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アメリカの空港で起きているセキュルティチェックを待つ半端ない長蛇の列 [社会・経済]

アメリカの空港で起きているセキュルティチェックを待つ半端ない長蛇の列




(ここから)

アメリカの政府機関の閉鎖は継続中で、過去最長の3週間余りとなりました。
(※トランプ大統領と野党・民主党が国境の壁を巡って対立したのが理由)

給与未払いによる職員不足が深刻となり、公共機関の多くが機能していない状況です。

そんな中、アトランタ空港の手荷物検査を受ける人々の様子が話題になっていました。




(ここまで)

すごいですね。

このセキュリティチェックを待つ人々の列、列!

一体何人並んでいるんでしょう。

これだと飛行機になんか乗れないじゃないですか?


日本で、もし政府機関が閉鎖になったら?

同じようになるんでしょうかね。


もっともアメリカの場合は民主党が反対していることが原因で、日本では

自民党独裁なので起こりえないことですが・・・。




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世にも奇妙なフツーの話「アシュタール: 自信がないのはお互い様なんだな・・・ 」 [アセンション]

世にも奇妙なフツーの話「アシュタール: 自信がないのはお互い様なんだな・・・ 」




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もしも街中で突然悪口を言われたら…「身内以外に愛されない人たち」と怒号

というコラムを読みました^^;

コラムの中に・・・


「こういう人たちってどういう心理なんでしょう? 

むしろ相手に聞いてほしいと思っているんでしょうか?」と、質問を投げかけた。


・・という一文がありました。

人に向かってわざと大きな声で悪口を言う人って、相手に聞いてほしいの??

そうなの?教えてアシュタールぅ~~^^


「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

そうですね・・聞いてほしいのです。

というか、聞いてくれなければ困るのです。


なぜならば、反応してほしいからです。

そのような言葉を投げかけ、本人もそうですが、それを聞いた人に

イヤな感じのエネルギーを出してもらうことが目的だからです。

いわゆる、エネルギーバンパイアだということです。

誰でもいいのです。

でも、反応してくれる人でなければいけません。

だから、反応してくれそうな人に向かって行くのです。


反応しない人にいくら悪口を言っても、エネルギーをバンパイアすることが

出来ませんのでつまらないのです。

なので、反応しない方がいいと思います。

まわりが反応しなければ(あ~、エネルギーバンパイアなのね)と思って

客観的に見ることが出来れば、反応しなくて済みます。

ですから、そのような悪口を言われるという現実を創造することも

なくなります。


このような例だけでなく、何かを話したら揶揄や嘲笑がかえってくると

いうことがあります。

とてもイヤな気分になりますね。

これもある意味エネルギーバンパイアなのですが、それよりも違う意味も

あるのです。


それは、保身という意味です。

自分を守るために、揶揄や嘲笑と言った態度を取るのです。

何から身を守るのでしょうか?

それは、信じていることが信じられなくなることで、自分のアイデンティティーが

なくなってしまうことへの恐怖からの保身なのです。


たとえば、宇宙人はいない・・と信じているとします。

そこに宇宙人はいるよ・・と言われたときに、もし宇宙人がいるとなると

自分が信じて来たことがくつがえってしまう・・それは絶対に許せない・・

そんなことがあるはずがない・・という心理が働き、自分の思い(自分が

真実だと思っているもの)を守るために、攻撃に出るのです。

その攻撃の形が揶揄や嘲笑という態度なのです。


私は宇宙人はいないと思っている・・でも、いるという人はそれはその人の

考えだからいいんじゃないですか?・・と思える人は揶揄も嘲笑もしません。

そこには、自分の考えを信じ切れる自信があるからです。

自分の考えを信じることが出来る人は、相手の意見も受け入れます。

受け入れるというのは、その人に迎合したり、その人の意見を信じるという

ことではなく、相手の意見(考え)を尊重することが出来るという意味です。


自分の知らないことを言われることで、自分のプライドを傷つけられたと

感じることもあります。

そこで、プライドを守るために相手を攻撃しようという心理が働くことも

あります。


そう言う方にとっては、揶揄(バカにする)したり、嘲笑(あざ笑う)ことが

一番痛手を受けるのです。

だから、自分も同じ手を使うということです。


怖いから、痛いから・・だから、攻撃的な態度をとるということです。

揶揄された方、嘲笑された方は、何も傷つくことはありません。

傷ついたと感じる必要はないのです。

傷つけられたと思い、反撃することで、同じ土俵に立ってしまいます。


自分の意見、考えに自信があれば、揶揄されても、嘲笑されても、

大丈夫(何も問題ない)だと思えます。

もし、そういう状況になって、傷つけられたと怒りが出るときは、

私はまだ自分の考えに自信がないんだな・・と思ってください。

だから、こんなに揺れるんだな・・と思ってください。

それ(揺れること、自信がないこと)は悪いことではありません。

自信がないなら、自信がなくてもいいんです。

それが認識出来ているなら、もし揶揄されても、嘲笑されても、

傷つくことがなくなります。


自分の意見が間違っているのではなく、揶揄している人自身が、自分の

考えをくつがえされるのを怖がっているだけなんだな。

自信がないのはお互いさまなんだな・・と思えるようになれば、

悔しがったり、ケンカを吹っ掛けようと思ったりしなくてすみます。


揶揄されたり、嘲笑されても、それはあなたが悪いということでは

ありません。

揶揄している人、嘲笑している人が怖がっているということです。


揶揄、嘲笑という態度は、された側にとってはとても気分の悪いことです。

だからこそ、たくさんのエネルギーをバンパイアすることが出来るのです。


バンパイアされたくなければ、反応しないことです。

自分の意見は自分の意見として考え、相手の意見は相手の意見として

尊重出来るようになれば、自信のエネルギーを放出するようになります。

そのような自信のエネルギーを感じると、揶揄したり、嘲笑したりする

ことが出来なくなります。


ですので、バンパイアされる側も、バンパイアされるようなエネルギーを

出している・・ということも理解してくださいね。


あなたに愛をこめてお伝えいたします。」


ありがとう、アシュタール!感謝します。

(ここまで)


世のなか、そうした人はいますね。

私たちのまわりにいる友人、知人、親子でも・・・・。

私も時々そうした話題を投げかけられることがありますが、まあ、むやみには

否定せず、ただ聞いてますが、その後で向こうの事情もあるでしょうから・・・と

やんわりと言葉を投げかけます。

大体はそこで終わりますが、自分も同じ考えだったりすると盛り上がってしまう

こともあります(笑)。

でも、まあ、直接相手に向かって話しているわけではないので雑談程度ですが・・。

ただ、めったにそういう話はしません。

子供の頃、夫婦の会話を聞いていて、いつもどこどこの親戚はこうだとかああだとか

近所の家庭や子供がこうでもない、ああでもないと非難する内容が多かったので

辟易としていて、その影響もあってかあまりそういう会話はしないようにしています。

ただ、人の真理として誰かに同意してもらいたいというのはあるようで、そうした

気持ちがそんな言葉を生むのでしょう。

話した人からの同意が得られれば何となく胸がすっきりした気分になりますね。

これはおそらく多くの人がそうでしょう。

だからと言って、ダメと言っているわけではなく、今回の記事にあるような

まったく無関係な人にそんな言葉を投げかけてはいけないことと思います。

仲間内の同意のある会話ではないからです。

大変失礼な話です。

そうした人は、そんな話題をふれる相手がいない人なのでしょう。

相手にしない方が賢明ですね。






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破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:流れの二極化・・・」 [アセンション]

破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:流れの二極化・・・」



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今日の破・常識!



いままで教えられてきた・・

これが幸せな人生・・というモデルケースではなく、

自分にとっての幸せを考えはじめた人たちが増えて来ている。

それが新しい流れになっている・・・らしい(笑)

=======================


今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。







「こんにちは こうしてお話し出来ることに感謝します。

二極化が大きくなってきています。良い悪いではありませんよ。

ただ流れの方向がはっきりと分かれはじめているということだけです。

これまでの流れに沿って行こうとしている人たちと、

違う流れに乗って行こうとしている人達が、

はっきりと分かれはじめているだけのことです。

どちらを選べば良いとか、素晴らしい・・という問題ではありません。

どちらを選ぶかは、その方の自由です。

遊園地で絶叫マシーンに乗る人と、遊園地に咲いている花を

見ながら散歩を楽しむ人の違いくらいのものです。

絶叫マシーンが好きな人が悪くて、散歩を楽しむ人が良い・・

ということはありませんね。

ただの嗜好の問題・・それだけです。


絶叫マシーンが好きな人は、まだ遊園地にいることになりますが、

散歩をしたい人は、別に遊園地にいる必要はないんじゃないかな・・

と思いはじめているのです。

わかりますか?

いままでは遊園地に居るのが当たり前だと思っていました。

絶叫マシーンにはもう乗りたくないから、ちょっと散歩しようかな・・

って思っていたら遊園地の外にも

きれいなお花が咲いているのが見えた。

遊園地にしかお花は咲いていないと思っていたのに、

外にもきれいな花が咲いてる。

それも、もっとたくさんの種類が咲いてる・・

そっちに行ってゆっくりその花たちをみたいな・・って思って

遊園地から出はじめた人が増えて来ているということです。


いままで教えられてきた・・これが幸せな人生ですという

モデルケースではなく、自分にとっての幸せを

考えはじめた人たちが増えて来ているのです。

それが新しい流れになっているのです。

どちらが良い、悪いではありません。

どちらが好き・・と言うだけのことです。

まだ、遊園地で遊びたいと思っている人と、

遊園地の外にもきれいなお花が咲いてることがわかって、

それを見たいと思って遊園地から出る人の違いです。

絶叫マシーンで遊びたい人は遊んでください。

散歩しながらお花を見たい人は、そうしてください。

それが波動領域の住み分けです。

遊園地の中で遊ぶと決めた人と、外に出ると決めた人は、

もう遊び方が変わってしまっているので

一緒に遊ぶことは出来ません。

そして、外に出た人と中で遊んでいる人は、

交流することもなくなってきます。

遊び方が違いますので、交流する必要がないのです。

もう少し遊園地で遊ぼうよ・・と誘われても、

絶叫マシーンに飽きた人たちはもう乗らないですね。

絶叫マシーンに興味がありませんので、無関心になります。

そうなれば、どんなに誘っても仕方がないということになります。

どんなに煽っても、脅しても、もう乗りたくないと言われれば、

そこでおしまいです。何も出来ないのです。


これがいま起きている状況です。

流れの二極化なのです。

これからもっとこの流れの二極化が大きくなって行きます。

もう一度言いますが・・どちらの流れが良い流れで、

どちらの流れが悪い流れだということはありません。

だから、あなたの家族や友人があなたと違う流れに

乗ると決めたとしても、何もいう必要はありません。

絶叫マシーンに乗りたい人に、散歩の方が良いんだよ、

だから散歩しようよ・・と言うのは大きなお世話だということです。

そして、反対にあなたのまわりの人たちは

絶叫マシーンに乗っているのに、乗らない私は

協調性のないダメな人だ・・などと罪悪感を感じる必要も

まったくないということです。

好きにしてください・・あなたが決めて良いんです。

・・ということは、あなたの家族であっても友人であっても、

その人が好きに決めることなのです。

同じ遊びをしないからと怒らないでください、

寂しいと思わないでください。それぞれなのです。

あなたがどの遊びをしたいか・・それだけです。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」



ありがとう、アシュタール!


(ここまで)


その流れの二極化はどこに現れているのか?

と考えてみると、もうこれは自分が今いる現在の状況と今の日本の状況と言う

対比によってわかることだろうと思います。

日本や世界で起きている様々な争いや言論上の対立、最近では韓国やロシアtの軋轢

などに見られる対立、そして、地震などの天変地異が果たして自分の周囲に現実と

なって現れているかどうかという事です。

もし、それらと相違ないと思うならばまだ遊園地の中にいることになり、そうではない

安定した平穏な生活を送っているというなら、遊園地から出始めていることになります。

アシュタールが語るように、どちらがいいか悪いかという事ではなく、あくまでも

どちらが自分の趣向に合っているかということでしかありません。


かってバシャールが語っていた分離する地球の姿がそこにあります。

以前、その言葉を聞いた時に地球が二つに割れてそれぞれが別々の地球になるのかと

思っていましたが、そうではなく波動の違いによる分離です。

これが進むとそれぞれの世界の接点がなくなり、どちらかの状態の地球になります。

つまり、今までのような争いの多い宇宙人に支配された地球と、反対に自分たちの

意思ですべてを決めていく個が尊重される地球と言う構図になります。

そのどちらを選択するかは個々の自由でありますが、今はまだどちらを選ぶかの

選択が出来るような状態ですが、いずれはそれが出来なくなり後戻りすることさえ

できなくなるだろうと思います。

どちらを選んでもいいのです。

競争と対立に満ち溢れた世界を選ぶのか、平和に満ちた世界を選ぶのかは私たちの

自由です。でもその選択できる時間は残り少ないようです。





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