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破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:親と子供は全く違う存在・・・」 [アセンション]

破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:親と子供は全く違う存在・・・」



(ここから)


今日の破・常識!



親と子どもはまったく違う存在

(個性のエネルギー、人格)だということです。

                 byアシュタール


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今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。







「こんにちは こうしてお話し出来ることに感謝します。

子どもが生まれる・・これは偶然ではありません。

偶然に精子と卵子が出会って受精して

それが成長して子どもとなる・・のではありません。

偶然ではないのです。

そこには、両親と子どもの合意がしっかりとあるのです。

子どもになりたい(テラに身体を持っていろんな経験をしたい)

個性のエネルギーがいます。そして、エネルギー場から見て

一番したいことが出来そうな両親を探すのです。

自分のやりたいことが出来るぴったりの両親を見つけたとき

その個性のエネルギーは、両親のエネルギーに・・

私をあなた達の子どもとして産んでください・・とお願いするのです。

そして、両親がそれにOkをしたときに

はじめて子どもとして生まれてくるのです。

ある意味あなたが両親を選んだということなのです。

だから、勝手に産んだなどという言葉はナンセンスなのです。

なので、父親も母親も子どもも、みんなそれぞれ

別の個性のエネルギーだということです。

両親と身体のDNAは繋がっていても

個性のエネルギーはまったく別だということです。

だからもちろん、子どもは親のものであり

コントロールしてもいいということはありません。

子どもは(あなたは)目的があってテラに転生しています。

目的ですよ・・役割とか使命とかではありません。

あなたが物質次元のテラで、物質の身体を持って

体験したいことがあった・・それが目的です。

ただ、遊びたかったのです。

何の遊びをするか・・それが転生の目的です。

音楽を奏でたかったのかもしれません。

山登りをしたかったのかもしれません。

もしかしたら、テラにしかないお金というものがどんなものなのか

知りたかったのかもしれません。

物質世界の愛とはどんなものなのか?

体験したかったのかもしれません。

どんな目的にせよ、とにかく物質世界を体験したかった。

それには物質の身体が必要だった・・だから、両親に頼んだのです。

親もそうです。

その子どもを持つ(産む)ことによって、いろんな経験が出来ます。

その子がどんな目的で転生したいのかを知って

産むことを合意したのです。

言い方はあまり好きではありませんが・・

親子といっても他人なのです。

なにか特別な関係があるのではありません。

ただ、物質的なDNAが繋がっている(似ている)だけなのです。

それぞれ別の人格の他人なのです。

それがしっかりとわかれば、親子の関係も変わってきます。

お互い別の個性のエネルギーであり、お互い尊敬しあい

お互いの存在を感謝する・・これが愛です。

親子の関係はどんどん変わって行きます。

生まれたての子どもの時と、幼児のころ

そして大きくなって行く過程において

どんどん親子の関係は変わってきます。

関係というか、接し方ですね。

生まれたてのころの接し方と、大きくなってからの接し方は

変えていかなければいけません。

でも、変わらないのは、お互いの尊敬と感謝です。

お互いに対しての尊敬と感謝があれば、うまくいきます。

言葉を話せない幼児であっても

その子にはその子のしっかりとした個性のエネルギー

(人格)があるということを忘れないでください。

それを忘れてしまうと、その子をコントロールしたくなってきます。

自分のものだと思い違いをしてしまいます。


これ以上お話しすると長くなってしまいますので、

今日はここまでにしたいと思います。

今日一番お伝えしたかったのは、

親と子どもはまったく違う存在(個性のエネルギー、人格)

だということです。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」



ありがとう、アシュタール! 


(ここまで)


私がある日、数年前になりますが親戚の家に暮れの挨拶に行った時のことです。

親戚の義理の兄が言うには

「あんたの親父さんはこうだった。でも、お前は全然似てないね」と

言われたことを思い出しました。

確かにそう言われてみると思い当たることは多々ありました。

でも、顔つきなどは似ているので「最近似て来たね」と言われることも

あります。


そういうことで、値はつながっているけど、中身は違うということですね。

ただ、親子として子供の頃から育っているので考え方や行動パターンが

似ているところはあります。

でも、すべてが同じかと言うとそうではないのです。

容姿は似通っていても別々の存在ということです。

あるのは同じ体験を共有しているということです。

これは兄弟でも同じです。

子供の頃あれほど仲睦まじい間柄だったのに、成長するにつれお互いの

考え方や行動に違いが生じてきます。

時には、それが争いのもとになったりします。


私たちは同じソースから別れて来たと言っても、それぞれの持つ個性と

いうものは違うようです。

ただ、元に戻った時にはすべての体験が共有できると言う部分で同じ

源に存在するものだということだけです。

それぞれが違う体験をすることで考えられうるあらゆる体験をする

ことが目的なので、個々において異なるということだと思います。


私たちはこの3次元において一番大事にするのは肉親であり親子です。

そこにある血のつながりというものがとても大事にされます。

だから、家系とか血筋とか血統というものが重要視されその継続を

求められます。

しかし、この家系、血筋という考えがどこから来ているかと言うことが

書かれた記事がありました。

家系や血筋が重要視されるのは、レブティリアンというのは血が薄く

(DNAの継続)なると変身能力が失われるので、彼らは遺伝的伝達を

重要視しているのだということです。そのためにあるのが結婚制度であり

家系というものだそうです。

血筋を重要視するという点では天皇家もそのひとつかもしれませんが

天皇はすでにDNAから見ると断絶しているので、天皇としての象徴が

今ある表天皇の役割のようです。

ある話では、遺伝的血筋を保っている裏天皇もあるそうですが、その

真偽は私にもわかりません。あると言えばあるかもしれませんね。


何が言いたいのかと言うと、家族と言ってもやはり他人だということです。

他人と言っては言い過ぎかもしれませんが、それぞれの個性は違うという

ことで、あまりにも家系とか血筋に頼るものではないということですね。



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