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破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:信じるということ」 [アセンション]

破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:信じるということ」




(ここから)

今日の破・常識!



信じることと、期待することは違う。

期待はエゴ・・・らしい(笑)

---------------------------------------------------------------------------------------------------------------                                                         今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。








「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

今日は、人を信じるということについて少しお話ししたいと思います。

あなた達は、あの人のことを信じてたのに

裏切られたという言葉を使います。

でも、それは信じてたというより期待してたということなのです。

私の思った通りにやってくれると思ってた(期待してた)のに

思ったようにしてくれなかった・・裏切られた・・ということですね。

信じるというのは、認めあえるということなのです。

人はそれぞれの思い、考えがあります。

どんなに親しい関係でもすべての考えが一致することはないのです。

100人いれば、100の価値観、考え方があります。

それを認めあうことが出来るのが信頼関係なのです。

自分と同じ考えだと思ってたのに、違った・・

裏切られたというのは期待なのです。

その人を信じるということは、

その人のすべてを受け入れるということです。

受け入れるということを

何でも言うことを聞くことだと、とらないでくださいね。

受け入れるということは、その人の意見、考え、

価値観を認めるということです。

認める・・と言っても、許す? 認証する?・・

ということではありませんので誤解しないでくださいね。

(自分の意見を誰かに認証してもらう必要はありません。

誰かに太鼓判をもらう必要もないのです。

だから、誰かを認証する?太鼓判を押す?

許す?ことも出来ないのです。)

言葉は本当に難しいです(苦笑)


その人がどんな意見を言おうとも、どんな価値観を持っていようとも

どれだけ自分と違っていようとも、それでいい・・って思えることです。

あなたはそうなのね・・って思えることなのです。

それが、その人を信じるということなのです。

自分と違う行動をしても、自分と違う考えをしても

それがその人の考え方なのね・・と

思えることが、その人を信じるということになるのです。

そこには期待はありません。

でも、それなら付き合えないじゃないですか?・・

って思うかもしれませんが、

そうではなく、違いをみとめあった上で

お互いの意見をすりあわすことが出来るのが信頼関係なのです。

どちらも自分の気持ち、意見をごまかすことなく

お互いしっかりと向き合って話しあい、

違う意見だけどお互い納得出来る着地点を

探すことが出来ること・・それが信じあえる関係なのです。


信じることと、期待することは違うのです。

期待はエゴです。

期待は、その人を自分の思い通りにしようとする

コントロールのエネルギーです。

そのコントロールがうまく行かない時に

裏切られたという怒りが出るのです。

その人は、そのままでいい・・私もそのままでいい

・・それが信頼関係なのです。

信じるということと、期待をごっちゃにしないでくださいね。

迷子になってしまったり、人を信じることが出来なくなってしまったり

人が怖くなってしまったり

ハートに壁を作ってしまったりしてしまうことになります。

期待を手放し、信じることが出来れば、

とても気持ちの良い関係を築くことが出来ます。

とても自由になれます。

あなたも、”信じてるよ”という期待の言葉に縛られることなく

自由になってくださいね。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」



ありがとう、アシュタール! 

(ここまで)


おそらく私たち「が信じてる」と言う場合にはほとんどが期待だと思います。

「私はあなたのことを信じているからね」と言っても、その脳裏には

「私の期待を裏切らないでね」という気持ちがどこかにあるはずです。

それでも、私たちはそれを「信じている行為」だとして疑わないものです。


それは私たちの教育や宗教、家庭環境などの影響があってのことと思います。

教育ににおいても信じるという行為は、相手が世間一般の常識と照らし合わせて

間違いのない行為をしてくれるという意味で教えられます。

人として恥じない行為、人の道に背かない行為、それを信じているという意味です。

決してアシュタールの語るような、相手の行為の是非を問わずその人としての

人間という意味において信じるというものではないと思います。

だから、信じるという中に期待があっても、それは信じてるということに等しい

ものだと考えます。

アシュタールの語ることはそうではないですね。

相手が自分の期待にそぐわない場合であっても、そのひとを信じ切るというものです。

だから、信じるということと期待するということは違うのだという認識を改めて

持つべきものと思います。




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