SSブログ

「サラリーマンが納めた1億円の保険料のうち5000万円が国に没収される」問題 [政治・経済]

「サラリーマンが納めた1億円の保険料のうち5000万円が国に没収される」問題


過去に何度かこのブログでも指摘しましたが、やっとメディアがこのことを
取り上げましたね。

多くの国民は会社に勤めていると収めた保険料と同じ金額を会社が払ってい
ることを知らないのだと思います。だから、年金特別便には自分が払った分
しか記載されていなくとも何とも思わないのです。

結局、国は国民に膨大な詐欺を働いているのです。しかし、残りの半分は
どこに消えているんでしょう。


(ここから)

「消費税が2%上がったと大騒ぎしてるけど、厚生年金や健康保険の保険料がこの10年間で11%も上がったのに誰も文句をいわないのはなぜ?」という記事に、予想外に大きな反響がありました。そこで今回は、サラリーマンにとってさらに「不都合な事実」を紹介しましょう。

厚生労働省が国会審議もなしに保険料を大幅に引き上げたことで、年金と健康・介護保険を合わせた社会保険料率は報酬の30%に達しました。月給とボーナスを合わせた総報酬(年収)の3割が保険料として徴収されるのですから、サラリーマンが支払う保険料は年収300万円で年90万円、年収500万円で年150万円、年収700万円で年210万円になります。保険料は給与が上がるほど増えていき、厚生年金は年収約730万円、健康保険は年収約1600万円で上限に達します(保険料の上限は年約330万円)。

厚生労働省の「賃金構造基本統計調査」によると、従業員1000人以上の大企業で働く大卒男性の平均的な生涯賃金は約3億円、大卒女性は約2億5000万円です。これには退職金が含まれておらず、最近は定年後も再雇用で働くことが多くなったので、これを考慮すると大企業に勤める大卒男性の生涯賃金は約3億8000万円になります(2018年)。

サラリーマン(男性)の生涯賃金を3~4億円とすると、社会保険料率は賃金の30%ですから、年金と健康・介護保険料として9000万~1億2000万円を支払っていることになります。もちろんこれは概算で、保険料には上限があり退職金に保険料はかかりませんが、それでもサラリーマンが生涯に1億円ちかい保険料を日本国に納めていることはまちがいありません。

人生の大きな買い物としてマイホーム、マイカー、生命保険が挙げられますが、じつは「最大の買い物」は税・社会保険料なのです。

さらに「不都合な事実」は、厚生年金保険料の半分(会社負担分)がまるごと国に没収されて、将来受け取る年金にはまったく反映されないことです。「ねんきん特別便」には、これまで納めた年金保険料として自己負担分しか記載されていません。

そのうえ、現役時代の手取り収入を厚生年金でどれだけカバーできるかを示す「所得代替率」は年収が高くなるほど下がります。厚労省の試算では、世帯所得月額15万円では所得代替率111.4%ですが、世帯所得55万円では49.2%と半分になってしまうのです(2014年水準)。

だったら健康保険はどうなっているかというと、65~74歳の医療費の財政調整と75歳以上が加入する後期高齢者医療制度への拠出金が、健保組合の保険料収入のおよそ半分を占めています。収入の多いひとほど重い病気にかかったり、病院で手厚く看護してもらえるわけではありませんから、ここでも高収入のサラリーマンほど加速度的に負担は重くなります。

このように、社会保険の仕組みは「頑張って働いたひとほど報われない」ようになっています。日本は「人類史上未曾有の超高齢社会」に突入しましたが、それはサラリーマンが必死に働いて納めた1億円の保険料のうち、5000万円が問答無用に没収されてしまうということなのです。


(ここまで)



nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

オレンジャーからのメッセージ「愛と力」 [アセンション]

オレンジャーからのメッセージ「愛と力」



(ここから)

おれはオレンジャー!

この世界には
愛と力という
二つの極が存在する

どちらが正しいとか
大事というわけではないが
これらのバランスを
どうとっていくかが
今問われている

会社を見ると
愛の無い力で
溢れている

お金を最大化するという
力学によって
心や人間関係を無視した
施策やマネジメントが
横行している


愛に溢れた人は
物事を現実化したり
変化させるための
力が弱いことが多い

自ら持っている
愛のエネルギーを
どう広げていくか
その力が問われている

君たちの世界は
愛の無い力と
力の無い愛で
溢れているんだ

愛なき力は
暴力であり
力なき愛は
無力である

君たちの星が
愛のある力や
力のある愛で
溢れる星に
なることを
心から祈っている

今日はこんなところだ
じや!


(ここまで)


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

世にも奇妙なフツーの話「ミナミさん:宝くじ買う派?買わない派?」 [アセンション]

世にも奇妙なフツーの話「ミナミさん:宝くじ買う派?買わない派?」



(ここから)


年末ジャンボ宝くじ~~の時期なのかな?

私宝くじ買わないから売り出しの日にちとかわからないけど・・

毎年テレビとかで庶民が夢を求めて長い列に並ぶ光景・・

とやらを目にして、あ~今年も終わりなのねなどと思うのです。


あなたは宝くじ買う派?買わない派?


買う買わないはその方の自由なんだけど・・・

宝くじは当たらない・・小額は当たるけど、何億というお金は

庶民には当たらない・・・んだって(驚)

もうね、当たる人が最初から決まってる・・???


当たっても税金かからないし、誰が当たったかわからないし、

数字は操作出来るらしいし・・賄賂などのマネーロンダリングには

最適だよねぇ~~

マネーロンダリングと言えば、いま政治家の方たちが躍起になって

勧めているカジノ・・あれもマネーロンダリングにはとっても

良いらしいですよぉ~~^^


仕組みを作る人は、その仕組みを自分の都合いいように作れる・・

ってことね。


宝くじを買おうって思っていらっしゃるあなた・・

ちょっとこの記事をお読みになってからでも遅くはないのでは??・・

と思うミナミなのでしたぁ~~^0^


ぴょんぴょんの「貧者が支える天下り」


・・ということで今日のアシュタールからのメッセージをお伝えしますね^^

「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

もう耳にタコが出来るかもしれませんが・・

あなた達の社会は支配者たちのために創られているのです。

あなた達庶民と呼ばれる人たちから効率よく搾取するための

システムなのです。

ピラミッド型は搾取のために意図して作られたものなのです。


作った人はどのようにでも操作できます。

仕組みを知っているのですから、いくらでもその仕組みを操作

することが出来るのです。


毎年の流行というものも同じです。

今年は赤を流行色としましょう・・とあらかじめ決めた上でマスコミ

などを使って流行らせるのです。

赤がステキ、赤を着なきゃ流行遅れと思われて恥ずかしいと思うように

ミスリードしていくのです。

なんとなく流行るのではなく、流行らせている人がいるのです。


経済も同じです。

経済は自然に動いているのではなく、意図して動かしている人たちが

いるのです。


医療も同じです。

病名を作るだけで病気が増えます。

数字を少し変えるだけで健康の範囲が変わります。

血圧の数字を操作するだけで、それまで健康だと言われていた人が

高血圧症という病名をつけられ病人になってしまうのです。

病人が増えれば薬が売れますし、医療による利益も増えます。


教育も同じです。

子ども達に教えたくない知識は教えず、支配者たちのとって都合の

いい情報、知識だけを教えます。

学校教育は子どもたちの幸せを思ってのものではなく

支配者たちの都合の良い大人になるための思考の操作の場なのです。


すべてはピラミッドのトップの人たちの都合によって動かされて

いるということを理解してください。


お金の流れももちろんトップへ流れるように出来ています。

トリクルダウンという考え方(富める者が富めば、貧しい者にも自然に

富が滴り落ちる)はムリなのです。

ピラミッドの下(庶民たち)を幸せにしようなどと思っていませんので。

反対に幸せになっては困るのです。

だから、ずっと幸せにならないようにミスリードしているのです。


ピラミッドのトップの人たちは、富を手放そうとしません。

だから、トリクルダウンなどは起きないのです。

形はピラミッド型ですが、富や権力は逆ピラミッドになっているのです。

トップの人たちがたくさん持ち、下に行くほど小さくなって行きます。

それをするために創られたシステムですから、トリクルダウンは

起きないのです。

起こしません。


真実を知ってください。

あなた達の社会のトップの人たちは、あなた達庶民の幸せなど

まったく考えていません。

そのことをしっかりと理解できれば、どこでどのようなことが起きているかが

なんとなくわかってくると思います。

見方を変えてみてください。

そうすれば、何かおかしいと思うことが出て来ると思います。

何かおかしいと思ったら調べてみてください。

調べればある程度は分かります。

どのような仕組みで成り立っているのかがわかれば、それに参加しようとは

思えなくなってきます。


いつも言いますが、ボランティアや募金なども角度を変えて

みられることをお勧め致します。

調べてみてください。

その上で納得できるならばご参加いただければと思います。


あなたに愛をこめてお伝えいたします。」


ありがとう、アシュタール!感謝します。


(ここまで)


宝くじはほとんど買わない派でしたが、今年は友人から代わりに買って

欲しいと頼まれましたので買いました(笑)。


今年のジャンボ宝くじは1等賞金7億円、その前後賞が1.5億円で合わせると

最高で10億円手にすることがきるらしい。

でも、当たらないでしょう。当たる人は一般庶民ではなく政府関係者だけ

だろうと思います。

年末ジャンボの宝くじ抽せん機は矢を射るようになっていますが、あれは

的になる円盤の回転数と矢を放つ時間を計算して放てば自由に望む数字に

当てることができると私も聞いたことがあります。

したがって、当たり番号は最初から決まっていて、1,2等は絶対庶民には

当たらないようになっています。

例外は311東東北大震災の年くらいでしょう。なんでも集中的に震災地で

当選数字が何本も出たということなので、この年は庶民にお年玉を上げ

たことがわかります。また、これだけ当選が集中することはあり得ない

ことなので当選数字が操作されていることがわかります。

また、ロト6についても考えたことがありましたが、なぜランダムに

選ばれているはずの1等の当籤本数が少ないのでしょう。

全国で買われているはずなので、1回に10本くらい当たってもいい

はずです。

それが毎回決まって1~3本です。確率的に見てあり得ません。

おそらく、全国から購入された数字の組み合わせはすべてみずほ銀行の

コンピューターに集められているはずですから、どの組み合わせが何本

購入されたからデータがわかっているはずです。

推測ですが、その中から購入されていない数字の組み合わせというのも

わかるはずです。そこで毎回、その中から1~3本選び、それを当選数字

とすることで1等を決めているものと思います。

そして、その組み合わせの数字は一般庶民でない誰かに購入させている

のでしょう。あるいはその組み合わせを誰かが発行し、特定の人に配布

している可能性もあります。

ただ、毎回庶民に当たらないと不信感を持たれるので数回に1回は庶民に

回しているのではないかと思います。

ロト6も当選数字は操作可能なのですから、いくらでも組み合わせの数字

を作ることは可能なはずです。


ということで宝くじは夢のないくじだと思っています。







nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:大から小へ・・・」 [アセンション]

破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:大から小へ・・・」




(ここから)

今日の破・常識!



大から小へ移行する・・という意識を持っていただければ、

大きな社会、ピラミッド型の社会から

そっと離れることが出来ます。
               byアシュタール




今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。







「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

小さくしていってください。

あなた達の社会は膨らます方向へばかり向いています。

会社も大きくする事ばかりを考えているので

個人は忘れられています。

社会、国の利益(実は少数のトップの人たちだけの利益なのですが、

社会の利益というすり替えが行われています)を守るための

戦争などという言葉で個人の権利まで奪われようとしています。


都市もそうです。大都市が良いとされ、人口を集中させることで

個人の豊かで快適な生活が忘れられていきます。

組織を大きくしようとすれば、個は小さくなっていきます。

ですから、個々の存在を大きくするためには、

社会?組織?は小さくしてください。

伝わっていますでしょうか?


会社も大きくなればなるほど個人には全体が見えなくなります。

全体が見えなくなると、自分では何も出来ないと思ってしまうのです。

だから、一部の全体が見える人たちの

都合の良いことばかりの会社になってしまうのです。

大きな会社は、個人を忘れてしまいます。

例えば、パン屋さんも大きくなると

パン屋さんであることを忘れてしまいます。

なんのためにパンをつくっているのかさえ忘れてしまうのです。

人々に美味しいパンを提供しようという目的から大きく逸脱して

どうやって儲けを出して会社を大きくしようかと考えるようになると

買って食べてくれる人のことはどうでもよくなってしまうのです。

パンを食べる人の健康などはどうでもよくなり

効率のために添加物をたくさん使い

いかに安く、長く保存出来るかを考えるようになります。

これは余談ですが、その企業のトップは

自分の会社のパンは食べないということさえあるのです。

自分は食べないパンを、人には売るという事さえしてしまうのです。

そして、小さなパン屋さん(個人商店)をどんどんつぶし

その大きな企業のパンを買うしかなくなるような環境をつくります。

市場を独占できれば、合理的に、効率的に

恒常的にパンが売れるからです。


パン屋さんを例にしましたが、いまのあなたの社会では

そういう考え方の企業がどんどん大きくなり

購買者たちの利益は損なわれているのです。

個人より組織、会社、個人より政府、国・・という考え方ですね。

だから、どんどん個人が生きづらくなってしまっているのです。

それがピラミッド型の社会なのです。


大から小へ移行していってください。

それには、いままで来た道を逆行?していけばいいのです。

組織ではなく、個人を大切にする社会に戻ってください。

イメージしていけば、現実はそちらへと動いて行きます。

近いところからイメージしていけば、イメージしやすいと思います。

40年ほど前の社会をイメージしてみてください。

まだ大きなスーパーや電気店、コンビニなどがなく

ほとんどが個人商店だったころもあります。

人々がちゃんと顔を合わせ、話をして買い物をしていました。

商店街では、人々が献立の相談をし、冗談を言い合い

時には人生の相談までもするような関係でした。

名前は知らなくても、顔を見ればわかる・・

表情を見て、何か良いことあったのか

今日はちょっと沈んでるな・・・などを感じあっていたのです。

たった40年前にはあった社会です。

会社も規模の小さなところが多く、会社にいるほとんどの社員たちは

顔も名前も部署も、そしてどんな人かもある程度知っていました。

人同士がつながっていたのです。

そのようなつながりを、鬱陶しいなどと言って

もっとドライな関係の方が

おしゃれでカッコいいという風潮をつくりだし

人々を孤立させ、効率だけを

求めるように思考を操作していったのです。

個々の人々がつながらないように、どんどん孤立するように・・

そうすれば、不安になり大きなものを頼るようになるからです。


話がそれましたので、もとに戻しますね。

いままでは大きいことは良いことだとされてきましたが

これからは小さい方向へと戻ってください。

生活もあなたの個人の範囲に戻してください。

テレビの中は、あなたの生活の範囲ではありません。

あなたが実際に身体を持って体験している現実だけが、

あなたの生活の範囲なのです。

あなたの現実に起きていないこと(テレビの中のできごとなど)は

あなたの生活とは関係ないのです。

テレビのなかったころは、実際に自分のまわりに起きていることだけが

現実と認識されていたのです。

すべてを昔に戻してくださいと言っているのではありません・・

そこを理解してください。

また、パソコンもない、電車もない、ましてやじょうもんの頃のように

洞窟に住むなど、あなた達にとっては不便だと感じるような

生活をしてくださいと言っているのではないのです。

いま持っているテクノロジーはそのまま使ってください。

ただ、そのテクノロジーの使い方を変えて頂ければと思います。


意識です。

意識が変われば、社会は大きく変わります。

全体のようなところから見るのではなく

個人をベースとしてみてください。

どんなに大きな組織であっても

結局は個々人が作っているのです。


組織が主ではなく、個が主なのです。

個をないがしろにしてしまうと、すべてはおかしくなっていきます。

それには、小さくしていってください。

大から小へ移行する・・という意識を持っていただければ、

大きな社会、ピラミッド型の社会から、そっと離れることが出来ます。

個の時代へ向かって、どんどんイメージをふくらましてください。

イメージさえ出来れば、それは現実となるのです。


大企業から、個人商店へ・・組織から、個人へ・・大から小へ・・


あなたに愛をこめてお伝えいたします」



ありがとう、アシュタール! 


(ここまで)


ピラミッド型社会から離れるためには、個を大事にするという意識を

持つことが大事なことで、これからはそうした考え方をするように

変えて行かなければならないと思います。


どうやったらそれが出来るか?

組織を大きくしようとしないことですね。

会社でも地域のサークルでも同じことです。

今の会社は利益優先であることが推奨されているため、個を犠牲に

することで最大の利益を上げようとします。

会社のトップも毎年これこれの利益が出ましたということだけしか

言いません。その利益を産むためにこのような人たちの努力があり

ましたなどとは口が裂けても言いません。

まさにグローバリストのやり方です。

まさに欧米から始まったグローバル主義が世界を麻痺させているのです。


しかし、世の中あまりにも多くの商品があふれていて、その性能や

デザインがものすごく多様化していて、探せばいくらでも欲しいものが

ネットで見つかります。


そのため、そうした商品を数多く取り揃えるAMAZONや楽天、Yahoo

ショッピングなどが人気を集める時代になりました。

地方でも巨大なショッピングモールが人気で、そこへ行けばないものは

ないというくらいの規模になっています。

前述したAMAZONや楽天、Yahooショッピングはある意味個人商店の

集まりで、言ってみれば個々のお店とも言えますが、地方にあるような

個人商店とは意味合いが異なるだろうと思います。

AMAZONなどのネット通販になくて個人商店にあるものは人と人との

語らいです。


私の子供の頃なんかは地元の店に食料品を買いに行った母親が30分

近く経っても帰ってきません。どうしたのだろうかとその店に行くと

まだ世間話を延々としながらそこにいます。

どこどこの子供がどうしたとか、親がどうしたとか、爺さんが何して

いるとかの会話が続きます。果ては明日の天気の予報までしてたり

ともかくそうしたことがあちこちで見られる当たり前の風景でした。

どこどこの子供が小学校で褒められ賞をもらったとか、悪さをした

とかという会話が交わされ、それはそこに訪れたほとんどのお客さんに

店主から伝わるので、同じ町内の家族内容がほとんど筒抜けでした。


今だったらプライバシーをジロジロ探し見られるようでとても嫌がられる

ことでしょう。でも、それが当たり前で誰もが認めていたのが昭和という

時代でした。

いつもそこにあるのは個と個とのつながりです。

そうしたやり方に少しは巻き戻して行っても良いと思います。










nice!(0)  コメント(2) 
共通テーマ:blog

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。