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オレンジャーからのメッセージ「奇跡を生きる」 [アセンション]

オレンジャーからのメッセージ「奇跡を生きる」



(ここから)

おれはオレンジャー!

君たちは
奇跡をそのまま
受け止めて生きているか

君たちにとってのキセキとは
君たちの認識を超えた
理解不能な現象や出来事のこと



でも逆に言えば
君たちの認識力が上がれば
それは奇跡ではなく
当たり前のことになる

自分にとっての
当たり前の認識を
どの程度まで上げられるか

それを味わうのが
まさに人生

もっともっと可能性を
信じぬけばいい

固定化された考えの中に
納まるのではなく

経験値の中に
納まるのでもなく

他人の意見に
納まるのでもなく


ただただ
あなたのその心のままに
動いてみてごらん
感じてごらん

そこから
キセキのストーリーは
始まるんだよ

今日はこんなところだ
じや!


(ここまで)



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世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:お墓のために人生を我慢する必要はないのです」 [アセンション]

世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:お墓のために人生を我慢する必要はないのです」




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お盆が近くなってきているということで、お墓詣りに行かれる方も

いらっしゃると思います・・・

ということで、またアシュタールからの衝撃的なメッセージをどうぞ^^

「こんにちは こうしてお話出来ることに感謝します。

お墓には何もありません。

お骨があるだけです。

そこには何もエネルギーはないのです。


お骨があります・・だから、そこで故人を偲ぶことは大切なことなのです・・

と教えられていますが、それは真実ではありません。

お骨に故人のエネルギーはありません。

なくなった方のエネルギーは、絶対無限の存在に戻っています。


お骨が故人ならば、その方はずっと永遠お墓の中にいることになります。

それはどうでしょうか?

何代も何代も前の方が、ずっとそこにいる・・ちょっとイメージしただけで

????って思いますね?

お墓の中に閉じ込められてどこにもいけない状態だということになりますね、

それはとても悲劇ではありませんか?

イヤですね?


お墓の中に故人がいるという考え方は、そういうことになるのです。

だから、そんなことはありません。

だから、お墓に対してそんなにセンシティブになる必要はないのです。

ましてや、先祖代々の墓を守るために、いま生きている人の人生を決める

(お墓を守るために結婚することが出来ないなど)ということはナンセンスなのです。


でも、アシュタールはすべては波動エネルギーで、物質にも個性がある、

というではないですか?ならば、お骨もその人の個性のエネルギーが残っている?

のではないですか?・・というご質問があるようですが、お骨には個性の

エネルギーはありません。


物質には個性のエネルギーが入っています。(個性のエネルギーがその物質を

創り出しているのですが・・・)

植物になりたいと思った個性のエネルギーが植物の形を意識で創って

いるのです。

机などもそうです。

机の形を作った人のエネルギーも乗りますが、机という物質の体験をしたいと

思った個性のエネルギーが机そのものになったのです。

難しいですね。



そして、すべてのエネルギーは循環しています。

変化しています。

ですから、人で説明しますと・・・

身体という物質の中に入っていた個性のエネルギーが抜けると(死ぬと)

物質が残ります。

それは、個性のエネルギーが抜けたので、形だけが残ったということです。

物質世界では、個性のエネルギーが抜けたら抜け殻?が残ります。

個性のエネルギーとともに消えてしまことはないのです。

そのように共有意識で決めているからです。


個性のエネルギーが脱いだ身体は抜け殻です。

そこにはエネルギーはないのです。

ですから、今度はその物質を循環させる方向へ向かいます。

それは、テラの循環システムなのです。


物質を分解し、また違う物質に循環させ、新しい物質を創造するのです。

人間以外の動物や植物たちは、その循環の中にいます。

小さな動物の身体を栄養としている動物は、その小さな動物の物質の身体を

自分に融合させて生きます。

そして、今度その動物が身体を脱いだら、それをテラの上の微生物たちが

物質を分解し、植物たちの栄養になるようにします。

その植物たちを草食動物が自分の身体に取り入れ融合し(食べて)生きます。

そのように、個性のエネルギーが脱いだ物質もテラでは循環して、別の形に

なっていくのです。


そのような循環を受け入れられないのは人類だけだということになります。

すべては、生まれたら死ぬ(枯れる、壊れる)のです。

だから、循環が起きて、すべての存在が生存出来るのです。


個性のエネルギーが抜けると、その物質にはエネルギーは残りません。

エネルギーが残っていない物質は、分解の方向にいきます。

そして、それがまた新しい個性のエネルギーによって物質として創造されるのです。


だから、お骨にはエネルギーはありません。

故人のエネルギーは何も残っていないのです。


お墓には何もいません。

ですから、お墓のために人生を我慢する必要はないのです。

お墓詣りということで、たくさんの方が集まり、楽しい時間を持つことを

イベントとして楽しむのはいいと思います。

でも、そこに我慢は必要ないのです。


そして、お墓参りやお骨や位牌?に何か食べ物をお供えしなかったからといって

ご先祖さまが祟る?怒って何か意地悪をする?などと言うことはありませんので

安心してください。


あなたに愛をこめてお伝えいたします。」


ありがとう、アシュタール!感謝します。


(ここまで)


今日は墓参りに行ってきました(笑)。

遠方に住んでいる義理の兄貴が毎年この時期になると「何日に行くから」と電話を

かけてくるのでお付き合いしています。

まあ、いろいろな近況を聞けることもあるので無下に断ったりはしてません。

しかし、内心では必要ないものと思っています。

うちの親も笑いながら文句言ってました。

「お盆だからと特別なことをしなくていいというから・・・」と

以来、盆飾りやお供え物をあげるのはすっかり簡素になりました。


ただ、アシュタールの語るようなことを知らない人はこれまでの風習にすっかり

はまってしまっているので、かなり盛大にやっているところもあるでしょう。

でも、若い人はもうそこまでしていないと思います。

時代は次第に変わってきていて、今までの様な風習にとらわれない人が

増えてきていると思います。





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破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:善悪の判断しないで・・・」 [アセンション]

破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:善悪の判断しないで・・・」




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今日の破・常識!



あなたがご機嫌さんでいられるところ(場所ではありません)が

あなたにとって一番合っている波動領域。

そして、その領域にはあなたと同じ思考、価値観の人がいますので

楽しく過ごすことが出来る・・・らしい(笑)


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今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。







「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

波動領域がはっきりしてきます。

波動領域というのは・・・似たもの同士が集まる・・ということですね。

良い悪いの判断は必要ありません。

ただ似た考えの人が集まり、似てない?違う考えの人とは

あまり付き合わなくなるということです。


軽い波動、重い波動・・という表現をしますが

それは善悪ではありません。

ただ、好きなもの、好きなことが違うというだけのことなのです。

野球観戦が好きな人は野球を見に行きますね。

そこには野球観戦が好きな人が集まります。

野球観戦に興味がない人は、そこにはいきません・・

ただそれだけのことです。

そこには善悪の判断はありませんね。


最近あなた達は少し、波動領域に関して

善悪の判断をしていることがあるように感じます。

軽い波動にならなければいけない、重い波動になってはいけない

・・という風に考えすぎているのではないでしょうか?

5次元領域は良いところ、でも3次元領域は悪いところ

・・だから、5次元領域に共振しなければいけない・・

そのためには、これをしてはいけない、あれもしてはいけない

これをしなければいけない、あれをしなければいけない・・・

という考えが強くなっているように思います。

そうではないのです・・

3次元的な波動領域を体験したい人もいるのです。

5次元領域の方を体験したいと思う人もいるのです。

怖い映画が好きな人は、怖い映画を見ればいいのです。

怖い映画は波動を重くするから見てはいけない・・と思って

我慢してみない方が波動的観点から考えると良くないのです。

我慢すると波動は重くなるのです。

見たい映画を我慢する方が波動が重くなってしまうのです。

波動が軽い=善ではありません。

善悪で考えてしまうと、宗教と同じことになってしまいます。

そんなことをすると天国に行けなくなりますよ・・

という宗教的概念の”天国”が”波動”に代わっただけのことになります。


すべては自由なのです。

どこの波動領域に共振しようが、その人の自由なのです。

どの波動領域を体験したいか・・ただそれだけのことなのです。

したいことをしてください・・そしてご機嫌さんでいてください。

我慢する必要はありません。

波動を軽くするために我慢する・・

その考えの方が波動を重くしてしまいます。

波動を軽くしたいと思うのであれば、我慢しないでください。

怖い映画を見たい時は、見ることをたのしんでください。

それでいいのです。

いま私は怖い映画が見たいのね・・と思えばいいだけのことです。

そして、充分に楽しめばそれで満足できます。

ご機嫌さんでいられるのです。

だから、波動は軽くなります。


じゃあ、人を傷つけることも楽しめばいいのですか?

人をいじめることを楽しめば、波動は軽くなるのですか?

・・などと聞かないでくださいね。

それはいまお話ししている波動領域の話とは違うところになります。

人をいじめたいという気持ちは、単なるエネルギーバンパイアです。

その人の中にエネルギーがなくなってしまっているので

人をいじめることで人からエネルギーをチャージする

エネルギーバンパイアなのです。

だから、いじめることでバンパイアして

何となく満足したつもり(ご機嫌さんになったつもり)でも

すぐにまたエネルギー切れを起こしてしまい

またバンパイアをしてしまうので

いつまでもそこから抜けることは出来ません。

ハートからの楽しみ、ハートからの満足ではありませんので

波動が軽くなることはありません。


アシュタールは何が言いたいのでしょうか?

私がお伝えしたいのは、

波動領域に善悪の判断をしないでくださいということです。

あなたがどこに居たいか、どの波動領域が気持ちいい

ご機嫌さんでいられるか・・

それだけのことだとお伝えしたいのです。

軽くならなければいけない、重くなってはいけない

・・そのような宗教的な概念は手放してください。

波動領域は、宗教ではありません。


軽くならなければいけない・・ということは無いのです。

重くなることは罰ではありません。

その波動領域が好きな人が集まり

その波動領域の体験を楽しむ・・それでいいのです。

そして、その波動領域が楽しくなくなったら

別の楽しいと思える波動領域に移行すればいいのです。

もし、無理やりにでも軽い波動領域に行かなければいけない

・・と考えてしまうと、それはとても辛いものとなります。

重い波動領域が好きで、気持ちが良い人もいるのです。

自分の波動と違うところに無理やり共振することは、

とても辛いことなのです。

砂漠で生きることが快適だと思っている虫を

無理やり水辺に連れて来るとどうでしょうか?

その虫は辛くて仕方ありません・・死んでしまうかもしれません。


自分の波動に合うところが、一番その人にとって楽なのです。

楽しいところなのです。

ご機嫌さんでいられるところなのです。

ですから、波動を軽くするために・・という考えは手放してください。

宗教的な概念で波動領域を考えないでください。

波動領域に関して、マインドで考えないでください。

マインドで考えてしまうと、善悪になってしまいます。

あなたがご機嫌さんでいられるところ(場所ではありません)が

あなたにとって一番合っている波動領域なのです。

そして、その領域にはあなたと同じ思考、

価値観の人がいますので、楽しく過ごすことが出来るのです。


あなたはどこに共振したいですか?

ただそれだけなのです。

今日は、少しマインド的には難しい話になってしまったと思いますが、

エネルギーのところで受け取っていただけるとうれしいです。


あなたに愛を込めてお伝えいたします」



ありがとう、アシュタール! 


(ここまで)


それは確かに言えます。

私がカラオケを楽しむようになってから作ったグループがあります。

人数は5人と少ないですが、その5人で集まっているとただいるだけで

楽しめるという環境が出来上がっています。

互いに何の裏表もなく話し合えることが楽しいのです。

一般的にタブーとされる性的な話題さえ楽しんで話せているのですから・・・。

誤解のないように言っておきますが、男女入れて5人ですからね。

まあ、みんなそんなに若くはないのでそう気にしないこともありますが

それでも、日中からそんな話題を話す人なんかまずいません。

だから、他人から見ればとても奇異なグループに見えることでしょう。

でも、何の制限もなく話し合えるというのはとても楽しいことなのです。

その楽しさが軽い波動を呼びます。

そのため、周囲も次第にそういう形になっていくのだろうという予感がします。

波動の軽い、重いというのは結果としてあるのであり、また同時に何を求める

かで決まるものだと思います。

だから、自分は波動が軽いから良いとか、他人は波動が重いから悪いとか

という考えではないと思います。

どちらも煙草と同じような趣向の違いです。

煙草を好きな人に止めなさいと言っても無理でしょう。逆に煙草が嫌いない人に

煙草を勧めても無理なことでしょう。

それぞれ、自分の趣向に合わせているだけです。

だから、煙草を吸わない人が吸ってみたいと思うこともあるだろうし、吸っている

人が止めて見ようかと思うこともその人自身の自由なのです。

健康のために止めなさいということは出来ても無理強いしてはいけないものです。

それは他人の自由に干渉することだからです。

ただし、もし煙草を吸っている人から「止めた方が良いだろうか?」と

アドバイスを求められたら、その時は存分に自分の意見を言ってもいいのです。

求めて来たなら応じてあげるべきです。

それは自由への干渉にはなりません。

波動もどの波動好みなのかという、ただそれだけのことですね。

ただ、私たちが5次元を志向するならそれは当然波動が軽くなる方向に決まっています。








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