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オレンジャーからのメッセージ「思い出そう」 [アセンション]

オレンジャーからのメッセージ「思い出そう」


(ここから)

おれはオレンジャー!

あなたには
過去生の記憶が
存在しているか

地球だけではなく
他の星での記憶が
存在しているか

この世界の肉体に
宿る前に
両親を選んで降りてきた
記憶があるか

この世に生まれるとき
母親の産道を通った
苦しい記憶があるか

すべては
あなたの魂に紐づく
アカシックレコードに
記録されている

それらの記憶の
再生スイッチは
あなたの心や身体に
刻まれている

あなたが
思考の中で
生きようとすればするほど
その記憶からは遠ざかる

心と身体を解放して
魂のあるがままの
振動を感じてほしい

そこに
懐かしい感覚や
イメージが蘇って
くることだろう

本来のあなたは
そこに在る

見せかけの姿に
だまされてはならない

今日はこんなところだ
じや!


(ここまで)


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世にも奇妙なフツーの話「さくやさん:生活の中で手を貸し合えばいい・・・」 [アセンション]

世にも奇妙なフツーの話「さくやさん:生活の中で手を貸し合えばいい・・・」



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続・そもそもお金って何なん??税金って何なん?の記事に

すっごくステキなコメントをいただきましたぁ~^0^

ここに転載させていただきますね^^


<ここから>


想像できなかったけど…byなっちゃん


私の住んでいるところは農産物豊かなところで、

農家じゃなくても野菜など作ってる方が多く居ます。

チケットはありませんが、家の大家さんが苗屋もやってるので、

毎年余った苗をくれるので、小さな畑に植えてます。

主人の職場の親方は田んぼがあるので、

毎年田植え稲刈りなど手伝ってお米をいただきます。


時期になるとご近所さんや知り合いから「食べきれないからもらって~

貰ってくれると助かる!」と言われます。


その分返せているのかわかりませんが、時々食卓のほとんどはいただきもの

という事もあります。

アシュタールがそっと離れてくださいと言ってもわからない!と

いつも心の中で文句言ってましたが、もしかしてこういう事なのかな?と

はじめて気が付きました。

例をあげてもらえるととても理解しやすいです。



>なっちゃんさん

初めまして。

なっちゃんさんのコメントを読んで、もし、毎日の食卓が誰かからの頂き物で

占められている毎日になったら、下さった方への感謝しか生まれないし、

自分が消費出来る以上の物を得ようなんて思わなくなるな~と思いました。



>ゆりさん

はじめまして~反応してくださりありがとうございますm(_ _)m

そうですね、感謝しかないです!大体くれるのはお年寄りさんなので、

草刈りを代わったり孫を預かったりとそんなことでもしかしたらお返しに

なってるのかな?という感じです。

当たり前になりすぎて気が付かなかったけど、

これってとても豊かな暮らしなのだなと思います(^O^)


<ここまで>


コメントをくださった、なっちゃんさん、ゆりさん、ありがとうございました^^


では、今日はさくやさんからのメッセージをお伝えしますね^^

「堅苦しく、難しく考える必要はないの。

ただ、出来ることをしあえばいいの。

生活の中で手を貸しあえばいい・・それが横並びに提供しあう社会なの。


小難しく考えてしまったり、大きなことを考えてしまったら、行動する前に

疲れてしまってやる気が無くなってしまうわ。

ただ、手伝い合う・・それだけなの。


ちょっと前、昭和30年代くらいまではみんな当たり前のように

していたこと。

近くに住んでいる人たちが手を貸し合って生活していた。

ちょっと作り過ぎたからって野菜やおかずを持って来てくれたりする生活。

ちょっと子ども見ててくれる?いいわよ・・っていう会話が出来た。

仕事場も家も近かったから、子どもも親のそばにいつもいられたし、

近所の子ども達と一緒に遊んでたし、近くの大人たちは子ども達を

みんな自分の子と同じように考えて目をかけていたから安全だったしね。

だから、保育所もほとんど必要なかったわ・・


怪我したり、年をとったりしても、そういう付き合いがあったら何も

困らないの。

怪我したり病気になっても近所の人たちが手を貸してくれた。

年をとっても必要とされることがたくさんあったから何もすることが

無くてさみしい思いをすることもなかった。

定年になったとしても地域の中で出来ること、必要とされることがたくさん

あったから、忙しくて、楽しくて、ボケてるヒマなんてない。


人々が手を取りあったら何でも出来るのよ。

いま、どうしてこんなに窮屈な社会になってしまったか?

それは分離させられてしまったから・・支配者たちはあなた達庶民が

手を取り合うことを嫌がっているの。

だって、あなた達庶民が手を取り合って、みんなで一緒に生活をし始めたら

怖がらせることが出来なくなるから。


孤独にさせ、孤立させ、すべてを自分一人でしなければいけないと

思い込ませておけば、人々は疲弊し考えることが出来なくなるから。

そして、人間不信にさせておけば助け合うなんて言う発想も出来なくなるから。

だから、お互いを疑心暗鬼にするようなドラマや映画をたくさん作る。

人は信用出来ませんよ・・と、人を見たら泥棒と思えと教え込むの。

子どもにも、不審な人と話をしてはいけないと教え込み、大人が挨拶を

しても無視するようになる。


子どもと大人、近所の付き合い、をズタズタに切り裂いて孤立させ、

疲弊させ苦しい生活をさせるように持っていっているの。


庶民が手を取りあえば、いまあなた達が困っていることはほとんど

解決するのよ。

保育所も必要なくなるし、怪我や病気をしても誰も助けてくれないと思って

不安になる必要もないし、年をとっても淋しくない。


人が社会を創っているの。

人がいれば何も困らない。

お金というものが無くなっても生活は何も困らないの。

反対に貧富の差なんてなくなるから、つまらない見栄の張り合いなど

しなくてすむようになり、何かにつけて比較することもなくなり、

気持ちも平和になる。


ね、そういう生活出来るのよ、実際にちょっと前までやっていたんだから。

そういう生活を知っている人たちもまだたくさんいるわ。

知っている人たちに聞けばいいの。

そうしたら具体的なイメージが出来る・・

イメージが出来れば現実化は出来るの。


孤立して、競争ばかりして、どっちが上でどっちが下? 勝ち組負け組って

いう争いをするのも面白い経験かもしれないけど、そういう経験は

もういいわって思うならば、争わない方向で考えることも出来るのよ。

みんなで手をつなぎ合えばいいだけ・・自分が出来ることだけを提供する

それだけで十分に社会はまわっていくの。

ちょっとだけ視点を変えてみて・・そうすれば見えなかったたくさんの

道が見えて来るから。

ゆっくりでいいから・・思考が変われば必ず現実は変わるから。

そういう生活も出来るってことを知るだけでも大きく変わって来る。


肩ひじ張って大きな事を考える必要はなくて、生活の中でどうしたらいいか?

どうしたいか?を考えてね。


あなた達をこころから愛してるわ~~」


ありがとう、さくやさん!

私たちもさくやさんをこころから愛してるよ~~^0^


(ここまで)


昭和の30年代40年代というのは今と違ってホントに近所同士のつきあいは多彩

でした。町内会の催事があれば奥様方が駆り出され料理の準備とかをしたり

余り物があればどこぞの家に持って行って「余ってしまったんだけどどうぞ」と

いつもの当たり前のような感じであげたりもらったりしていました。

近所の子供は学校が終われば、そのあと夕方になるまで10人くらい集まり

かくれんぼ、石けり、おにごっこなどをして遊んでいたし、近所の各家庭でも

誰もが誰の子供で何年生でどんな子供かということまで把握していました。

だから、いやずらなんかすると、どの家庭の親からでも怒られました。

近所の子供同士遊びに行きかうのも自由だったし、今のように一人でゲーム

なんてことはほとんどありませんでした。

子供同士のけんかでもあれば、夕方になれば相手の家に子供を連れて謝りに

行ったものです。今のように先生にすべてまかせるということもありませんでした。

いじめも当然ありましたが、今の様な陰湿さはないので、むしろひとつの成長

過程のように見られてました。しかし、度が過ぎると先生から呼び出しをくらい

説教されるかぶん殴られる生徒もいました。

昔はげんこつで殴るのは当たり前でしたが、先生も殴り方を知っていたので

それほどダメージはありませんでした。

今はめちゃくちゃですね。場合によっては命にかかわります。


話がそれてしまいましたが、互いに助け合える社会というのが当時はまだまだ

あったということです。



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破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:良い人生だったと思えるか・・・」 [アセンション]

破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:良い人生だったと思えるか・・・」



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今日の破・常識!



私は、いつ死んでもいいと思える人生を送っているか?

(あ~、良い人生だったと思えるかどうかということです)

そして、自分がご機嫌さんでいられるように

どんな現実であっても納得できるように、

自分のために常に選択しているか?

この2点を常に意識していてください。byアシュタール


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今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。







「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

常に”死”を意識してください。

こういうと、すごく怖くなりますか?

あなたの意識エネルギーは不滅です。

永遠に続きます。

でも、いまのテラ(地球)用に装備して来た肉体の身体は、

いつかは脱がなければいけません・・

それが”死”といわれる現象です。

ですから ”死”は何も怖がることではないのです。


あなたは、テラで楽しく遊ぶためにテラに適した装備を整えてきました。

深海に潜って深海を体験するためには、それなりの装備が必要ですね。

山登りをするにも、それに適した装備を用意しますね。

でも、その装備を脱いだところで、あなた自身は何も変わりません。

それと同じだと思ってください。

そして、それはいつ脱ぐかは、あなたにはわかりません。

本当は、それを脱ぐタイミングもあなたが決めているのですが

いまのあなたのマインドではそれを知ることが出来ないのです。

いつ脱ぐかわからないのですから

いつ脱いでもいいように意識しておいてください・・

ということをお伝えしたいと思います。

そうすれば、あの時こうしておけばよかった・・

と思わないですみます。

あなたは常に何かしらの選択をしています。

そして、その選択によってあなたの現実は変わってきます。

体験することが変わってきます。

ですので、常にあなたにとっての

最善の選択をしていただきたいと思うのです。

我慢したり無理したりすると最善の選択が出来ません。

最善の選択をしなければ、あなたの人生は、

あなたにとって最善のもの

ご機嫌さんなものにはならないのです。

わかりますね?

そのためには、自分の人生は、自分のものだ・・ということも

常に強く意識していただきたいと思います。

自分はいつこの身体を脱ぐかわからない・・

そして、自分の人生は自分のためにある

自分のために使う・・いう意識があれば、

他の人のことを考えて?優先して?

選択することがなくなります。

私は、いつ死んでもいい

(これは投げやりな考えからのものではありません・・

いつ死んでも、あ~、良い人生だった

と思えるかどうかということです)と思える人生を送っているか?

そして、自分がご機嫌さんでいられるように

どんな現実であっても納得できるように、

自分のために常に選択しているか?

この2点を常に意識していてください。

そうすれば、いまの人生を楽しみ切ることが出来ます。

ずっとご機嫌さんでいることが出来ます。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」



ありがとう、アシュタール! 


(ここまで)



自分がいつ死んでもいいと思えるか?

と問われると、まだまだ死ねない!です(笑)

まだまだやりたいことがあるんですね。

というより、アシュタールのメッセージを聞く前まではそれほど自分の

人生を中心に考えていなかったからですね。

何かと他人のためとか、他人の意識に動かされてということが多かったので

自分の意思で人生を選択することが少なかったと思います。

だから、今、それを少しずつやっているところなので、まだまだやりたい

ことがあって生きていたいというのが正直な気持ちです。

でも、いつかはこの身体を脱がないといけないんですね。

だから、いつ死んでもいいと思う気持ちで生きていたいと思うのです。



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