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世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:それを楽しむのがゲームなのです 」 [アセンション]

世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:それを楽しむのがゲームなのです 」



(ここから)

先日の記事「負の世代連鎖というのはないのです」に関して、

自分のゲーム機(現実スクリーン)のコントローラーは自分だけで、

自分のゲーム機に登場した人はコントローラーはもってないということですよね?


・・というご質問をいただきました^^

みんなが1つずつパーソナルゲーム機を持っているというところなんですけど、

このところ、もう少し詳しく教えて、アシュタールぅ~~^0^


「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

あなたは現実の中にいると思っていますが、実は現実だと思っている環境は

ホログラムなのです。

???ですね。


あなたは確固とした現実の中にいるのではなく、3Dメガネのようなものをつけて

3Dの世界をみているのです。

現実の中にいるのではなく、外から3Dで作られたホログラムを見ているという感じです。


その3Dのホログラムはとても上手く出来ているので、ついその中にいるのと勘違い

してしまっているのです。


そして、その3Dのホログラムの中はあなたの思考でどうにでもすることが出来るのです。

そこはとても自由なところなのです。

あなたがこうしたいと思えば、そうなる世界なのです。

(出来ないと思っているから出来ないだけなのです。

出来ないという思考で、あなた自身で自由に”出来ないという世界”を創っているのです)

あなたがコントローラーを操作しているのです。


ここまで大丈夫でしょうか?

そして、その3Dのゲーム機は誰か他の3Dのゲーム機とラインをつなげることが出来ます。

ラインをつなげると、その人はあなたの3Dの世界に入ってきます。

また、あなたもその人の3Dの世界に登場するのです。

こうして、その人とあなたがつながるということです。

何かの関係を作って、遊ぶことが出来るのです。


でも、あなたの世界に入って来た人(Aさん)は、あなたの世界でAさんとして動きます。

どういうことかというと、AさんのコントローラーはAさんが持っていますので、

あなたの世界であっても、あなたはAさんをコントロール(好きなように動かす)することは

出来ません。

そうですね・・あなた達のゲーム機も同じですね。


反対にあなたもAさんのゲーム機の中で、あなたの好きなように動きます。

Aさんの世界で、あなたはあなたとして動くのです。

だから、面白いのです。

だから、いろいろな刺激になって、新しい発見が出来たり、たくさんの違った経験が

出来るのです。

ひとりでゲームをしてもつまらないですね。

ひとりで遊ぶと、ひとつの価値観、考え方しか出てきませんが、違う人と遊ぶと、

あ~そういうやり方もあるのか、え~、そこからそう来る?・・・という刺激を

もらうことが出来、世界がどんどん広がっていくのです。


お互いのゲーム機に登場する(ラインをつなげる)ということは、お互い了承している

から出来るのです。

了承なしにラインをつなげることは出来ません。

だから、どうしてこんな人が私の現実に出てくるの?(怒)と思っていても、

それは確実にあなたが了承しているからなのです。

怒っても仕方ないのです(笑)

勝手に入ってきているわけではありません。

あなたがその人とラインをつなげる了承をしているのには必ず意味があります。

あなたにとって何か必ず意味があるから、ラインをつなげていることを忘れないでください。


それは一瞬かもしれませんし、ずっと長い間かもしれません。

そしてラインをつなげたときは何か目的?意味?があったのかもしれませんが、

あなたの思考、価値観などが変化し、目的?意味?価値観?が変わって来たと思うときが

来るかもしれません。

そうなると、その人とあなたが同じ3Dの世界にいることに違和感を感じるようになります。

そういう時は、ラインを切るという選択も出来るのです。

ラインを切れば、どちらのゲーム機にも登場しなくなります。


ラインを切りたい・・と思うならば、エネルギー場で・・

あなたとエネルギーラインを切ります・・

と宣言してください。

そうすれば切ることが出来ます。

どちらかが切りたいと宣言すれば、切ることが出来るのです。

相手が切りたいと言っているのに、イヤだと言っても、そこにはお互いの了承が

なくなりますので、ラインをつなげることは出来なくなるのです。


でも、もうこの人とは付き合いたくないと思っている人でも、離れたいと思っていても、

どうしても私の現実に入ってくる人がいます・・と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、

それは、あなたがはっきりと決めていないからです。

何かの未練?執着?利害関係?を持っているから、しっかりと切ることが出来ないのです。

それはあなたが自らつなげているということです。


本当に切りたいと思ったら、どんなことがあっても一生その人に会いません・・という

覚悟を持ってください。

少しでも、執着や未練、利害関係のことを思ってしまうと、切ることは出来ないのです。

誰に何を言われても構わない、どんなことになってもいい・・私はその人とのラインを

すっぱり切ります・・と宣言すれば、必ず切ることは出来ます。


話を最初に戻しますが、あなたはゲームをして遊んでいるのです。

あなたがゲーム機の中にいて誰かにコントロールされているわけではありません。

そこを理解してください。

ですから、ゲームの中で何が起きてもあなた自身は安全なのです。

あなた自身に危険なことは起きません。

安心してください。

ゲームの中でたくさん経験をして楽しんで下さいね。

深刻になる必要はありません。

いろんなことが起きるのがゲームです。

それを楽しむのがゲームなのです。


あなたに愛をこめてお伝えいたします。」


ありがとう、アシュタール!感謝します。

(ここまで)


本当に超精密で超リアルなホログラムだと思います。

とても自分でコントローラーを持って自分で操縦しているとは思えません。

まさに、ここにいる自分が主人公であり、自分が自分でコントールしている

ように感じられます。


操縦しているとするなら、本当の自分はここにいない?ということになりそうです。

果たしてどこにいるのやら(笑)。


もしかしたら?ハートが本体?

ハートはある程度の決定権を持っていますが方向を決めたり、何を体験したいかの

おおまかなことを行っているのでしょう。

ただし、決定権は私たち自身が持っています。

ただ、ある程度の変化はあるということでしょう。

そのような体験をしたいかという内容によるでしょう。







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破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:未来も過去も幻です・・・」




(ここから)

今日の破・常識!



あなたはどのような人生を望んでいるの?

楽しくて幸せを感じられる人生を望むのならば、

将来のために生きるのではなく、いまを生きる・・といい・・・らしい(笑)
======================


今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。







「こんにちは こうしてお話し出来ることに感謝します。

死ぬときは死ぬんです(笑)死なない時は死なないのです。

いまは生きています。死ぬまで生きてるんです。

なら、生きていることをたのしんでください。生きているのは、いまです。

未来も過去も幻です。いま、この時・・それだけが現実です。


幻を生きるのではなく、現実を生きてください。

幻である未来、来るか来ないかわからない将来のために

いまを我慢することほどナンセンスな生き方はありません。

将来の保障・・そんなものはどこにもありません。


いい学校に入って、いい会社に就職すれば将来は保障され、

安定した人生が送れる・・そんなものはただの幻にしか過ぎないのです。

もし、その幻だけを信じてそれだけのために”いま”を生きたとして、

その幻が幻に終ってしまったらどうしますか?

いい会社に入って、これからは安泰だと思っていたのに

その会社がつぶれてしまった・・そういうこともあるのです。

その時、何を支えにしますか? 

将来の保証なんて、どこにも存在しないのです。

安定した人生・・などという幻を追わないでください。

それは砂漠の蜃気楼を追うようなものです。

そして幻を追っているとそれが手に入らなかったときのことを考え、

いつも不安にさいなまれ、心が安定することが出来ないのです。

例え、経済的、社会的に安定したとしても、心が安定しませんので

幸せな状態になることが出来ないのです。


幸せな人生を送りたい・・と思うのであれば、いまを生きてください。

いまが幸せならば、次の瞬間も幸せにいられます。

その一瞬一瞬の積み重ねが人生と呼ばれるものになるのです。

将来のために・・といまを生きずに我慢していると、

ずっと我慢を続ける人生になります。

あなた達の将来という概念には終わりがないからです。

それは不安から出ている発想なので、

いつまでも将来を追い続けることになるからです。

将来いい大学に入るために高校時代したいことを我慢して勉強します。

そして、したいことがあってもいい仕事、いい会社に入るために

あきらめ就職活動をします。本当は、したい仕事があったのに

それでは食べていけないからという理由で、少しでも条件のいい会社に

入って安定した収入を得るために我慢して就職するのです。

そして、会社に入れば少しでも出世するために自分の時間を我慢して

仕事優先にします。課長になるためにいまを我慢し、部長になるために

いまを我慢し、将来は役員?社長になるという幻を追い求め

自分の人生を費やしながら生きて行くことになります。

目の前の将来の目標にたどり着いたとしても、

また次の将来の目標が出てくるのです。


いつ”いま”を生きるのでしょう?

保障のために生きていると、いつまでたっても

満たされることはありません。

常に我慢とあきらめが繰り返されることになります。


あなたが生きているのは”いま”だけです。

将来も過去もすべて幻なのです。

言ってしまえば、”いま”でさえ幻なのです。


あなたが認識している現実さえも幻なのです。この話になると、

テーマが逸れてしまいますので今日は止めておきますが・・

将来の保障などを求めないでください。いまを生ききってください。

そうすれば、保障など求めなくても自然と楽しくて幸せを感じられる

心も安定した人生を送ることが出来ます。

外側の(環境の)安定だけを求めても、心が安定(満足)しなければ

幸せにはなれないということをわかってください。


心が満足すれば、努力だの忍耐だの我慢だのしなくても

常に幸せでいることが出来ます。

あなたは、幸せになりたくて安定という保証が欲しいのです。

幸せになりたいのであれば、いまを我慢してては

幸せになることは出来ません。

とても大きな矛盾の中で、揺れ動くことになるのです。


あなたはどのような人生を望んでいるのですか?

楽しくて幸せを感じられる人生を望むのならば、

将来のために生きるのではなく、いまを生きてください。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」



ありがとう、アシュタール!


(ここまで)



いつ”いま”を生きるのでしょう?


多くの人は今を生きていると思いながら、実は今を生きていないという事ですね。

将来の備えのために買いたいものを我慢して蓄えを増やし、それでもまだ足りないと

言っては倹約に努め、行きたい海外旅行も欲しいと思っている4Kテレビも

きれいなドレスが欲しいと思っても我慢し、果てることなく我慢が続きます。


それが繰り返されると習性としての「我慢」という考え方が身に付き、何でも

不用な浪費に見えてきます。

そうなったら、楽しむという感覚さえ失います。

ごくたまに外食や旅行することが唯一の贅沢になり、それ以上のことはすべて

無駄だと思ってしまうようになります。

そうすると、その人は一年の内何度楽しい時間を味わうことが出来るのでしょうか?


今にも死にそうでこの今人生を終えようとする人がもっとも後悔する言葉は

「やりたいことをしてこなかった」という一言です。

臨終の際にそう思ったとしても、もうできないのです。

この3次元での生活とはお別れですからね。


それを考えるならば今を今以上に楽しむことを考えるのではないでしょうか?








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