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オレンジャーからのメッセージ「自分解放宣言」 [アセンション]

オレンジャーからのメッセージ「自分解放宣言」




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おれはオレンジャー!

君たちは
自由を感じているか

自分の自由を
ちゃんと守れているか


リアルな現実に
縛られていないか

上司や会社に
縛られていないか

お金や借金に
縛られていないか

パートナーや家族に
縛られていないか

ある特定の
価値観や義務感に
縛られていないか

時間や空間に
縛られていないか

自分自身に
縛られてはいないか


縛られ続けていると、
その状態になれてしまい
人生は奴隷化する


奴隷の人生を
歩んではならない

だって
あなたたちは
奴隷になるために
生まれてきたのでは
ないのだから

もっともっと
自分を解放してみよう

新しいあなたは
そこから生まれてくるよ


今日はこんなところだ
じや!


(ここまで)



もし、一時でも自分を解放したいと思ったら

山登りやハイキングみたいなことをして2~3日山にこもってみるのが

良いですね。

俗世間を忘れられますよ。




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世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:放っておいたら愛を表現し始めるのです」 [アセンション]

世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:放っておいたら愛を表現し始めるのです」



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今日のアシュタールからのメッセージをお伝えしますね^^

「こんにちは こうしてお話できることに感謝します。

平和な世界を創りたいと思うならば、ご自分を大切にしてください。


人に尽くすことがいいことだ、人のために生きることが素晴らしい生き方だと

言われていますが、それは宗教的概念です。

本質が理解されていない考え方です。


人のことより自分のこと・・なんて自己中心的ことをアシュタールは言うのでしょうか?

・・と思われると思いますが、その理由を今からお伝えしますね。


まず、自分のことを考える、自分を大切にすることによって、満足することが出来ます。

自分が一番気持ちのいい状態にいること、それはご機嫌さんになれるということです。


人に合わせたり、我慢したりしなければ、ご機嫌さんでいられます。

ご機嫌さんでいるとどうなるでしょうか?


寛容になれるのです。

自分が満足し、エネルギーが満タンの状態でいると、

人のことにいちいち目がいかなくなります。

干渉しなくなるということです。


どうして人は、ほかの人に干渉したくなるのでしょうか?

それは、コントロールしたくなるからです。

他の人を自分の意見に従わせたくなるからです。


では、どうしてコントロールしようとするのか?

それは、エネルギーを得たいからなのです。

我慢しているとエネルギーが不足しますので、

他の人からエネルギーを補充しようとしてしまいます。

それがエネルギーバンパイアなのです。


人を自分の支配下に置き、自分が優位な立場だと思い、

人を自分の都合よくコントロールすることでたくさんのエネルギーを

補充することが出来るのです。


ですから、人に干渉し、自分のやり方、自分の思考を正しいものとして

押し付けようとするのです。


人は、コントロールのエネルギーを感じると不快になります。

そうですね・・

ですから、何とかコントロールのエネルギーを拒否しようとします。

それでケンカになったりして不調和な関係が出来てしまうのです。


ですから、ご機嫌さんでいればエネルギーが満タンになっているので、

人からエネルギーをバンパイアしようと思いません。

他の人がどう考え、どう行動しようと、干渉する必要がないのです。

ですから、コントロールのエネルギーを感じることがありませんので、

他の人もご機嫌さんでいることが出来るのです。


みんながご機嫌さんでいれば、みんなが干渉しませんので、

またご機嫌さんの波が大きくなっていきます。

だから、ご機嫌さんな平和な世界ができるのです。


人のために平和を望むならば、テラ(地球)のために

平和な世界を望むならば、あなた自身が平和になってください。

ご機嫌さんでいてください・・ということです。


みんなが自分のことばかり考えて好き放題したら、

秩序がなくなりひどい世界になります・・

とご心配なさる方もいらっしゃるかもしれませんが、

そういうことはありません。


ご機嫌さんな人は寛容になります・・とお伝えしました。

あなたもご機嫌な時はどうですか?

人に意地悪なことを言ったりしたりしたいと思いますか?

人から何かを盗りたいとか思いますか?


思わないですね・・反対に何かを差し上げたいと思ったり、

楽しく付き合いたいと思いますね。

そういうことなのです。

犯罪が横行するのではないか??と心配する必要はまったくないのです。


ご機嫌さんなときは愛のエネルギーが満タン状態です。

愛のエネルギーというのは、相手に対する尊敬と感謝の気持ちです。

そのような気持ちのときに、人がいやがることはしません。


人はもともとが悪い気質がある・・と宗教などで言われているようですが、

まったく反対です。

人はもともとはとてもステキな存在なのです。

放っておいたら愛を表現しはじめるのです。


ご機嫌さんになったら、愛を表現しはじめるのです。

ですから、放っておいたら(好き勝手にしはじめたら)平和なご機嫌さんな世界を

創造しはじめるのです。


それをされたら困る人たちがいます。

愛を表現しはじめ、平和な世界を創造されたら、波動が軽くなってしまいます。

波動が軽くなってしまわれたら、あなた達を支配・コントロールしている存在が

影響できなくなってしまうからです。


いうなれば、あなた達の世界を支配・コントロールしている究極の

エネルギーバンパイアが困るということです。


ですから、反対のことばかりをあなた達に教えるのです。

あなた達がご機嫌さんにならないように、手を変え品を変え教えるのです。

一番使われているのが宗教的概念だということです。


あなた達がいま置かれている支配下、コントロール下から抜けたいと思うならば

とにかくあなたがご機嫌さんでいられることを選択してください。

そうすれば、あなたの波動は軽くなり、支配・コントロールの重い波動から

そっと離れることが出来ます。


ご機嫌さんな人、自立した人がいる世界が平和な世界なのです。

個々がそれぞれ自分の好きなことをして、

ご機嫌さんでいることが平和な世界を創るカギです。


あなたに愛をこめてお伝えいたします。」


ありがとう、アシュタール!感謝します。


(ここまで)



平和な世界を創りたいなら、まず自分自身が楽しく満足した状態でいられることを

目指すというのはなぜなのか?

ということになろうかと思いますが、それはタイムラインあるいはパラレルワー

ルドを変えるためです。

つまり、楽しく満足した状態にあるということは自分自身の波動も軽くなるので

それに対応したタイムラインを創り出し、パラレルワールドに移行するからです。

誰かのためにという姿勢でいるといつも自分自身を犠牲にしなければなりません。

それは身体的なものであったり、時間であったり、精神的なものであったりします。

それが続くと最初は何でもないように思っていたのが、助けてあげた相手が仮に

あまり感謝してないようだったり、逆に非難されたりしたときに感じる心の苦痛は

計り知れないものがあります。そんなときって楽しくないですよね。

だから、こうしたことは我慢しながらいつか自分に幸せが巡ってくると思って

続けていると思うのですが、そんなときは決してやってきません。


そのため、無理を続ければ延々とそうした状態が繰り返され、いつになっても

安らぎを感じることは出来ません。

確かに助けてあげた相手から感謝されることはあります。

そうしたときにはそれまでの苦労がいっぺんに吹き飛んだ気持ちにはなるのですが

いつもいつもそうとは限りません(ここが問題なのです)。

自分が楽しく満足した状態でいるようにするならば、それは長続きします。

たとえ、途中で嫌なことがったとしてもすぐに気持ちを切り替えられるでしょう。

ボランティアなんかもそうですが、やはり自分の身体が資本であり、続けるため

には体力が必要で健康でいることが必要です。

それを維持するのも大変なことでしょう。

考えてみてください。どうして自分がボランティアをやろうとするのか・・・。

もしかしたら、助けてあげた人の笑顔と感謝の言葉がうれしいから・・・。

というのが本音ではないでしょうか?

そうすると、それはある意味エネルギーバンパイアと同じことになります。

いつもいつもその感謝の言葉と笑顔を求めることになるので、どこかの時点で

心が擦り切れてしまうのを感じることがないのだろうかと思います。

それより、自分が楽しくいる状態を保つことでその輪を広げることの方が良いと

思えるのではないかと思います。

自分が楽しければ周囲の人々もそれにつられて楽しい気分を味わえます。

それに加われない人はそれはそれで波動の異なる人だと考え、そうした輪に

早く入れるように願うのがいちばんでしょう。








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破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:個性をつぶすための病名・・・」 [アセンション]

破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:個性をつぶすための病名・・・」





(ここから)


今日の破・常識!



発達障害だの、アスペルガー症候群だの、

ADHDだの、という病名。

子どもたちの個性をつぶすための病名・・・らしい。



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今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。







「こんにちは こうしてお話し出来ることに感謝します。

何度もお伝えしていますが、発達障害やうつ、

統合失調症などの病気はありません。


あなた達の社会システムの中で、これが標準の人間です・・

と言うモデルケースから少し離れている人たちに対して

都合が悪いので病気だということにしているだけです。

あなた達のピラミッド型の社会システムは、個性はいらないのです。

みんなが没個性になって、権力者

(あなた達を支配・コントロールしている存在)のいうことを

ただ黙って従う人を育てたいのです。

右を向いていなさい・・と命令されると

何も疑問を持たずただ命令されるがままに右を向き続ける人・・

それがあなた達の社会システムでは良い人であり、賢い人であり、

素晴らしいと賞賛されるのです。

それが、ピラミッド社会のモデルケースになる人なのです。


学校システムの目的は、そのような従順な子ども(人)を育てることです。

勉強を教えるなどということは二の次であって

まずは鋳型にはめることだけが優先されます。

勉強と言っても、彼ら(支配者)達の都合の悪いことは一切教えず

真実から遠い事ばかりを複雑にして

訳が分からないようにして教えているだけです。

波動エネルギーに関しては絶対に教えてはいません・・

なぜなら、それを知られてしまうと

彼らのいうことを聞かなくなってしまうからです。


学校は鋳型工場なのです。

鋳型にはまらず、都合よく動いてくれない子供たちは

レールの上から弾いて行くのです。

弾くための言い訳が・・発達障害だの、アスペルガー症候群だの、

ADHDだの、という病名です。

子どもたちの個性をつぶすための病名です。


子どもたちは個性豊かです。

元気で走り回ることが好きな子もいれば、

静かに本を読むのが好きな子もいます。

好奇心が旺盛で大人を質問攻めにする子もいます。

静かに本を読む子はある意味扱いやすい子として、

良い子だねと褒められます。

でも、元気でじっとしているのが苦手な子や、

いろいろ質問して来る子は、大人にとって

めんどくさい子と認識されてしまうのです。

めんどくさい子は、レールから弾いたほうが楽なのです。

そして、病名をつけてめんどくさいことを言わなくなるように

静かにさせる(頭をボーっとさせて考えなくなるような)

薬を飲ませるのです。

身体を動かすのが好きな子どもは、

気が済むまで走りまわさせればいいのです。

パワーを発散させれば、落ち着き静かになります。

パワーを発散出来ないから、落ち着かないだけです。

ADHD・・多動症は、パワーを発散できなくて

パワーを持て余しているだけのことです。


お腹が空いたり、疲れたり、眠いと強いかんしゃくを起こす子どもは、

発達障害と言われますが、当たり前のことではないですか?

誰でも、自分の生理的な欲求が満たされなければ、イライラします。

イライラしている気分の時に、怒られながら

したくもないことをするように要求されれば

暴れたくなるのは当たり前です。

暴れたから、病気と診断するのはナンセンスにもほどがあります。

子どもの要求を却下して、大人のいうことを聞かせようとするから

子どもは問題行動と言われる行動をするだけのことです。

それは問題行動でもなんでもありません・・

子どもの主張にすぎないだけです。

何から何まで管理して、大人の(支配者達の)

都合のいいように育てようとするから、

子どもたちがいうことを聞かなくなるのです。

それは病気ではありません。


鋳型にはまらない強い個性を持った子どもだということです。

パワフルで、自分の考えをしっかりと持った子どもたちなのです。


権力者(教師もそうです・・子どもたちにとっては

権力者なのです。)にとって都合が悪いから、

どう扱っていいのかわからないから

病名をつけてレールから弾いているだけのことです。

学校システムがあまりにも窮屈になってきてしまっています。

鋳型の形に少しでもはまらない子どもたちを、

どんどん弾いているのです。

そして、自由な子どもたちが増えています。

だから、こんなに病名が増え、病気だと診断される

子ども(大人も)増えているのです。

病気でもなんでもない人たちを、病気だと言っているだけです。

そして、これはまた余談ですが・・

病気の人たちが増えてくれば医療業界も儲かりますので。


子どもたちの個性を重視してください。

モデルケースにはめ込もうとしないでください。

子どもたちは盆栽ではありません。

自由に好きに楽しませてあげれば

子どもたちは自分の道を自分で見つけます。

そして、とてもパワフルに輝くのです。

子どもだけではありません、大人もです。

病名に惑わされないでください。


あなたに愛をこめてお伝えいたします 」



ありがとう、アシュタール! 


(ここまで)


しかし、世の大人たちは、特に教育者にあっては医者の言うことは何でも

素直に信じてしまうのでしょう。

疑問を持つことを許さない教師だからこそそうなるのでしょう。

もし、自分がこれはADHDとは言えないのではないか?

と疑問を挟んだ時点で教師失格ですからね。

だから、教育現場からは「それはおかしい」という声は出て来ないのです。

出てくるのは子供を持つ親からです。

しかし、それはごく一部の親であり大部分は疑問もなしにわが子はADHD

だと思い、医師の処方に素直に従うのです。

それが始まってしまったら子供はとてもつらいことでしょう。

たとえ、つらくても「病気を治すためだから・・・」と言い聞かせ

従わせようとします。

なぜなら、何もわかっていないからです。


また、親がそうでないと思っていても周囲の教師、教育委員会、PTA

などなど子供を取り巻く人々から非難と嘲笑を受けるのでとてもつらい

思いをしているはずです。


そのまま、自然に育てば本当に感受性豊かで素晴らしい大人に育つのに

と思うのですが、今はかなり難しいのかもしれません。

だから、このメッセージを読まれている方はもし子供がそうならば

周囲の非難に負けず、自らの信念を貫いて欲しいものです。








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