儲けなくては何も出来ない、国は国民が

支え守らなくてはいけない・・そう思わされてしまっているだけなのです。


過酷な牢獄から出たければ、まず自分がそこにいることを認識し、牢獄である思考の操作から

抜けなければ無理なのです。

思考を変えることなく、そこから出ることは出来ません。

あなた達が入れられているのは、思考の檻だからです。


あたりまえ・・を疑ってください。

常識、道徳、倫理、宗教を違う角度から見てください。

そうすれば、見えなかった檻が見えてきます。

見えてくれば、そこから出ることが出来ます。

あたりまえではない思考をすればいいのです。

常識を破り、まったく反対の考え方、価値観を持てるようになれば、閉じ込められている

檻から出ることができます。


いままで慣れ親しんだ檻から出るのは怖いかもしれません。

どんなに過酷なところでも、慣れ親しんだところの方が安心していられますので。

でも、その安心感にひたっていたら、ずっとそこから出ることが出来ないのです。

もうこんなに過酷な環境はイヤだ・・と思うならば、そこから出る決心をしてください。

覚悟をしてください。

怖いことはありません。

だって、そこ程過酷な環境はないのですから・・

そこから出てもそれ以上ツライことは起きません。


いま、もっとその牢獄は小さく狭くなってきています。

もっと過酷になって来ています・・それはあなたも気がついていると思います。

それ以上我慢してそこにいることはないと思うのですが、いかがでしょうか?


広くて、楽しくて、気持ちの良い環境が外には広がっています。

ツライ監獄から出て、ご機嫌さんの環境に行く選択肢はあなたにあるのです。

あなたはどうしたいですか?



誰かに反抗して、戦って、痛い思いをすることもありません。

出るためには、思考、価値観、考え方をまるっと反対にするだけでいいのです。

先ずは現実をしっかりとみて、その環境に疑問を持つことからはじめてくださいね。



あなたに愛をこめてお伝えいたします。」


ありがとう、アシュタール!感謝します。


(ここまで)



確かに私たちは牢獄&監獄の中で生かされています

そのことは大多数の人にはそう聞いただけでもピンと来ないだろうと思います。

戦争もないし喧嘩もないし、毎日好きなものが食べられるし、好きなこともできる。

でも、それはあくまでも制限された自由です。

毎日好きなものが食べられるとは言っても、それはお金を持っているからです。

もし、お金に不自由していれば明日にも食べるものに苦労するかもしれないのです。

私も一時期そうした体験をしました。

そのときに初めて誰もそれを何とかしてくれるものとか制度とかはないということも

初めて知りました。憲法でこそ平等であるべきとうたっていますが実態は違うのです。

日本は特に自己責任という言葉が付きまとう国です。

昔はそれでも誰かが助けてくれるという風土がありましたが、今はないです。

ほとんどが国や自治体頼みになります。

しかし、それも余程の状態にならなければ無理です。

果たして、それが真の自由を保障された世界だと言えるのでしょうか?

米国を見てみればわかりますが、貧富の差は年々増すばかりで最近は学生の不労者が

増えていると報道されたことはご存知のことと思います。

たった一握りの人たちが富を独占し、それをさらに増やそうとする世界こそ異常な

ものです。誰にも自由に平等に生きる権利がありながらお金というものによってそれが

叶わない世界です。それがこの世界の異常さを示しています。


もともとはお金という制度はなかったものです。

持つ人がない人に回して誰もが同じように生きていける世界だったはずなのに、ある時に

お金というものを考え出した人が現れてからこの世界はおかしくなりました。

ただ、私が思うにお金と制度はあってもいいと思います。しかし、利息や利子という制度は

あってはならないものです。それがあるために富の集中が起こるのです。

5000万円のマンションを銀行からお金を借りて30年ローンで毎月返済していって

最終的にいったいいくら払うのでしょう。総返済額は今の低金利でも約6500万円です。

実に1500万円の利息を取られます。しかも、返済から10年くらいは利息だけ払うので

元金はほとんど減りません。この利息だけ先に取られるというのも変な話です。

なぜ、利息と元金を同じ割合で払えないのでしょうか?それは銀行が損するからですね。

実際には元利均等返済と元金均等返済では元金均等返済の方が400万円ほど返済額が

減りますが、最初に利息だけを多く取るというのは変わりません。

そこがおかしいというより貸し倒れによる損失を減らすためと言えますがこれでは借りる

方が優遇されていないことです。

これがもし、元金だけ返済すればいいというなら話は違ってくるでしょう。おそらく多少の

収入減でも返済可能なはずです。そして返済不可能な場合は返済猶予期間を設けることを

すれば貸し倒れの確率はさらに減ります。今の制度では返済が滞ると利息だけが雪だるま式に

増えていき、半年を超過すると競売にかけられマンションを失います。

これを国家がマンション購入資金を無利息で提供するという風にすればいいのです。

もちろん、そうした場合には銀行は要りません。もちろん日銀は通貨発行権だけ持ちます。

国債購入に対する利息などというものも無しです。

そうすればすべての商いは利益だけで売買され、運転資金に不足が生じた場合は国家が無利

息で融資するという方法にすれば倒産などもなくなります。

お金の制度の最大の弊害は利息・利子制度です。これがあるからおかしくなっているのです。

ある意味、これも破・常識的な考え方の一つと思います。

あくまでも明日からすぐにお金という制度をなくすことは無理だろうと思うので、まずはこの

やり方を導入し、順次変えていけばいいのです。








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破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:天国とか、地獄とかの作り話・・・」 [アセンション]

破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:天国とか、地獄とかの作り話・・・」




(ここから)


今日の破・常識!



天国とか地獄とかの言葉を怖がらないで。

そんなところはない。

その概念は、あなたをコントロールしようとするミスリード・・・らしい(笑)



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今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。







「こんにちは こうしてお話し出来ることに感謝します。

あなた達の宗教的考え方の中に天国と地獄というフレーズがあります。

良いことをしたら死後天国に行けます。

悪いことをしたら死後地獄に落ちて永遠の苦しみを味わうのです・・と!

そんなものはないのです。天国という場所はありません。

地獄という場所もないのです。そして、良い行いという概念も、

悪い行いという概念も意図的に作られたものなのです。

支配者たちにとって都合のいい行いが善であり良い行いなのです。

わかりますか?その天国と地獄という概念は、

あなた達に怖れを植え付けるものなのです。

死後に誰かによって生前の行いを判断され、

どこに行くかを決められる・・そんなことはありません。

人の行先を決める権利を持っている人は、

宇宙には誰一人としていないのです。


死後もあなたの意識は何も変わらないのです。

身体を脱いだだけのことなのです。車を降りたドライバーと同じです。

車を降りてもドライバーは何も変わりませんね。それと同じなのです。

そして車を降りた後、どこへ行くのかは,、ドライバーの自由なのです。

好きなところへ行ってください・・誰も指図する人などいません。

ましてや、罰として永遠に苦しめるなんてことが出来る人は

絶対に居ないのです。


生前の行いで死後の世界が決まる・・という概念は手放してください。

そんなことはありません。

良い行いも悪い行いもないのです。

どんな行い(体験)でも、それは素晴らしい体験なのです。

死後を怖れて、いまを我慢しないでください。

あなた達が教えられている死後の世界というものはないのです。

閻魔さまもいません。地獄の番人も、天国の天使もいません。

車を降りたドライバーは、そのドライバーにとって

一番気持ちの良いところに自分の意志で行くのです。

気持ちの良いところというのは、波動のあったところです。


身体を脱いだ個性のエネルギー(車を降りたドライバー)は、

絶対無限の存在(ワンネス)に戻ります。

絶対無限の存在を大きな海だとイメージしてください。

その海に戻るのです。

テラの海もそうですが、すべてつながっています。海はひとつです。

でも、その海にもいろんなところがあります。

寒い海もあれば、暖かい海もあります。

いろんな名前がついていますね。

そのどこの海に戻るか・・それを決めるのは

その個性のエネルギーだということです。


海と表現しましたが、正確には波動エネルギーです。

北極海の波動エネルギーが好きな個性のエネルギーは、

そこに戻ります。

瀬戸内海の波動エネルギーが好きな個性エネルギーは、

そこに戻ります。

自分の好きな、気持ちが良いと思える波動領域に戻るということです。

だから、死後苦しい思いをすることはないのです。

苦しいところに行くこともありません

(自分で決めるのですから、好きなところに行きます)


何が言いたいかといえば、死後のことを心配することはない・・

ということです。

死後良い世界に行くために、いまを我慢する必要はないのです。

必ずあなたにとってステキなところに行けるのですから。

だから、天国とか地獄とかの言葉を怖がらないでください。

そんなところはありませんから。

その概念は、あなたをコントロールしようとするミスリードです。

あなたを怖がらせて、あなたを支配・コントロールしようと

思っている人たちの作り話なのです。

死後を怖がり、死後のためにいまを生きないでください。

死後は怖いものではありません。

だから、いまを楽しんで生きてください。

生きることをたのしんでくださいね。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」



ありがとう、アシュタール!

(ここまで)



よくある宗教団体では「仏さまを拝み南無阿弥陀仏と唱えれば死語極楽に行ける」と

説きます。私も若いころ同僚にその宗教団体に加入している人がいて、毎晩のように

入信を勧められました。その人は言います。「私はこの宗教に入って毎日南無阿弥陀

仏と唱えて病気が治った」「だから、この宗教は絶対間違いないのだ」と・・・。

なんしろ、帰宅後の住んでいる場所が近かったので毎日来るんですね。

私は何度も誘われましたが決して入信はしませんでした。さすがに向こうもあきらめた

のか段々その回数は減っていき、ある年にその人が転勤になったのでやっと解放され

ました。

私はどちらかというとこうした宗教団体には誘われやすい風貌と性格をしていたようで

道を歩いていると必ず声をかけられました。でも、誘われていくことはあっても入信

だけは絶対しませんでした。それは心の中に「絶対ダメ!」という声があったからです。

こうした宗教には天国と地獄、あるいは極楽と地獄がワンセットになっていて必ずその

ことで行動の規範を求められます。善い行いは天国や極楽、悪い行いをするものは地獄

行きとなるから今のうちに悔い改め神やを信奉しなさいといわれ、そして赦しを乞うのが

当たり前のことのように語られます。

そうした生活が長く続くと次第に感化され、地獄に対する怖れと同時に自分のしている

様々な行為に対する罪悪感というのが生じてきます。そのため、生活がその言葉に縛られ

身動きが取れなくなっていきます。しかし、当の本人はそれが心地よく感じるように

なっていきますので本当に要注意です。終いには自分の周囲をそのような目で判断する

ようになっていきますので怖いですね。

今ではそうした考えはなくなりましたが、そうした考えを持っている人は早くそうした

考えから脱却しないといけません。

人はひとつの考え方を受け入れるとその考え方を修正するには相当の気力と努力が

必要になり、なかなか修正が効きません。だから、柔軟な考え方を持つことも大事な

ことです。そうしないとすべてがその判断基準でしか見れなくなります。

天国と地獄という考え方は支配者が私たちを思考上でがんじがらめにするために

考え出されたものだということを良く理解すべきです。





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