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世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:宗教的儀式は商業ベース・・・」 [アセンション]

世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:宗教的儀式は商業ベース・・・」



(ここから)

死後、葬儀もせず火葬のみを行う「直葬(ちょくそう)」が増えて来ているのだとか・・

「遺体お預かり」広がる…葬儀しない「直葬」増え、火葬場不足で

前から私も死んだら直葬にしてもらって、お墓もいらないから散骨してねって

まわりの人にお願いしてま~す^0^

だってね、まぁ、規模にもよるんですけど、お葬式ってびっくりするくらいのお金が

いるじゃないですかぁ~・・えぇぇっ~~って私も父の時に驚きました^^;

結婚式みたいに、次から次へとオプションがついてきてどんどん費用が増えていくし(苦笑)

戒名も一字増えれば何十万ってかわってくるし・・・


そしてね、これも父が亡くなったときの実体験なんですけど・・

火葬した後の父のお骨には何もなかったんです。

父のエネルギーはまったく感じなかった・・ホント、言い方は悪いけど、ただの物体。

抜け殻?って感じでした。

そんなお骨のために、またすごいお金を出してお墓を建てるのって??・って思ったんです。


だからね、私が死んだ後、そんなお金を使ってもらうのはもったいないと思うんです。

そのお金があるなら、旅行にでも行って、残った人が楽しむために使ってほしいなって・・・

これは私の考え方ですので、そんな罰当たりなことをぉ~~って怒らないでくださいね(汗)


ブータンでは、日本みたいなお葬式はせずに直葬で、すぐに遺灰を川に流すそうです。

川に流すことで、魂が戻って来られる・・っていう考えかただそうです。


同じ仏教でも、儀式?考え方?はずいぶん違うんですね^^



・・・・ということで、今日のアシュタールからのメッセージをお伝えしますね^^

「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

宗教的儀式は、商業ベースになってしまっています。

あなた達にそれが分かりはじめたので、簡素化してきているのです。


亡くなった方のために儀式はいりません。

お墓などのモニュメントもいらないのです。

亡くなった後につける名前もいりません。


亡くなった方は、そのような物を必要とはしないのです。

宗教的な儀式は、いまの社会の延長として、次の世界があるとした上のものです。

いまの社会の考え方、価値観、倫理観をそのまま、死後にも当てはめているのです。

ですから、名前が必要だとか、お供えが必要だとか、供養が必要だとかということに

なるのです。


身体を脱いだあとは、考え方も価値観もすべてまるで違うものになります。

現世と呼ばれているときに持っていた価値観とは大きく変わります。

死後の世界などありません。

極楽も天国も地獄も幽界もないのです。

輪廻転生もありません。

ですから、そのような儀式やお供えものなどはいらないのです。


身体を脱いだあとは、ワンネスである絶対無限の存在の情報の海に戻るのです。


身体を脱ぐということは、留学先から帰るようなものだと思ってください。

日本という国から、何か体験してみたいと思って違う国に留学し、

そして、見たいもの、したいことを思いっきり経験して満足できたから、故郷(日本)に

帰ってくる・・そのようなものです。


ですから、日本に帰ったあとは、日本を楽しむのです。

留学先は良い思い出にはなりますが、未練はありません。

留学先で知り合った人たちを思いだして泣いたり、悲しんだり、戻りたいなどとは

思わないのです。


留学先で知り合った人たちが、手紙をくれない、電話をくれない、品物を送ってくれない、

などと言って怒ったり、嘆いたりすることなどまったくないのです。


分かりますね。

だから、残された人たちも手紙を書いたり、電話をしたり、なにかプレゼントを送ったり

する必要はないのです。

留学している人たちは、その人たちもいつか故郷の帰りますので、

それまでそれぞれ留学を楽しんでいればいいのです。


儀式はどんどん商業ベースになっています。

いろいろな意味をつけ、形を作り、儀式をしないと亡くなった方が不幸になるなどと

不安や怖れをあおり、ビジネスをするのです。


お葬式などの儀式だけでなく、事故に遭わないように、受験に受かるように、安産のために・・

などと怖れや不安をもとに、いろいろな物を売ります。

それは、医療と同じ商業ベース、ビジネスだということなのです。


儀式をすることであなたの気持ちが落ち着き、ご機嫌さんになれるならば儀式をされても

いいと思います。

儀式やお祓いや物を持つことであなたの気持ちが落ち着き平和になるのであれば、

それはプラシーボ効果としてはいいと思います。


身体を脱いだあとのことを理解することができれば、宗教的な考え方、儀式についても

違う見解を持てるようになると思います。


あなたに愛をこめてお伝えいたします。」


ありがとう、アシュタール!感謝します。

(ここまで)


ホント!なんで葬式一つ出すのにこんなにお金がかかるの?

と、思ったことがありました。

妹の旦那の親が亡くなった時に葬式の準備に携わったことがありましたが、最初提示された

額は300万円を超え、それに様々なオプションをつけていくと400万円近くなりそう

でした。でも、周りの誰もがそれを当たり前と思っているのかその金額に疑問を呈しません。

私だけでした。担当者を呼び、これとこれを簡素化してこれを削ったらどうなの?と

たずね、そのようになり、結局は150万円を少し超えるところまでにしました。

その後が面白いです。これとこれの費用を削ったので、ここの部分はご家族にやってもらい

ますのでよろしいですか?とか、これは出来ませんのでこれでお願いしますとか・・・。

もう出来るだけ向こうも人手をかけずにやろうとする努力(笑)が見えました。

もともとが高いので普通の葬式をこのまま行ったら相当かかるだろうな・・・と。

私がおかしいんでしょうね。誰もそれでよかったとは言いませんでしたから。

そもそも葬式に費用をかけてもしょうがないというのが私の考えでしたが、ほとんどの

人はそれで仕方がないものと受け止めているようでした。

提示されたものをそのまま受けるという姿勢ですね。疑問を持ってない。問いかけもしない。

そうした自主性がないのは常識を疑う考えがないからですね。

まあ、この話はこれくらいにして・・・。

それよりも今日のアシュタールの話の中でこの世界で生き、亡くなって向こうに戻った後は

現世でのことを思い返すこともないというのには驚きましたが、そうかもしれませんね。

そう考えると、今私たちが生きている体験も本当に今だけのことであり、そこに善悪の概念は

ほとんどなく、どんな体験をしたかだけのことだという事です。

なぜなら、悪いことをしたからこの世のように罰せられるということはなく、ただ、自己の

波動の低下を招くだけのことであり、それが体験を繰り返す都度変化していくということに

なるのだろうと思います。亡くなった後どこへ行くかはその時の思考と波動が決めるという

ことになります。すべて自分自身の問題ですね。

そう考えると、今生きている人生をどれだけ体験しつくすかという事になりそうです。









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