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破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:突き抜けてください・・・」 [アセンション]

破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:突き抜けてください・・・」



(ここから)


今日の破・常識!



突き抜けてください。

そうすれば、誰も何も言わなくなります。

何か言われるのは、あなた自身がそう思っているから・・・らしい(笑)


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今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。







「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

突き抜けてください。

そうすれば、誰も何も言わなくなります。

何か言われるのは、あなた自身がそう思っているからです。

何かをしたいときは、私はこうします・・とはっきりと宣言してください。

口に出さなくても、エネルギー場で宣言すれば大丈夫です。

何かしようと思ってるときに、誰かがそれはムリだよ

止めた方がいいよ・・と言うとします。

それは、あなたがそう思っているからです。

あなたの気持ちをその人が代弁してくれているだけなのです。

だから、その人に向かってそんなひどいことを

言わなくてもいいじゃないですか、と怒らないでください。

その人の責任ではありません。

あなたがそう思っているから、それを代弁してくれる人を

現実に入れてしまっただけなのです。

ムリなことだからあきらめたほうがいいですよ・・と言われたら

その人に腹を立てるのではなく

あ~、自分がまだそう思ってるんだな、不安に思っているから

そういう言葉を聞いたんだな・・と思ってください。

その人はあなたの本音を教えてくれているのです。

感謝してください。

自分の本音がわかれば、対処することができます。

不安に思っているということがわかれば、

大きく動きすぎているんじゃないかな、

もう少し小さく動いてみようかなと思いやり方を変えることも出来ます。

何かしようとすることに、あ~だ、こ~だと言われるのは、

あなたの中が揺れているからだということを分かってください。

突き抜ければ、何も言われなくなります。

自分でこうするとしっかりと宣言すれば、誰も何も言わなくなります。

そして、今度は協力してくれる人があなたの現実に登場するのです。

自分にとってイヤな言葉を聞いたとき

それはあなたが自分でそう思っているということです。

どこかで、自分でそう思っているから、その言葉を聞くのです。

その言葉を言う人をあなたの現実に登場させたのです。

揺れること、不安に思うことは悪いことではありません。

それがわかることによって

次にどうしようかと考えることが出来るのです。

軌道修正することもできるのです。

そして、これでいいと思うところまで行くことが出来るのです。

そうなれば、突き抜けることが出来ますので

もう誰も何も言わなくなります。

誰かに何かを言われたら

それは自分の中にあるものだということです。

誰かに反対されたから夢をあきらめました・・というのは、

その人が言ったからではなく、あなたがムリだからやめよう

と思ったからだということを理解してください。

あのとき、親が反対しなければ・・

などと思うのはナンセンスだということです。

あなたが出来ないと判断し

あなたがそれをすることをやめようと決めたから、

出来なかったのです。

親が反対したのは、あなた自身があきらめたからなのです。

あきらめたあなたの気持ちを

親が代弁してくれただけのことなのです。

あなたがあきらめなければ、反対されることもなかったのです。

突き抜けてください。

そうすれば、あなたに協力してくれる人ばかりが

あなたの現実に登場します。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」



ありがとう、アシュタール! 


(ここまで)



他人や知っている人から受けるアドバイスなんかも本当は自分の気持ちを

代弁しているに過ぎないということがあります。


「こう言われて欲しい」という願望が心の中にあり、それが他人の口から

出てくるのですが、それが否定的なものだったということも良くあります。


とく、あれかこれかと迷っている時に「そんなこと止めときなよ!」と言われた

ときに、私はやりたいと思っているのに、どうしてそんなことを言うの?

という気持ちが湧き上がってくると思いますが、それは自分の内面の葛藤を

代弁しているようなものです。

やりたい気持ちとやりたくない気持ちのはざまで揺れているあなたが本当の

ことを言われると実にショックでやりきれないだけです。

どちらも真実なんだろうと思います。


否定的なことを言われた後で、誰かに肯定的なことを言われたりすると、

「そうだよね」と思う反面、「そうではないでしょう・・・」と言う気持ちも

同時に出てきます。

だから、どちらも自分自身の立場からすればどちらも正しいわけです。

だから、腹を立てても、それは自分に対して怒っていることであり、そこに

登場する他人や知っている人には関係のないことです。


この3次元の世界で起きていることは自分自身という視点から見れば、すべてが

自分自身の心の反映のように思えます。

それはあたかも自分を試しているようなときもあれば、自分自身に対する警鐘で

あったり、助言であったりします。

どうも、そのようなことを繰り返しながらあらゆる体験をしようとしている

みたいなところがあります。

そういう意味では周囲のすべてが自分だと言えそうな気がします。



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