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世にも奇妙なフツーの話「さくやさん:盛り塩について・・・」 [アセンション]

世にも奇妙なフツーの話「さくやさん:盛り塩について・・・」


(ここから)

先日のワークショップの中で「盛り塩」に関してのご質問がありました。

(「盛り塩」というのは、塩を三角錐型に盛り、店先や玄関などに置くことです。

それによって商売繁盛やお清めの効果があるとされています)

「盛り塩」ってやっぱりしたほうがいいのでしょうか?


では、その件に関してさくやさんからのメッセージをお伝えしますね^^


「それって結界ってことでしょ。

ここからは不浄なものは入ってこないでください・・っていうね。

結界ってね、排除の考え方なのよね。


何を不浄と言うのかは私にはよく分からないけどね、まぁ、神ではないもの?

人に厄災をもたらすもの?・・そういうことよね。

そんな存在はいないのよね。

それってただ、人間の利益にとって都合の悪い存在ってことでしょ。

人間目線の判断で、これは悪い存在、これは良い存在って決めてるだけよね。

だって、ワンネス・・すべては同じもので出来ていて、すべては平等なんだから。

あなたは私、私はあなた・・その視点で考えれば、良いとか悪いとかの判断はなくなるわ。


そして結界って対立なのよ。

そうよね、ここからあなたは入らないでね・・っていう排除ってある意味ケンカを売ってる

ことになるのよ。


盛り塩の対象は異次元の存在でしょ。

それも波動の重い方の・・・

異次元の存在って、3次元領域の価値感、考え方と同じなんだけど、身体を持たずに

エネルギー体で存在する存在たちなの。

だから、ケンカを売られたら、それを買うわ。

分かる?

盛り塩をしてケンカを売ったということは、異次元の存在を怒らせてしまうことにも

なりかねないということなのよ。

自分を守ってると思ってる行為が実は危険を招いてるということになってるの。


だから、盛り塩に関しては私はおすすめしないわね。

ケンカしたいなら別だけど、仲良く住み分けたいならやめたほうがいいと思うわ。


盛り塩もそうだけど、お札とか地鎮祭などという儀式も同じよ。

昔は波動のことを知ってる人が取り仕切っていたからまだよかったけど、いまはただの

形になってしまってる。

波動エネルギーや異次元の存在のことを何も知らずに、形だけ真似しているから怖いわね。

形だけだからほとんどの場合は何も起きないけど、儀式をした人のツールによっては

たまには波動エネルギーに作用することも出て来る。

そういう時は、異次元の存在にケンカを売ってしまうことになるから、あなたが言う

厄災が起きることにもなってしまうの。(ケンカを買われた状態って言うのかしら?)


そう言う儀式って昔の陰陽師の技術が形になってるの。

陰陽師って、波動エネルギーを使える人たちなの。

そして、そのツールを異次元の存在の排除のために使った。

それが陰陽師という職業になった。

昔はしっかりと波動エネルギーを使うことが出来たから、それなりに何が起きても対処できた。

でも、いまはそれがただの形になってしまっているから、何か起きてもわからないし、

だから何も対処できないの。

怒らせてしまったこともわからず、何が起きてるのかもわからず、対処も出来ない。

そういうことが起きる可能性もあるってことを分かってね。


なんだか怖がらせているみたいだけど、私は異次元の存在をむやみに怖がってねって

言ってるんじゃなくて、お互いの礼儀と尊重を忘れないでねって言ってるのよ。

異次元の存在もあなたが何か失礼なことをしなければ何もしないわ。


あなたが良かれと思ってやってることが、反対に彼らを怒らせることもあるってことを

知っておいてほしいの。

それには、波動エネルギー、ワンネスをしっかりと理解してほしいのよ。

ワンネスがわかれば、すべては同じ存在だということがわかれば、どうすればいいか

自ずと分かって来るわ。


知らない人に向かって、塩を投げつけたり、お前は不浄なものだからここから入るな

って言ったりする?

ここはお前の来る所ではない、立ち去れってシッシッってする?

しないわね・・もししたとしたらものすごく失礼なことよね。

それはわかるわよね。

盛り塩やお札や地鎮祭などの儀式はそれと同じ行為だということなの。

あなたの肉体の目では見えなくても、彼らにも意識も感情もあるのよ。

それを忘れないでね。


じゃあ、どうすればいいの?・・って思うかしら?

住み分ければいいのよ。

お互い尊敬と感謝の気持ちを持って住み分ければいいの。


排除ではなく、拒否でもなく、怖れでもなく、ただ同じ存在として住み分ければいいの。

新しく建物を建てる時に地鎮祭という形ではなく、そこに居る異次元の存在に話かければ

いいだけのことなのよ。

ここに建物を建てます、仲良く住み分けましょうね、よろしくお願いします・・ってね。

そうすれば、彼らも気持ちよく住み分けてくれるわ。

何も干渉してこないわ。


そういう理由で、私は盛り塩やお札や地鎮祭などの儀式はおすすめしないわね。

他にもあるけど、それが結界(排除)の考え方かどうかで見てみれば

どうしたらいいかが分かってくるわ。


あなた達をこころから愛してるわ~~」


ありがとう、さくやさん!

私たちもさくやさんをこころから愛してるよ~~^0^

(ここまで)


私たちは盛り塩に限らず年中様々な行事をしてますね。

年末には神棚や仏前に料理をあげその年のお礼口上を述べ一年を締めくくります。

2月は節分と何個も続きます。

お盆の墓参りなんか今では形式的なものになってしまっていますが、過去の人を

その日だけは呼び寄せるというしきたりがありますが、覚えている人は実際にそう

いう気持ちをもってしているでしょう。

でも、考えてみれば異世界と紙一重の行為ばかりしているのがわかります。

その中身を実際には知らず、その影響を考えるというよりは「良いことを招く」

という考えがそこにあります。ご利益思考ですね。


できればこうしたたぐいの行事は今後避けるべきでしょうね。




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破・常識 あつしの歴史ドラマ「アシュタール:思考の現実化・・・・」 [アセンション]

破・常識 あつしの歴史ドラマ「アシュタール:思考の現実化・・・・」




(ここから)


今日の破・常識!



小さな出来た!の経験が増えていくと 

大きな出来た!も簡単になる・・・らしい(笑)



===============================================================


では、アシュタールからのメッセージをお伝えします。







「こんにちは こうしてお話し出来ることに感謝します。

小さな出来た!・・を大切にしてください。

小さくても出来たのです・・すべてにおいて偶然はありません。

どんなことでもあなたの思考エネルギーが現実を創造しているのです。

思考が先・・現実があと!なのです。

思考エネルギーが注がれないところには現実化はしないのです。

あなたが思ったから、それがあなたの現実になったのです。

これはりっぱな思考の現実化です。

何もないところからパッと出すのだけが思考の現実化ではないのです。

何もないところからパッと現実化するには 

まだ波動エネルギーを使いこなせて無いので、いまはまだ無理です。

少しずつです・・少しずつ思考のエネルギーの使い方が分かってくれば

それも簡単に出来るようになります。


どんなことでも思考は現実化します。

現実化しないのは、あなたが止めているからです。

マインドがそんなことは無い・・とブレーキを踏んでしまうからです。


ですから小さなことから出来る!・・

と自信をつけて行くことが大切なのです。

小さなことならばそんなにマインドも否定をしません。

そしてそれが出来なくてもそんなにダメージを感じないし 

軽く考えることが出来るから現実化しやすいのです。

急に大きなことを望むと出来なかったらどうしよう・・とか 

恥ずかしいとか・・いろいろなことを考えてしまって 

ブレーキを踏んでしまいます。


小さなことがあなたの自信になっていくのです。

ちょっとしたことでもそれが現実化したら出来た!・・

と自分をほめてください。

偶然だとか、タマタマだとか思わないでください。

それは確実にあなたの思考が現実化したのです。

あなたの思考がエネルギー場に作用して 

あなたの欲しいものを引き寄せたのです。


小さな出来た!の経験が増えていくと 

大きな出来た!も簡単になります。

思考のエネルギーの使い方が分かってきます。

コツがつかめてきます。


”波動使い”として なんでも出来るようになります。

今はまだ やっと自分が”波動使い”だということを

思い出した段階ですので、たくさん経験することが必要になります。

たくさん経験してください・・たくさん小さな 出来た!を経験してください。

そしてもしうまく出来ないことがあったとしても 

ダメだなんて絶対に思わないでくださいね

それも大切な経験になります・・うまくいかなかった経験から 

次のアイディアが生まれて来るのですから。


思考エネルギー(波動エネルギー)の使い方を思い出すために 

小さな出来た!を積極的にたくさん経験してください。

たくさん試してみてください。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」



ありがとう、アシュタール!

(ここまで)


時間は延ばすことが出来るのか?

ということを実際に試してみたら、結果は「延びました」です。

先日時間がなくて、それまでにやらないことがあり、いつもの手順だとゆうに1時間近く

かかるのですが、これは間に合わないかもしれないと思ったことがあります。

しかし、そこで思い直し、時間は延ばすことが出来るんだからそう信じて作業に専念すれば

いいと始めました。そうすると、結果的には30分で終わりました。

終わってびっくりです。いつもの半分近い時間で終われたんですからね。

これはひとつの例かもしれませんが、あまり心配などせずその作業に取り組むのがいちばん

いいようです。なぜ延びるのかは説明できませんが、同じことが半分の時間でというより

おそらくやっていることは1k時間かかっていると思います。でも時計が30分になるみたいです。

すごいですよね。これって不思議ですね。


他にもいろいろありそうですのでいろいろ試してみようと思います。




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