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お見事!これで一件落着! [おまけ]

ツルツルに凍った道路で宅配業者が苦心の末、取った行動は?

お見事!一件落着!
めでたしめでたし!







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オレンジャーからのメッセージ「ご縁マップ」 [アセンション]

オレンジャーからのメッセージ「ご縁マップ」



(ここから)

おれはオレンジャー!

今日から多くの方が
年末年始の休暇に
入っていることだろう

この年末年始の
時間を使って
この1年の振り返りと
来年どうすごすか
よく考えてみるといい

その中で
あなたの人生に
大きな影響を与えている
ご縁の力を
この機会に整理しておくのは
どうだろうか


あなたの人生は
あなたの能力やお金の力よりも
人のご縁によって運ばれている

あなたの周りにいる人を
1枚の紙の上に書き出して
どんなご縁でつながっているか
観てみるといい

契約や利害関係で
つながっている関係ではなく
条件を超えた共通の価値観や
奇跡的なつながりの中で
育まれたご縁に注目してみる

その人が
あなたの人生を
大きく変える
ヒントを持っている
可能性が高い

様々なご縁のつながりで
あなたは生かされている

だからこそ
自分のことを知りたければ
自分のご縁マップを作って
よく観てみるんだ

きっと新しい発見が
たくさんあるよ

今日はこんなところだ
じや!

(ここまで)



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オレンジャーからのメッセージ「心の器」 [アセンション]

オレンジャーからのメッセージ「心の器」



(ここから)

おれはオレンジャー!

あなたが
自分のことにばかり
意識を取られていると

あなたの
心の器は
広がらない

たくさんの人との
関わり合いの中で
それぞれの立場を
慮ることができる
ようになること

時間やモノを
大切に扱って
それぞれに宿る
エネルギーを
感じられるように
なること


自分意識を超えて
すべての人やモノ、
存在とのつながりを
想い出したときに

あなたの心は
無限大にまで
広がっていく

自分の作った
箱の中だけで
生きていては
もったいないよ

この世界の
奇跡的なご縁のつながりに
意識を合わせて
あなたの心の器を
大きく広げてごらん

新しい世界が
目の前に広がっていくよ
きっと

今日はこんなところだ
じや!

(ここまで)


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世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:自分の幸せは自分で創るのです・・・」 [アセンション]

世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:自分の幸せは自分で創るのです・・・」




(ここから)


今日のアシュタールからのメッセージをお伝えしますね^^


「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

次は自分の番・・この言葉を忘れないでください。

誰か幸せそうな人を見たら、すぐに次は自分の番・・と

つぶやいてください。


自分の幸せは自分で創るのです。

自分で幸せな状態にするのです。

その反対も可能なのです。

自分の不幸せは自分で創るのです。

自分で不幸せは状態になるのです。


幸せそうにして・・と思ってその人にイヤな感情を

持ったらその時あなたは不機嫌になります。

不幸せの状態になるのです。

それはその人のせい(責任)ではありません。

あなたの思考が創った状態なのです。

分かりますか?


あなたが不機嫌になって、不幸せな状態になっても

その人は痛くも痒くもありません。

そうですね。

あなたが不機嫌になってイヤな気持ちになるだけなのです。

それはとても不毛なことです。

自分から進んでイヤな気持ちになっているだけなのです。

つまらないことです。


あなた達は比較するようにミスリードされています。

誰かと比較して自分の方が豊かだとか幸せだとか・・

誰かと比較して自分の方が劣っているとかダメだとか・・

すべて比較して判断するように教育されてしまっているのです。

比較しても何もなりません。


比較してあの人の方が幸せそうだと思って、イヤな思いをする

必要はないのです。

誰かが幸せそうにしていたら、自分の幸せをとられたような気になって

気分が悪い・・そう思うようにミスリードされてしまって

いるのです。


誰かの幸せはその人が創ったものです。

あなたの幸せを取って幸せになっているわけではありません。

その人の幸せにあなたが関与しているのではないのです。


人の幸せの状態を見て気分を悪くするのはとても損です。

あの人が不幸になればいいと思っているのと同じですから、

その言葉が自分の現実になってしまうのです。

不幸になればいい・・と思うということは自分は不機嫌で、不幸だと

思っているということですから、次も不機嫌で不幸だと思う状況に

なるということなのです。


自分がご機嫌さんで幸せな状態でいたいと思うならば、自分で

幸せの状態を創ってください。

人のことを見てチェッと思ってしまうこともあると思います。

自分が持っていない(と思っているものを)持っている人を見たら

焼きもちを焼いてしまうこともあるかもしれません。

そう思うようにミスリードされているのですから、それは仕方が

ないと思ってください。

そういう反応をしてしまった自分はお茶目って思ってください。

深刻に、そんな自分はダメだと思う必要はありません。


そして、そのような感情が湧いたらすぐにキャンセルして、

次は自分の番と言い直してください。

そうすれば、少しずつそのような感情が出てこなくなります。

そして、本当にその幸せそうな人を幸せでいいですねと素直に思える

ことが出来るようになります。

そうなるとその人とエネルギーを共振することが出来るように

なるので、あなたもその幸せのエネルギーに包まれることになります。

そうなると同じように幸せの状態になることが出来るのです。


比較しても楽しくなりません。

勝った?自分の方が優れている・・と思って気持ちが良くなるのは

エネルギーバンパイアでの気持ちよさであり、あなたの中から湧いてくる

エネルギーではないのでその気持ちよさはすぐになくなりますし、

幸せの状態ということではないのです。


幸せそうだな・・チェッではなく・・次は私の番・・に

思考を変えてください。

本当に次はあなたの番になります。

本当にあなたが幸せの状態にいることが出来るのです。


あなたに愛をこめてお伝えいたします。」


ありがとう、アシュタール!感謝します。


(ここまで)


幸せって、自分が「幸せだと」思うなら、それが幸せです。

誰かに「幸せそうだね」と言われたとしても、自分がそう思ってない限り

それは「幸せ」という状態ではありません。


また、「幸せ」の定義は多様で、「これが幸せ」と決まっているものでもない

ということも事実です。

ともかく、何でもいいですから、「自分自身で幸せだ」と思えれば

それが「幸せ」です。

そういう意味でも「幸せ」は自分で創っているものなのです。






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世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:こんなところ辞めます・・・」 [アセンション]

世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:こんなところ辞めます・・・」




(ここから)


少年野球“お茶当番”への母親たちの怒りと苦しみ
――筒香嘉智に届いた手紙



というコラムを読みました^^

正直な感想を言ってしまうと・・・どうしてやめないの??

でした^^;


では、今日はさくやさんからのメッセージをお伝えしますねぇ~~^^

「思考停止ね、指導者も保護者も。

指導者は自分がこうして育って来たんだから、同じことをするのは

当たり前って思って思考を停止してしまっている。

されたことをする・・昔コーチや監督に殴られた、だから自分がコーチや

監督になったら殴ってもいい・・って思ってる。

こんなに厳しい練習をしたことで自分はここまで来たんだから、

子ども達にもそうしようと、同じように厳しく(もしかしたらもっと

厳しく)しても、それは子どもたちの事を考えてのことだと自分に

言い訳をしながらやってる。

私から見たらエネルギーバンパイアとしか思えないけどね。

自分がその時に感じたことを忘れてしまって、これでいいと思ってる。

思考の停止以外の何物でもないわね。


そして保護者もそう。

コーチ、監督、先生・・この言葉に思考停止してしまっているの。

学校教育で目上の人(権力者)には服従しなさいと教えられて

しまっているから、どんなに私的な小さな組織であっても、

そこで一番権力を持っている力のある人に対しても同じように

服従しなければいけないと思いこんで思考が停止してしまっているの。

おかしいなと少しは思っても、権力者が言えばそうなんでしょうと

無意識に我慢するクセがついてしまっているの。


だから、おかしいと思っても自分で言うことが出来ず、その人より

力のある人に頼ろうとしてしまうの。

時代劇の影響ね(笑)

悪代官がいました、ひどいことをされています、でも抗えない、

泣き寝入りするしかない、そこにもっと大きな力を持った人が来ました、

その人に泣きついて助けてくださいと頼む、そしてその人のおかげで

悪代官をやっつけることが出来ました、胸がスッとしました・・

という毎回同じストーリー。

それと同じことをしているだけよね。

自分では何も出来ないからもっと力のある人に何とかしてもらおうと

するの。


辞めればいいのよ・・そんな基本的なことさえ考え付かないくらい

思考停止しているの。

どうして辞めれらないの?・・子どもが野球をしたいって言ってるから?

子ども自体もツラいって言ってるんじゃないの?

身体を壊し、こころのバランスを崩してまでそこにいなきゃいけないの?

その権力者たちの命令を聞かなきゃいけないの?

おかしいと思った人が辞めれば、他の人も考えはじめる。

思考が動き出す、そしておかしいと思った人がどんどん辞めていけば

権力者も考えざるを得なくなるわ。

みんなが我慢するからそれでいいと思われてしまって何も変わらないのよ。


こんなところ辞めます・・って言えばいいだけよね。

その人よりもっと力のある人に泣きつく前に、自分の方に選択肢がある

ということを思い出してちょうだい。

辞めることが出来るの。

イヤなら離れればいい・・自分のために、子どものために・・


一度はじめたことは最後までしなければいけない?

途中で辞めるのは良くないことだから?

そんなことはまったくないのよ。

もし、野球がしたいなら別のところを探せばいいじゃない。

もっと子どもも野球を楽しめるところを探せばいいじゃない。

ないなら自分達で創ればいい・・そうでしょ?


そんな無茶な練習、楽しくなくてツラいだけの(コーチや監督の

エネルギーバンパイアのための)練習をしても上手くはならない。

楽しいから続けることが出来るし、自分で納得できるプレーが出来るの。

そうでしょ?


この場合だけじゃなくてすべてそうよ。

学校だって同じ、イヤなら行かなきゃいいの。

勉強?そんなの興味を持つことならどこでも知識を得ることが出来る。

学校に行かなくても好きなら、興味があるならどんなところでも

知識を得ることが出来るのよ。


もともと、学校教育自体がさっきも言ったけど権力者に従順に従う

子を育てるのが目的なんだから。

知識を教えるより、目的はそっちなんだから。


イヤなら辞めていいの。

辞めてちょうだい。

そして、違うところに行けばいい。

無ければ自分で創ればいい。


自分に選択権があるということを忘れないでね。

他の人に大事な権利を渡さないでね。


あなた達の社会も同じよ。

おかしいと思ったらそっと離れていいのよ。

権力者の命令を聞く必要はないんだから。

他の人に何とかしてもらおうと思わないで自分で

自分でどうしたいのか?どうしたらいいのか?を考えてちょうだいね。


反対にそういう環境が好きならそこで楽しんでちょうだいね。

どっちが良い、どっちが悪いという問題ではなく、どうしたいかという

ことなんだから。


それはあなたが決めること。

あなたには選択する権利があるのだから・・・


あなた達をこころから愛してるわ~~」


ありがとう、さくやさん!

私たちもさくやさんをこころから愛してるよ~~^0^


(ここまで)

学校教育現場で問題になっているひとつに「組体操」があります。

これも同じようなものです。

教師は体育祭のお祭りを盛り上げるために、また見ている父兄の

喝采を浴びたいがために生徒に無理強いしています。

ホントのところ、生徒自身が楽しんでいません。

中には達成した時の気持ちの高揚がうれしくてやる生徒もいますが

ほとんどの生徒が後年、後遺症が残るような怪我までしてやらなけ

ればならないものなのか?と疑問を感じている生徒も多いでしょう。

そうしたことを理解できていないのは教師と父兄です。

セレモニーとしてしか見てないので、生徒の置かれた現実が見えて

いないのです。

自分の子供が取り返しのつかない怪我を負って始めて気づくのです。


この教師の持つ考えは前述の野球の指導者と同じです。

どうも、教師と言うグループの中に入ってしまうとこうした間違いに

気づけなくなるようです。




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破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:身体の声・・・」 [アセンション]

破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:身体の声・・・」



(ここから)


今日の破・常識!



あなたの身体を知っているのはあなたの身体・・・らしい(笑)

==========================
                  
 
今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。







「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

あなたの身体は、あなたの身体が一番よく知っています。

身体には自己回復力と自己免疫力があります。

あなたは健康でいることが当たり前なのです。

健康が当たり前の状態なのです。

何だか私には、あなた達が健康という状態が

とても珍しいものだと考えているように思えます。

いつも不健康、調子の悪いところを見つけ出そうと

しているように思えて仕方がないのです。

どこか調子の悪いところを見つけて

なんだかホッと安心しているように思えるのです。

イヤだ、イヤだと言いながら、病気の話ばかりしていませんか?

いつも健康になりたい、健康でいたい

と考えているのではないでしょうか?

そうではないのです。

健康でいることは特別なことではありません。

健康でいることが当たり前のことなのです。

これを食べると健康でいられなくなる

これをしないと健康でいられなくなる。

このような考え方をしていると、健康でいることがとても難しくなります。

健康とは特別なもので

頑張って健康状態を維持しなければいけない・・

と思う思考が、あなたを健康でいられなくしてしまうのです。

健康な人は健康になりたいとは思いません。

健康が当たり前の状態だと思っているからです。

そして、あなたの社会は薬や健康グッズを売るために

健康でいるためには、とても努力しなければいけない

健康でいるためには薬やサプリメントを

飲まなければいけないと勧めます。

だから余計に健康になりたいと思ってしまうのです。

身体は常に自分で健康でいられるように調整してくれています。

自分の身体のことを一番知っているのは、身体なのです。

だから、身体に任せておけばいいのです。

あなたの身体を信頼し、身体が欲することをしていれば良いのです。

特別なものを飲んだり、特別なことをする必要はありません。

病気になった時、身体を治してくれるのは薬ではありません。

身体の機能そのものなのです。

薬はその補助をしてくれるだけなのです

(補助さえせずに反対に副作用ばかりを併発するものありますが)

だから、身体の声を聴いてください。

身体が欲しがっているものを食べてください。

もし、身体が薬を嫌がるのであれば

その薬はあなたの身体に必要ないものなのです。

身体が温めたいと思うならば、温めてください。

身体が塩辛いものが食べたいと思うならば、

塩辛いものを食べてください。

身体が、これは今日は食べたくないなと思うならば食べないでください。

どんなに高名な医師や学者よりも

あなたの身体を知っているのはあなたの身体なのです。

でも、そんなことを言われても身体の声なんて聞こえません・・という

エネルギーが飛んできますが、身体の声は言語では聞こえません。

感覚です・・なんとなくこうしたい、なんとなくこれが食べたい、

なんとなくこれは食べてはいけない気がする・・という感じです。

寒い時に暖かい物が食べたいと思うのも、身体の声なのですよ。

だから、身体の声を聞きたければ何も考えずに身体を感じるのです。

ただボ~っと身体を感じるのです。

そうすれば、勝手に手が動いて

どこかをさすりはじめるかもしれません。

どこかを押したりするかもしれません、

何かを食べたいと思うかもしれません。

横になりたいと思うかもしれないし

背中を伸ばしてみようと思うかもしれません。

それが身体の声です。

こうしてください、そうすれば身体はもとに戻ります・・という声です。


あなたの身体は、あなたの味方です。

あなたが物質世界のテラでやりたいことをするために

自分で創造したものなのです。

だから、身体を信じてください。

そして、健康であることが当たり前だということを思い出してください。

病気を自分で探さないでくださいね。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」



ありがとう、アシュタール! 

(ここまで)


身体の声はアシュタールの語るように声で聞こえてくるわけでは

ありません。

イマージで伝わってきます。

もし、具合が悪い時には心を静かにさせて、頭のてっぺん(私の場合

には)に意識を持って行くと、身体を冷やした方が良いとか温めた方

が良いとかのようなイメージが湧いてきます。

それをそのまま実行に移してみればいいのです。

それで上手く行けば、それが自分の身体が伝えて来るメッセージです。

そして、そのときの状態を覚えておけば、同じように次からもそのような

感じでイメージが伝わってきます。

また、イメージをつかむ時にはあれこれ考えずに、思ったりせずに、

あるいはダメだとかと言う意識を持たずに素直な気持ちでいることです。

そうすれば、自然にイメージが湧いてきます。

さらに、身体のどこどこという場所のイメージとか揉むとかさするとか

そうでなければ、こんなものを食べた方が良いという場合にはその食材の

イメージが湧いてくることもあります。

ともかく何度もトライしてみるべきです。

最初はそのイメージがものすごく小さいですが何度かやっているうちに

なんとなく「ああ、それね」という感覚がつかめるようになります。

まずは、疑いを持たずにやってみることです。






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破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:価値観の合わない人とは・・・」 [アセンション]

破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:価値観の合わない人とは・・・」




(ここから)


今日の破・常識!



価値観の合わない人とは、住み分けてください。

そっと離れてください。byアシュタール


------------------------------------------------------------------------------------------

 
今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。





「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

価値観が違うのです。

見ている方向が違うのです。

価値観が違うとみている方向も違ってきます。

そして、常識と思っていることも違ってくるのです。

そうなると、善悪や正義という概念も違ってくるのです。

こちらから見れば正義だと思っていることも

あちらから見れば悪になるのです。

価値観が違う人にいくら正義をやりなさいと言ったところで

その人は自分がしていることが正義だと思っていますから

はい、私は正義をやっています・・ということになるのです。

分かりますか?


価値観、考え方、見ている方向が違う人と

いくら話をしても平行線ということになってしまうのです。

お互いが自分は正義だと思っているのですから、どちらも引きません。

ただ、不毛な言い争いになるだけのことです。

じゃあ、どうすればいいの?

自分がイヤだと思うことをその人達は平気でするのです。

私は我慢しなければいけないのですか?

その人達は、何も罰を受けることはないのですか?

などいろいろな思考が飛んできますが・・

考え方が違うので仕方がありませんと

お答えするしかないのです。

よく悪いことをしたら罰が当たるから

その人達はいつか悪いことが起きるのよ・・

などと思っている人もいるかもしれませんが罰は当たりません。

その人達は、自分は正義をしていると思っていますので

罪悪感など持ちませんので、

あなたが思うような悪いことは起きないのです。

思考が先、現実があと・・

自分たちは正しいことをしていると信じていれば、

その正しいことが現実となります。

すごく腹がたちますね・・この世には神も仏もいないのか?

こんな悪を野放しにしておくのかぁ~って思うかもしれません。

でも、神も仏もいないのです。

善悪を判断する人もいません、罰を与える人もいないのです。

理不尽だと思いますね。

人を踏みつけにして、自分だけ良い思いをするなんて

ありえないと思いますね。その気持ちはとてもよく分かります。

でも、それはあなた側の正義の基準で考えたことです。

それはあなたの価値観にすぎないということなのです。

アシュタールは腹が立つことを平気で言いますね・・

と思っていると思います。

それをよくわかった上でお伝えしているのです。

このところがわからないと

いつまでもあなたは理不尽なところに

とどまり続けることになってしまうのです。

違う価値観の人にいくらあなたの価値観を説いても

何も変わりません。同じ土俵に立つことになり

そして同じ土俵に立っていると強い方が勝ちます。

あなたは理不尽を我慢しなければ

いけないことになってしまうのです。

ならばどうすればいいのでしょうか?


そうですね・・私たち宇宙ファミリーがいつもお伝えしていることです。

そこから(価値観の違う世界から)そっと離れてください。

住み分けてください・・ということです。

それしか価値観のちがう人たちとうまくやっていく方法はありません。

住み分けて、お互い干渉しないのが一番なのです。

社会のような大きなところだけではなく

あなたのまわりでも同じです。

価値観の合わない人とは、住み分けてください。

そっと離れてください。

あなたはあなたの価値観と合うところに行ってください。

価値観の合う人たちと一緒にいるのが楽なのです。


もう一度言いますが、価値観の違いは良い悪いではありません。

どちらが良い価値観、良い考え方で、

こちらが悪い価値感、悪い考え方ということはありません。

そこを忘れないでください。

ただ価値観、考え方、見ている方向が違うだけだということを

分かった上で、違うところからはそっと離れて、住み分けてください。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」



ありがとう、アシュタール! 


(ここまで)


価値観の合わない人とはどこまでも話が平行線になって折り会うことは

ありません。

話の途中で多少折り合えたかに見えても、それは一部であり、互いに


自分の都合のいい方に解釈するので、結局は元の平行線に戻ります。

だから、そのような場合はアシュタールの語るように潔く離れるのが

いちばんです。

同じ職場であれば完全に離れることは難しいので、出来るだけ意識しない

ようにするだけでも随分違うと思います。



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