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世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:呆れてものが言えない・・・」 [アセンション]

世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:呆れてものが言えない・・・」



(ここから)


日本の国の首相さんが毎年行っている桜を見る会が炎上して

いますねぇ~~・・・どんどん証拠が消されている?

名簿がすぐにシュレッダーにかけられたとか、データーを

消してしまって修復出来ないとか、あげくにあったとしても

個人情報のかたまりだから出せないとか、のり弁みたいに真っ黒な

資料を出してくるとか、私人であるはずの首相の奥さんが招待

している人がいるとか(国の公けの行事なのに?)、その奥さんの

経費はお答え困難(私人に公費を使うの?)とか、あの資料も

紛失した、この資料も消えてしまった・・って、もうね呆れてね

最近は見るのもイヤになって来ましたよ。

こんなムチャクチャなことがどこまで通用するのかな?・・って

反対にそっちの方に興味がありますね。私(笑)



・・ということで、今日のアシュタールからのメッセージを

お伝えしますね^^




「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

呆れるというのはエネルギーが離れるということです。

呆れるというのは怒る気にもならないということですね。

感情が揺れることがなくなり(怒りに巻き込まれることがなくなり)

俯瞰で観ることが出来るようになるということです


これはとても大きな事なのです。

そんなムチャクチャなことを許していいんですか?

怒って抗議しなければ何も変わりません・・というのがいままでの

考え方でした。

力には力で対抗し、どちらか強い方が主導権を握る・・

こうして歴史的にもいろいろな国、政権が出来てきました。

そして主導権を握った政権(権力者)もまた次に出て来た人たちに

よって倒されて行く・・という具合です。

でも、よく見てみたら何も変わっていません。

一時的に権力者が変わっただけなのです。

権力者が変わっても、社会構造は変わりません。


民主主義?共産主義?社会主義?などの言葉は変わりますが、

実質的にはピラミッド構造で、根本は何も変わらないのです。

リーダー(支配者)が変わっても、庶民が搾取されることは変わりません。

最初は庶民の味方だという姿を見せても、結局トップ(リーダー)の

力が強まっていけば庶民に不満が出て来て、また違うリーダーに変わる

という繰り返しです。


呆れる・・ということが出来るようになれば、繰り返しをやめることが

出来るのです。

繰り返すということは、同じところで変えようとするからなのです。

同じ土俵に乗って誰が強いかを競い合っていれば、ずっとその土俵から

おりることが出来ません。

今度こそは違う考えのリーダーが出て来て自分達庶民のための社会を

つくってくれると期待して、ダメで、また期待して、またがっかりする・・

という繰り返しになってしまうのです。


まったく違うところで考えなければ新しい社会を作ることが出来ません。

まったく新しい社会は、まったく新しいシステムに変わらなければ

出来ないのです。

ピラミッドシステムの中でなんとかしようと思っても、ピラミッド

システムである限り同じようなことが繰り返されてしまうのです。


でも、俯瞰でみることが出来るようになればそこから離れることが

出来ます。

呆れて物が言えない・・という心境になればエネルギー的に離れる

ことが出来るのです。

支配者たちはあなた達のエネルギーをつなぎ止めることで求心力が

出来るのです。

あなた達に影響を及ぼすことが出来るのです。

だからエネルギーをつなぎ止めることが出来なければ、求心力を保つ

ことが出来なくなります。

権力を持つことが出来なくなり、あなた達に何も出来なくなって

しまうのです。

どんなに美味しいことをいっても、脅してみても、また言ってるわと

思われてしまったら何も出来ないということです。


もういいわ・・って思うと、そっと離れようと思いますね。

いままでちょっと我慢して付き合って来たけど、もうこれ以上はちょっと

ムリって思ったとき、あなたはその人からそっと離れようと思いますね。

その人を変えようとか、何とか関係を良いものにしようとして来たけど

もうムリですと思ったら何も言わず離れて行きますね。

(というか何もしなくても疎遠になって来ると思います。)

その人が現実に現れなくなってきます。

それがエネルギーラインが切れるということです。

どっちが悪いという話ではなく、合わないということです。


個人的な関係と社会の関係も同じなのです。

もうムリ、呆れて物が言えないと思えることが出来ればそっと離れる

ことが出来ます。

興味を失い、そこにエネルギーを流さなければエネルギーのラインが

切れるのです。

社会は違います・・イヤでも税金を払わなければいけないし、何か

あると法律で罰せられるし、こちらがイヤだと思っても離れることは

出来ません・・と思ってしまうから離れられないのです。

まだその社会にエネルギーを注いでいることになるのです。


この話はあなた達には理解しにくいと思います。

でも、呆れて物が言えないと思えたら執着がなくなります。

そしてそんな呆れた人たち(社会)に関わらず自分の好きなことを

しましょうと思うことが出来ます。

そうなれば波動領域が違ってくるのです。

波動領域が違って来れば影響を受けなくなるのです。

波動領域を住み分けるということが出来るのです。


波動の住み分けが出来ると、何も影響を及ぼすことができなくなり

エネルギーのラインを切ることが出来るのです。

エネルギーのラインが切れれば新しい社会を創造することが出来ます。

いまの社会システムに何も期待しないと思えるようになれば、

違う社会を創ろうと思えるのです。

そして、いままでの社会システムの反対のシステムを創ろうと思えます。

呆れはてたシステムではなく、それを反面教師としてまったく違う

システムをつくりましょうと思えるのです。


ですからもっとやってもらってください。

本心から呆れて物が言えないと思えるくらいやってもらってください。

この状況はそういう意味では(新しい社会を望む人たちにとっては)

チャンスなのです。

いまの社会のまま何とかしようと同じ土俵で戦うか、土俵を降りて

違うところに行くか・・ということなのです。

これは良い悪いではありません。

どういう体験をしたいかという選択なのです。


いままでのやり方(同じ土俵で戦う)も楽しい経験ではありますが

それももう飽きたと思われる方はそっと離れてください。

そっと離れて、そっと新しい社会を創造していってください。

そっと離れると決めればたくさんいろいろなアイディアが出てきます。


あなたに愛をこめてお伝えいたします。」


ありがとう、アシュタール!感謝します。


(ここまで)


ホントに呆れてしまってその話を聞くのも見るのも止めてます(笑)。

違うことを考えている方がよっぽど楽しいですね。


そういう意味では来年は本当に2極化が大きく進行すると思います。

どちらにいるかはその人の自由ですが、少なくとも選ばないといけない

時期に差し掛かっているようです。

もし、違う方向にいると感じたらすぐにでも戻れる柔軟性も持って

いる必要があると思います。





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オレンジャーからのメッセージ「ワクを外す」 [アセンション]

オレンジャーからのメッセージ「ワクを外す」



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おれはオレンジャー!

君たちは
多くの見えない枠を
潜在意識の中に
もっている

その枠のおかげで
リスクが小さくなる半面
本来の可能性を
大きく縮めてしまっている

死んでしまっては
もちろん困るが
あまり石橋ばかり叩いて
安全な道ばかりを歩んでいても
その人生は輝かない



死の床に伏している
自分を想像してほしい

自分の人生を
振り返って
何を思い出すだろうか

どんなシーンが
頭を巡るだろうか


人生は旅


たくさんの冒険が
そこにはある

楽しいことだけではなく
苦しいことや悲しいことも
そこにはあるだろう

その人生ストーリーこそが
あなたの生きるの価値であり
生きている意味なんだ

ただ、食べて寝て
生きるだけなら
動物と大差ない

でも君たちは人間だ

まだまだ
できることが
たくさんある

リスクを超えて
そのポテンシャルを
十分に発揮してほしい

常識やルールにとらわれず
自分の可能性を信じて
その翼を広げて
思いっきり飛び立ってほしい

その一歩が
あなたを成長させ
世界を変えていくんだよ

今日はこんなところだ
じや!

(ここまで)




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破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:本来の生活・・・」 [アセンション]

破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:本来の生活・・・」



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今日の破・常識!



個人が満足してこそ、みんなが満たされる

コミュニティー(社会)が出来るのです。

本来の生活を取り戻してください。byアシュタール

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今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。






「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

本来はそのような生活が日常なのですが・・

ずっと寝てる生活という意味ではありませんよ(笑)

何も決めることなく、好きなことを好きなときに好きなだけするという

生活があなた達にとって本来の生活なのです。

毎日したいことが変わってきます。

食べたいものも、食べたい時間も、寝たい時間も

その時のあなたの気持ちや身体の状態によって違ってくるのです。

身体が休養を欲していれば眠る時間も長くなるでしょうし

動きたいと思う状態なら短くても大丈夫なのです。

食べ物もそうですし、やりたいこともそうです。

その瞬間瞬間に決めればいいのです。

その瞬間に何がしたいのかを考える・・それが本来の生活なのです。

そんなことをしたら、社会は成り立ちません・・と思いますか?

そもそも、社会とは何なのでしょう?・・という問題ですが

一斉に何かを一緒にしなけばいけない社会自体がおかしいのです。

社会とは誰かのために働くことではありません。

自分がしたいことをして、それを提供し合うことで

社会というコミュニティーが出来ていくのです。

社会ありきではないのです。

あなた達のいまの社会は、社会ありきで

社会が主となってしまっているから

個人が大切にされず疲れ果ててしまうのです。


ちょっと話はそれますが・・働くという言葉を

傍(はた)が楽になるという言葉のすり替えの概念に

持っていく人がいますが、それは支配者たちにとって

都合の良い概念に過ぎないことを理解してください。

傍(はた)を楽にするために、あなたは働きましょう・・

というのは、自己犠牲を善だと刷り込むためのものです。

傍を楽にする必要はありません。

まず、あなたが楽になることを考えてください

あなたが身体も気持ちも楽になって

ご機嫌さんでいられるようになると

人を楽にするために働こうなどと思わなくても

好きなことをしているだけで人も楽にすることが出来るのです。

分かりますか?


あなた達はすべて反対を教えられているのです。

社会ありきでは個人はないがしろにされてしまいます。

人を楽にしてあげるために働きなさいということは、

表面的には素晴らしい考え方のように一瞬は思いますが

長い目で見ればまるで違うのです。

自分を犠牲にしていれば、自分が枯渇していきます。

自分が枯渇してしまえば、

人に何かをしてあげることも出来なくなるのです。

あなた達の本来の生活は、何も決めない生活なのです。

その時の気分で何をしてもいい生活なのです。

誰からも指図されることなく、誰からも干渉されることなく

そして、誰にも干渉しない生活なのです。

それでも、しっかりとコミュニティーは出来るのです。

その方がとても気持ちの良い

風通しの良い、コミュニティーになるのです。

あなたは何をしても自由なのです。

家でのんびりしたければすればいいし

外で遊びたければ遊べばいいし

旅行に行きたければ行けばいいし

何かを作りたければ作ればいいし

おしゃべりをしたければすればいいし

歌を歌いたければ歌えばいいし

昼寝をしたければすればいいし

食べたければ食べたいものを食べればいいし

何もせずボ~っとしたければボ~っとすればいいんです。

好きなことを好きなときに好きなだけする・・

みんながこの生活が出来るようになれば、

エネルギーは気持ちよく循環し、

みんなが何不自由なく満たされたコミュニティーが出来るのです。

社会ありきでは、このコミュニティーは出来ません。

個人が満足してこそ、みんなが満たされる

コミュニティー(社会)が出来るのです。

本来の生活を取り戻してください。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」



ありがとう、アシュタール! 

(ここまで)


戦後10年から20年後ほどの間は会社は個人があって成り立っている

という考えが根強くあり、そのため社員の福利厚生がとても充実して

いました。

毎年2回行われる社員旅行は参加自由であったけれど、費用は全部会社

持ちで社員は旅行先に鞄を持って行くだけというのが多かったと思います。

旅行だけでなく新年会や忘年会、新人歓迎会なども会社からの援助があり

ましたので、社員の負担が少なかったと思います。

それだけでなく、社員寮があれば入居費用は格安で民間住宅の4分の1

くらいで入れたはずです。


それがどうしてなくなったのかと言うと、会社が悪いわけではありません。

税制改革でそうした補助は給与と同じとみなされるようになったからです。

つまり、会社は給与のほかに余分に給与を払っているんだから、その分は

福利厚生費(無税)として扱ってはならないとなったからです。

経費として落とすことも出来ず、給与の一部になるので会社はその分の

税金を負担しなければなりません。

今まで社員に100万円の給与を払っていたものに毎年福利厚生費として

20万円使うと20万円が給与とみなされ、社員から税金を取ることに

なります。そんなことしたら誰も福利厚生費なんか使わなくなるでしょう。

そのため、昭和50年以降には福利厚生費を会社が出すのを嫌ったため

社員旅行、夜食、食堂の補助、家賃の補助、社員寮などが減って行ったのです。

要するに国が税収を上げようとして何でも税金の対象にしてしまったからです。

国が国民の幸せを考えていないという証拠です。そんな余分なかねがあるなら

税金払えと言う論理です。

そのため、会社の姿勢が個人から株主や会社の経営に重点を置くようになり

少しでも税金を減らし、利益を産むために給与を上げないようにしたとも言えます。

諸悪の根源は国の税制改正と商法改正です。これが日本経済を疲弊させ落とし

込んだと言えます。

まあ、国として見たら国民が幸せに酔いしれているのが我慢ならないという

ことでしょう。


話が随分それてしまいましたが、それでも私たちには幸せに暮らす権利は

あります。国のやることはさておいて、どうしたらお金をかけずに平和で

楽で幸せな生活を過ごせるかということを考えるのは私たちの自由です。

だから、今いちど生活のありかたを見直してみることが必要と思います。






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