SSブログ

オレンジャーからのメッセージ「ひらいてつながる」 [アセンション]

オレンジャーからのメッセージ「ひらいてつながる」



(ここから)

おれはオレンジャー!

これからの時代は
あなた自身を開いて
様々な人とつながっていく

世界の利便性が
高まるにつれて
一人で生きれるという
大いなる勘違いが
生まれている

でも人は
決して一人では
生きていけない

誕生の瞬間に生まれた
分離意識に対する
潜在的な不安や恐怖から

本来つながるところではなく
自分の安心を得るために
つながれるところに
自分を置きたくなってしまう

地縁や血縁、契約など
様々な条件を通して
自分の安心感を
確保したくなる

でも本来あなたは
何からも分離していないし
すべてはつながっている

この感覚を取り戻すには
あなた自身を解放する
必要がある

もっと意識を開いて
もっと五感を開いて
本来のあなたを
思い出してほしい

その瞬間に
あなたの周りにある
つながりのすべてを
想い出し

あなたは
居るべきところに
自然に誘われていく

今日はこんなところだ
じや!


(ここまで)



nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

世にも奇妙なフツーの話「さくやさん: 行き詰まってしまった社会をまた活性化するには・・・ 」 [アセンション]

世にも奇妙なフツーの話「さくやさん: 行き詰まってしまった社会をまた活性化するには・・・ 」




(ここから)


縄文人と現代の日本人の食生活がほぼ同じであることが科学的に判明

すごく長い記事なのでご興味のある方はin deepさんの記事をお読み

くださいね。

私はこの記事の中でin deepさんが書かれている・・・


今の私は、

「日本人の精神性の根幹は、縄文時代に戻ること」

だと思っています。

もちろん、縄文自体と同じスタイルの生活をするというようなことではなく、

物質至上主義ではない右脳型の文明という意味で、です。



この部分を読んで、おお~~ってなりました^0^

私たちミナミAアシュタールも縄文が大好き!!

縄文の頃のような方向へ戻る?行く?進化する?ことを目標と

しています^0^

だけど、縄文は遠すぎる(笑)生きて体験した人もいないから

話しも聞けない・・でも、縄文までは行かなくても今よりはちょっとだけ

縄文に近い社会だった昭和30、40年くらいの社会をもう一度って

思ってます。

昭和30、40年だったらその頃の事をよく知っている方もたくさん

いるから話も聞けるしね^^

ミナミAアシュタールが目指している社会ってどんなの?って思われる方は

Muu Free Club をお読みくださいね~~^0^



では、今日はさくやさんからのメッセージです。

お伝えしますね^^

「じょうもんの子たちの生活はとても豊かだったのよ。

なんか貝ばっかり食べてたイメージがあるみたいだけどね(笑)

貝ももちろん食べてたけど他にもいろいろな物を食べていたわよ。

貝塚?がたくさん見つかったから貝ばっかりって思っちゃったんだろうけど

それはまぁ、言っちゃったらゴミ置き場みたいなもので、いろいろな

物を捨てる?循環させるために作った場所だったのね。

貝の殻はなかなか分解しにくいから貝ばっかり残っちゃって

貝ばっかり食べてたのかな?って思ったのね。


そしてね、じょうもんの文化が世界の中でも特殊なものだったかって

いうことなんだけどね、方向が違うからなの。

じょうもんの子たちは物質に対してあまり執着しなかったの。

何かを作って残そうとか思わなかった。

だから、家とかなどの建物も残っていないから文明はなかった、

原始的な生活をしていたとされているけど、そんなことはなくて

とてもハイテクな生活をしていたわ。


ただ方向が他の国の人たちと違ったの。

他の国の人たちってアトランティスの文明を受け継ぐ人たちの

ことね。


アトランティスの文明とムーの文明の流れがあるってこと。

いまも昔もアトランティスの文明の流れを受け継ぐ国や人たちの方が

圧倒的に多い、だからいまの社会になってるの。

どういうことかと言うと、物質至上主義、物質が一番っていうことね。

たくさん物を作り、たくさん所有することが良いことだとされている

社会ね。

そこにはすべてを自分たちのコントロール下に置こうという考え方に

なってしまう。

テラの自然さえも自分たちでコントロールできると思ってしまう。


でも、じょうもんの子たちはそれと違う考え方をしていた。

彼らは自然をコントロールしようとするのではなく、寄り添う方向で

考えていた。

だから家などの建物も創らなかったの。

洞窟や大きな木の根のなどに住んでいた。

だから文明は存在しないと思われていたのね。


いまのあなた達の自然さえも人間のコントロール下におけると思う

文明は行き詰まって来ている。

わかるでしょ?


自然と寄り添う文明は原始的な社会じゃないの。

とても高いテクノロジーを持ってもそのような社会は創造できるの。


自然と寄り添っても豊かな生活は出来る。

反対に寄り添う方が自由に豊かに生きることが出来るの。

何でもかんでも力ずくでコントロールしようとすると必ずどこかに

ひずみが出来る。

テラが保っているバランスを崩してしまうから。


バランスが崩れると循環が出来なくなる。

循環を自分で止めて、そして自分でまた循環を起こそうとするのは

ナンセンスよね。

テラに任せておけば気持ちのいい循環は止まることなく続くのよ。

自分達で循環を起こそうとしなくても循環はしていくの。


人間が努力して頑張って自然をコントロールしようとするよりも

テラに任せておいた方がいい。

その方があなた達も楽なのよ。

そんなところにムリに力を注ぐよりも、自分達の楽しさにフォーカス

する方が豊かな生活が出来るの。


いま見ている方向と違う方向をみてみる柔軟さを持つことが出来れば

行き詰まってしまった社会をまた活性化することが出来ると思うけど。

行き詰まってしまった文明を新たな文明へと進化させることが

出来ると思うけど。


行き詰まって、先が見えないと思うならばいま話したことをちょっと

思い出してみてね。


あなた達をこころから愛してるわ~~」


ありがとう、さくやさん!

私たちもさくやさんをこころから愛してるよ~~^0^


(ここまで)


私たちからすると、立派な建物、立派な道具、立派な装置などを駆使して

生活を生きることが超文明的な・・・という感覚があると思いますが

じょうもんのころは違うみたいですね。

高度な科学テクノロジーと言っても、物質をコントロールしてあらゆるものを

創り出し使うというものではなく自然に寄り添った形で使うものということの

ようです。

果たして、それはどんなものなのだろうか?

と、考えているとテクノロジーを使う方向が違うようですね。

当時の気候は今の様な四季折々というようなものではなく、一年中初夏の様な

大変温暖な気候であったので、今のように暑さや寒さから身を守る住居と衣類

は必要なかったことがわかります。

そうすると、別に見つけた洞窟を住家にしたり、木の根に空いた空洞を住居に

しても十分快適に過ごせるものだったと思います。

では、そこには様々な虫とか細菌とかも存在すると思いますが、彼らは必要

ない虫さんにはそこを退いてもらい、必要な虫さんだけ居場所を確保してもらう

テクノロジーがあったのでしょう。当然、入り口にはドアがないわけですから

夜、野獣に襲われる可能性もセロではなかったと思います。

そこは意識の波動で野獣とも話が出来るわけですから、別の場所に移動して

もらうか共生することを頼んで被害のない快適な生活空間を創り上げることが

可能だったのではないかと思います。

つまり、彼らの高度なテクノロジーとは意識エネルギーを上手に使ったもの

だったと思います。

その意識エネルギーで物を動かしたり、テレポーテーションしたり、他の

動植物と会話したりと多くのことができたのでしょう。

つまり、テクノロジーの方向性が異なるということです。

自然と共生するのが彼らの高度なテクノロジーの使い道だったということですね。



nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:波動が軽いと物質でなくなるの?」 [アセンション]

破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:波動が軽いと物質でなくなるの?」




(ここから)


今日の破・常識!



意識エネルギー(波動)と、身体のエネルギー(周波数)は

違うということを理解してくださいbyアシュタール


--------------------------------------------------------------------------------------------------------


今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。







「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

言葉でお答えするには、なかなか難しいご質問ですね。

あなた達は、自分で望んで?物質化しています。

望んでというか、自分であなたの身体を物質化しているのです。

だから、物質という身体を持っているのです。

ここまで大丈夫でしょうか?


私はいまは物質化はしていません・・

身体は持っていないということです。

じゃあ、物質化が出来ないのかと言われれば

出来ますとお答えします。


ではどうして物質化、身体を持たないのですか?

と問われれば、望まないからです・・とお答えしたいと思います。

身体を持つ必要性を感じませんし

いまこの状態がとても気に入っているからです。


物質化と波動領域は違うものなのです。

それをごちゃごちゃにしてしまうと分からなくなります。

波動領域は、意識の問題なのです。

意識の波動エネルギーが軽くなると、軽い次元と共振します。

これが、いつも私がお伝えしている波動エネルギーのことです。

物質化するエネルギーとはまた違うのです。

同じ波動エネルギーだと思ってしまうと訳が分からなくなります。

分かりやすいように、意識エネルギーを波動エネルギー、

物質化のエネルギーを周波数と言わせて頂きますね。


周波数は、意識の波動エネルギーで

変化させることが出来るのです。

だから、とても軽い波動エネルギーであっても

周波数を重くして物質になることも出来るのです。

難しいですか?


ですから、4次元領域(異次元)の存在達は、

3次元領域の波動エネルギーと同じくらいであっても

物質化しないで存在しているのです。

意識の波動エネルギーの軽さは、

愛(尊敬と感謝の気持ち)によって変わって来ます。

愛のエネルギーが多くなると、波動エネルギーは軽くなります。

軽い波動領域に共振するということですね。

でも、その軽い波動エネルギーでも

その個性のエネルギーが望めば、

身体という物質を創造したいと思えば、

物質化することが出来るのです。


意識を車をつくる人、車を身体だとすればイメージしやすいですか?

あなたの頭の中で車のデザインが出来、

そして、エネルギーを使ってそれを物質化したのが身体なのです。

意識の波動エネルギーと物質としての身体は違うもの

別のものだと理解してください。

車をつくる人がすごく波動の軽い人でも、車は物質なのです。


3次元領域だから、物質次元ではないのです。

高次元の波動領域でも、物質化したいと思えば出来るのです。


縄文の人たちがそうでした。

彼らは、とても軽い波動領域に共振していましたが、

物質としての身体を持っていました。

だから、とても長い期間愛と調和で満たされた

平和な文化をつくることが出来たのです。

物質でいることが、重い波動領域ではないのです。

それは、周波数をどうするかだけのことなのです。

周波数を落とせば(波の波状形態を粗くすれば)物質となるのです。

水が氷になる感じです。

周波数を上げれば、非物質となるのです。

水が蒸気になる感じです。

だから、非物質だからといって

意識の波動が軽いとは言えないということです。

非物質≠波動が軽い・・です。


あなた達は、目に見えない存在(非物質の存在)を

波動エネルギーが軽くて高貴な存在だと思いがちですが

そうではないということを分かってください。

非物質でも、あなた達よりも意識波動エネルギーが

重い存在はたくさんいるということです。


何度もお伝えしていますが、

重いから悪い、軽いから良いということはありません。

その個性のエネルギーがどこを望んでいるかだけなのです。

ですから、身体と言う物質を持っていても

あなたはもう5次元領域にいるといえるのです。

そして、同じ周波数の身体を持っていても

意識エネルギーが共振するところが違ってくると

見えなくなってくるのです。

それが住み分けなのです。

身体という物質を持っていて、物質次元にいるとしても

意識エネルギー(波動)が違うと、お互い見えなくなるということです。


どういうことかというと、車に乗っていても、道が違うと見えませんね。

一般道路を走っている車には、高速道路を走っている車は見えません。

それと同じです。

一般道が悪くて、高速道路が高貴な道路だなんていう考え方は、

とてもナンセンスなのはわかりますね。

それは、目的が違っていた

一般道路の方が好きだったりするだけのことです。

だから、物質次元だから波動領域が重いなどということはない

とお伝えしたいと思います。


意識エネルギー(波動)と、身体のエネルギー(周波数)は

違うということを理解してください。

すべては意識エネルギーが創造します。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」



ありがとう、アシュタール! 


(ここまで)


この件に関してはおそらく2012年に全体的に一斉アセンションするという話が

流れたときに出てきたことのようです。

アセンションすると肉体が非物質化する、あるいは炭素型生命体から珪素型生命体

(いわゆるクリスタル体)に変化するというアセンション情報がありました。

これはプレアデスやアンドロメダからもたらされていました。

当時の私もそうなるだろうと思っていました。


しかし、実際に2012年を過ぎてもそうはなりませんでした。


2012年のあの日夜遅く一瞬ブラックアウトしたような軽い衝撃を感じ、そのまま

何もなかったかのように通過したのを今でも覚えています。

今思うとおそらく何かがあったのでしょう。

中には、それまで言われていたアセンションという説を信じ、そのように変化した

人たちもいたと思います。

でも、今いる私たちは全体アセンションではなく、個々のベースに応じたアセンシ

ョンを選択したようです。

なぜなら、全体アセンションを行ったときにその衝撃に耐えられず脱落してしまう

人類が当時99%くらいだったのではないかと思います。

それだけ波動が低かったのだろうと思います。

そこで、波動が上昇した人から順次個別にアセンションする方向へチェンジが

なされたものと思います。

だから、肉体も地球もそのように変化しませんでした。


話を元に戻しますが、今回アシュタールの語っている波動エネルギーとして

軽い、重いと肉体の波動が軽い、重いは連動していないというこについては

私も初めて知りました。

私自身も波動が上昇すると肉体の波動もそれに応じて上がるだろうと思って

いたからです。

でも、それは肉体の波動が上がるのではなく、意識の波動が上がるということの

ようです。つまり、肉体には別の波動形態が存在していて、波動が軽ければ

肉体の物質構造が変化するというのではないということです。

あくまでも波動の上昇は意識の波動の上昇です。

それがアセンションであり高次元領域との共振を果たすポイントです。


仮に波動が高い状態のところへ行き、肉体も今より周波数が高い状態に移った

としても意識がそれに応じて高くなっていないと、そこにはそのまま存在する

ことができないということになります。

意識の波動が低ければまた元の状態に引き戻されます。

それが波動の法則です。


だから、考え方を変えないといけません。

肉体が変化したからとか、超能力を発揮できるようになったとかというのは

高次元に移行した証にはならないということです。

あくまでもそれに応じて意識の波動も高くなっていないといけないものです。

意識の波動もそれに応じて高くなっていれば超能力をむやみに誇示しようという

こともないと思います。

もし、意識の波動が高くなっていないならば、ただむやみに自分の持っている

超能力を見せ示すだけの自己顕示に終わることでしょう。















nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。