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破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:体験している現実が違う・・・」 [アセンション]

破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:体験している現実が違う・・・」



(ここから)


今日の破・常識!



同じ現実の中に居るように思えても

体験?感じる?ものはまるで違ってくる。

人は、みんなこうして自分の現実だけを体験している・・・らしい(笑)


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今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。







「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

人は(人だけではありませんが)

それぞれの現実を体験しています。それぞれ・・です。

みんなそれぞれに見ている現実は違うのです。

同じ現実を見ているようで、実は違う現実を体験しているのです。

現実を見るのと現実を体験するのは違うのです。

難しいですか?

現実を見る、同じ環境にいる・・それは共通しているとしても

体験することは違ってくるのです。

たとえば学校などで同じ教室にいる(同じ現実を見ている)としても

それぞれに違う現実を体験しているのです。

習っている教科に興味があるし、その先生も好きな人

興味はあるけど先生のことが好きではない人

興味は無いけど先生が好きだから聞いている人

興味もないし先生のことも好きではないけど仕方なくいる人

みんな同じ環境にいますが、

まるで違う現実を体験していますね。

それぞれの人の中(思考)が違うと

同じ現実の中に居るように思えても

体験?感じる?ものはまるで違ってきます。

人は、みんなこうして自分の現実だけを体験しているのです。

だから、みんな感じる、体験することが違ってくるのです。

だから、みんな意見が違ってくるのです。

教科に興味があって先生も好きな人と

興味もないし先生も好きではない人と

意見はまったく違いますね。

そして、どちらが正しい意見だということもありません。

それぞれが、それぞれに感じたことを言っているだけなのです。

興味がある人が、興味のない人に

それはおかしいでしょ、興味を持つべきです、

同じ教室にいるなら興味を持つことが正しいことです

・・と言ったとしても仕方がないことは分かりますね。

先生のことが好きな人が、

みんなに先生のことを好きになるべきだ、

好きになるのが生徒として当然のこと、正しいこと、正義だ

・・といくら言っても、そんなの勝手でしょ・・となりますね。


誰でも、自分だけの世界(現実)の中で生きているのです。

生きているというより、自分の好きな現実(ホログラム)を

見て遊んでいるだけなのです。

だから、自分の現実の方がすごい、自分の現実の方が正しい

自分の現実の方が高尚だ・・などと主張しても仕方がないのです。

自分の現実を正当化しようとする・・それがケンカなのです。

こう考えると、ケンカがどれだけ不毛なことか

お分かりいただけると思います。

それぞれでいいんです。

それぞれ自分の好きなホログラムの中で遊んでください。

他の人のホログラムに干渉する必要はありません。

同じ意見(似たホログラム)の時もあるでしょうし

まったく違う時もあるでしょう。

同じ二人でも、ここは似ているけど

ここは違うということもあります。

似ている時は気持ちいいけど、違う時はイラッとして

自分の意見を正しいと主張する・・これは干渉です。

気持ちがいい時は一緒にいればいいし

違うなと感じたらそこのところだけは

離れていればいいだけなのです。


分かりますか?

あなたは先生が好きでこの教室にいるんですね・・

私は先生はそんなに好きではないけど

その教科とそれについて詳しい先生の

話が聞きたいから教室にいるんです。

それでいいのです。

自分の好きな理由でいてください。

そして、そこにいたくないと思えば、

教室から出ていけばいいのです。


100人いれば、100通りの考え方があるのです。

それぞれ、すべてOKなのです。

それをしっかりと認識することが出来れば、

人に干渉することも、コントロールしようと思うことも

自分と意見が違うことにイラッとすることも、なくなります。

あなたはこう思うのですね、私はこう思います。

それだけでいいのです。

その会話が自然に出来るようになれば、

ケンカ?諍い?がなくなり、風通しの良い

気持ちの良いコミュニケーションをとることが出来るようになります。

あなたは、あなたの好きな現実(ホログラム)を

自分で選んで体験してくださいね^^

みんなそれぞれに体験している現実(ホログラム)が違う

・・ということを忘れないでください。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」



ありがとう、アシュタール! 


(ここまで)


最近、いろいろな人との交流が増えてくると、共通したあるいは似ている

考えを持っている人とは今体験していることを共有できる(すべてではなく)

けれども、そうでない人とは共有できないという現実です。

その場合は同じようなことを考えているかどうか確認しないといけないときが

あります。

もっとも、波動が上昇してくれば言葉で伝えあわなくとも理解できるように

なるとは思いますが、今はまだそうではないので言葉のやり取りによる確認は

必要になります。


いくら仲の良い友達でも、ひつつ屋根の下に住む家族であっても互いに一人に

なれば、もうそこは自分だけの世界で他人はそこにはいませんし、介在もせず

干渉し合う世界はそこにありません。


したがって、それぞれ見る視点は違うし、体験する現実も少しづつあるいは

かなり異なります。

そして、どういう体験をしたいかはその人の自由意志で決定されるものであり

誰かが強制(そういうことも場合によってはありますが・・・、戦争とか国の

法律に基づいた規制とか、他人に使われている場合など)出来るものでは本来

あり得ないものです。

互いに自由なのです。だから、その人が望むなら何を体験してもいいものです。

たとえ、それが今の尺度で悪に属するようなものであってもです。

中にはこの世に生まれるときに沿う計画してきた人もいるでしょう。

それは自分の生まれた環境で判断できます。

しかし、すべては愛を具現するための作業です。

多くの体験を通して「愛とは何か」ということを見つけていくものです。

そのために必要であれば善悪は問わないものと思います。

そして、必要なのは偏らないバランスの取れた体験です。

それはすべてが体験だということを考えてみればわかるものと思います。

ただ、どちらであっても必要以上のものは体験する必要がないものとも思います。

それはハートが判断することでしょう。









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