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世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:あのとき、親が反対しなければ・・・」 [アセンション]

世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:あのとき、親が反対しなければ・・・」




(ここから)

今日のアシュタールからのメッセージをお伝えしますね^^

「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

突き抜けてください。

そうすれば、誰も何も言わなくなります。

何か言われるのは、あなた自身がそう思っているからです。


何かをしたいときは、私はこうします・・とはっきりと宣言してください。

口に出さなくても、エネルギー場で宣言すれば大丈夫です。


何かしようと思ってるときに、誰かがそれはムリだよ、止めた方がいいよ・・と

言うとします。

それは、あなたがそう思っているからです。

あなたの気持ちをその人が代弁してくれているだけなのです。


だから、その人に向かってそんなひどいことを言わなくてもいいじゃないですか、

と怒らないでください。

その人の責任ではありません。

あなたがそう思っているから、それを代弁してくれる人を現実に入れてしまった

だけなのです。


ムリなことだからあきらめたほうがいいですよ・・と言われたら、その人に

腹を立てるのではなく、あ~、自分がまだそう思ってるんだな、不安に思っているから

そう言う言葉を聞いたんだな・・と思ってください。


その人はあなたの本音を教えてくれているのです。感謝してください。

自分の本音がわかれば、対処することができます。

不安に思っているということがわかれば、大きく動きすぎているんじゃないかな、

もう少し小さく動いてみようかなと思い、やり方を変えることも出来ます。


何かしようとすることに、あ~だ、こ~だと言われるのは、あなたの中が揺れている

からだということを分かってください。

突き抜ければ、何も言われなくなります。

自分でこうするとしっかりと宣言すれば、誰も何も言わなくなります。

そして、今度は協力してくれる人があなたの現実に登場するのです。


自分にとってイヤな言葉を聞いたとき、それはあなたが自分でそう思っていると

いうことです。

どこかで、自分でそう思っているから、その言葉を聞くのです。

その言葉を言う人をあなたの現実に登場させたのです。


揺れること、不安に思うことは悪いことではありません。

それがわかることによって、次にどうしようかと考えることが出来るのです。

軌道修正することもできるのです。

そして、これでいいと思うところまで行くことが出来るのです。

そうなれば、突き抜けることが出来ますので、もう誰も何も言わなくなります。


誰かに何かを言われたら、それは自分の中にあるものだということです。

誰かに反対されたから夢をあきらめました・・というのは、その人が言ったからではなく

あなたがムリだからやめよう、と思ったからだということを理解してください。

あのとき、親が反対しなければ・・などと思うのはナンセンスだということです。

あなたが出来ないと判断し、あなたがそれをすることをやめようと決めたから、

出来なかったのです。

親が反対したのは、あなた自身があきらめたからなのです。

あきらめたあなたの気持ちを親が代弁してくれただけのことなのです。

あなたがあきらめなければ、反対されることもなかったのです。


突き抜けてください。

そうすれば、あなたに協力してくれる人ばかりがあなたの現実に登場します。


あなたに愛をこめてお伝えいたします。」


ありがとう、アシュタール!感謝します。

(ここまで)

これは前回の記事と共通するものですね。

あのとき、親が反対しなければ・・・。というのは、そのとき自分の内面でも同じ思いを

持っていて、親に反対されることを半ば期待している部分があったのでは・・・。

ということですね。それが現実化して親が反対し、結果として自分に対する言い訳が

出来ることで、結局、「あのとき、親が反対したから・・・」という他人への責任転嫁

が出来、めでたしめでたしということなのだろうと思います。

おそらく、自分では違うことを考えていたのかもしれませんが、それを親のせいにして

選んだのは自分だったという事です。

それで・・・・、もしあのとき親が反対していなければ、自分のプランを実行できて

いたのでしょうか?もしかした、後日、「どうしてあのとき、親が反対してくれなかった

のだろう」と思うこともあったかもしれませんね。

結果は結果でしかないということですね。

それをいつまでも悔やんでいても仕方がありません。

今は今ですから今の自分の思考を変えて過去を断ち切り、新たなパラレルワールドを

創り出すしかないですね。



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破・常識 あつしの歴史ドラマ「アシュタール:あなたの現実・・・」 [アセンション]

破・常識 あつしの歴史ドラマ「アシュタール:あなたの現実・・・」



(ここから)

今日の破・常識!



周りにいる人たちに 何か不満などを感じるのならば 

あなたの思考エネルギーを変えるといい・・・らしい(笑)


===============================================================


では、アシュタールからのメッセージをお伝えします。







「こんにちは こうしてお話出来ることに感謝します。

あなたの現実は、あなたが今この時に見えて感じているものだけです。

他にはありません。

テレビに映し出される映像はあなたの現実ではないのです。

そのテレビを見なければ、あなたは全く

その現実とはかけ離れたものなのです。

しかし映像を見て、それが自分の現実であると

認識?受け取った?瞬間にそれはあなたの現実になるのです。


思考はエネルギーです。

あなたがエネルギーを注いだものがあなたの現実に入ってくるのです。

嵐を現実として受け取っている人は嵐を体験するのです。

でも嵐があることさえ知らない人は 

その嵐を体験することは無いのです。

そして嵐を体験した人と嵐を体験していない人は 

まったく違うパラレルワールドにいますので 

接点がありませんので話をすることはありません。

・・ということは、嵐を経験した人のまわりは 

みんな嵐を経験した人になりますので

嵐は実際にあったということになります。

嵐が無かった世界を知らない・・のです。


反対に嵐を経験しなかった人のまわりには 

嵐を経験しなかった人たちばかりですので 

嵐は無かった・・まるで存在しなかったのです。

嵐があった世界を知らないのです。


知った?認識した?受け入れた瞬間に 

あなたの現実に起きて来るのです。

あなたの住んでいるテラの上にも違う世界はたくさんあります。

あなたの文明とはかけ離れた世界はたくさんあります。

あなたが見たことのない景色もたくさんあります。


あなたの社会の文明を受け入れていない人たちは 

あなたの現実とまったく違う世界にいます。

分かりますか?

もしかしたらあなた達の社会では 

未開の人たちと呼ばれる人達かもしれませんが

(未開ではなく、あなた達と物の見かた 

考え方が違う文明なだけですが)

その人達は、あなたの社会の文明とは全く離れているのです。

そしてそこで生きています。

同じ次元領域でも思考のエネルギーを注がなければ 

そこにまったく接点はないのです。

あなたは、その人達をまったく知りません・・

ですからあなたの現実の中にはいないのです・・

あなたにとって存在していないのと同じことになります。

そしてその人達にとってもあなたという存在はいないのと同じなのです。


何が言いたいのかというと・・

結局あなたがどこに思考エネルギーを注いでいるか・・

それが、あなたの現実なのです。

あなたは、ただ存在している個性のエネルギーです。

その個性のエネルギーの思考エネルギーが 

どこに注がれているか・・で 

あなたの見ている物が変わって来るのです。


もしあなたが何かのきっかけで 

その未開といわれる人たちの存在に気がついた時に

はじめてその人達はあなたの現実に姿を現すのです。

そしてその人たちのことを忘れてしまえば 

またあなたの現実にはいなくなります。

でもその人達は、あなたの事を知らなければ 

その人達の現実にあなたは登場しません。

難しいですか(笑)??


未開といわれる人たちだけでなく 

同じ日本に住んでいる人たちについても同じことが言える・・

ということです。

あなたとまったく違うところにいる人たちは 

あなたにとっていないのと同じだということです。

見えないのです・・ある意味存在すら感じません。

同じ波動・・同じような思考エネルギーの人たちが 

お互い共振しあって現実の中に姿を現している・・ということです。

言いたいことが通じていますでしょうか?

結局いまあなたのまわりにいる人たちは 

あなたの思考エネルギーと共振している・・

今のあなたの考え方と似ている人たちだということです。


分かりますか?

周りにいる人たちに 何か不満などを感じるのならば 

あなたの思考エネルギーを変えてください。

そうすればその人達はあなたの現実に登場しなくなります。

あなたの現実とは違うところにいる人たちになり 

存在さえもあなたには関係なくなるということです。


同じテラにいたとしても 5次元領域に共振している人たちと 

3次元領域に共振している人達はまったく違うところにいるのです。

でも3次元領域に思考エネルギーを注いでしまうと 

その世界があなたの現実に姿を現す・・ということを分かってください。

ですので、無理していま見えているもの以外の物を

見る必要は無いのです。

反対に見ないでください・・引き込まれてしまいます。


少し抽象的な話になりましたが、言葉だけを読むのではなく 

エネルギーのところで感じながら読んでいただけると嬉しいです。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」



ありがとう、アシュタール!

(ここまで)


何回もこの話をアシュタールはされていますが、いったん日常の現実に引き戻されると

そのことをすっかり忘れ、すべてが自分の現実として受け入れてしまいますね。

ただ、テレビのニュースなどを見ても以前のようにそれは恐ろしいことだとか、日本は

どうなるのだろうとかと思うことは少なくなりました。

ある意味醒めて見ているような感覚に近いものがあります。

お茶の間テレビ劇場を見ている感じですね。

それがドラマだと思えば、すぐに忘れられます。

それが近い将来自分の身に迫ってくるものだと考えると忘れられません。

時々似たような出来事に遭遇する機会を創ってしまうようです。


今ある現実を変えようとするなら、自分の思考を変えてしまうのがいちばんですが

その前に立つのはそれを実行する前の恐怖感です。

それは自分がこれから行おうとすることが実現出来ないかもしれないという思いですね。

それが先に立つので思考を変えられないのだと思います。

私自身もやはり躊躇することはあります。特にこれまで経験したことのないことに

チャレンジするときや出来そうもないと思われることを行おうとする場合いです。

だから、誰もがそうした思いをすることがあるでしょう。

そんなときには何も考えずにチャレンジしてみて、その後に考えてみるのがいちばん

効果的かもしれません。ダメならダメで再度チャレンジすればいいだけです。

何度かトライするうちにコツを覚え出来る日がやってくると思います。



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銀座の小学校のアルマーニ問題と麻布学園の持つ”校則なし”から見える自由の尊さ [社会・経済]

銀座の小学校のアルマーニ問題と
麻布学園の持つ”校則なし”から見える自由の尊さ


先日、銀座にある東京都中央区立泰明小学校で9万円もするアルマーニ制服を採用

したことで国会でも取り上げられるほど全国的に有名になりましたが、確かに9万

円は高すぎるものでした。

しかし、その背景には周囲の泰明小学校はこうあるべきだという大人のエゴがあり

それが校長をしてアルマーニ制服を採用させたもののように思います。

一方、麻布学園のように校則を完全撤廃し、生徒の自主的な運用にまかせている

学校もあります。今回はその内容を紹介したいと思います。



(ここから)


「生まれつき髪の色が茶色いのに、先生に黒染めを強要された」「なんで学校指定の鞄じゃなきゃいけないのか」ーー。教育現場での指導をめぐり、こうした不満の声が生徒や保護者から出ることは珍しくない。

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今年に入っても、いくつもの問題が明らかになっている。東京・銀座の公立小学校では校長が主導して高価なアルマーニの制服(標準服)として採用されることが決まり、富山県の県立高校では生徒44人の髪を教諭が切り校長が「不適切な指導だった」と謝罪したという。

「校則や生徒指導って、いったい何だ」。こんな疑問を抱く人は少なくないだろう。弁護士ドットコムニュースでは2月9日、自由な校風と全国有数の進学実績を両立させる私立麻布中学・高校(東京都港区)の平秀明校長に、校則や生徒指導に関する考え方を聞いた。

●教育現場で統制強めるべきではない

ーー学校の指導が最近も問題となっているようです。銀座の公立小学校ではアルマーニの制服が導入されるとの報道もありました

「驚きました。それは『アルマーニ』じゃなくて、『あるまじき』ですよね(笑)。公立小学校で制服があるということは知りませんでした。私は教育現場で統制を強めることはいいことじゃないと思っています。国の考えを注入する機関でもありません。一人の人間としてしっかり確立させるというのが教育の大前提です」

ーー統制を強めると管理する教員の負担も増すことになりますか

「一般的に、校則が厳しい学校は先生方もその校則によって強く統制されていると思います。生徒がいきいきと過ごすには、先生もいきいきしていないといけないのですが、先生自身が疲弊してしまいます。最近は、家庭で本来されるべき教育も学校が担わされている部分があります。さらに服装チェックや持ち物チェックばかりでは疲れるでしょう。

学校は授業をするところです。生徒が楽しく元気に通えればいいし、先生だって一生懸命に教えられればいい。生徒の服装や髪型、持ち物は大きい心で許せばいいと思います」

●多様性を縛るのは人権侵害、学校は世間体を気にしすぎ

ーー学校にとっては校則や生徒指導を厳しくするのはプラスなのでしょうか

「少し前ですが、『地毛証明書を出せ』という指導がなされている学校があるというのには驚きました。服装や髪の毛がきちんとしていないと、世間から乱れた学校だと見られて、学校の評判が落ちるという考え方があるのです。

外面を整えれば学校がよく見られるようになるというのは、違うと思います。大事なのは学校が生徒を信頼しているかということ。特に、中高生は反抗心があって、エネルギーがあって、目立ちたかったり格好つけたかったりする世代です。ある程度許容してあげていいのではないでしょうか。

また、必ずしもみんな日本人というわけではありません。片方の親が外国人だったり、両方とも外国人の場合もあります。肌の色が違ったり髪の色が違ったり、多様な子がいるのは当然です。多様性を一律に縛るのは人権侵害だと思います」

●自らに揺るぎなき基準をもった生徒に育てる

ーー麻布は生徒の服装などが自由で校則もないと聞きます

「服装や髪型の自由さが目立つのですが、我々が本当に求めているのは『内面の自由』です。つまり外から律されるのではなく、自分の中に揺るぎない基準を作りなさいということです。そして立派な一人の人間として世の中に送り出すことを目標にしています。

校則というのは、何々をしてはいけないという『拘束』だと思っています。仮に、校則によって中高時代がコントロールされても、卒業したらタガが外れて、自分を律することができなくなるのではないかという懸念があります」

ーー自由なあまり、生徒自身が失敗することはありませんか

「社会一般の法規範を守らなければならないという前提はまずありますが、校則として縛るものがないので、確かに生徒はいろいろな失敗をします。授業で騒げば誰かに迷惑かかり、遅刻をすれば授業に出られずに自らの損になります。生徒自身が、自由をどうコントロールするかは難しく、誰かに迷惑をかける中で学んでいくというのが実態です」
●生徒の問題行為には粘り強く向き合う

ーー校則がないと、かえって指導がしにくいことはありませんか

「校則がある学校では普通、飲酒や喫煙、窃盗などの大きな違反をすると、停学や退学といった処分がありえるでしょう。麻布では校則はないので、してはいけないことを生徒がしたら、学年の担任と副担任で集う学年会や全体の職員会議で延々と話し合います。

生徒が反省するまで、作文を書かせたり、家庭とも連絡を取ったりしています。反省した、と認められてようやく通常の授業への参加を認めるということにしています。校則がないぶん、違反行為を校則に当てはめて処分を下すことができない難しさはありますが、生徒の育ってきた環境を聞いたり、友人に話を聞いたりする過程を重視しています」

ーー自由な校風だと風紀が乱れ、学力は低下し、学校の評価も下がると考える人もいます

「そうした考え方もあるのでしょうが、我々の考え方は違います。自由な環境であるからこそ、生徒は自分で考え、自分で行動し、結果の責任は自分でとらなければなりません。6年間かけて生徒はこうしたことを学んでいきます」

ーーそれは麻布が自由な校風のため乱れ、不人気になっているわけではないということが証明しているのでしょうか

「おかげさまで、受験倍率は3倍(名目)程度を維持しています。寮がないのに、首都圏以外からの受験生が毎年10人程度います。海外から受けに来られる方もいます」

●自由を得るまでの「代償」は大きい

ーー受験生は、麻布の自由な校風と進学実績どちらに魅力を感じて志望するのでしょうか

「入学してくる生徒に聞くと、自由な校風の方が魅力的だそうです。実は、校則ではないですが、生徒が考えた禁止事項があります。『麻布3禁』というもので、(1)校内での麻雀禁止、(2)授業中の出前禁止、(3)校内を鉄下駄で歩くことの禁止です。なかなかありえないようなことですが、それくらい自由だということが強調されますね」

ーー麻布に合格するために、小学生は必死に夜まで受験勉強しているようで、麻布に入ってからの「自由」を手にするまでの代償はかなり大きいようです

「それはそうかもしれません。裕福で、教育にお金と労力をしっかり投じてくれるような家庭に育った子が多く入ってきているという実感はあります」

●学園紛争きっかけに校則なくなる

ーーなぜ麻布はここまで自由な校風になったのでしょうか

「過去に大きな出来事があったのがきっかけです。1960年代後半から1970年代前半にかけて、学園紛争が盛んだった頃、麻布でも政治集会に参加する生徒が出てきて、ヘルメットをかぶった複数の生徒が当時の校長室を占拠するということもありました。

普通の学校なら強制的に排除するのでしょうが、麻布では話し合いを重ねた結果、全校集会において意思の集約ができ、生徒の自主活動は基本的に自由であるという約束が交わされました。すると、校長室を占拠していた生徒たちも綺麗に掃除して退去していきました。のちに、彼らは退学処分を受けることなくみんなと一緒に卒業しています」

ーーそれで校則もなくなったということでしょうか

「はい。こうした出来事をきっかけに、校則がなくなりました。私自身、1973年に麻布に入学しているのでちょうど自由な校風に切り替わった直後の世代です。それまでは体育の教師が校門前に立って指導するという他校と同じような光景があったと聞いています」

【プロフィール】

学校法人麻布学園、平秀明(たいら・ひであき)校長。1960年生まれ、麻布高卒、東大卒。1985年から麻布学園の数学科専任教諭として28年間勤務。2013年4月より校長。(貧しい御家人だった江原素六が1895年に創立。麻布学園は中高一貫校で、中学入試のみ実施。1学年300人程度の男子校。かつて制服だった詰め襟・黒ボタンの学生服を「標準服」とし、希望者は購入して入学式などのセレモニーで着用している)

(ここまで)

今回のケースは完全な自由の中でこそ、自立した生徒が育つということを見せて

くれる好例ではないかと思います。

何々をしたらいけないという規則で縛ることで抑えつけるのではなく、自由な中で

生じる責任と義務を自ら自覚させ、そこで生まれてくる自由を守るための自主的な

考えというものです。

多くの学校では伝統的に校則というのがどこでもあり、入学するとまずこの説明が

オリエンテーションを通じて行われます。これによって生徒が悪いことをしないよ

うにとタガをはめますが、このタガがかえって破ろうとする考えをもたらすので

ある意味逆の結果をもたらします。人間抑えつけられればそれを突破しようとするし

規制されれば破ろうとするでしょう。本来自由である人間が抑制されることに反発

しようとする結果ですね。

麻布学園では1970年代の学園闘争をきっかけに校則を撤廃したそうですが、学園

闘争を経験した多くの学校では校則を厳しくしたのに対し、全く正反対の対応をした

麻布学園のあり方は真の自由の尊さを教えてくれているような気がします。



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