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世にも奇妙なフツーの話「ミナミさん:その言葉がいやでねぇ~~(苦笑)」 [アセンション]

世にも奇妙なフツーの話「ミナミさん:その言葉がいやでねぇ~~(苦笑)」




(ここから)


年をとると、介護が必要になる・・という図式が出来上がってる??

よくね、お嫁さんと仲良くしておかないと、年とった時に来てもらえなく

なるよ・・とかっていう言葉を耳にするんですよ。

特にお嫁さん限定が多いですね・・なんでだろう??

お嫁さんっていうことは、息子がいるってことでしょ?

なのに、どうしてお嫁さんに来てもらうということが当然になってるのかなぁ~


かくいう私も、結婚しているときによくお姑さんから言われましたね。

私が年とって身体が動かなくなったらお願いね・・・って。

その言葉がイヤでねぇ~~(苦笑)

何でやねん、なんで介護が前提なん?それも私限定?息子も娘もいるやん・・って、

すごく”心の中で”反発してましたよ^^;


ま、その話は置いといて・・世間全般、年とる=介護が必要になる・・という

図式が出来上がってる気がするんですね。

来てくれる人が居なきゃ、介護施設(老人ホーム)に入るしかないとかね。

どうして、元気で死ぬっていう話にならないんだろう??


・・・ということで、今日のアシュタールからのメッセージをお伝えしますね^^

「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

思い込まされてしまっているのです。

年をとると、ボケる、寝たきりになる、何もできなくなる・・・と刷り込まれて

しまっているのです。

そう刷り込むと、たくさんのビジネスが出来るからです。

寝たきりになりたくない、ボケたくない、などと思って、医療器具、運動器具、

サプリメントなどがたくさん売れます。

そして、介護施設にも需要が増えるからです。

保険にも入ってくれます。

とてもよいビジネスになります。


身体は思考が創っています。

ですから、年をとるとボケる、何もできなくなる・・と刷り込まれてしまうと

本当にそうなるのです。

介護してもらわなければ・・と思ってしまうと、精神的にも何かにすがろうと

してしまいます。

介護してもらうために、誰かにすがる、誰かのご機嫌をとらなければいけない。

反対に自分の立場を高く主張しておかなければいけない・・などと言う考え方も

出て来てしまうのです。


大丈夫です。

好きなことをしていると、人はボケる(ボケという病気はありません)という症状も

寝たきりになるということもないのです。

介護が必要になるような状況にはなりません。

確かに、体力的な部分では20代の頃のように走ったりすることは難しくなるかも

しれませんが(それもやろうと思えばできるのですが)身の回りのことをするのに

何も支障はないのです。


好きなことをしていると、そんなことを考えるすき間がなくなります。

好きなことをもっと楽しむにはどうしたらいいか?・・というところに思考が

いきますので、ボケてるヒマなどなくなるのです。

ボケるという症状がでるのは、することがなくなってしまうからです。

やることがなくなると、自分の頭の中で遊びはじめるのです。

その遊びに夢中になってしまうと、まわりの人たちと話が合わなくなってしまいます。

それがまわりから見るとボケたという症状に見えるのです。


そして、好きなことをしていないと身体も動かなくなってしまいます。

身体は、何かをしたいと思うから動くのです。

したいと思う思考が身体を動かしているのです。

ですから、何もすることがなく、思考も動くことがなければ身体も動かなく

なってしまうということです。

身体は意欲で動きます。

意欲がなくなると動かなくなるのです。

そして、寝たきりという症状になるのです。


これは余談ですが・・

ですから、お年寄りと呼ばれる人(イヤな響きの言葉ですが)から、意欲を

取り上げないでくださいね。

もう年なんだからじっとしてなさい、私たちがするから何もしなくていいです、

そして、恋愛に関しても止めないで上げてください。

身体は(共有意識と連動して)年齢に見合ったものとなりますが、精神的には

若いころと何も変わらないのです。

それなのに、精神的なところまで年齢を押し付けないでください。

あなた自身にもです。

もう○○才だから、そんなことは出来ない・・と年齢を考え、自分に制限をかけないで

くださいね。


好きなことを楽しんでいれば、意欲がわいてきます。

意欲はエネルギー(パワー)です。

エネルギー(パワー)があれば、何でもできるのです。

ボケたり、寝たきりになったり、介護を必要とするような状況にはなりません。


年をとれば、介護が必要になる・・というのは、あなた達を怖がらせ、不安にさせ

お金を儲けようとするビジネスです。


年をとっても、好きなことをしてご機嫌さんでいれば、介護を必要とするような

状況にはなりません。

好きなことをして、意欲をわき立たせていてください。


あなた達から搾取している人たちのビジネスモデルにハマらないでください。


あなたに愛をこめてお伝えいたします。


ありがとう、アシュタール!感謝します。


(ここまで)


もう年を取ってくると決まって話題は「介護」と「病気」です。

そして、今から介護されるようになったときに必要な介護施設に入れないと

大変と言う話題に流れていきます。

そして、誰々の親がどこの施設に入れたとか、いくら費用がかかるからとか

あるいは年金だけでは介護施設にも入れないという話題に落ち着きます。

これは介護施設で月々に必要な費用が毎年値上がりしているので、おそらく

5年後くらいには今の50代くらいの人は年金だけでは入れないでしょう。

そして、介護施設は今満杯状態で入れるまで数年待たされるということも通説に

なっていて、「入れる人はいいね」とか「私はすでに入る予約ができる状態にして

ある」という人も中にはいます。


これって、もう年老いたら完全に介護施設に入るというエスカレーターが出来

上がっているという構図で、当然そうなると自分で未来を決めていることです。

言っている当人は気づいていないかもしれませんが、完璧にそうした人は介護

施設行きになることでしょう。

ボケや認知症もそうですが、これも合言葉のような有様です。


こうして今の人は年老いていくんですね。

自分でレールを決めながら・・・。


もともと介護施設と言うのは特別な場合だけ入るような感じでした。

かっては病気や弱った人は病院で数年以上過ごすような状態でしたが、政府が

医療費削減のため、介護保険制度を作りそうした人はすべて病院ではなく介護

施設やホームスティ、デイサービスなどを利用するように変えてきました。

それが全国的に介護施設の建設ラッシュ状態が続きました。その原因の一つは

介護保険制度を利用した収益を当てにする業態にあります。

最初はほとんどの人が介護施設は医療施設に近い要件が必要でしたが、徐々に

緩和され多くの業種がそこに流れ込みました。食品産業、建設産業、人材派遣

産業、医療産業、製薬業界、介護用品業界など多くの関連産業がありますが

ほとんどがそれで飯が食え儲けられるという意図は背景にあったと思います。


考えてみれば、年老いても病気にならなければ、身体が弱くならなければ本来

入る必要もないし、そうした介護施設さえ必要ないもので、本当に必要な人に

用意されるべきものです。

テレビ、マスコミ、新聞、ネットなどによる情報がその認識をそうさせる大きな

要因になっていると思います。

このまま行けば日本人は介護大国になってしまうでしょう。









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破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:自然の摂理・・・」 [アセンション]

破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:自然の摂理・・・」




(ここから)


今日の破・常識!



生まれるのも自然に任せておけばいいように

死ぬことも自然に任せておけばいい・・・らしい(笑)



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今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。







「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

死ぬことにそんなに興味を持つ必要はないと思いますが・・

とにかくあなた達は死に対して大きな恐怖を持たされているので

心配するのも仕方無いと思います。

本当にそんなに心配する必要はありません。


死は、自然なものです。

その時のことはちゃんと出来ています。

生まれるのも自然に任せておけばいいように

死ぬことも自然に任せておけばいいのです。

生まれる時、お医者さんか看護師さんなどの

手を借りるかもしれませんが、それはただの手助けであって

お医者さんが産ませてくれるわけではないのはわかりますね。

自然に生まれてくるのです・・最近は、手を出し過ぎるので

反対に苦痛が大きくなっている傾向はあります。

勝手に出産の時間を決め、それに合わないと

無理に薬などで出産させる(促進剤?)というのは、

自然の摂理に反していることなので余計に苦痛を伴うのです。

生まれる時には生まれます・・

その母体と子どものタイミングがあるのです。

あまり手をかけないでいた頃の方が出産は楽でした。

自然に任せていたころは、ほとんど苦痛なく出産出来ていました。

自然に任せていたら、危険が大きいのではないですか?・・

という質問が聞こえてきますが

いまのように病院で管理のもと出産するような時代の方が短いのです。

それまではほとんど自然に出産していましたが、

人類が途切れたことはありません。

人類が減少することもありませんでした。

ということは、自然な出産でたくさんの人が実

際に生まれて来ていたということです。


死ぬときもそうです。

死ぬときは、自然に死ぬのです。

それを無理に伸ばそうとすると苦しくなります。

死ぬ前は、体力がなくなっていきます。

体力がなくなると、気力もなくなります。

気力がなくなるということは、生に対して執着しなくなるということです。

だから、死を自然と受け入れられるのです。

執着がなくなるから、怖くなくなるのです。

だから、楽にスーッと死ねるのです。

執着があるから抵抗するのです。

死に対して抵抗するから、苦しくなるのです。

分かりますか?

死を怖がったり抵抗したりする気力がなくなれば、

自然にスーッと行くことが出来ます。

そして、体力、気力がなくなって、

それを自然に受け入れる時が来たら

頭の中に準備されているカプセルが割れて、

快楽ホルモンが出て至福の中で身体から抜けることができるのです。

体力がなくなって来て、気力もなくなって来ると、

死への恐怖、心配も消えてしまいます。

だから、カプセルが割れるまで辛いんじゃないかと

心配する必要はありません。

自然に任せておけば大丈夫です。


死は怖いものではありません。

ただ循環が起きるだけです・・形態が変わるだけのことです。

液体の水が蒸気になるだけの話です。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」



ありがとう、アシュタール! 


(ここまで)


昔はと言っても私の子供の頃ですが、当時は自宅で死ぬ人の方が多かったと思います。

だから、おじいさんでもお婆さんでも死期が近づくと床に寝たきりになりますが

特に何かをするということもありません。

身体はまだそんなに弱っていないので食べ物も寝ている状態で食べさせることが

出来ます。それができなくなってきたときにやっと死期が近づいたと本人も周りの

家族も悟るようになります。

あとはじっと死を待つのみで、数時間あるいは数日以内に臨終が近くなれば近所の

お医者さんを呼び死亡の判定をしてもらいます。

それでお終いです。

後は通常の葬儀の準備をします。

だから、自宅で亡くなるというのは病気をして入院してない限りごく普通のことでした。



しかし、現代は違いますね。

ほとんどの人が病院で亡くなります。

それには病気で老後を迎える人が多いのと老人ホームの普及がそうさせています。

老人ホームの場合は具合が急変すると病院へ搬送されますのでそうなります。

むしろ健康で老衰による死を迎える人の方が少ないようです。

また、自宅で亡くなると警察が死亡経緯をことさら詳しく家人に聞くことになり

それも相当厳しく犯罪者扱いのように取り調べられるそうです。

これは殺人か否かを判定するためなので致し方ない面がありますが、それが嫌がられる

のも病院で亡くなるケースが増えている要因かもしれません。


病院に搬送されると確実に死ぬことがわかっていても必死に延命治療が行われます。

これは病院が生きる権利を阻害したと思われないためと延命治療による収入を確保

出来るという側面があるからですね。

したがって、ほとんどの人は亡くなる直前まで苦しい思いをしていることでしょう。


私たちは必ずいつかは死ぬ存在ですが、考えてみると死を前にする心配事も多いような

気がします。

それは病気だったり、身体の弱化です。

そうなると思いこまされているので、そうした意識が働くのでしょう。

アシュタールの語るようにストレスのない生活を続けられればそうそう老いていくことは

ないと思います。

だから、死はそのときになって考えればいいことですね。







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