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世にも奇妙なフツーの話「アシュタール: 自信がないのはお互い様なんだな・・・ 」 [アセンション]

世にも奇妙なフツーの話「アシュタール: 自信がないのはお互い様なんだな・・・ 」




(ここから)

もしも街中で突然悪口を言われたら…「身内以外に愛されない人たち」と怒号

というコラムを読みました^^;

コラムの中に・・・


「こういう人たちってどういう心理なんでしょう? 

むしろ相手に聞いてほしいと思っているんでしょうか?」と、質問を投げかけた。


・・という一文がありました。

人に向かってわざと大きな声で悪口を言う人って、相手に聞いてほしいの??

そうなの?教えてアシュタールぅ~~^^


「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

そうですね・・聞いてほしいのです。

というか、聞いてくれなければ困るのです。


なぜならば、反応してほしいからです。

そのような言葉を投げかけ、本人もそうですが、それを聞いた人に

イヤな感じのエネルギーを出してもらうことが目的だからです。

いわゆる、エネルギーバンパイアだということです。

誰でもいいのです。

でも、反応してくれる人でなければいけません。

だから、反応してくれそうな人に向かって行くのです。


反応しない人にいくら悪口を言っても、エネルギーをバンパイアすることが

出来ませんのでつまらないのです。

なので、反応しない方がいいと思います。

まわりが反応しなければ(あ~、エネルギーバンパイアなのね)と思って

客観的に見ることが出来れば、反応しなくて済みます。

ですから、そのような悪口を言われるという現実を創造することも

なくなります。


このような例だけでなく、何かを話したら揶揄や嘲笑がかえってくると

いうことがあります。

とてもイヤな気分になりますね。

これもある意味エネルギーバンパイアなのですが、それよりも違う意味も

あるのです。


それは、保身という意味です。

自分を守るために、揶揄や嘲笑と言った態度を取るのです。

何から身を守るのでしょうか?

それは、信じていることが信じられなくなることで、自分のアイデンティティーが

なくなってしまうことへの恐怖からの保身なのです。


たとえば、宇宙人はいない・・と信じているとします。

そこに宇宙人はいるよ・・と言われたときに、もし宇宙人がいるとなると

自分が信じて来たことがくつがえってしまう・・それは絶対に許せない・・

そんなことがあるはずがない・・という心理が働き、自分の思い(自分が

真実だと思っているもの)を守るために、攻撃に出るのです。

その攻撃の形が揶揄や嘲笑という態度なのです。


私は宇宙人はいないと思っている・・でも、いるという人はそれはその人の

考えだからいいんじゃないですか?・・と思える人は揶揄も嘲笑もしません。

そこには、自分の考えを信じ切れる自信があるからです。

自分の考えを信じることが出来る人は、相手の意見も受け入れます。

受け入れるというのは、その人に迎合したり、その人の意見を信じるという

ことではなく、相手の意見(考え)を尊重することが出来るという意味です。


自分の知らないことを言われることで、自分のプライドを傷つけられたと

感じることもあります。

そこで、プライドを守るために相手を攻撃しようという心理が働くことも

あります。


そう言う方にとっては、揶揄(バカにする)したり、嘲笑(あざ笑う)ことが

一番痛手を受けるのです。

だから、自分も同じ手を使うということです。


怖いから、痛いから・・だから、攻撃的な態度をとるということです。

揶揄された方、嘲笑された方は、何も傷つくことはありません。

傷ついたと感じる必要はないのです。

傷つけられたと思い、反撃することで、同じ土俵に立ってしまいます。


自分の意見、考えに自信があれば、揶揄されても、嘲笑されても、

大丈夫(何も問題ない)だと思えます。

もし、そういう状況になって、傷つけられたと怒りが出るときは、

私はまだ自分の考えに自信がないんだな・・と思ってください。

だから、こんなに揺れるんだな・・と思ってください。

それ(揺れること、自信がないこと)は悪いことではありません。

自信がないなら、自信がなくてもいいんです。

それが認識出来ているなら、もし揶揄されても、嘲笑されても、

傷つくことがなくなります。


自分の意見が間違っているのではなく、揶揄している人自身が、自分の

考えをくつがえされるのを怖がっているだけなんだな。

自信がないのはお互いさまなんだな・・と思えるようになれば、

悔しがったり、ケンカを吹っ掛けようと思ったりしなくてすみます。


揶揄されたり、嘲笑されても、それはあなたが悪いということでは

ありません。

揶揄している人、嘲笑している人が怖がっているということです。


揶揄、嘲笑という態度は、された側にとってはとても気分の悪いことです。

だからこそ、たくさんのエネルギーをバンパイアすることが出来るのです。


バンパイアされたくなければ、反応しないことです。

自分の意見は自分の意見として考え、相手の意見は相手の意見として

尊重出来るようになれば、自信のエネルギーを放出するようになります。

そのような自信のエネルギーを感じると、揶揄したり、嘲笑したりする

ことが出来なくなります。


ですので、バンパイアされる側も、バンパイアされるようなエネルギーを

出している・・ということも理解してくださいね。


あなたに愛をこめてお伝えいたします。」


ありがとう、アシュタール!感謝します。

(ここまで)


世のなか、そうした人はいますね。

私たちのまわりにいる友人、知人、親子でも・・・・。

私も時々そうした話題を投げかけられることがありますが、まあ、むやみには

否定せず、ただ聞いてますが、その後で向こうの事情もあるでしょうから・・・と

やんわりと言葉を投げかけます。

大体はそこで終わりますが、自分も同じ考えだったりすると盛り上がってしまう

こともあります(笑)。

でも、まあ、直接相手に向かって話しているわけではないので雑談程度ですが・・。

ただ、めったにそういう話はしません。

子供の頃、夫婦の会話を聞いていて、いつもどこどこの親戚はこうだとかああだとか

近所の家庭や子供がこうでもない、ああでもないと非難する内容が多かったので

辟易としていて、その影響もあってかあまりそういう会話はしないようにしています。

ただ、人の真理として誰かに同意してもらいたいというのはあるようで、そうした

気持ちがそんな言葉を生むのでしょう。

話した人からの同意が得られれば何となく胸がすっきりした気分になりますね。

これはおそらく多くの人がそうでしょう。

だからと言って、ダメと言っているわけではなく、今回の記事にあるような

まったく無関係な人にそんな言葉を投げかけてはいけないことと思います。

仲間内の同意のある会話ではないからです。

大変失礼な話です。

そうした人は、そんな話題をふれる相手がいない人なのでしょう。

相手にしない方が賢明ですね。






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