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破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:天国とか、地獄とかの作り話・・・」 [アセンション]

破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:天国とか、地獄とかの作り話・・・」




(ここから)


今日の破・常識!



天国とか地獄とかの言葉を怖がらないで。

そんなところはない。

その概念は、あなたをコントロールしようとするミスリード・・・らしい(笑)



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今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。







「こんにちは こうしてお話し出来ることに感謝します。

あなた達の宗教的考え方の中に天国と地獄というフレーズがあります。

良いことをしたら死後天国に行けます。

悪いことをしたら死後地獄に落ちて永遠の苦しみを味わうのです・・と!

そんなものはないのです。天国という場所はありません。

地獄という場所もないのです。そして、良い行いという概念も、

悪い行いという概念も意図的に作られたものなのです。

支配者たちにとって都合のいい行いが善であり良い行いなのです。

わかりますか?その天国と地獄という概念は、

あなた達に怖れを植え付けるものなのです。

死後に誰かによって生前の行いを判断され、

どこに行くかを決められる・・そんなことはありません。

人の行先を決める権利を持っている人は、

宇宙には誰一人としていないのです。


死後もあなたの意識は何も変わらないのです。

身体を脱いだだけのことなのです。車を降りたドライバーと同じです。

車を降りてもドライバーは何も変わりませんね。それと同じなのです。

そして車を降りた後、どこへ行くのかは,、ドライバーの自由なのです。

好きなところへ行ってください・・誰も指図する人などいません。

ましてや、罰として永遠に苦しめるなんてことが出来る人は

絶対に居ないのです。


生前の行いで死後の世界が決まる・・という概念は手放してください。

そんなことはありません。

良い行いも悪い行いもないのです。

どんな行い(体験)でも、それは素晴らしい体験なのです。

死後を怖れて、いまを我慢しないでください。

あなた達が教えられている死後の世界というものはないのです。

閻魔さまもいません。地獄の番人も、天国の天使もいません。

車を降りたドライバーは、そのドライバーにとって

一番気持ちの良いところに自分の意志で行くのです。

気持ちの良いところというのは、波動のあったところです。


身体を脱いだ個性のエネルギー(車を降りたドライバー)は、

絶対無限の存在(ワンネス)に戻ります。

絶対無限の存在を大きな海だとイメージしてください。

その海に戻るのです。

テラの海もそうですが、すべてつながっています。海はひとつです。

でも、その海にもいろんなところがあります。

寒い海もあれば、暖かい海もあります。

いろんな名前がついていますね。

そのどこの海に戻るか・・それを決めるのは

その個性のエネルギーだということです。


海と表現しましたが、正確には波動エネルギーです。

北極海の波動エネルギーが好きな個性のエネルギーは、

そこに戻ります。

瀬戸内海の波動エネルギーが好きな個性エネルギーは、

そこに戻ります。

自分の好きな、気持ちが良いと思える波動領域に戻るということです。

だから、死後苦しい思いをすることはないのです。

苦しいところに行くこともありません

(自分で決めるのですから、好きなところに行きます)


何が言いたいかといえば、死後のことを心配することはない・・

ということです。

死後良い世界に行くために、いまを我慢する必要はないのです。

必ずあなたにとってステキなところに行けるのですから。

だから、天国とか地獄とかの言葉を怖がらないでください。

そんなところはありませんから。

その概念は、あなたをコントロールしようとするミスリードです。

あなたを怖がらせて、あなたを支配・コントロールしようと

思っている人たちの作り話なのです。

死後を怖がり、死後のためにいまを生きないでください。

死後は怖いものではありません。

だから、いまを楽しんで生きてください。

生きることをたのしんでくださいね。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」



ありがとう、アシュタール!

(ここまで)



よくある宗教団体では「仏さまを拝み南無阿弥陀仏と唱えれば死語極楽に行ける」と

説きます。私も若いころ同僚にその宗教団体に加入している人がいて、毎晩のように

入信を勧められました。その人は言います。「私はこの宗教に入って毎日南無阿弥陀

仏と唱えて病気が治った」「だから、この宗教は絶対間違いないのだ」と・・・。

なんしろ、帰宅後の住んでいる場所が近かったので毎日来るんですね。

私は何度も誘われましたが決して入信はしませんでした。さすがに向こうもあきらめた

のか段々その回数は減っていき、ある年にその人が転勤になったのでやっと解放され

ました。

私はどちらかというとこうした宗教団体には誘われやすい風貌と性格をしていたようで

道を歩いていると必ず声をかけられました。でも、誘われていくことはあっても入信

だけは絶対しませんでした。それは心の中に「絶対ダメ!」という声があったからです。

こうした宗教には天国と地獄、あるいは極楽と地獄がワンセットになっていて必ずその

ことで行動の規範を求められます。善い行いは天国や極楽、悪い行いをするものは地獄

行きとなるから今のうちに悔い改め神やを信奉しなさいといわれ、そして赦しを乞うのが

当たり前のことのように語られます。

そうした生活が長く続くと次第に感化され、地獄に対する怖れと同時に自分のしている

様々な行為に対する罪悪感というのが生じてきます。そのため、生活がその言葉に縛られ

身動きが取れなくなっていきます。しかし、当の本人はそれが心地よく感じるように

なっていきますので本当に要注意です。終いには自分の周囲をそのような目で判断する

ようになっていきますので怖いですね。

今ではそうした考えはなくなりましたが、そうした考えを持っている人は早くそうした

考えから脱却しないといけません。

人はひとつの考え方を受け入れるとその考え方を修正するには相当の気力と努力が

必要になり、なかなか修正が効きません。だから、柔軟な考え方を持つことも大事な

ことです。そうしないとすべてがその判断基準でしか見れなくなります。

天国と地獄という考え方は支配者が私たちを思考上でがんじがらめにするために

考え出されたものだということを良く理解すべきです。





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