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世にも奇妙なフツーの話「さくやさん:IQ246、写真で覚える??」 [アセンション]

世にも奇妙なフツーの話「さくやさん:IQ246、写真で覚える??」


(ここから)

IQ246という織田裕二さんが主演のドラマを見てた時・・

フッとIQって何?って思ったんです。

そしたらさくやさんが、「ほとんど記憶力のことね」・・だって^^;

ほとんど記憶力?・・って、そのほとんどって何?

「ただ覚えるという記憶力じゃなくて、写真のように覚えることが出来る

能力って言えばいいかな?」




それって、やっぱり天才ってこと?

「天才なんていう言葉はナンセンスね。

天才っていうものは無いの、強いて言うならみんな天才。

自分が持ってきたツールを使いこなしている人を天才と言ってるだけ。

みんな自分の得意なツールを持っているのに使いこなすことが出来てない

だけのことなのよ。」




へぇ~・・自分が持ってきたツールを使いこなしてる人が天才といわれてる人。

面白いねぇ~・・じゃなくて、IQについて聞いてるんだけど・・

「先にあなたが天才についてふって来たんじゃない(笑)

そうそう、IQね、まず人の能力を数字で計ろうとすること自体がまったくの

ナンセンスなんだけど・・それは置いといて、その数字が多い(高い)人は写真のように

すべてを記憶することが出来るのね。」




普通に記憶するのと、写真のように記憶するのとではどう違うの?

「普通に記憶するって言うのは、言葉、左脳で記憶してるってことなの。

でもね、すべてをカシャッて写真のように記憶することは右脳での作業。

そして、写真としてストック出来るからいつでも詳細に取り出すことが出来るの。

言葉だとあいまいですぐに消えてしまう情報も、写真だといつまでも保つことが出来る。

だから必要なときにそれを取り出してみることが出来るの。」




えっと、言ってる意味がよくわからないんですけど・・

「左脳で覚えた、言葉で覚えたものは、その時に覚えた(フォーカス)した

ことしか記憶出来ないわね。

でもね、写真で覚えることが出来るとその時は見落としていたものも、あとから

見直してみることが出来るってこと。

もう一度、新しく見ることが出来るって言えばわかるかしら?

例えば、こういう写真を見るとするでしょ。


果物、ガラス、着色された、コレクション



左脳でそれを覚えようとすると、みかんと青(緑)りんご、黄色いリンゴ、緑の洋ナシ、

バナナ、サクランボ4つ、ブドウ4つのガラス細工があります・・という

ように自分でフォーカスしたものだけを覚えようとする。

そうしたら、じゃあ、その黄色いりんごの表面に写っていた物はなんでしょうか?と

問われると、そこにフォーカスしていなければ覚えていないから答えられない。

でも、写真で覚えていると、もう一度そこにフォーカスしてみることが出来るの。

そして、四角い窓らしきものが写ってますって答えることが出来る。」




あ~、そういうことね、何となくわかったような・・・

「何度も見直すことが出来れば、新しい発見も出来る。

その写真が多ければ多いほど、情報も多くなる。

だから、テストをしても、左脳で覚えている人より断然情報量が違ってくる。

そしてその情報を自由に使うことが出来るから、推理、推測ということにおいても

断然有利よね。

だから、すごい脳力だということになる。

IQと呼ばれてる数字はそういうことなの

特別な人でもなし、特段すぐれた脳力を持ってる訳でもない

写真で記憶することが出来るツールを持ってるってだけのこと。

そして、さっきも言ったけど人の能力を数字ではかるなんてこと自体がホントに

ナンセンスなことなのよ。

特にあなた達は記憶力に特別な価値を置いてるけど、記憶力なんてそんなに必要ないわ

あなたの社会で行われているテストというもの自体がおかしいんだから。

だって、記憶力のテストでしょ?

どれだけ記憶できたか・・それだけをテストしているだけでしょ?

何年にどんな名前の事件が起きたでしょう?・・それを覚えていて何になるの?って

ことよね。

そんなのインターネットがあるんだから調べればすぐにわかることでしょ。

それを覚える労力、時間を使うなら、どうしてその事件が起きたか、その根本を

問う方に使った方がいいと思うけどね・・」




そりゃそうだ・・私もそう思います^^;

「でしょ~。」




でも、その写真で記憶する方法って、やっぱりそのツールを持ってきた人だけ

しか出来ないの?

「そんなことはないわよ。

いままでそのやり方を教えてもらえなかったから出来なかっただけで、誰でも

それは出来るの。

右脳で覚えようと思えばいいのよ。

感覚で見るの・・言葉で覚えようとするんじゃなくて、そうね、全体をボ~~っと

見るところからはじめてみるといいかもしれないわね。

ひとつひとつにフォーカスするんじゃなくて、全体を覚えるってカンジかな。

慣れてくれば出来るようになるから、ちょっとずつやってみて。

必ず、その写真で覚えるコツがわかって来るから。」


ほぉ~~・・全体をボ~っと見て覚えるねぇ~~・・ちょっとやって見よ^0^


ありがとう、さくやさ~~ん。


・・というある日のミナミとさくやさんとの雑談でした(笑)

(ここまで)

私も子供の頃は日常の出来事はすべて覚えていました。

両親が何を言ったかという会話もすべて記憶されていて、ふとよみがえってきます。

また、歩いた後の風景とかも写真のように焼き付いていて、どこに何があったとかも

覚えていました。

でも、小学校の授業を受けるに従い段々消えて行ったようです。

それでも、高校生の時くらいまでは授業のときに先生が黒板に書いた内容の

ある程度覚えていましたのでノートを取らなかったんですね。

その後はそうした記憶力も薄れてしまったので、ノートを取らないという習性の

ため、ノートに書いても再読しないんですね。結局、忘れてしまい覚えられない。

それだけ右脳記憶力に頼っていた部分がありました。



でも、今は・・・・・。

からっきしダメになりました(笑)。

それはおそらく文字として記憶するように変わって行ったので右脳記憶がすたれて

しまったのだと思います。したがって、以来、どんなに訓練してももとに戻りません。


結局、学校教育という記憶偏重主義が子供の才能の芽をつぐんでしまっていると思います。

もし、写真のように記憶できる子供が増えれば大人は対抗できないでしょう。

そうされないように能力を落とす教育をしているとしか思えませんね。


まあ、でもさくやさんが言うのですからもう一度トライしてみようかな・・・。









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破・常識 あつしの歴史ドラマ「アシュタール:最高のエクシタシー」 [アセンション]

破・常識 あつしの歴史ドラマ「アシュタール:最高のエクシタシー」


(ここから)

今日の破・常識!



愛は所有ではない。

          エネルギーの交換・・・らしい(笑)


 
=============================================================


では、アシュタールからのメッセージをお伝えします。







「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

愛・・夫婦、パートナーの愛でも、親子愛でも、兄弟愛でも、友情でも、

世界すべての人に向けての愛でも なんでも同じです。

それは差し上げるものでも、もらうものでもありません。

愛とは、すべてにおいての絶対的な信頼なのです。

信頼・・それが愛なのです。

信頼・・それは、すべてにおいてその存在への尊敬であり感謝なのです。

尊敬と感謝があるから信頼できるのです。

そしてそれは一方通行ではなくお互いのベクトルが一致するときに

エネルギーの交換が行われ信頼のきずなが出来るのです。


愛をもらおうとしないでください。

愛を与えようとしないでください。

愛とはそのようなものではなく 

エネルギーの交換から起きてくる信頼なのです。

ですから愛は失うものではありません。

愛は所有ではありません。

エネルギーの交換なのです。

愛が失うようなものだと思ってしまうと 

そこには不安、心配、怖れが生じます。

狭義の”愛”にとらわれてしまうと愛を見失ってしまいます。

狭義の意味の”愛”は所有からの考えですので、

失うという概念が生まれます。

そこに 苦しみ、悲しみの感情が出てくるのです。

そうではなく、お互いのエネルギーの交換が融合を生み 

最高のエクスタシーとなるのです。

お互いの尊敬と感謝からくる信頼のエネルギーの交換が

最高のエクスタシーとなるのです。

好きな人にふられた、失恋した・・というのは 

狭義の愛にとらわれた発想になります。

男女の愛の根底も同じ、尊敬と感謝の信頼のエネルギーを 

身体を使って表現(SEX)しているということです。

ですから、そのエネルギーの交換のない肉体だけのSEXでは、

エネルギー上でのエクスタシーは感じられず満足できないのです。

満足できないから欲求不満になってしまうのです。

そして欲求不満になるので もっと求めるようになります。

でもそこには欲求を満たしてくれる

愛のエネルギーの交換がありませんので、

いつまでたっても欲求不満は解消されない・・

という悪循環にはまってしまうのです。

男女の愛のエクスタシーは、SEXだけではありません。

チョットした目でのやり取り、手のふれあい・・

それだけでもハートがフルフルするようなエクスタシーを

感じることがあると思います。

これがエネルギーでの交流なのです。

ちょっと話がそれましたので戻します(笑)


その観点から見てみると 

いたるところでエネルギーの交換をしているのがわかると思います。

ちょっとした挨拶のしぐさ、言葉、

それも愛のエネルギーの交換なのです。

知らない方であっても そのエネルギーの交換で

楽しく感じることがあると思います。

交換した愛のエネルギーを感じると 

とてもご機嫌さんになることができます。

ご機嫌さんになると、もっとたくさんのエネルギーの交換が

出来るようになってきます。

このご機嫌さんのエネルギーに満たされた社会は 

とても自由で気持ちの良い社会になるのです。

愛・・信頼のエネルギーを大切にしてください。

あなた達は、その愛のエネルギーの交換からもたされる

最高のエクスタシーを

身体と言う物質を持って感じたいと思って

物質世界へと転生したのです。

分離である身体を持って融合を感じたかったのです。

それを思い出してください。

そしてたくさんの愛の交流を楽しんでください。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」



ありがとう、アシュタール!


(ここまで)


たとえ知らない人との間であっても得られる最高のエクシタシーですね。

私は車の運転をしていて、田舎のような狭い交差点や狭い道路では互い違いに

通行できない時があります。そんなときには相手の方も先に気づいて道を開けて

待っていてくれる時があります。すれ違いの時に交わす手のしぐさによる

「ありがとう」という行為は直接会話しているわけでもないのにものすごく

気分が高揚した感じになります。それは自分が譲って相手から同じように

「ありがとう」の挨拶を送られたときも同じです。

それは愛というより、互いの行為に対する信頼と感謝の気持ちです。

こうしたことは日常のちょっとした風景になかで見られます。

だから、直接会話していなくとも十分愛のエクシタシーの交換は出来るものと

思います。

ただ、都会ではこうはいきませんね。なんとなく殺伐としたものを時々感じる

ことがあります(笑)。「それは当然です」という意識でしょう。



だから、こうした意識は言葉には出さなくとも相手には伝わっていると思います。

男女の愛もそれを基盤としたものなら長く続くでしょうね。




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