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破・常識 あつしの歴史ドラマ「さくやさん:自由で豊かな社会・・・」 [アセンション]

破・常識 あつしの歴史ドラマ「さくやさん:自由で豊かな社会・・・」




(ここから)


今日の破・常識!


江戸時代は、おすそ分けの文化で

循環のいい楽しい生活をしていた。

いまのわたし達のように孤立して助け合うことも

出来ないような社会よりよほど自由で豊かな社会だった・・・らしい(笑)



今日は、さくやさんからのメッセージをお伝えします。


「おすそ分け文化をまたはじめれば??

江戸のころの子たちは、おすそ分けでとてもうまくやってたわ。

縄文の子たちは、所有の意識、概念そのものがなかったから、

おすそ分けという考えもなかったの・・ただ、提供し合うだけ。


おすそ分け・・っていうのは、自分の持っているもの(所有物)を

少し差し上げる・・っていう考え方で、所有という

概念的なところからの考え方よね。(物々交換とは違うのよ。

ある意味余ったものを差し上げる的な感じかな)


あなた達もこの所有という概念の社会にいるから、

すぐに縄文の子たちのように、

ただ提供するだけの文化っていうのは、

実現するのにはまだ難しいと思う。

だから、おすそ分けの文化をもう一度はじめればいいんじゃない?


おすそ分けなら、いまでもやってるでしょ?

その文化を大きく広げていけばいいのよ・・

それなら簡単に出来るんじゃない?

そして、おすそ分け文化に慣れてきたら、

今度は提供し合う文化に少しずつ移行していけば、

アシュタールが言ってる”個の時代”を無理せず、

スムーズに創造してけるんじゃないかしら。


おすそ分け・・ちょっと多めに採れたから、ちょっと多めに作ったから・・

だからまわりの人に上げる。

そうやって江戸の子たちは、必要なものを手にしてたわ。

江戸時代も長いから、一概には言えないけどね、

庶民たちはお金なんてほとんど使ってなかったわ。

みんなおすそ分けで生活してたの。

お金とか使い始めたのは、ずいぶん後期になってからよ。

明治になる直前くらいかしら。

お金を使いはじめてから、

みんなの意識がどんどんおかしくなりはじめたわ。

この話になるとまた長くなるから・・話を戻すわね(笑)


たとえば、あなたが陶器を作るのが好きだとするでしょ。

陶器を作ることが好きなんだから、次から次へと作りたくなるじゃない。

家の中は陶器であふれるくらい(笑)・・じゃあ、そのあふれた作品を、

欲しいと思う人、必要としている人におすそ分けすればいいじゃない。

そしたら、またもっと作ることが出来るでしょ。


農作物を作るのが好きな人もそう。

作物が出来るのが楽しくてうれしくて仕方がないって思う人は、

どんどん作ればいいのよ・・そしてたくさん出来たら、

必要としてる人におすそ分けすればいい。


お金のために農作物を作ってると、たくさん出来ても

値段が下がるからって、売らないで廃棄したりするでしょ・・

なんてムダなことをしてるのかしらって思うわ。

その手塩にかけた農作物、みんなにおすそ分けすれば

みんな幸せになるんじゃない?


とにかく、お金のためにする仕事は無駄が多すぎるわ。

江戸の子たちの社会がエコ(循環型で無駄がない)だったのは、

そうやってお金を稼ぐことばかりを考えないで

おすそわけの文化を確立してたから。


循環がいい社会は無駄もないし、

食べることが出来ない人などいなかったわ。

これもまた話がそれちゃうけど、江戸の人たちは

貧しくて食べるにも困る人たちがたくさんいた・・な~~ンて話は

全くのつくり話だからね。封建制度のもと、

江戸の人たちは苦しんでいた・・それを明治維新という

素晴らしい革命が起き、人々は解放され自由になり、豊かになった・・

明治維新バンザイという流れを作るために

江戸時代を悲惨な時代というイメージに作り上げたの。


江戸の子たちは、おすそ分けの文化で

循環のいい楽しい生活をしていたわ。

いまのあなた達のように孤立して助け合うことも

出来ないような社会よりよほど自由で豊かな社会だったのよ。

助け合う・・そんなの当たり前だから、

助け合うなんて考えもなく当たり前にしていた。

手を差し伸べるのが当たり前だから、

手を差し伸べられるのも当たり前。

助けるのも、助けられるのも、当たり前・・わかる? 

助けてもらったから何か恩義に思うなんてこともなかったから、

すごく当たり前に助けを求めることも出来たの。

受け取ることがとても上手だったってこと。

あなた達は、受け取ることがとても下手なの。

だから、循環出来なくて苦しくなるのよ。


もらったら、ありがとうって言って気持ちよく受け取ればいい。

そして、自分が出来ることがあれば他の人にしてあげればいい。

Aさんからしてもらったから、Aさんにお返ししなければいけない・・

な~~ンてことを考えるから循環しないの。

Aさんから何かしたもらったら、今度はBさんに

何か出来ることで手助けすればいいの。

そしたら今度はBさんがCさんに手助けするでしょ。

そしたら、Cさん→Dさん→Eさんって

どんどん手助けしていく輪が出来る。

で、まわりまわってKさんがAさんの手助けをするってことになる。

こうして手助けの輪が循環していくの。

この輪が循環すれば、みんなが豊かになれるってこと。


これがおすそ分けの文化!

無理して持ってもいないものを上げる必要はない。

自分で使いきれないもの、食べきれないものを

おすそ分けすればいい。自分で何か作るときに、

ちょっとだけ多めにに作って人におすそ分けするだけでいい。

楽しんで作ればもっとつくりたくなる・・

だからたくさん作って人にもらってもらう。


こうして考えていけば、輪は循環するのよ。

輪が循環すれば、江戸の子たちのように

お金に依存しなくても十分豊かに生活することが出来るのよ。


おすそ分け文化・・素晴らしいと思わない?


あなた達を心から愛してるわ~~」



ありがとう さくやさん!

(ここまで)


おすそ分け文化の名残は戦後は少し残っていました。

余れば、近所の人に分けて上げ自分たちは必要な分だけ食べるという習慣です。

だから、必要以上のものは食べなかったし欲しがらなかった。

そんな習慣がまだありました。と言っても、私の子供のころの田舎での話ですが・・・。

実際にそうでした。

だから、近所で稼ぎの良い上司が部下の家族におすそ分けして互いに良い関係を

作っていました。それが今はまったくありません。ないというよりはしたくないという

文化風土です。余るくらいならごみ箱に捨てたほうがまだましという考えですね。


だから、さくやさんの言うおすそ分け文化というのはよくわかります。

その根底にあるのは他人を助けてまで自分の分を減らしたくないという考えと他人にほどこしを

して嫌な思いをしたくないし、ましてやそのことで人からあれこれ言われたくないという気持ちの

方が強いのでしょう。

もっとも、それも程度問題で、いつもいつも同じ人に分け与えているというのも変な話なので

ある時はAさんが、また別の日にはBさんがおすそ分けすれば問題はないのです。

なぜ、こうした習慣が廃れてしまったのでしょう。日本全体が貧しくなり過ぎ、そんな余裕が

なくなってしまったのも原因のひとつかもしれませんね。


私も江戸時代にはお金を使わなかったというのはにわかに信じがたいのですが、さくやさんが

言われるのなら間違いないでしょう。むしろ、私たちが刷り込まれてしまっている情報の方に

問題があるのだろうと思います。

江戸時代にも貨幣制度と言うのはありましたが、実際にはどこまで流通していたのかは本当の

ところわかりません。一般庶民ではなく商人と武士までだったのかもしれないですね。

あるいは本当に必要な日用品にはお金を使っていたけど、食料についてはお互い融通し合って

いたのかもしれません。

家だって、今のように政府の許可をもらい、新築だったら登録免許税、不動産取得税などという

ものは払うい必要がなかったので、自分で借りた土地にそのまま建てて住むことは出来たと

思うので、余計な金が要らなかったと思います。また家を建てると言っても近所の人たちが

数人集まって家の土台作り、屋根上げ、壁塗りなどをしていたと思います。材料はその辺で

余った木材を使用していただろうし、近くの森で木を切り倒してそのまま製材すればお金は

一切かかりません。私の子供のころも小さな小屋程度だったらそうした風景が当たり前の

ように繰り広げられていました。手伝ってくれた人にはお茶と昼飯が用意され、終われば

簡単なお酒と夕食でもてなして終わりです。また、どこかで別の人が小屋を建てると聞けば

手伝いに行くという感じだったと思います。

要するに今は余計なお金や税金がかかり過ぎなんですね。

どうやったら、江戸時代のようなおすそ分け文化を取り戻せるか考えてみる必要があります。





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