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オレンジャーからのメッセージ「思考の壁を超える」 [アセンション]

オレンジャーからのメッセージ「思考の壁を超える」



(ここから)

おれはオレンジャー!

あなたには
思考の世界という
あなただけの
世界が存在する

この世界は
あなたが
生まれてから
これまでの間に

出会ったすべての人や
出来事によって
形作られた
あなただけの
ルールの世界

君たちはみな
この思考の世界に
縛られている

どんなに
高い目標を掲げても
その目標があなたの
思考の世界で
実現可能なもので
ないならば

その目標は
現実世界において
絶対に実現しない

現実を変えていくには
あなたが作っている
この思考の壁を越えていく
必要がある

そのためには
何をすべきか

あなたにとっては
とても無理と思えるような
様々なことにチャレンジすること

考えているのと
やってみるのでは
違う結果が出たことって
人生においてたくさんあるだろう

思考の壁の中に
閉じこもって生きるのではなく
行動するというあなたの意図で
その思考を超えていくんだ

この繰り返しで
あなたの中の「できる」が
どんどん積み重なっていくと
それはあなたの自信につながり
あなたの人生を変えていく

チャレンジして
失敗しても
自分にダメの封印をする
必要はない

失敗したら
そのやり方や
タイミングがまずいことを
学習しただけ

別のやり方や
別のタイミング
別の仲間と共に
再チャレンジすればいい

あなたが
思考の壁を越えて
本来の自分の姿に
還っていく姿を
楽しみにしている

今日はこんなところだ
じや!


(ここまで)



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世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:どうしたいのかさえわからないんです・・・」 [アセンション]

世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:どうしたいのかさえわからないんです・・・」



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アシュタールは、自分がどうしたいか・・で決めてくださいと言いますが、

私は自分がどうしたいかさえわからないんです。

どうしたらいいですか?どうしたら、自分がどうしたいかわかるように

なりますか?・・というご質問をいただくことがあります。


どうしたらいいですかぁ~・・アシュタールぅ~~^^

「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

それは私にはどうしようもありません。

あなた自身についてあなたがわからないことは、私にも

わからないのです。


思考停止にならないでください。

あなたが決めてください。

あなたにしかわからないのです。


もし、ならば私が決めて差し上げましょう・・と言って、私が

あなたのことをすべて決めてしまったらどうでしょうか?

今晩あなたはラーメンを食べなさい・・と私が言ったらあなたは

どうでしょうか?

いえ、なんかラーメンの気分ではありません・・と答えませんか?

そして、自分で違う物を食べるかもしれませんね。

ラーメンの気分だったら、ラーメンを食べるかもしれませんが、でも

それは結局あなたがラーメンを食べたいからであって、私が決めた

からではないですね。


・・ということは、自分で決めているということです。

私は何がしたいか分かりません、どうしたいか分かりません・・と

言いながら結局は自分で決めているのです。

どうしたいか分かっているということです。

自分で決めていることを意識していないだけなのです。


自分で意識して決めていないから、決めていないと思っているのです。

その場その場ではしっかりと自分がしたいことが分かっているのです。

先に決めることがちょっと苦手になっているだけなのです。


先に、こうしたいとしっかりと決める習慣がないから、自分が何を

したいのかがわからないと思ってしまうのです。

伝わっていますでしょうか?


そんな小さなことなら、何がしたいかは分かります・・

そんなことではないのです・・もっと大きな(人生にとって重要な)

ことで、何がしたいのかがわからないのです・・ということなのかも

しれませんが、小さなことで何がしたいのかがわかるということは

大きなことでも分かっているということです。

小さなこと(晩ご飯に何を食べたいかとか、何の本を読みたいかとか

どんなドラマを見たいとか、日常のこと)で何がしたいのかがわかるので

あれば、これからの人生どうやって生きていきたいかもわかるはずです。

人生と言う言葉をあまりにも壮大なことのように考えてしまうから、

訳がわからなくなってしまうのです。


晩ご飯に何が食べたいかもわからない・・ということもわからない。

ということならば、あなたは食べるということに興味がないだけです。

興味がないから、何が食べたいのかわからないということになるのです。


興味があることならば、こうしたい、とはっきりとわかります。

そのときには、必ず自分と相談しているはずです。


たとえば、飛行機のプラモデルを作ることが好きならば、今度はどの

飛行機を作りましょうか?と自分と話をしているはずです。

B777-200かな?A380かな?それとももう少し古い型にしようかな?

と選ぶことを楽しみ、そして、これにしようと決めています。


もし、小さなことでも迷うことや、どうしたらいいかわからないと思う

ときは、自分に聞いてください。

自分に相談してください。

そうすれば、自分が何を望み、何がしたいか、何をすれば楽しいかが

分かってきます。


わからないと思えば、わかりません。

決めると決めなければ、何も決められないのです。


人をあてにしないでください。

誰かに決めてもらおうとしないでください。

誰かをあてにして、誰かに決めてもらおうとしても結局は気に入らない

ことが多く、最終的には自分で決めるのですから。


自分が何を望み、どんな生活をしたいのかがわからなければ、

何も出来ません。

何もはじまりません。


私は自分がどうしたいか分かりません・・ということは、わからないと

いうことを決めているだけです。

わからないと言って、何も決めなければ楽だと思っているからかも

しれません。

何も決めなければその時は楽かもしれませんが、あなたはずっと望む

物を手に入れることが出来ないのです。

それでいいと決めるならば、それでいいと思いますが、それがイヤだと、

欲しいものを手に入れたい、気にいる生活をしたいと思うならば

自分でどうしたいかを決めることを決めてください。

分かりません・・といったまま、放り出さないでください。


自分が何を欲し、どうしたいかを知りたいならば、自分に相談してください。

日常の小さなことから、すべて自分と相談する習慣を身につけて

ください。

そうすれば、常に自分がどうしたいかというところにフォーカスする

ことが出来ます。

それができれば、あなたの手にあなたの人生が戻ってきます。


あなたに愛をこめてお伝えいたします。」


ありがとう、アシュタール!感謝します。


(ここまで)


このような問題は自分で考えるしかないものですね。

こうした場合はアシュタールが語るように思考停止状態に陥っているものです。

そして、何が問題の原因であり、何が解決策なのかを考える訓練が出来ていない

ということでもあります。

今の教育は計算問題や暗記問題を解くようになっていて、課題を考えてそこから

いくつかの解決方法を見出すというやり方を教える学科はありません。

数学の応用問題や記述問題はあくまでも与えられた課題を公式を使って解く

だけであり、日常生活の問題を解決する役には立たないものと思います。


学校を卒業すると自分の進路を決めなければなりませんが、そこでどうすれば

いいかわからないとうのと同じことです。

私も当時はそうでしたから、よくわかります。

本当は学科の中に論理的な思考を鍛えるものがあればいいのですがないですね。

あえて言えば倫理・社会ですが、おそらく今はないかもしれません。

哲学とかもそれに役立ちますが、それよりも記憶する方が要求されるでしょう。

私が中学生の時には資本主義と社会主義の違いとそこから自分がどれが良いか

理由をつけて書きなさいという課題を社会の授業で出されましたが、そのような

教育の方が思考力を鍛えられるのと、何が問題化を見つけ出す訓練もできますので

今回の様などうしたらいいかわからないということも少なくなるでしょう。

今の教育には期待できないので、自ら課題を見つけ自分で考える習慣をつけ何度も

考えるということを繰り返すしかないでしょう。

その場合の回答は親に見てもらうのがいいですね。







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破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:エネルギーの会話・・・」 [アセンション]

破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:エネルギーの会話・・・」



(ここから)


今日の破・常識!



言葉での会話にしろ、テレパシーでの会話にしろ・・

どちらにしても最初はエネルギーでの

感覚の会話からはじまる・・・らしい(笑)


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今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。






「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

言葉ではないんです。

言葉で話をしていると思っていますが

言葉はそんなに重要ではないのです。

言葉で話すよりも先に、あなた達はエネルギーで話をしているのです。

それは、テレパシーとはちょっと違います。

テレパシーというのは、意図的な会話です。

言葉の代わりに、テレパシーというツールを使うということです。

ときどき、アシュタールはテレパシーを使うと

何もかも相手に伝わってしまう

だから隠し事が出来ないんです・・って言うけど

それってある意味イヤですね。

だって、何から何まで知られてしまうということは、

話したくないことまでわかってしまうということですよね・・

というご意見をいただきますが、それはちょっと違います。


テレパシーでの会話は、言葉を使わないだけであって

言葉を使っているときとほぼ感覚は同じです。

話したいことだけ話し、話たくないことは話しません。

隠し事が出来ない、ウソをつくことは出来ません・・

それは、エネルギーでバレてしまいます。

でも、話したくないことまで、相手に伝わることはないということです。

難しいですか?


たとえば、言葉ならばウソをつくことが出来ますね。

本当はAです・・と思っているのに

言葉ではBですね・・と言うことが出来ます。

でも、エネルギーでは、思考(本心)が先にBです・・

と言ってしまいますので、

相手にすぐにBだということが伝わるのです。

でも、Cについて思考しなければ、

その相手にCのことは伝わりません。

理解できますでしょうか?

これがテレパシーでの会話です。

だから、すべてが分かってしまうという不安はいらないのです。

頭の中をすべて透かし見るわけではないのですから。

あなたの親兄弟や友達関係、あなたの趣味趣向まで

その人にわかるということはありません。

それが話題に出ない限り、相手にはわかりません。

ただ話題になってることについてウソをついたり

ごまかしたり、することは出来ないということです。


でも、最初にお話ししたエネルギー場での会話は、

テレパシーのように具体的なことを話しをするのではなく

雰囲気で分かり合うということです・・・

といえば理解していただけますでしょうか?

具体的なことではなく、その人の持つエネルギーで

わかる・・みたいな感じ?

テレパシーが直線的な会話ならば、

エネルギー的な会話はぼわっとした会話?

う~~ん、表現が難しいですね。

いくら顔でニコニコしてても、怒ってるってわかることがありますね。

これが、エネルギーでの会話です。

そこに、(怒ってますか?とか 何を怒っているのですか?)

という思考を送るのが、テレパシーです・・と言えば分かりますか?

顔ではニコニコしているけど、かなり怒ってるな・・

って感じるのは、エネルギーの会話、

エネルギーを感じているということです。

だからといって、怒ってますか?と聞くのもどうかな・・

と思う時は、テレパシーも飛ばしません。

(言葉で聞かないのと同じです)

難しいですね。

エネルギーを感じ(エネルギーで会話し)

それをもっと意図的に具体的な会話に持っていくと

それがテレパシーでの会話になるということです。

言葉での会話にしろ、テレパシーでの会話にしろ・・

どちらにしても最初はエネルギーでの

感覚の会話からはじまるのです。

その感覚の会話を、言葉にするのか

テレパシーにするのか・・という違いです。

だけどテレパシーでの会話は、言葉の会話のように

本心と違うことが表現出来ない・・ということです。

エネルギー同士の会話(ぼわっとした感覚)を

表現する方法が違う・・ということです。

エネルギーの会話=テレパシーではないのです。

いままでは、この違いをお話ししても迷子になってしまうと思い

同じもののようにお話ししていましたが、

あなた達はかなりテレパシーを使えるようになってきているので

今日はもう少し突っ込んでお話しいたしました。

テレパシーを怖いものだと思っていただきたくないのです。

テレパシーで話しをすることに、すべてが分かってしまう

隠したことまで全部バレてしまうんじゃないか・・

という怖れを持っていただきたくないのです。

これからは、どんどん感覚が鋭くなり

どんどんテレパシーでの会話ができるようになってきます。

その時に、この違いが分からなければ、

テレパシーを使いこなせなくなってしまいます。

今日の話はきっと、マインドでは何が何だかわからない

話になったと思いますが、

感覚では受けとっていただけたと思います。

なので、マインド的には、こんな話もあるんだな・・

程度で聞いていただければと思います。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」



ありがとう、アシュタール! 


(ここまで)

エネルギーとしての会話とテレパシーでの会話の違いが何となくおわかりの

ことと思います。


テレパシーは実際に言葉が頭の中に浮かんでくるわけではありませんが

イメージとして伝わったものを自分の頭の中で言語に置き換えることで

伝わるものです。あるいはイメージそのままという形でもいいです。

いずれにせよ、言葉で話さなくとも相手が何を伝えようとしているかが

わかるということですね。

それに対してエネルギーというのは雰囲気です。

先日も私はいつも話すことがない人を呼び止めて隣に座らせ、話をしましたが

そのときに隣に座っただけで感じるものがありました。

顔の印象とちょっと違う違和感を感じたのですが、それがエネルギーですね。

終始にこやかでしたので、内心はわかりませんが少し違うのかもしれません。

あるいは性格が・・・ということかもしれません。


テレパシーも気持ちが通い合う人との間では言葉で言わなくとも少しは伝わったり

することがあるので、こうした場合はもうテレパシーを使っているのだろうと

思います。ただ、言葉ほど具体的でないという違いはあります。


これから数年すると、何割かの人々はテレパシーの使い方を思い出し、仲間や

家族、近しい友人、恋人、夫婦などではテレパシー会話をするようになるかも

しれませんね。






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