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世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:着ない服は手放すしかないのです・・・ 」 [アセンション]

世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:着ない服は手放すしかないのです・・・ 」



(ここから)


今日のアシュタールからのメッセージをお伝えしますね^^

「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

捨てる・・これもとても大切です。

手放すことは悲しいことではありません。

次に向かうためには必要なことなのです。


いままでの洋服でいっぱいになったタンスには、新しい服は入りません。

みんなお気に入りでステキで大好きな服だと思います。

でも、もう着ない服もあるはずです。

着ないと分かっている服でも、捨てられない・・と思って大事に取って

おいても良いとは思いますが、それだと新しい服が欲しいと思っても

手にすることが出来ないのです。

分かりますね。


使わない、着ない服は手放すしかないのです。

そうですね。


考え方も同じです。

新しいものの見方、考え方、価値観を持とうと思っても、いままでの見方、考えかた

価値観を握りしめていたら、新しい考えが出来ないのです。


新しい思考を受け入れようと思うならば、ちょっと勇気を出していままでの

思考を手放すしかありません。


次元、波動領域は思考で決まります。

3次元的な思考をにぎりしめて、5次元領域に共振することは出来ないのです。

ある意味、まるっきり反対の思考なのですから、まるっきり反対の思考をしなければ

5次元領域と共振することはできなのです。

3次元領域と共振する思考をしていたら、ずっと3次元領域の現実を創造することに

なります。


3次元領域が好き、そのような現実で遊びたい・・と思っているならば、それは良いと

思います。

でも、5次元領域の現実で遊びたいと思っているならば、5次元領域の思考にする

しかないのです。


3次元領域の思考を手放さず、そのまま握りしめていながら、5次元領域と共振

したいと思ってもそれはムリだということになります。


5次元領域の思考にするためには、3次元領域の思考を手放してください。

3次元領域の思考で頭の中がいっぱいであれば、5次元領域の思考が入るスペースが

ないのです。

すぐに頭の中の思考を総とっかえすることはムリだと思います。

そんなことをしたら、訳が分からなくなりパニックになってしまいます。

少しずつでいいと思います。

少しずつ手放し、少しずつ受け入れてください。


タンスの中の着なくなった洋服を一枚ずつ手放して、新しい洋服を入れていく。

そうすれば、気がついたらタンスの洋服が入れ替わっていた・・という感じです。


この考え方良いな、この考え方が出来るようになったら楽しくなるだろうな・・と

思ったら、それとは反対の考え方を手放してください。

愛着があるかもしれません。

慣れてる方が楽に思うかもしれません。

でも、愛着があるから、慣れていて楽だからといつまでも手放さなければ、楽しくなる

思考は出来なくなってしまいます。

いつまでも、イヤだと思っている現実を創り続けることになってしまうのです。


ちょっと勇気を出して、ちょっと踏ん切りをつけて、いままでの思考を手放してみて

ください。

そうすれば、新しい展開が見えてきます。


いままでの現実に満足していれば、手放す必要はありません。

満足できない、もっと楽しい現実を創造したい・・と思うのであれば、楽しくない

現実を創造していた思考を手放し、楽しくなる現実を創造できる思考をするしか

ないのです。

楽しくない現実を創造していた思考と、楽しい現実を創造する思考は、まるっと

反対なのですから。

まるっと反対の思考を同時に持っておくことは出来ないということを

お伝えしたいと思います。


あなたに愛をこめてお伝えいたします。」


ありがとう、アシュタール!感謝します。


(ここまで)


衣類にしても、何らかの家財道具でも、あるいは食器でも増えすぎたときに

いざ捨てようとしてもなかなか捨てられないものです。

「そのうち使う機会があるかもしれないから」「愛着があるから」とか

「もったいないから」と捨てられません。


なんと言っても着物とか洋服なんかもハンガーにかけて陳列しているだけでも

満足感がありますからね。これは他人より持っているという優越感がそのように

させるのでしょう。

だから、なかなかこうした持ち物だけではなく、慣れ親しんだ世界から離れる

のは勇気が要ります。

でも、疑問を感じ、おかしいと感じ、調べてみたら思っていたことと違って

いたと思ったときにはそこから離れることを考えるのがいちばんです。


そのためには考え方や行動パターンを変え、周囲と違う自分の世界を創造して

いくことです。それを続けることでタイムラインが大きく変化していきます。

数年経てば著しく異なる世界にいることに気づくと思います。





















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破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:矛盾以外の何ものでもない・・・」 [アセンション]

破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:矛盾以外の何ものでもない・・・」



(ここから)


今日の破・常識!



国民がお国・・なのに、その国民(お国)が、

お国のために戦争に参加して、別のお国の人を傷つけるなど

矛盾以外の何物でもない!



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今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。







「こんにちは こうしてお話し出来ることに感謝します。

何度も言いますが・・戦争は、ただのお金儲けです。

お金儲けのために、意図的に起こされているのです。

自然発生的に戦争が起きることはありません。


そして、大きな国、先進国といわれる国々は、

最近は戦争が一番のビジネスになっているのです。

何かを作り上げていくよりも、壊すほうが楽で儲かるからです。

だから、一生懸命紛争のタネを撒き、戦争をはじめるのです。

戦争しなければ、国は成り立たないところまで来ているのが現状です。

ですから、豊かに暮らしている他の国、自分たちの搾取のシステムの

傘下に入らない国をいちゃもんを付けて戦争を吹っ掛けるのです。


戦争になっても、そもそも戦争をはじめた人たちは

何も痛くはないのです。戦争には参加しませんから・・

自分達やその家族は絶対に前線には行かないですから・・

彼らは後ろで糸を引いているだけです。

痛いどころか、どんどんお金が儲かりますので

笑いが止まらないということになるのです。


どんなに美しい言葉、勇ましい言葉で飾っても、戦争は戦争です。

どんなにきれいな旗を振られたとしても、ミスリードされないでください。

お国のために・・と言う言葉をたくさん使うようですが、

お国とは何でしょうか?それをしっかりと考えてください。

お国・・それは本来は国民一人ひとりでなければいけないのです。

国民がお国なのです・・なのに、その国民(お国)が、

お国のために戦争に参加して別のお国の人を傷つけるなど

矛盾以外の何物でもありません。


戦争の旗を振る人は、人々のことなど何も考えていません。

戦争の旗を振る人が考えているのはお金儲けのことだけです。


でも、このようにお伝えしていますが、

もう大丈夫なのはわかっています。

あなた達がもうそんな旗には従わないこともわかっています。

とても上手に無関心でいることもわかっています。


無関心でいると、きっとまた戦争を起こしたい人たちは

平和ボケなどという言葉を使って、あなた達を挑発して来るでしょうが、

相手にしないのが一番の方法です。どんなに旗を振っても、

あなた達が動かなければ彼らには何も出来ないのですから。

彼らは、旗を振っているだけで自分では何もしようとしませんから、

何も出来ないのです。もし、本当に自分たちが戦争をしたいなら、

自分達だけでしてくださいと言ってください。


人のお金儲けにあなたが犠牲なる必要はないのです。

あなたが我慢して、その人たちのお金儲けを手助けしてあげる

必要はないのです。きっと、あなた達が怖がったり心配したりする

情報をたくさん流してくると思いますが、それに乗ることなく、

エネルギーを与えることなく、無関心でいれば彼らは何も出来ない

ということを信じてください。あなたがフォーカスすれば、

彼らにエネルギーを与えてしまうことになります。

エネルギーを与えなければ、ことを大きくすることは出来ないのです。

小さな火種は、燃えるエネルギー源がなければ

大きくなることが出来ず、すぐに消えてしまいます。


あなたはあなたがしたいことをして、楽しくご機嫌さんでいてください。

それが一番なのです。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」



ありがとう、アシュタール!


(ここまで)


私たちは「国」と言われて思い浮かべるのは何でしょうか?

自分たちのことでしょうか?

そうではないはずです。

おそらく、多くの人が「国をまとめている偉いい人たちの集団」を国と思って

いるはずです。

でも、それは思わされているだけです。

学校の教科書を見ても「国」と言われるものが国民だとはどこにも書かれて

いません。確かに憲法などでは「国民が主体」とは書かれていますが、その

国民が主体と言う中にはすべての国民が含まれていて、その中の国を代表する

人たちが主導している姿が国と称されています。

憲法を制定するのもそれらの選ばれた人たちです。また、戦争をするかどうか

決めるのもその人たちです。

そうすると、どうしても決めている人たちが国の主体であり「国」と思わざる

を得ない思考方式にリードされています。

何を言いたいかと言うと、「国」と言われて、その主体が国民だと認識しない

ようにミスリードされていて、主体はその国を代表する人たちであり、その意思

決定の権限は彼らにしかないと様々な法律や教育、社会的習慣によって思わされて

しまっていて、そのわなから抜け出せていないという事です。

第2次世界大戦中は「天皇は神様」とまで形容され、天皇を尊敬しないものは

非国民とされ、もしそれに類した行為をすると厳しく罰せられたはずです。

ところが今はそうではないですね。

誰も天皇を神様とは言いません。


このように国の主体が国民であるという事から目をそらし、勘違いをさせられて

いるために戦争がお国のためと言われてもその誤謬に気づけないのです。

日本の行く末を決定し行動づけているのはほんの一握りの集団です。

その人たちは国民人口1億1千万人の中の何%でしょうか?

その人たちが戦争をすることを煽っているだけです。

国民は戦争をしたいと誰も思っていません。

思っているのはそうした人たちとそれによって利益を得ることが出来る関連した

人たちだけです。たとえば軍需産業がそのひとつです。

彼らは戦争によって莫大な利益が懐に転がり込みます。

経団連の人たちも戦争特需を期待するでしょう。

今、韓国と日本の対立がエスカレートしていますが、どう考えても韓国の言い分に

無理があり、それをさらに捻じ曲げて対立をあおるのが奇妙に思えます。

それは韓国には知られたくないことと日本に謝罪することが非国民的な扱いを

受けることと関係があるのでしょう。

また、そうした対立をあおる人たちが韓国の中にいることでしょう。

その目的はどう見ても日韓戦争に思えます。

しかし、幸いなことに多くの国民は苦々しく思っているだけで戦争までは望んで

いません。騒いでいるのはネトウヨだけということですね。

こうした状況であっても関心を持つことをエスカレートさせて不安にかられる

ようなことがあってはならないことです。

そうすると彼らの扇動に乗せられてしまい、そうした現実を引き寄せることに

なります。ここは冷静に霊性に静かに見ていましょう。

あるいは無関心でいることが良いだろうと思います。











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