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世にも奇妙なフツーの話「さくやさん:余裕のまったくない世界・・・」 [アセンション]

世にも奇妙なフツーの話「さくやさん:余裕のまったくない世界・・・」




(ここから)

怖!・・って思う記事を2つ読みました^^;

「給食中は私語一切禁止」学校を取り巻く“不自由”の実態

給食を食べているときは、私語は一切禁止・・黙食と呼ばれる指導だそう。

「子どもたちがしゃべりながら食べると時間がかかるかららしいです。

娘は入学したばかりのころ、給食の時間が怖いと泣いたこともありました。」

怖い!ただ黙って前を向いて黙々と食べている子供たちの姿・・もう不気味!



それから、もう1つの記事、

DV被害者なのに、強制入院で「身体拘束」された主婦が味わった恐怖

これって、リアルにサスペンスです。

違うって叫んでるのに、誰も話を聞いてくれず、どんどん追い詰められていく・・


DVを受けて、助けを求めているだけだったのに、気がついたら自分が精神錯乱者として

身体を拘束され、薬を飲まされ、覚えのない供述がカルテに書かれ、入院を強制される。


怖い、怖すぎるぅ~~・・・って思ってたら、さくやさんからメッセージが来ましたので

お伝えしますね^^

「どっちも根っこは同じ。

みんな忙しすぎるのよ。

少しでも手間を省きたい・・それだけなの。


それには、自由にさせないのが一番よね。

自由にいろいろ動き出したら、めんどくさいから。

そして、自分に責任がかかってくるから。


忙しいんだから、手をかけさせないでよ~~・・ってみんなが思ってる社会。

ちゃっちゃと仕事を終わらせたい、休みたい、楽をしたい・・そこだけで動いている。

だから、人を”人という記号”としてみるようになってしまってるの。


その人が何を思い、何を感じているか・・そんなことには興味はない。

どうしたら、自分の仕事を効率よく運ぶか・・興味はそこだけ。

子どもの自由意思?・・そんなものは邪魔なだけ。

教師たちも最初は、そんなことは思っていなかったはずよ。

でも、どんどんやることが多くなって来て、忙しくなって、余裕がなくなって、

そんな悠長なことを考えてるひまなんて無い。

次から次へと来る仕事をとにかく終わらせなくてはいけない。

それもエンドレスにやってくる・・子どもを人として向き合ってるヒマなんてなくなる。


医者も看護師も介護士も保育士も、電車を動かしている人もそう、

何かを販売している人もそう、サービス業と呼ばれる仕事も、早くちゃっちゃと効率よく

仕事して少しでも利益を上げて・・っていう発想。


親だってそう思ってない?

早く食べて片付かないから、早くお風呂に入っちゃって、早く寝なさい、早く、早く、早く!

何か子どもが話をしようとしても、あとから聞くねとゆっくりと話を聞こうとしない。

ムダ話として、あっさり切ってしまう・・親にとってはムダ話かもしれなけど、

子どもにとっては大切な話・・


余裕のまったくない社会・・これがあなた達の社会なの。

どうしてそんなに急ぐことがあるの?

どうしてそんなにお金を得なければいけないの?

どうしてそんなにいつもいつも焦っているの?


一番大切なことを忘れてしまって、効率ばかりを追いかけて、それで楽しい?

何を目指して生きているの?


ただ前を向いて走っているだけじゃ、何も見えてこない。

ムダだと切り捨ててしまうことの中に大切なものがたくさんあるの。

効率、合理化・・短いスパンで見ればいいかもしれないけど、長いスパンで考えれば

それは反対に非効率的で、非合理的なこともたくさんあるの。


とにかく、ちょっと立ち止まってごらん。

いつもイライラしてると思ったら、ちょっと意識して立ち止まるの。

そして、ゆっくり歩こうって思って、本当にゆっくり歩いてみるの。

そうすれば、気持ちに余裕が出来るわ。


お尻を叩かれて、ただただ走る人生をやめてみたら?

そんなに一生懸命走っても、ゆっくり歩いても、出来ることはそんなに変わらないから。


ゆっくり歩くと決めれば、時間もゆっくりと流れるからね。


ゆっくり歩いていれば、隣にもゆっくり歩いている人が見えて来る。

その人たちとゆっくりおしゃべりしながら歩く人生も楽しいと思うけど。



あなた達をこころから愛してるわ~~」


ありがとう、さくやさん!

私たちもさくやさんをこころから愛してるよ~~^0^



(ここまで)


記事では学校の先生ですら「学校は不自由」と96%が答えている現実に問題があり

その理由として「超多忙」とあるが、さらなる大きな問題は忙しさに追われてしまい

忙しくさせている業務や規則を改善できないところに在ると感じました。


なぜ、学校はこうなるのか?

と考えてみると、その根底には「教職は聖職」というイメージがあり、先生自身も

はては親、子供、PTA、教育委員会ですらそう見ていると思います。

そのため、一度決めたことは破れないという思考がそこにあるのだと思います。

つまり、校長先生が独断で決めることも許されない状況にあるということです。

もし、それをしようものなら必ず反対意見を述べる先生や親は必ずいるし、それを

強引に決めることは「独裁」とも言われる可能性すらあります。

しかし、当事者はそのことに気づいていないと思います。

「ただ何となく続けてしまっている」とか「薄々おかしいとは感じているが・・・」という

意見がほとんどを占めることだろうと思います。

まるで学校全体がひとつのコミュニズムみたいな状況に陥っているのではなかろうか?

全体で行動する原理がそこにあり、そこからはみ出ることは許されないという世界です。

そこに巻き込まれてしまっている子供は可哀想ですが、自浄能力がないので問題の解決

より従うことを半ば強制されるからですね。

それにしてもお昼をただの一言も発せず黙々と食べなければならないとは・・・。

そこまでひどいとは思いませんでした。

昭和50年代まではそんなことはありませんでした。

おかしくなってきたのは平成に入ってからだろうと思います。

私の子供の頃は弁当持参でしたからお昼時間になれば先生の号令で食べ始めますが、けっこう

にぎやかでした。終わればすぐに校庭に出てドッジボール、野球、砂遊び、鬼ごっこなどを

楽しみ、教室に残っている生徒も思い思いに雑談をするし、先生はそんなことは放っておいて

自分だけ職員室で食べますから別に手間もかかりません。ときどきやんちゃな子供が職員室に

呼ばれて説教をくらうことは良くありましたが・・・。

今は給食ですからね。全員が同じ食事、同じ時間、同じ食べ方ですね。もはや軍隊と何ら

変わらない光景だと思います。そして先生も一緒に食べるという状態です。

もっとも軍隊では私語は禁止という話は聞いたことがありませんが・・・。

いかに異常な光景であるかわかります。


もうひとつのDVが精神病疑いで強制入院という内容には現代の社会的病巣がするどく指摘

されているように思いました。

精神科というには一度病名をつけられてしまうと余程のことでは靴がりません。

裁判しかないでしょう。それでも今の裁判制度では不可能でしょう。


どちらも痛々しいことです。


昭和40年代から50年代というのは高度成長期にあたり、当時は夜間勤務というのは

限られた業種しかなく、それ以外では考えられないものでした。

それからコンビニや吉野家など24時間営業を行う店舗が増え始めたのと同じくして

社会的に「24時間休みなく動く大都会」というキャッチフレーズとともに深夜を問わず

働くのが当たり前のように受け取られる時代になりました。

24時間稼働しても時間が足りないために業務の効率化が叫ばれ、次第にオートメーション

化されたような業務内容に変化していったと思います。

これはすべて欧米でのやり方をそのまま導入したものです。マニュアルの導入もそうです。

考えてみれば、マスコミ・政府がグルになってこうした社会的状況を作り上げてきたことが

わかると思います。そうした風潮が社会的に容認されるようになれば社会全体がそれを

当然のように動かしていく状態になっていきますからね。

多くの企業はこれまで以上にものを売るために多品種を少ない労力で賄おうとするので

当然の帰結として一人の労働負担が増えてしまい多忙になるのです。

そんな社会風潮に誰も歯止めをかけるることが出来ないのも問題だろうと思います。


しかし、そんなことを言っていても始まらないので各自が今の状況をよく考え自分なりの

余裕のある生活を探し取り戻していくしかないでしょう。


















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破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:あなたの目で見ている世界・・・」 [アセンション]

破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:あなたの目で見ている世界・・・」






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今日の破・常識!



あなたの現実にまったく関係ない世界に

フォーカスしてしまう一番の原因は

テレビや新聞などのニュース・・・らしい(笑)



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今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。







「こんにちは こうしてお話し出来ることに感謝します。

何度もお伝えしていますが・・もうあなたは5次元領域にいます。

それにはあなたのまわりを見てください。

テレビや新聞などの中にあなたの世界はありません。

あなたの目で実際に見ている世界があなたの世界なのです。


遠くで起きていることに、フォーカスしないでください。

あなたのまわりに起きていることだけにフォーカスしてください。

それがあなたの世界なのです。

テレビの中にあなたの世界があるのではありません。

テレビの中で起きていることは、別の世界であり、

あなたとは関係のない世界なのです。

5次元領域から3次元領域を見ることは出来るのです。

あなたはテレビの中で起きている3次元領域にフォーカスしているので、

さも自分も3次元領域にいると勘違いしてしまっているだけなのです。


あなたのまわりに紛争はありますか?

いま、です・・いま、あなたの現実に戦争などは起きていますか?

いま、あなたの世界(あなたが見ている世界)で、

食べられなくて困っていますか?

いま、あなたの世界で住むところがなくて困っていますか?

もしかしたら、どこかに困っている人もいるかもしれません。

でも、それはその人の世界であってあなたの世界ではないのです。

知らない人のこと(自分の世界にいない人のこと)を

心配しても仕方ありません。いない人を仮定して、その人のことを

かわいそうに思ったり、自分もそうなるかもしれないと心配するのは

ものすごくナンセンスです。わかりますね。


いま、あなたの現実に何が見えますか?

しっかりと見てください。

あなたの世界ではないことを心配しても何にもなりません。

あなたに関係ないことを見聞きして、

今度は自分の世界にこれが起きる・・と心配しないでください。

そう思えば、それがあなたの現実になるのです。

思考が先、現実があと・・

そして、もし(”もし”ということを言うことさえナンセンスなんですが(笑)

あなたに何か困ったことが実際に起きたら、

それはそのとき考えればいいことであって、

起きていないときから考える必要はない・・ということです。


これを言うとまた怒りのエネルギーが

飛んで来るかもしれませんが(苦笑)・・

テレビの中で何か災害などが起きていたとしても、

それはあなたには関係のない世界なのです。

あなたの現実に災害が起きたら、それはあなたの現実です。

起きていないなら、それはあなたには関係のない現実なのです。

わかりますね。

関係のない現実に振り回される必要はありません。

自分の現実に実際に起きたら、そのとき考えてください。

それで十分です・・関係ない幻に首を突っ込む必要はないのです。

反対に首を突っ込めば、その現実をあなたが自分で創造し

その現実を実際に体験するということになってしまいます。

それが、波動エネルギーなのです。

フォーカスしたところにあなたの現実が現れる。

フォーカスしなければ、

あなたの世界(現実)には現れない・・ということです。


あなたの現実にまったく関係ない世界にフォーカスしてしまう

一番の原因はテレビや新聞などのニュースなのです。

新聞はまだ字だけなのでそんなに影響しませんが、

テレビなどの映像はあなたの感情に直接来ますので、

とても影響力が強いので気をつけてください。


あなたの現実を楽しくてご機嫌さんなものにしたいと

思うのであれば、楽しくてご機嫌さんなことだけに

フォーカスしていてくださいね。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」



ありがとう、アシュタール!


(ここまで)


私は毎日NHKの夜7時から始まるニュースは見ています。

だから、ネットで読んだ、あるいは見たニュースがテレビで放映されているのを

見て、やっとテレビでも報道されたと思って見ています。


しかし、見てもそのほとんどを日中は忘れて過ごしています。

つまり強い恐怖感や不安はそこにはないということです。

だから、現実もそれほど大きく変わりません。


テレビの中に見える世界は私たちと全く関係のない世界だと言われてもピンと

来ないかもしれません。

アメリカのトランプ大統領が何か話題になることを話した、あるいは先日のフランスの

暴動をテレビで見たとしても関係のない世界です。

つまり、別の次元で起きている出来事だと思うしかないのです。

マクロン大統領が窮地に立たされているのはカバール崩壊の良い兆候だとしても

それは彼らの世界の出来事で会って、政府に対する国民の反動があのような形に

なって現れているという現実がそこにありますが、私たちの世界にはありません。


つまり、残された3次元では支配者の締め付けに対する反発運動が起きていて世界が

混乱の中に巻き込まれ始めているという現実がそこにはありますが、5次元に移行した

私たちにはそういう反発運動というのはない世界だという事です。

すでに平和に暮らせる世界を選択して今ここにいると考えるべきことです。

ところが、彼らからは私たちの世界は見えないので私たちのようになりたいと様々な

運動やデモ、暴動を起こしていることになります。

つまり、世界はすでに2極化してしまっていて、彼らは戦争や暴動、争いのある地球に

いるのであって、私たちは別れたもう一つの平和な地球にいるという事です。

今はもうテレビで見ることしかない世界であって強い関心を持ち恐怖や不安にかられ

なければ現実になる世界ではないという事です。

別れた世界と言っても、どこか宇宙の別の場所にある地球というのではなく、同じ空間に

ありながら波動的に分離された同じ地球にいます。ただ、波動のベールがあって互いに

行き来できない状態だということですね。

だから、世界の行く末を心配せず自分の楽しめることをしていればいいという事です。

しかし、それでも現実に見るテレビの報道や心配事に首を突っ込むとそのような世界に

自分が移動してそれを体験することにもなりかねないので注意しないといけないだろうと

思います。













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