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世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:続、虫に刺されないようにするためには?」 [アセンション]

世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:続、虫に刺されないようにするためには?」




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今日はいただいたご質問にアシュタールからメッセージが来ましたのでお伝えしますね^^


質問です。蚊にさされない方法を探していたら、「虫に刺されないためには・・・」

という題名のブログを発見しました、


アシュタールが回答を⁈と期待して読んだら

「蚊は目的を持っていますので 調和のエネルギーとは別の話になります。

この場合は エネルギーフィールドに入ってこれないようにするといいと思います。

この話は また機会がある時にお話ししたいと思います(笑)」

と書かれて終わってしまいました…

エネルギーフィールドに入ってこられないようにするにはどうしたらいいか、

蚊の目的とはなんなのか、どこに回答が書いてあるのか見つけられないので、

教えていただけるとありがたいですm(_ _)m


蚊さんが出て来る季節となりましたぁ~~^0^

蚊に刺されないためにはどうすればいいのぉ~~・・教えてアシュタールぅ~~


「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

刺されないようにするにはどうしたらいいの?・・というご質問ですが、

刺されないようにするのは難しいですね・・絶対に刺されないようにというのはムリです。


調和のエネルギーを出していれば刺されないのですか?・・ということですが、

蚊に関しては目的がありますので、刺されないということはありません。


では、蚊が刺す目的は?・・それは血が欲しいということです。

血を求めているのです。

だから、血を吸わないで、刺さないでねと言っても、蚊にとっては聞けないお願いなのです。


人間と他の生き物たちは気持ちよく共存できるのです。

前の記事にも書きましたが、お互いが(特に人間が)対立のエネルギーを出さなければ、

仲良く共存することが出来るのです。


ちゃんとお話しすることが出来るのです。

たとえば、畑に動物が来て育てた植物を食べてしまう・・というとき、対立のエネルギーを

出すことなく、相手の要求も考えてお互いが満足できるように提案すればいいのです。

どうすれば?

人間が植物を育てそれを食べたいと思うのと同じように他の生き物も食べたいのです。

他の生き物は畑を持ったりしません。

そういう価値観、考え方がないからです。

だから、人間が育てている植物も、山に自然に生えている植物も同じものなのです。

人から奪っているなどとは思っていません。

でも、人間にすれば奪われていると思う。

だから、対立のエネルギーを出して、畑から植物を奪われないように柵をつくったり

します。


柵をつくっても、関係なく畑に入って来て植物を食べ散らかしていく・・

そこにまた人間は怒り対立する・・これがいまの現状ですね。


でも、やり方によっては仲良くすることが出来るのです。

それは、お互いの要求を提案しあうということなのです。


たとえば、畑の一部を解放するのです。

人間の畑の一部を好きに食べていいですよ、でも、そこ以外は私達のために残して

(食べないで)くださいね・・と話合うのです。

もちろん言葉は通じません・・でも、動物たちには人間の思考がテレパシーとして伝わります。

自分達の食べたいという要求が満たされるならば、人間の要求も受け入れますと

いうことになり、解放されたところだけを食べ、それ以外には手を付けないということに

なるのです。


蚊も同じことです。

蚊が欲しいのは血です。

人間がイヤなのは、刺されたあとのかゆみや腫れですね。

ならば、蚊の要求する血を提供する代わりに、かゆくなったり、はれたりしないように

吸って言ってくださいね・・と伝えると、最小限のかゆみや腫れですむように刺して

くれるようになります。

気にならないところから血を吸うようにしてくれます。


いま、あなた達が他の生き物たちと仲良く出来ないのは、人間側から見た一方的な要求を

してしまうからなのです。

自分達の要求だけを通そうとしてしまうからなのです。

同じ生き物として、お互いの要求を尊重し合えればいまのあなた達の社会のように

対立することはなくなります。


あなたに愛をこめてお伝えいたします。」


ありがとう、アシュタール!感謝します。

(ここまで)


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破・常識 あつしの歴史ドラマ「アシュタール:決めるという事を決める・・・」 [アセンション]

破・常識 あつしの歴史ドラマ「アシュタール:決めるという事を決める・・・」



(ここから)


今日の破・常識!



あなたが自由に好きに生きていきたいと思うのであれば、

すべて自分で決めることを決める・・といい・・・らしい(笑)




では、アシュタールからのメッセージをお伝えします。







「こんにちは、こうしてお話し出来ることに感謝します。

とにかく決めてください。決めなければ何も動きません。

迷っていれば、ずっと迷った現実を体験することになります。

決めることで、エネルギーが動くのです。

決めなければ、エネルギーは動かないのです。

エネルギーが動かなければ、何も変化しないのです。


決めることを決めてください。

あなたにとって小さなことも、大きなことも同じです。

どんなことも、あなたが決めなければなにも起きないのです。

決めるから、あなたはそれを体験できるのです。

何が食べたいか決めたから、

あなたはそれを食べることが出来るのです。

一番あなたが食べたい物を決めて、食べてください。

誰かに決めてもらうのではなく、あなたが決めるのです。

誰かに決めてもらおうとすると、

あなたは自分の権利を渡してしまうことになるのです。

すべて自分で決める・・と意図してください。

決めれば、それは現実になります。

決めなければ、何も引き寄せることが出来ないのです。


何かをするだけでなく、しない・・ということも決めてください。

あなたは、どうしたいのですか?

それをまず自分に聞いてください。

そして、したいことを思いついたら、すると決めてください。

決めれば、どうしたらいいのかたくさんアイディアが湧いてきます。

そのアイディアを実行していけばいいだけなのです。

したくないことがあれば、しない・・と決めればいいのです。

しないときめれば、しなくていい現実を創造することが出来ます。

しなければ、困ることになる・・と思っていることでも、私はしません・・と

宣言すれば、それをしなくても困らないようなアイディアが湧いてきます。

しなければ困ることになる・・と思っているから、困ることになるのです。

この仕事をしなければ生活が出来ない・・と思っているから、

それが現実になるのです。

生活が出来なくなる・・とあなたは決めてしまったということです。

無意識でも、決めたらそういう方向へエネルギーは流れ、

現実化するということです。

ですから、すべてにおいて自分で決めるようにしてください。

無意識に決めるということは、他の人や常識、倫理感、道徳、

何かしらのルールを受け入れてしまっているということです。

無意識に決めても、意識的に決めても、現実になるのです。

ならば、無意識に決めるのではなく、

意識的に積極的に決めるようにしてください。

そうすれば、納得のいかない現実を創造することがなくなります。

無意識ではなく、意識的に決めることが出来るようになるためには、

日常の小さなことからでいいですから、常に自分で決めてください。

いつも自分に、どうしたい?と聞いてください。

そして、返って来た答えを尊重しそのようにしてください。

小さなことを自分で積極的に決められるようになると、

大きなことも自分で決められるようになります。

あなたが自由に好きに生きていきたいと思うのであれば、

すべて自分で決めることを決めてください。

あなたの決断は、誰の許可もいりません。

あなたが許可すればいいのです。

自分で決めれば、あなたの見ている現実すべてに納得がいきます。

不満は出ません・・積極的にそれを受け入れることが出来ます。

そして、その現実が気に入らなければ

違う現実にすると決めればいいのです。あなたが主になれば、

あなたの現実はいくらでも好きに変えることが出来るのです。


あなたはどうしたいですか?・・それをまず決めてください。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」



ありがとう 、アシュタール!

(ここまで)


自由であるという事は「決める」ということにおいても自由であるということですね。

すべての決定する自由は自分の手にあるという事です。

もし、それを他人にゆだねてしまったら、それは自由でないという事です。


ただし、自由とは言ってもそれは他人あっての自由なので、他人の自由も尊重しな

ければいけません。

また、他人の自由への介入は避けないといけないでしょう。

そんなこと言ったら自分の自由はどこにあるの?

と、言われそうですが、他人の自由を尊重するという行為も自由の範疇なので

ここまでは自分の自由でここからは他人の自由の範囲とテリトリーを分けて

考えればいいだろうと思います。

すべて自由とは言っても他人を意図的に動かしたり、強制的に行わせるという

自分自身の自由は存在しないという事です。


だから、決めることを決めないという事は自分自身の決めるという行為を

放棄したことになるので、いつも誰かの意見、あるいは何もしないまま無為に

過ごすという事になり。これほどもったいないことはないような気がします。





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