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破・常識 あつしの歴史ドラマ「アシュタール:そっと離れる・・・」 [アセンション]

破・常識 あつしの歴史ドラマ「アシュタール:そっと離れる・・・」



(ここから)

今日の破・常識!



今のあなたの社会、世界を何とかしなければ・・と思う必要はない。

今度は、どんな社会、世界にしようかと考えればいい・・・らしい(笑)


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では、アシュタールからのメッセージをお伝えします。







「こんにちは こうしてお話し出来ることに感謝します。

そっと離れてください。

そっとです・・ひとりづつ、そっと離れてください。

今の社会を何とかしようと思う必要はありません。

何とかしようと思うということは、

そこにフォーカスすることになりますから、

離れることが出来なくなります。

集団になって抗議することも必要ありません。

抗議するということは、何とかしようとしているのと同じで、

そこにフォーカスして波動を共振させてしまうので、

離れることが出来ません。


気の合わない人たちからは、離れればいいのです。

無理に付き合う必要はないのです。

あなたのまわりでもそうではないですか?

気の合わない人とはなるべく距離を置いて、

付き合わないのではないですか?

大きなところでも同じです。

波動を合わせなければ、あなたの現実には入ってこないのです。

でも、今の社会から出たいと思っても、

社会から離れれば生活できないですよね・・って思いますか?

何度も言いますが、社会を回しているのは

あなたたち庶民と呼ばれている人たちです。

決して、トップの人たちではないのです。

お金を刷っている人たちが、

あなた達の生活を支えているのではないのです。

ならば、あなたたち庶民と呼ばれる人たちが、得意なことを提供しあえば

何も困らないんじゃないでしょうか?


そっと離れるというのもとても簡単なことなのです。

ピラミッド型の個を歯車としか見ない大企業の物を

買わなければいいのです。

安全性を配慮しない企業の物を買わなければいいのです。

たとえばパンを買うにしても、

個人で経営しているパン屋さんで買うようにすればいいだけです。

特に集団で不買運動をする必要はありません。

あなたが買わなければいいのです。

一人ひとりが自分で考え、買わないようにして行けば

どんなに大企業であっても続かないのです。

ピラミッド型で、個人を大切にしない会社で働かなければいいのです。

働く人がいなくなれば、どんなに資本をもっていても

成り立たないのです。

そこで仕事をしなければ生きていけないと思い込んで、

あなたが我慢をするからどんどん待遇が悪くなっていくのです。

我慢すれば、企業は、少々待遇を悪くしても

みんな働くだろうと思ってしまうのです。悪循環です。

そこで、我慢はしません・・正当な報酬と待遇でなければ働きません・・

と言えば、困るのは企業側なのです。

そこまでして企業で働く必要もないのですが・・

仕事は、誰かにもらうものではなく、自分で作るものなのです。

だから、大企業(会社組織)で働かなくても、

得意なことを提供すれば十分生活は出来るのです。

一部の人たちが社会を回しているのではなく、

あなたたち庶民が社会を回しているのです。

そこがイヤならそっと離れてください。

そっと背を向ければいいのです。

今のあなたの社会、世界を何とかしなければ・・

と思う必要はありません。

今度は、どんな社会、世界にしようかと考えてください。

あなたが居たい世界を、あなたが創ってください。

もう今までいた小さな檻の中にいる必要は無いのです。

そして、檻に文句を言うこともいりません。

ただ、そこからそっと離れてください。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」



ありがとう、アシュタール!

(ここまで)


そっと離れるというのはどういうことなのか?

何度もこの話は出てきますが、最近ようやく「そっと離れる」ということが

わかりかけてきました。

そっと離れるというと、その場所から離れる、あるいは人から離れるということに

なりますが、それは物理的に離れるという事ではないようです。

昨日はお祭りで遅くまで友人や家族などと食事を楽しみ、合間にカラオケなどを

歌いながら楽しい時間を過ごしましたが、そのときには外界の喧騒は全く眼中に

なくまるで隔離された空間を感じました。

アシュタールが楽しい時間を過ごすことを勧める理由がそこにあります。

そっと離れるというのはそこの物理的空間を離れるという事ではなく、同じ空間に

居ながらにして別の空間に存在するということのように思います。

それはあくまでも意識的なものであり、自分自身の思考が別の空間を創り出す、あるいは

別の空間に移動すると言って良いのかもしれません。

本当に感覚的なことなので言葉で説明するのが難しいのですが、そのときだけは

西日本の集中豪雨や政治のごたごた、世界で起きている様々な事件など一切を忘れて

いられるからです。本当にその場はそこに集まった人々だけの共有される独自の

空間と時間です。

だから、政治に対するいら立ちからデモを試みても彼らと同じ波動に位置することに

なるので、別の空間に移動するのではなく彼らと同じ空間に存在することになります。

それはそっと離れるというのではなく、同じ空間に限りなく近づくことを意味します。

そうなれば、もはやそこは5次元空間ではなくなります。

アシュタールやさくやさんが棲み分けというこいとを強調する意味はそこにあります。


いずれにせよ、これは多分に感覚的なものなのでご自身でつかむしかありません。



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