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オレンジャーからのメッセージ「歴史を創る」 [アセンション]

オレンジャーからのメッセージ「歴史を創る」



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おれはオレンジャー!

昨日の元号が
発表されたことによって

様々な波紋が
世界を巡っている

新元号にあやかって
何かを始めたり

新元号の由来について
賛否両論の議論が
湧き上がったり

その反応は多種多様



この新しい元号に
どういう意味を
与えていくかは
君たち次第

言葉の出典や
文字の意味に
囚われるのではなく

この元号の歴史が
幕を閉じるときに
令和という時代を
どう伝えたいのかを
考えてみたらいい

「令和」の時代に
命を吹き込むのは
これからの
君たち一人ひとりの
意識と生き方

自分自身が
令和の時代の
主人公であることを
忘れないでほしい

今日はこんなところだ
じや!

(ここまで)


新元号「令和」について外務省が英語訳として「Beautiful Harmony」と説明しているという

話を菅官房長官が「初めて聞いた」という笑えないニュースがありましたが、この

「Beautiful Harmony」は良いですね。

どういう意図があってこうした英訳を考え出したのか知りませんが外務省にしてはクリーン

ヒットです(笑)。


先日私が危惧したのは令和の「冷」の受け取り方が命令や指令、律令に通じた支配される

あるいは命令を受ける、そうでなければ冷たい印象を多くの国民が持つ可能性があるので

時代の雰囲気がそうした流れになっていくのではないかと案じたからでした。


でも、オレンジャーが言うように言葉の意味にとらわれずに新しい時代を新しい感覚で創り

上げていくという気持ちの方が大事だという事には納得でした。

結局歴史を創るのは人であり、その人々の思考によるものです。

だから、これまでとは全く違う縄文時代に通じる新しい日本を創り上げていく心構えを

持って始めれrタイムラインもそうした方向に流れていくだろうと思います。




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世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:もっと違う方法を教えてください 」 [アセンション]

世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:もっと違う方法を教えてください 」




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今日のアシュタールからのメッセージをお伝えしますね^^

「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

あなたの現実は、あなたの思考が創っているのです。

それは、毎日のようにお伝えしています。

思考が先、現実はあと・・あなたの思考がすべてなのです。


そこまでは大丈夫ですね?


では、いま何か悩み?問題?があるとします。

その問題を解決するには、原因を取り除くしかないのです。

そうですね。

その原因は、あなたの思考です。


たとえば、パートナーとうまく行かない・・という悩みがあるとします。

ならば、パートナーとちゃんとお話しすればいいのではないですか?・・と

いうことになりますね。

二人がすれ違っている原因、誤解を生じているならばその誤解を解かなければ

ふたりの関係はもとには戻りません。

そうですね・・ならば、話をしてください。


でも、それは怖い、もし話をして悪い方向へいってしまったらどうします??

・・という怖れから、話をしたくないとあなた達は言います。

もっと違う方法を教えてください・・とあなた達は言います。

何かエネルギー的なところでうまく行くようなワークはありませんか?

私が変われば何とかなりますよね?

・・と、違う方法を求めてしまいます。

でも、それでは解決にならないのです。

話をすることを怖れていては、エネルギー的なワークをしても何も変わりません。

自分が変われば何とかなりますか?・・と言うご質問も、それは表面的な平和を

保つために自分が我慢します・・と言っているのと同じなのです。


不安、怖れからやりたくないこと・・・それが原因なのです。

ですから、私が解決するためにおすすめする方法は、一番したくないこと・・

ということになってしまいます。


なにか悩みがあるとき、あなたはもう自分で解決方法を知っているのです。

でも、それは一番したくないことなので、気がつかないふりをして目をつぶって

しまうのです。

そして、他にそれを解決する方法はないかと、他の人に聞いているのです。


自分のしたくない方法(しっかりと話しをする)などではなく、違う方法を

教えてくれる人を探してしまうのです。

でも、それでは解決しない・・だから、また違う方法を探す(誰かに聞く)

ということになってしまいます。

それでは、いつまでたっても根本的な解決にはなりません。


何が原因か、そして、その原因を取り除くためにはどうしたらいいか・・

それをしっかりと目を開けて見てください。

そして、しっかりと向き合ってください。


怖いのは分かります。

それをしたくないのも分かります。

でも、それをしないと解決出来ないのです。

悩みや問題をあなたの人生から取り除くことは出来ないのです。


怖いと思うこと、一番したくないと思うこと・・に、解決方法がかくされています。

イヤですね・・分かります。

でも、勇気を出してください。

勇気を出して、それをすれば解決できるのです。


しっかりと向き合って、素直に話をすれば誤解が解けて

いい関係を築くことが出来るかもしれませんし、

もしかしたら、お互いの考え方が違い過ぎていて一緒に

いることが出来ないと判断することもあるかもしれません。


でも、それですっきりします。

怖がっていつまでも悩み、モヤモヤした気分でいるよりもすっきり出来ます。

そして、次に進むことが出来るのです。


怖いと思うこと、やりたくないと思うこと・・それが解決するカギになります。


あなたに愛をこめてお伝えいたします。」


ありがとう、アシュタール!感謝します。


(ここまで)



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破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:それはその人の選択であり自由・・・」 [アセンション]

破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:それはその人の選択であり自由・・・」



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今日の破・常識!



そういう現実を体験したいと思うか、思わないかは

その人の自由だということを忘れないで。

どんな現実を体験しようとも、

それはその人の選択であり、自由・・・らしい


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今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。







「 こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

同情は優しさではありません。

あなた達は、同情すること(その人のに寄り添い、

同じ悲しみや苦しさなどを共有し、その人を慰めること)が

優しさだと教育されています。

可哀そうに、苦しいでしょ、そんな人をほっとく事は出来ません、

助けてあげましょう・・それが優しい人のすることです

・・と思ってませんか?

それは、優しさではないのです。

この話は、あなた達にはとても難しいことだと思います。

理解しにくい話だということは、私も知っています。

でも、とても大切なことですので敢えてお話しさせていただきます。

困った人に手を差し伸べるのはとても素晴らしいことだと思います。

しかし、手の差し伸べ方が重要なのです。

ただ助ければいい・・ということではないのです。

同情から手を差し伸べてしまうと、その人は依存してしまいます。

同情から、可哀そうですね、苦しいでしょう・・と言ってしまうと、

その人は自分を被害者の立場にしてしまうのです。

そうなると、その同情は傲慢という言葉に変わります。

言っている意味が伝わっていますでしょうか?


例えば、お腹がすいた人にご飯を差し上げます。

それはとても素晴らしいことだと思います。

でも、それをずっと続ける覚悟はありますか?

一時的にご飯を差し上げることは出来ます。

でも、ご飯を差し上げることで

もらった人はまたもらいたいと思います。

また欲しいと思うのは、依存です。

黙ってお腹を空かしていれば、また誰かがご飯を持ってきてくれる

・・と思ってしまい、誰かに依存しなければ

生きていけなくなってしまいます。

ずっと、その人にご飯を上げるという覚悟のもとでそれをするなら

まだいいと思います。

でも、一時的に見ていて可哀そうだという気持ちで

ご飯を持って行ってあげるとその人は依存してしまい

自分でご飯を手に入れようとする気持ちがなくなってしまうのです。

手を差し伸べることで、自立が出来なくなってしまうのです。

ご飯がない人に、ご飯を持っていかないでください。

ご飯がない人には、ご飯を手に入れる方法を教えてあげてください。

その人の人生が終わるまで

ずっとご飯を持っていく覚悟がないのならば、

中途半端にご飯を持っていくことはマイナスにしかならないのです。


宿題をためてしまって、泣きながらそれをしている子どもを

見ているのが可哀そうだからといって

代わりにその宿題をしてあげるのと同じです。

子どもは、自分で宿題をしなければいけない・・

という基本的なことを忘れてしまい、泣けばまた誰かが

代わりにやってくれる・・ということを学んでしまいます。

自分で自分のことはする・・という自立心が萎えてしまいます。


例えば、病気の人に、辛いですね、気の毒ですね、

痛いでしょう・・よくわかりますよ。

という同情の言葉を言ったとします。

そうするとその病人は、自分が病人で

かわいそうな立場だと思ってしまうのです。

自分ではどうにもならない現状にいる

被害者的な存在だと思ってしまうのです。

分かりますか?

そして、自分の中からエネルギーが湧いてこなくなりますので

もっと同情のエネルギーを欲しいと思うようになるのです。

被害者という立場のエネルギーバンパイアに

なってしまうということです。誰かからの同情のエネルギーが

その人のエネルギー源になりますので

病気を治すという考えがなくなってしまい、

いつまでも病気の現実を創り続けることになります。

私はかわいそうな病人なので、もっと関心を持って、

もっと同情してください・・とアピールをはじめることになります。

もっとエネルギーをください・・という

エネルギーバンパイアになってしまうのです。

病気の人に同情しないでください。

可哀そう、苦しいでしょ、わかりますよ・・という言葉ではなく、

治ったら一緒にハイキングに行きませんか?

・・と声をかけてください。(ハイキングは例えですよ・・

その人が好きなことで声をかけてくださいね)

病気が治ったらこんなことがしたい、あんなこともしたい

・・と思うような言葉をかけてください。

思考が先、現実があと・・早く病気を治したいと思う思考が

病気を治すには一番なのです。

同情することで、被害者の立場にしないでください。

病気だけじゃないことはわかりますね。

あらゆる困難な状況にいる人たちにも同じことが言えます。


そしてこれはもっと理解しにくい考え方だと思いますが・・

その状況を創っているのはその人だということを

忘れないでください。思考が先、現実があと・・

その人の思考が、その人の現実を創っているのです。

もしあなたから見て、その人の現実がひどく大変なものであっても

それはその人が自分で選んで創っている現実なのです。

あなたには関係ないことなのです。

その人が本心からその現実をイヤだと思うのであれば、

自分で現実を変えます。そこにいるというのは、

その人が自分にとって必要だと思うからいるのです。

マインドでは分からなくても、その人にとって何かの理由、

必然があるから、その現実を創り、その現実の中にいるのです。

それを可哀そう、大変だからという自分の価値観や常識などで

自分のような現実を創りなさい・・

というのはとても傲慢な考え方です。

もし、心の底からその人にあなたの思う幸せになってもらいたいと

思うのであれば、あなた自身が幸せでいてください。

あなたの幸せな姿を見せてあげてください。

病気の人に、健康なあなたの姿を見せてあげてください。

健康になればこんなに楽しく人生を過ごすことが出来ますよ・・

と見せてあげてください。

もしその人があなたのような健康な人生を送りたいと思うならば、

自分から積極的に健康になるように思考します・・

そうすれば、病気は治ります。

でも、病人という被害者の立場を続けたいと思うならば、

病気は治りません。

それはその人が選ぶことなので

あなたは何もすることは出来ません。

(あなた達は、病人が可哀そう、傷つく、うらやましがる、から、

病人の前では楽しそうにしてはダメですというような

考え方をしているみたいですけど、それはまったく反対です。)


話がそれてしまいましたが、誰かを幸せにしたいと思うなら

あなたが幸せでいてください。

楽しく、ご機嫌さんで生きて欲しいと思うならば、

あなたが楽しく、ご機嫌さんでいてください。

見ることが出来れば、思考することが出来ます。

楽しく、ご機嫌さんな現実をイメージすることが出来るのです。

イメージすることが出来れば、それを現実にすることが出来るのです。

分かりますか?

同情ではなく、見せてあげてください。

楽しく、ご機嫌さんで生きているあなたを見て、

そうなりたいとイメージする事で、

その人もそれを現実とすることが出来るのです。

ただし、そういう現実を体験したいと思うか、思わないかは

その人の自由だということを忘れないでくださいね。

どんな現実を体験しようとも、

それはその人の選択であり、自由なのですから。


あなたに愛をこめてお伝えいたします 」



ありがとう、アシュタール! 


(ここまで)


アシュタールがいつも語っている「個としての意識」がこの世界を体験している

ということを考えてみると、それぞれが個々独立した存在であり(意識的には

すべてひとつにつながってはいますが)それぞれが自分の自由意志に基づいて

選択し体験しているということが重要なことです。

この世のやさしさというのは「可哀想だからと寄り添う姿」がもっとも尊いことで

あり、誰から見ても称賛され尊敬される行為であると教えられています。

それはマザーテレサであったり、ナイチンゲールであったりします。

そうした姿こそが人としてぐさわしいものだと人物伝を通して様々な場所で

様々な形(映像や本、あるいは伝承など)で教え諭されます。

だから、私たちにはそれと反対の行為はとても冷たいものだと受け止められます。


しかし、そのときに呆然と見ているだけでなく、援助を与え同時にどうすれば

その人自身の環境を改善できるかを教えてあげることがもっと必要なことです。

私も数年前同じ体験をしましたが、今はすっぱり縁を切りました。

いろいろとこうしたらとかああしたらと言う風にアドバイスはしたつもりでしたが

口では「わかった」とは言ってもなかなか自分からそれをしようとするところが

なく、逆にさらに依存してくるようでしたので最終的には可哀想とは思いましたが

自然とそれとなく離れるように仕向けて行きました。


しかしながらいつも思うのは体験する選択は自由だという事です。

その人がそのような生き方を選ぶのであればそれ以上どうしようもなく、干渉する

必要はないものと思います。そしてその選択の自由の代償は自らが受け取るものです。

それは誰であっても、また自分自身にも言えることなので、心しておかなければ

ならないことと思います。



あげることは




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