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世にも奇妙なフツーの話「ミナミさん:教育という名の、矯正装置・・・」 [アセンション]

世にも奇妙なフツーの話「ミナミさん:教育という名の、矯正装置・・・」



(ここから)

生まれつき茶髪の女子高生に対して、学校が無理やり黒髪に染めるように強要した

として、学校を訴えたところ、反対に学校側が全面的に争う姿勢を示しているとか・・


大阪の高校で、生まれつき茶髪の女子に何が何でも黒髪でなければいけない、

と強要し、月に2度の染髪を指導、そのためにその女子は頭髪が傷み、髪もボロボロに

なってしまったとか。

この学校の言い分によると、例え金髪の外人でも規則で黒く染めさせる・・とのこと。


なんやね~~~ん(怒)

いろんな髪の色の人がいるんですよ、日本にも、世界にも(怒)

これって異常でしょ?

もうね、学校側は意地になってるとしか思えない!

意味が分からないですよ、何でそんなところに意地になるのかなぁ~・・

どうしても学校、先生の意見が一番、

どんなことがあっても、なにがあっても、いうことを聞かせてやる~~っていう意地?

ここで引くと学校の沽券にかかわる?生徒になめられる?

そんな下らない意地を張ってどうするんでしょうね?

こんなの教育じゃないよ。

ホントに子どもたちの事を考えてくださいよ・・・って強く思ったミナミなのでしたぁ~~^^;


では、今日はさくやさんからのメッセージをお伝えしますねぇ~~

「校則ねぇ~、そもそもそんなものはいらないのよ。

子どもを正しい道に導くため?不良化しないため?・・バカ言ってんじゃないわよ。


子どもには、教育も躾けもいらないの。


そんなことをして甘やかしたら、どんなにわがままで、協調性がなくて、困った大人に

なってしまうんじゃないですか?・・って思うと思うけどね、それはまったく違うわ。


子どもが人に迷惑をかけたり、不良化といわれるような態度をとったり、協調性がなか

ったり困ったことを起こしたりするのは、大人がそうだからよ。

大人が、自分達が出来ていないから。


わかる?

子どもは大人を見ていろいろなことを覚えるの。

大人がしていることを見て覚えるの。

大人が口だけで良いことばかり言ってても、自分達が出来ていなければ何の説得力もないわ。

友だちと仲良くしなさいって子どもに言いながら、自分たちはケンカばかりしている姿を

子どもが見たらどうかしら?


人には優しくしなさいって言いながら、自分たちは悪口を言い合ったり、意地悪をしたり

している姿を見ていたらどうかしら?

まったく説得力がない上に、そういう姿を見るとそれでいいんだと思うわ。

そして、同じことをするの。


躾け?・・あなた達が言ってるのは、子どもたちに自分の理想を押し付けているだけよ。

自分達が出来ないことを、子どもにしなさいって言ってるだけ。

お箸の持ち方、きれいな食べ方?・・そんなものは教えなくても、まわりの大人が出来て

いれば自然に覚えるのよ。

自分は出来ないけど、子どもにだけはお箸をちゃんと持てるようになって欲しいから厳し

く言うの・・っていうのは論外よね。

わかるでしょ・・厳しく言えば言うほど、じゃあ、言ってる本人はどうですか?って反発

されるだけよ。


すべて同じ。

子どもになって欲しい人に大人がなってちょうだい。

親、まわりの大人がそういう人でいれば、子どもも何も言わなくてもそうなるわ。

子どもに理想を押し付けないでね。



そしてね、学校は子どもを没個性に育てるために作られたものなの。

だから、校則をつくり、そこから出ないように監視するの。

どんなに理不尽な校則であっても、黙って従うように強制するの。

そのための校則なんだから。

学校が、先生が、自分達の都合の良いように適当につくった校則を、何も疑問も持たず、

ただただ素直に従う子を育てるための機関なんだから。

最初から、子どもたちの幸せを願ってなんてないのよ。

思考停止の没個性の人間を量産していくための機関なんだから・・

教育という名の、矯正装置ね。

だから、ちょっとでも意見を言う子や反抗する子は排除しようとするの。


これは、また余談になるけど、排除するために病名をつけたりするのがいまのやり方。

発達障害、アスペルガー、コミュニケーション障害、多動症・・そんな病気はないわ。

ちょっと元気で、学校のいうことを聞かない子たちをどうすればいいかわからないから、

病気という名目で、排除しようとしているだけ。


だから、学校で病名をつけられたからと言って、悩んだり、悲しんだりする必要はないの。

反対に、自分の意見を持っている、自分の個性を表現できる素晴らしい子どもだと

思ってほしいわ。


学校教育、校則などについて、鵜呑みにしないでちょっと疑問を持って見てちょうだい。

いろいろなことが分かってくるわ。

いろんな真実が見えて来るから。


そしたら、自分の子どもをどうしたらいいかわかるから。

子どもの身になって考えられる大人でいてね。

自分が子どもと同じ状況ならどうかな?って考えることができれば、子どもが言いたいことが

わかるわ。

ちゃんとコミュニケーションが取れる関係をつくることが出来るわ。


子どもは子どもじゃなくて、ひとりの人間だということを忘れないでね。


あなたたちをこころから愛してるわ~~」


ありがとう、さくやさん!

私たちのさくやさんをこころから愛してるよ~~^0^



(ここまで)


学校も国も公共と名の付くところはおしなべて同じ反応を示しますね。

自分たちが悪いと認めてしまえばしめしがつかないということでしょう。

だから、いくら自分たちに非があろうとも認めないということです。

ひどいのは最初は自分たちに落ち度がありましたと言っていたのが裁判を起こされ

被告の立場になったらそれまでの言い分を180度変えて「自分たちに非はありま

せんでした」と言い張り徹底的に争う姿勢を見せることでした。

どれがとは言いませんが、そんな例がありましたね。


国もそうです。旧厚生労働省は薬害事件を平気で起こしておきながら、非を認めず

最後は裁判になり負けました。そこでやっと自分たちの非を認めたのです。

しかし、裁判が終わったころには当時いた担当者は退職して現場にはおらず

後から赴任した新しい担当者が代わりに非を認める声明を出すわけです。

しかし、こうした裁判で国の担当者が罰金をくらい鉄格子の中に入れられたという

報道はあまり聞いたことがないですね。ほとんどが国が代わりに弁済する形で

終わっています。むろん、中には懲役何年という例もありますがすくないでしょう。

要するに民間人は容易に捕まり罰せられ鉄格子に入れられますが、国家公務員は

よほどの酷い例でなければそのままという事です。

いつも思うのですが、どうしてこうも待遇が違うんでしょうね。

国が事件を起こしても隠れてわいろをもらってもヘイチャラです。

つい先日も西日本道路公団だったかな?ETCカードの二重取りがわかったけれど

どれだけの人が被害に遭っているかは数が多すぎて調べきれませんので調べませんと

開き直っているところがすごいと思いました。民間だったらこんなことはできないで

しょう。それに民間だったらSNSで集中攻撃を受けますが、公共団体の場合はそれが

ないところが摩訶不思議なところです。

まあ、その他に探せばもいろいろあると思います。

基本的に国は国民の幸せをこれっぽっちも考えていないという事ですね。




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破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:自分で生きる力・・・」 [アセンション]

破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:自分で生きる力・・・」



(ここから)

今日の破・常識!



あなた達庶民と呼ばれる人たちがいれば、金融が崩壊しても、

銀行がつぶれてお金が使えなくなっても、何も困らない。

むしろ崩壊したほうが、あなた達は自由で豊かになれる・・・らしい(笑)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。








「こんにちは こうしてお話し出来ることに感謝します。

自分で生きる力をつけてください。

あなたには自分で生きる力があるんです。

自分の人生は、自分で何とでも出来るんです。

人に頼っているから、不安や怖れが出るのです。

自分で食料を取る方法がわかれば怖いものはなくなります。

自分で住む家(場所)を見つけることが出来れば、

何も怖いものはないのです。

生きるための力はすべての人に完璧に備わっているのです。


お金なんてまったく必要ありません。

お金は食べることも、着ることも、住むことも出来ないのです。

生きる・・という上においては何も役に立たないのです。

生きるために必要なのは、人々の力なのです。

お金があなたを生かしてくれているのではなく、

あなたに提供してくれている誰かが

あなたを生かしてくれているのです。

そしてあなたが提供していることが誰かを生かす力になっているのです。

生産することだけでなく、あなたが居るということだけでも

誰かにとって力強い力となるのです。

だから、紙きれ、金属の塊にしか過ぎないお金を貯めることを

重要なことにしないでください。

紙きれ、金属の塊は無くなるのです。

でも、あなたが身につけた生きる力はなくなることはないのです。

誰からも没収されたり、盗まれたりすることはありません。


自分の力で生きることを考えてください。

たとえば、好きなこと、楽しいことを仕事にすることです。

自分で仕事を見つけ、自分で仕事をする・・

そうすると不安はなくなります。

自分で魚を捕る技術を身につけると、

いつでも魚を捕ることが出来るので不安がなくなるのと同じです。

誰かに依存して魚を捕ってもらっていると、

その人がいなくなったら生きていけないと思い込み、

常に不安と怖れで震えていなければいけなくなります。

会社に入ってお給料をもらわなければ生きていけない・・

そんなことはありません。

お金がなければ生きていけない・・そんなことはありません。

みんなが自分で生きる力を思い出すことが出来れば、

依存する関係から、提供しあえる関係に変わることが出来るのです。

いまあなたの生活を支えていてくれるのは、

お金ではなく人だということを忘れないでください。

お金がいくらあっても、人がいなければ何も出来ないのです。

そして、あなたの社会を動かしているのも人々なのです。

人々がいなければ、社会は何も動かないのです。


わかりますか?

だから、人がいれば何も困らないのです。

お金を貯めることに人生を使わないでください。

自分の力で生きて行くことに人生を使って下さい。

あなたには出来ます。あなた達がお金や金融、

ピラミッド社会のシステムに依存するのをやめ、

それぞれに力を提供しあえば何の不安も恐れもなくなります。

あなた達庶民と呼ばれる人たちがいれば、金融が崩壊しても、

銀行がつぶれてお金が使えなくなっても、何も困らないのです。

むしろ崩壊したほうが、あなた達は自由で豊かになれるのです。

お金は食べられない、着られない、住めない・・

ということを、思い出してください。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」



ありがとう、アシュタール!


(ここまで)



自分の力で何かを始めるという事が出来れば、それが体験となり知識となります。

私は独学でホームページの作製方法を身に着けましたが、最初は本当に何もわからず

どうやって作るのかさえ知りませんでした。

ホームページ作成ソフトを手にしてもダメなんです。

そこで、HTMLとCSSを学びなんとかこうやれば作れるというところまで行くのに

約1年ほどかかりました。そのおかげでホームページの構成の仕方やレイアウト

段落などのやり方も覚え、写真の加工もフォトショップを使いある程度は出来る

ようになりました。

これも必要に迫られてやったのですが、その知識は今でも十分役に立ちます。

もしかしたら、これで仕事が出来るかと思いましたが、当地ではITの普及が進んで

いませんので職にはありつけないのが現実ですね(´;ω;`)。

だから、これを武器に自分で仕事を作ることは可能だと思います。

あとはいかに労力を注げるかです(ここが問題ですね)。


だから、何かを始めるということはとても大切なように思います。

なぜなら、始めようという気を起こさない限り何事もなしえないからです。

お金をかけずにどうやれば出来るかという工夫も時には必要です。

先日も友人に居間のリフォームを始めるにあたって超重い家具類を運ぶのを

手伝ってもらいましたが、代わりに彼が出来ないと言っていたオーディオの

配線と接続および音を出せるところまでやってあげることで了解を得ました。

本来ならなにがしかの謝礼を払うところですが、こうした交換条件でもいいのでは

ないかと思います。

それぞれ工夫すればいろいろなアイデアが出てくると思います。










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