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なぜ大富豪はお金をたくさん持っているのにそれに満足できないのか? [世界経済]

なぜ大富豪はお金をたくさん持っているのにそれに満足できないのか?



世界中には10億㌦(約1300億円)以上の純資産を持つ人が2208人(2018年)もいるということですが、その人たちがなぜ我々から見ると必要十分以上のお金を持ちながら、さらに多く持とうとするのか?
その問いにハーバードビジネススクールの教授が億万長者の心理を分析してある回答を得たそうです。その回答とは・・・。



(ここから)

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by Ishan @seefromthesky

フォーブスが公開している「The World's Billionaires 2018」によると、世界中には10億ドル(約1100億円)以上の純資産を持ついわゆる「億万長者」と呼ばれる人が2208人もいるそうです。これだけ多くのお金を稼いできた人たちであっても、現状に満足することなくより多くの金銭を求めて仕事に打ち込み続ける、というのはよくあること。なぜ多くのお金を持っているのに現状に満足することができないのかについて、幸福と富の関係について研究しているハーバード・ビジネス・スクールのマイケル・ノートン教授が億万長者の心理を分析しています。

Why Aren’t Rich People Happy With the Money They Have? - The Atlantic
https://www.theatlantic.com/family/archive/2018/12/rich-people-happy-money/577231/

ノートン教授によると、人間は自分の人生の何かしらに満足しているかどうかを判断する際、自分自身に「自分は他の人よりも良いか?」と自問するそうです。この問いかけは富だけに限らず、身長などの外見や個人の魅力なども含まれるそうです。

しかし、問題となるのは「人生において本当に重要なことの多くは測定することが困難である」ということ。例えば自分が良い親かどうかと考えても、1年前と今の自分自身を比較して「良い親になっているかどうか」を正確に測ることは難しいものです。また、「良い親かどうか」についての明確な尺度は存在しないため、隣の家の親と自分自身を比べて「どちらが良い親か?」を判断することも難しいものです。

そのため、人間は数値化することが可能な「比較が容易な次元」に目を向けるケースが多いそうです。ノートン教授は「その際、お金こそ素晴らしい尺度となる。自分がそれまでよりもうまくやっているかどうかを知る必要があるなら、簡単に確認することができます。その方法は『私は昔よりも多くお金を稼いでいるか?』『私の家の面積はどれくらいか?』『昔よりも多くの家を持っているか?』と自問するだけです」と語り、自分の人生を評価するために他人との比較を行い、最も簡単に比較に使用できる尺度としてお金、つまりは自分の資産を用いると記しています。

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by Sharon McCutcheon

また、1度多くのお金を勝ち取った人が「お金」による比較から離れることは容易ではないそうです。もし、家族で5000万円を稼いでいたとしても、自分の周りのコミュニティが同じくらい稼ぐ人たちばかりなら、以前よりも自分のことを貧乏と感じ「より稼がなくては」と考えるようになることはあり得るとのこと。財産に関する目標は絶え間なく変化し続けるため、どれだけ稼いでも、自分の周囲が同じようにレベルアップしていけば満足感を得られないまま「もっと稼がなければ」と感じるのは自然なことであるとノートン教授。

ノートン教授が2018年初頭に発表した論文では、少なくとも100万ドル(約1億1000万円)以上の純資産を持つ2000人を対象に調査を行っており、調査対象者は基本的に「2~3倍の資産が必要」と回答したそうです。多くの資産を持つ人々でも自身の資産に完全に満足している人はおらず、皆が「もっと稼がなければ」と感じていたというわけ。

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by Kenny Luo

ノースウェスタン大学の政治学教授であり、「Oligarchy」の著者でもあるジェフリー・ウィンタース氏は、「一般的に支出は住宅ローンや健康保険、食料、子どもの授業料などの経費と結びつくものです。しかし、超富裕層の多くはお金を稼ぐためにお金を使っています」と語り、超富裕層は財産を増やすために投資やビジネスなどに資金を投入していると指摘しています。

コペンハーゲン・ビジネス・スクールで超富裕層の金融慣行について研究しているブルックリン・ハリントン氏は、「『うまくいっている』という感覚は『帆船や何かを購入する』という幼少気の夢を実現することで得られる感覚ではありません。裕福な気持ちは、自分が比較する他人との差から得られるものです。なので、問題は個人が買いたいものではなく、自身の地位を維持するために買わなければいけないと感じているものにこそあります」と語っており、何を買ったかが超富裕層の満足感を満たすのではなく、自分と似たレベルの人と比べて何を買えばより優位に立っていると感じられるか、こそが超富裕層の心を満たすものだと指摘しています。

さらに、小説家のゲイリー・シュタインガート氏も超富裕層が財産についてどのような考えを抱いているかの経験をつづっています。シュタインガート氏が2018年9月に出版した小説「Lake Success」の主人公は、ニューヨークで働く金融業者です。そのため、小説を書くためにシュタインガート氏は十数人の非常に裕福な投資家たちと知り合いになりその生活を調査したそうです。その結果、裕福な投資家の誰もが自身の資産を増やすために財務担当者を雇っていたそうで、「彼らはあなたが必要とするものすべてを購入できる以上の金銭を持っていました。そして、彼らが購入できるものは、彼らが持っているものに比べて高価ではありませんでした。ガルウイングのテスラだったり、最新のテスラだったり。私はそれらがどれくらいの値段かわかりませんでしたが、1億ドル(約110億円)では足りないレベルだと思います」と、自身が取材した投資家たちがいかに多くの資産を持った人たちであったかについて語っています。

そんなシュタインガート氏が取材した投資家たちは、その誰もが「激しい競争心を持っていた」とのこと。「彼らは終日ブルームバーグのターミナルで互いに競争し、その後、さらに競争力のあるポーカーをプレイしていました」とシュタインガート氏は語り、この奇妙な精神は遊びのポーカーから慈善団体への寄附にいたるまで、あらゆる面に反映されていたと語っています。シュタインガート氏によれば、「この競争心のもと、仲間よりもスマートで能力が高いと見える必要があるのかもしれない」と、裕福な投資家たちの心理を分析しています。

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by Steven Lelham

さらに、シュタインガート氏はヘッジファンドがノートン教授やハリントン氏が説明した超富裕層の持つ「他人との比較」に関する心理を用い、資産をスコアカードとして扱っていることを目撃したと明かしています。

なお、シュタインガート氏は「この調査が終わってうれしく思います。なぜならそれはかなり憂うつなものだったからです」と語り、幸福と富に関する調査が想像以上にハードで精神的に気持ちの良いものではなかったとしています。

(ここまで)


もう彼らに見えているのは私たちの生活がどうのこうのというレベルではないようです。要するに貧富の差なんかどうでもいいという事です。そしてそういうこととは全く関係のない他者との競争による自分自身の価値を獲得するためだったということがわかりました。
それにしても、人の欲には際限がなく、彼らには貧困というものは理解できないようです。わかっていても関係ないというのか・・・。そういう心理でしょう。





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世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:無関心でいるという事は・・・」 [アセンション]

世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:無関心でいるという事は・・・」



(ここから)


先日の「同じ土俵から降りる・・」の記事に、いくつか同じような内容のご質問を

いただきました。


以前の記事で、

「(税金や寄付金の使い道を)しっかり見てますよ」と思うだけで権力者達は

やりにくくなります。

とあったと思いますが、今回の「無関心でいて下さい」と混同してしまっています。

自分は今はニュースはほぼ見ないので水道が民営化されようとしてること

すら分からないのですが、これでは無関心すぎでしょうか。

もう少し違いなど教えて頂けませんか?



見てるということと、無関心でいるということ・・

ここのとこ、教えてアシュタールぅ~~^0^


「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

無関心でいるということは、何も知らなくても良いということではなく

感情を動かさず、真実だけを見るということです。

あ、そういうことをしているのですね、ご勝手に・・という感じでしょうか?

ですから、税金の使い道に関しても、知っていますよ・・ということは必要なのです。


たとえば、いたずらをしている子どもがいるとします。

誰も見ていなければ、子どもはそれを続けます。

でも、誰かが見ているとそのいたずらをしにくくなります。

ここまでは大丈夫でしょうか?


しかし、それを叱責したり、力尽くでやめさせようとすると、子どもは反抗したり、

意地になってそれをしようとしたりしますね。

でも、あなたがしているいたずらは知っていますよ・・という雰囲気を出しながらも

何も言わない、何もしなければ子どもはどうでしょうか?

やりにくくなってきますね。

そして、やれなくなってきます。


少し状況は違いますが、心理的には同じようなものです。

デモをして抗議したり、力で何とかしようとしても、それは逆効果になってしまいます。

彼らにとって、それは何も怖いことではないのです。


でも、あなた達が何をしているか知っていますよ、というエネルギーを出していても

何も言わないという態度を貫くと、彼らは気持ちが悪くなってくるのです。

そして、感情を動かさず、どうぞお好きになさってください、私たちはあなたに賛同したり、

従ったりしませんけど・・という態度を取れば、彼らは何もできなくなってしまうのです。


手の内がばれてしまっていると、手品もやりにくいですね。

それも、ネタバレしているのに、何も言わずじっと見られている方がやりにくくなります。

そのような感じです。


私がお伝えしている無関心は、何も知らないということではないのです。

知った上で、感情エネルギーを動かさず、彼らに怒りなどのエネルギーを向けず、

ただ淡々と自分の好きな方向だけにフォーカスするということです。


それが、彼らと離れる方法なのです。

知らなければ、何も出来ません。

知らなければ、自分の意志で選択することも出来ないのです。


情報があって、知識を持つことが出来て、はじめて彼らのしていることが分かります。

手品のタネが分かります。

彼らのしていることがわかった上で、彼らと違う世界を選択するのです。

(離れたいのであれば、ですが)



>自分は今はニュースはほぼ見ないので水道が民営化されようとしてること

すら分からないのですが、これでは無関心すぎでしょうか。


テレビのニュースで見なくても、別の形でしっかりと情報は入って来ていますね。

テレビで水道の民営化の情報を得なくても、このようにブログなどから情報を得ています。

それは、あなたが知りたいと思っているからです。

それは、無関心ではありませんね。

関心があるから、情報が入ってきているのです。


知っているけど、あえて何もしない・・これが彼らにとってはイヤな?困る?こと

なのです。

見ているけど、何も反応しない・・このようにされるとやりにくくなるのです。


これはエネルギーの観点からの話です。

ですから、いつもお伝えしますが、波動エネルギーのことが理解出来ると、

この方法がとても効果的だということがお分かりいただけると思います。


でも、私たちがおすすめするのは、彼らの考え方ややり方を変えようとする

方向ではなく彼らと住み分ける方向です。


知っています、分かっています、見ています・・だから、あなたとは一緒にいることは

出来ませんので、違う方向へ進みます・・ということです。


住み分けてください・・波動領域を変えてください。

そうなれば、彼らに意識を向けることもなくなります。

彼らに見ていますよ・・というエネルギーを向ける必要もなくなってきます。


あなたに愛をこめてお伝えいたします。」


ありがとう、アシュタール!感謝します。


(ここまで)



無関心でいるということは全く知らないでいることを良しとしてそれを貫き通すという

ことではなくて、知っていても関心を向けないという事ですね。

だから、知ることを嫌がる必要は全くないことと思います。

問題は知ることで自分がその事実に恐怖心や不安を持つことです。

そのため、たとえ支配者のことについて知ったとしても、それは一つの事実としてだけ

見て、恐怖心や不安、強い関心を持たないという事です。


私なんかもいろいろネットで見たり読んだりしてますが、ほとんどは忘れてしまっています。

だから、あんなことがあったと思い出せればそれでいいものと思います。

今はネットという便利な道具が出来たのでいつでも必要なことを調べられます。

ぜひそのツールを活用しましょう。







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破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:違和感を感じたら・・・」 [アセンション]

破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:違和感を感じたら・・・」




(ここから)


今日の破・常識!



思考停止した人は、他の人の意見を簡単に受け入れる。

特に自分に対して自信のない人(セルフイメージの低い人)は、

自分の考え、感覚より、人の考えの方を信用する。

特に、社会的に権威のある人、有名な人、権力のある人は、

思考停止した人たちにとっては、正しい人・・・らしい(笑)





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今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。







「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

流行などは意図的に作られたものです。すべて商業ベースなのです。

人々の思考を操作しているだけなのです。

そして、操作される人たちは思考停止しているのです。


思考停止・・自分で考えるのを止めてしまったということです。

自分で考えることを止めてしまうように、

小さなころから教育されているのです。

自分で考えるより、人に考えて(決めて)もらう方がいい、

正しい答えにたどり着く、そして”楽”だと教えられてきたのです。

そして、テレビなどもその思考停止のいちよくを担っています。

テレビでどの番組も同じことを言い続けることで、

それが真実だと思いこむようになってしまうのです。

何度も何度も繰り返し聞かされることで、

それが真実だと思い込むようになります。

そして、単純なことをずっとさせられても思考は停止します。

例えば、自分にとっては意味の感じられない、興味のない数字などを

繰り返し覚えさせられるという作業が続くと思考を止めてしまうのです。

学校の教科などで、数字などを機械的に覚えさせるというのは、

考える習慣をなくし思考を停止させるためのものです。

思考停止した人は、他の人の意見を簡単に受け入れます。

特に自分に対して自信のない人(セルフイメージの低い人)は、

自分の考え、感覚より人の考えの方を信用するのです。

特に、社会的に権威のある人、有名な人、権力のある人は、

思考停止した人たちにとっては、正しい人なのです。

話の内容ではなく、外側の肩書で”正しい”が決まるのです。

内容ではなく、包装紙が大切になってくるのです。

そう言う人たちが多ければ多いほど

簡単に人々を操作することが出来るのです。

権威ある人が右に行きなさい、それが正しい道です・・といえば、

何も考えずに右へ向かうのですから、とても簡単に

人々を自由に自分たちの都合よく動かすことが出来るのです。

そうなるように意図的に教育システムは出来ているのです。

テレビなどの報道システムも同じです。


流行について疑問を持ってください。

みんな(世間)が流れていく方向に疑問を持ってください。

誰がそれを提唱しているのか?・・俯瞰で見る視点を持ってください。

みんながやっているから・・みんなの意見だから・・

という言葉に疑問を持ってください。

みんな・・とは誰ですか? 世間さま・・とは誰のことでしょうか?


包装紙ではなく、中身を見るようにしてください。

中身をしっかりとみて、それについて自分はどう感じるか???に

フォーカスしてください。あなたのどこかにちょっとでも違和感を感じたら、

もう一度しっかりと考えてください。

自分がしたいのはそれか??・・しっかりと自分に聞いてください。

人の意見ではなく、自分の感覚を信じてください。


考えるのを止めてしまえば”楽”かもしれませんが、

自分の好きな人生は生きられません。

楽しい人生は生きられないのです。

あなたの権利を誰かに渡さないでください。

自分で考えず”楽”をしようと思うことは、

あなたの権利を渡しているのと同じです。

みんなが良いというから・・という理由で

それが本当に好きなのか?楽しいのか?求めていることか?・・

を考えることを止めることは権利を手放なすのと同じです。


イヤなら、流れがどうあれ自分の好きなところに進んでください。

流れに逆らう必要はありません。流れから出ればいいのです。

流れの外側に行けば、

流れに飲み込まれ翻弄されることはなくなります。

人の目を気にし、ありもしない”世間さま”に合わせ、

目立たず生きることが平和と調和な生き方ではないのです。

人に合わせると、あなたの中が平和でなくなります。

だから、平和でない現実を創造してしまうのです。


流れから出て、人に合わせることを止め、

自分の好きな流れを自分で作ると

あなたの中が平和で満たされますので、

あなたの現実も平和なものとなります。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」



ありがとう、アシュタール!


(ここまで)




言ってみれば日本の教育制度は「金太郎飴製造機」のようなものです。

平均的であることがいちばんとされ、出来過ぎても出来なさ過ぎてもいけない。

出来過ぎた子は頭を叩かれ頭脳の成長を阻止されるし、出来の悪い子はいつまでも

そのまま放っておかれ、卒業するときには問題児となる。

不満を述べる子は教師に嫌われ、遊びの度が過ぎると注意され、常に大人しく従順で

素直(逆らわない)であることを要求されます。

かっては飛び級というのがあったので小学校一年生でも頭脳明晰であれば別組で2年、

3年の学習を行い、他の人より早く卒業できたものです。

ところが今はそれは不平等の代名詞にされてしまいなくなりました。

いつから学校は平等教育というバカな考え方を導入したんでしょう。

運動会で1位、2位、3位を決めるのは平等の精神に反するので全員同じスタートラインに

並ばされ、ゴールも全員一緒という学校の話を聞いたことがありますが、とんでもない

ことをするもんだなと思いました。


フィンランドという国が最近世界の学力テストで上位に顔を出すようになったということで

すが、フィンランドはそもそも「学校はテストに合格することではなく学ぶ場所」という

考えが根底にあり、日本のような文部省の学習指導要綱なんてものはありません。

そして、「やる気」が重要視され、試験も何度か行われますが、自分自身も先生も学習の

目標を決め、それぞれが進行具合をチェックするようになっています。そのため生徒の

自主性が尊重され、自立的な考えが伸ばせるようになっています。

また、学習進ちょく度の遅い子供は特別クラスに入れられ何度も何度も繰り返し学習が

行われ、卒業するころには他の生徒と同じくらいのレベルになるよう専門教育が行われて

います。

こうしてみると、日本のテストに合格するために毎日詰め込み暗記教育が行われ、先生の

指示には絶対服従という軍隊式のものとは大きく異なるのがわかりますね。

そのため多くの生徒は大学入試にかなりの時間を割き、浪人してでも入学することを

求めますが、先日のニュースにあったように「試験時に浪人生は-20点で評価」という

個人の努力を根底から否定するようなことが平然と行われていたのですからあきれて

ものも言えません。国立大学がですよ~!

いかに日本の教育者のものの考え方が偏っているかわかります。

本当に困ったものです。






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