SSブログ

破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:本来の生活・・・」 [アセンション]

破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:本来の生活・・・」



(ここから)


今日の破・常識!



個人が満足してこそ、みんなが満たされる

コミュニティー(社会)が出来るのです。

本来の生活を取り戻してください。byアシュタール

----------------------------------------------------------------------------------------------------



今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。






「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

本来はそのような生活が日常なのですが・・

ずっと寝てる生活という意味ではありませんよ(笑)

何も決めることなく、好きなことを好きなときに好きなだけするという

生活があなた達にとって本来の生活なのです。

毎日したいことが変わってきます。

食べたいものも、食べたい時間も、寝たい時間も

その時のあなたの気持ちや身体の状態によって違ってくるのです。

身体が休養を欲していれば眠る時間も長くなるでしょうし

動きたいと思う状態なら短くても大丈夫なのです。

食べ物もそうですし、やりたいこともそうです。

その瞬間瞬間に決めればいいのです。

その瞬間に何がしたいのかを考える・・それが本来の生活なのです。

そんなことをしたら、社会は成り立ちません・・と思いますか?

そもそも、社会とは何なのでしょう?・・という問題ですが

一斉に何かを一緒にしなけばいけない社会自体がおかしいのです。

社会とは誰かのために働くことではありません。

自分がしたいことをして、それを提供し合うことで

社会というコミュニティーが出来ていくのです。

社会ありきではないのです。

あなた達のいまの社会は、社会ありきで

社会が主となってしまっているから

個人が大切にされず疲れ果ててしまうのです。


ちょっと話はそれますが・・働くという言葉を

傍(はた)が楽になるという言葉のすり替えの概念に

持っていく人がいますが、それは支配者たちにとって

都合の良い概念に過ぎないことを理解してください。

傍(はた)を楽にするために、あなたは働きましょう・・

というのは、自己犠牲を善だと刷り込むためのものです。

傍を楽にする必要はありません。

まず、あなたが楽になることを考えてください

あなたが身体も気持ちも楽になって

ご機嫌さんでいられるようになると

人を楽にするために働こうなどと思わなくても

好きなことをしているだけで人も楽にすることが出来るのです。

分かりますか?


あなた達はすべて反対を教えられているのです。

社会ありきでは個人はないがしろにされてしまいます。

人を楽にしてあげるために働きなさいということは、

表面的には素晴らしい考え方のように一瞬は思いますが

長い目で見ればまるで違うのです。

自分を犠牲にしていれば、自分が枯渇していきます。

自分が枯渇してしまえば、

人に何かをしてあげることも出来なくなるのです。

あなた達の本来の生活は、何も決めない生活なのです。

その時の気分で何をしてもいい生活なのです。

誰からも指図されることなく、誰からも干渉されることなく

そして、誰にも干渉しない生活なのです。

それでも、しっかりとコミュニティーは出来るのです。

その方がとても気持ちの良い

風通しの良い、コミュニティーになるのです。

あなたは何をしても自由なのです。

家でのんびりしたければすればいいし

外で遊びたければ遊べばいいし

旅行に行きたければ行けばいいし

何かを作りたければ作ればいいし

おしゃべりをしたければすればいいし

歌を歌いたければ歌えばいいし

昼寝をしたければすればいいし

食べたければ食べたいものを食べればいいし

何もせずボ~っとしたければボ~っとすればいいんです。

好きなことを好きなときに好きなだけする・・

みんながこの生活が出来るようになれば、

エネルギーは気持ちよく循環し、

みんなが何不自由なく満たされたコミュニティーが出来るのです。

社会ありきでは、このコミュニティーは出来ません。

個人が満足してこそ、みんなが満たされる

コミュニティー(社会)が出来るのです。

本来の生活を取り戻してください。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」



ありがとう、アシュタール! 

(ここまで)


戦後10年から20年後ほどの間は会社は個人があって成り立っている

という考えが根強くあり、そのため社員の福利厚生がとても充実して

いました。

毎年2回行われる社員旅行は参加自由であったけれど、費用は全部会社

持ちで社員は旅行先に鞄を持って行くだけというのが多かったと思います。

旅行だけでなく新年会や忘年会、新人歓迎会なども会社からの援助があり

ましたので、社員の負担が少なかったと思います。

それだけでなく、社員寮があれば入居費用は格安で民間住宅の4分の1

くらいで入れたはずです。


それがどうしてなくなったのかと言うと、会社が悪いわけではありません。

税制改革でそうした補助は給与と同じとみなされるようになったからです。

つまり、会社は給与のほかに余分に給与を払っているんだから、その分は

福利厚生費(無税)として扱ってはならないとなったからです。

経費として落とすことも出来ず、給与の一部になるので会社はその分の

税金を負担しなければなりません。

今まで社員に100万円の給与を払っていたものに毎年福利厚生費として

20万円使うと20万円が給与とみなされ、社員から税金を取ることに

なります。そんなことしたら誰も福利厚生費なんか使わなくなるでしょう。

そのため、昭和50年以降には福利厚生費を会社が出すのを嫌ったため

社員旅行、夜食、食堂の補助、家賃の補助、社員寮などが減って行ったのです。

要するに国が税収を上げようとして何でも税金の対象にしてしまったからです。

国が国民の幸せを考えていないという証拠です。そんな余分なかねがあるなら

税金払えと言う論理です。

そのため、会社の姿勢が個人から株主や会社の経営に重点を置くようになり

少しでも税金を減らし、利益を産むために給与を上げないようにしたとも言えます。

諸悪の根源は国の税制改正と商法改正です。これが日本経済を疲弊させ落とし

込んだと言えます。

まあ、国として見たら国民が幸せに酔いしれているのが我慢ならないという

ことでしょう。


話が随分それてしまいましたが、それでも私たちには幸せに暮らす権利は

あります。国のやることはさておいて、どうしたらお金をかけずに平和で

楽で幸せな生活を過ごせるかということを考えるのは私たちの自由です。

だから、今いちど生活のありかたを見直してみることが必要と思います。






nice!(0)  コメント(2) 
共通テーマ:blog

nice! 0

コメント 2

ねこ

先進国で日本ほど個人の満足や幸せがないがしろにされ
奪われた国はないんじゃないかと。

税金地獄の国日本ですね。

社員旅行のことなどを両親に聞くと、当時の賑やかさ
楽しさなどは、今とは比べ物にならないくらい会社に余裕が
あり楽しかったそうです。

俺の世代ではちょっと考えられません。

それでもバブル期は、まだ少し余裕があったかな~と。


by ねこ (2019-12-22 00:19) 

ada755

ねこ 様

私が若いころの会社の社員旅行はほぼ負担ゼロでした。仕事が終われば様々なサークルがあり自由闊達でした。
今でも、そういう会社があるという話を聞きますが、やはり儲かってないとダメなようです。





by ada755 (2019-12-22 23:43) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。