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オレンジャーからのメッセージ「いまやる」 [アセンション]

オレンジャーからのメッセージ「いまやる」



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おれはオレンジャー!

あなたには
やりたいことがあるか

そのやりたいことを
いまやっているか

もしやっていないとすれば
その理由はなにか

自分の頭の中に
言い訳する回路が
できあがってはいないか


人生は短い


やりたいことを
先延ばしする理由は
何一つない

もしその理由ばかり
考えているのであれば
それはあなたが
自分を生きていない証拠

やりたいことは
いまやろう

やった上での失敗からは
たくさんの学びがあるが
やらないことで生まれる
後悔からは何も生まれない


いますぐやろう


今日はこんなところだ
じや!


(ここまで)



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世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:みんな違う現実を見ています・・・」 [アセンション]

世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:みんな違う現実を見ています・・・」



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今日のアシュタールからのメッセージをお伝えしますね^^

「こんにちは こうしてお話出来ることに感謝します。

みんな違う現実を見ています。

同じものを見ているようでも、その人の好み、興味、価値観、考え方に

よって違う現実になるのです。


そして、他の人の見ている現実を誰も見ることは出来ないのです。

自分は自分の現実を真実だと思っています。

そして、他の人も同じ現実を見ていると仮定しているのです。


たとえば、色ですが・・赤色がみんな赤色に見えているかどうかは

わからないということです。

?????ですね。


あなたにとっての赤色が、違う人は(あなたの目から見たら)青色かも

しれないということです。

だって、みんな信号を見てちゃんと止まったり、進んだりしているじゃない

ですか・・と思うかもしれませんが、小さなころからこれが赤色ですよと

教えられた色が赤色という名前なんだと思っているから、それが赤だと

思うのです。

言葉で説明するのは難しいですね。


ありえないことですが、何人かの現実を同時に見ることが出来る人がいたら

みんなそれぞれ違う色を、赤色とよんでいるという現象をみるかも

しれません。


私はこの色が赤だと思います・・と言っても、あなたにとって緑色だと

思っている色を赤色だと思っている人もいるということです。


すべてがそうです。

あなたの現実は、あなたが見ているものだけなのです。

他の人の現実は、あなたと違うのです。

どんなに近しい人であっても、その人の現実とあなたの現実は違うのです。



色だけではなく、同じものを見ていると思っていても全く同じものを

見ている人は誰もいないのです。

同じ景色を見ても、それぞれに違うのです。

同じ山を見ていても、みんなそれぞれ違う山を見ているのです。


山全体を見ているのか、山の木を見ているのか、木の色にフォーカスして

見ているのか、登りやすそうな山だなと思ってみているのか・・・

みんな違うものを見ているということなのです。


だから、同じ山を見ても感想が違ってきます。

きれいな山ですねぇ~とあなたがつぶやいて、そうですねと答えが返ってきても、

何がきれいなのかという視点はそれぞれ違います。

そして、きれいだと思わない人もいるということです。

そうですね・・


アシュタールは何が言いたいのでしょうか??・・というエネルギーを感じますが

私がお伝えしたいのは、みんな違うということです。

みんな違うのに、意見が同じだ、意見が合わないということで言い争うことは

とてもナンセンスだということです。


きれいな山に見える人は、きれいだなと思っていればいいのです。

きれいだけど、木が少ないなと思っている人はそう思っていればいいのです。

この山あまり好きじゃないな、と思う人はそう思っていればいいのです。


きれいな山だと言っているのに、どうして木の数のことをいま言わなければ

いけないのですか?・・と腹立たしく思うことはいらないのです。


私はきれいだと思いますが、あなたは木の数が気になるのですね・・

それでOKなのです。

ましてや、私がきれいだと言っているのに、キライだという必要はないじゃないですか、

と、怒っても仕方がないということです。



みんなぞれぞれ違う現実を見ているのに、意見が違うということで不愉快な

気持ちになることはナンセンスだということです。

ましてや、どちらの現実のほうが正しくて、どちらが間違っているなど

まったくナンセンスなことなのです。


あなたにとっては、あなたが見ている現実が真実なのです。

他の人にとっては、その人が見ている現実が真実なのです。

お互い真実なのです。

でも、違う現実を見ているのです。


それがわかれば、何も問題はなくなります。

お互いの見ている現実を尊重し合えばいい、それだけになります。


あなたが他の人の見ている現実を尊重すれば、他の人もあなたの見ている現実を

尊重してくれます。

あなたの現実に誰も干渉しなくなります。


違うドラマを見ているだけのことですので、違うからと深刻になることも

なくなります。


あなたに愛をこめてお伝えいたします。」


ありがとう、アシュタール!感謝します。


(ここまで)


100人ひとがいれば100人とも違う考え方をすると言うのは最近特に

実感させられました。

確かに同じことを対話あるいは討論していても同じこととして見ていないのが

よくわかります。それぞれが言うことが異なります。

だから、意見をまとめることも難しいものだと痛感させられました。

しかし、その対話を通じてお互いの考え方の違いを認識できたということも

大変重要なことでもありました。

本当に違います。

そして、それをそれぞれが認識しているかどうかというのも大事なことです。

これは仲良しクラブの様なものでは得られません。

議論することを嫌い、互いに本音での話を割けてしまうからです。

大人になって分別の付く関係を保ちたいと考えるようになればなるほど

そうした傾向が強くなります。

だから、時には本音を語り合うことも重要なことです。



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破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:信じるということ」 [アセンション]

破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:信じるということ」




(ここから)

今日の破・常識!



信じることと、期待することは違う。

期待はエゴ・・・らしい(笑)

---------------------------------------------------------------------------------------------------------------                                                         今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。








「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

今日は、人を信じるということについて少しお話ししたいと思います。

あなた達は、あの人のことを信じてたのに

裏切られたという言葉を使います。

でも、それは信じてたというより期待してたということなのです。

私の思った通りにやってくれると思ってた(期待してた)のに

思ったようにしてくれなかった・・裏切られた・・ということですね。

信じるというのは、認めあえるということなのです。

人はそれぞれの思い、考えがあります。

どんなに親しい関係でもすべての考えが一致することはないのです。

100人いれば、100の価値観、考え方があります。

それを認めあうことが出来るのが信頼関係なのです。

自分と同じ考えだと思ってたのに、違った・・

裏切られたというのは期待なのです。

その人を信じるということは、

その人のすべてを受け入れるということです。

受け入れるということを

何でも言うことを聞くことだと、とらないでくださいね。

受け入れるということは、その人の意見、考え、

価値観を認めるということです。

認める・・と言っても、許す? 認証する?・・

ということではありませんので誤解しないでくださいね。

(自分の意見を誰かに認証してもらう必要はありません。

誰かに太鼓判をもらう必要もないのです。

だから、誰かを認証する?太鼓判を押す?

許す?ことも出来ないのです。)

言葉は本当に難しいです(苦笑)


その人がどんな意見を言おうとも、どんな価値観を持っていようとも

どれだけ自分と違っていようとも、それでいい・・って思えることです。

あなたはそうなのね・・って思えることなのです。

それが、その人を信じるということなのです。

自分と違う行動をしても、自分と違う考えをしても

それがその人の考え方なのね・・と

思えることが、その人を信じるということになるのです。

そこには期待はありません。

でも、それなら付き合えないじゃないですか?・・

って思うかもしれませんが、

そうではなく、違いをみとめあった上で

お互いの意見をすりあわすことが出来るのが信頼関係なのです。

どちらも自分の気持ち、意見をごまかすことなく

お互いしっかりと向き合って話しあい、

違う意見だけどお互い納得出来る着地点を

探すことが出来ること・・それが信じあえる関係なのです。


信じることと、期待することは違うのです。

期待はエゴです。

期待は、その人を自分の思い通りにしようとする

コントロールのエネルギーです。

そのコントロールがうまく行かない時に

裏切られたという怒りが出るのです。

その人は、そのままでいい・・私もそのままでいい

・・それが信頼関係なのです。

信じるということと、期待をごっちゃにしないでくださいね。

迷子になってしまったり、人を信じることが出来なくなってしまったり

人が怖くなってしまったり

ハートに壁を作ってしまったりしてしまうことになります。

期待を手放し、信じることが出来れば、

とても気持ちの良い関係を築くことが出来ます。

とても自由になれます。

あなたも、”信じてるよ”という期待の言葉に縛られることなく

自由になってくださいね。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」



ありがとう、アシュタール! 

(ここまで)


おそらく私たち「が信じてる」と言う場合にはほとんどが期待だと思います。

「私はあなたのことを信じているからね」と言っても、その脳裏には

「私の期待を裏切らないでね」という気持ちがどこかにあるはずです。

それでも、私たちはそれを「信じている行為」だとして疑わないものです。


それは私たちの教育や宗教、家庭環境などの影響があってのことと思います。

教育ににおいても信じるという行為は、相手が世間一般の常識と照らし合わせて

間違いのない行為をしてくれるという意味で教えられます。

人として恥じない行為、人の道に背かない行為、それを信じているという意味です。

決してアシュタールの語るような、相手の行為の是非を問わずその人としての

人間という意味において信じるというものではないと思います。

だから、信じるという中に期待があっても、それは信じてるということに等しい

ものだと考えます。

アシュタールの語ることはそうではないですね。

相手が自分の期待にそぐわない場合であっても、そのひとを信じ切るというものです。

だから、信じるということと期待するということは違うのだという認識を改めて

持つべきものと思います。




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