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世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:縄文の人たちは薬とか使わなかったのですか?」 [アセンション]

世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:縄文の人たちは薬とか使わなかったのですか?」




(ここから)


縄文の人たちは薬とか使わなかったんですか?

たとえばお腹をこわしたとき(下痢にあったら)にこの葉っぱが

良いとか言って飲む?食べていたとか・・・

というご質問をいただきましたぁ~~



では、よろしくお願いしま~す、アシュタールぅ~~^0^

「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

薬という概念はありませんでした。

じょうもんの人たちは病気という概念はあまりありませんでした。

身体の不具合は悪いものととらえていなかったからです。

悪いことだから早く治さなければいけないという考えは

無かったのです。


お腹をこわしたら(下痢をしたら)そのまま自然に止まるまで

静かにしていました。

でも、そのときに何か身体が欲するものがあれば食べていました。

そのときの気分?でどうするかを決めていたのです。


そしてじょうもんの人たちには、これは身体に悪い食べ物だとか

これは良い食べ物だとかという考えもありませんでした。

ただ食べたいと思うか思わないかで決めていました。


食べたら身体に何か影響があると思うものは食べたいと思わないのです。

だから食べたいと思うものは身体にとって害のないものだと

判断し感謝して食べていました。

自分の感覚を信じていたのです。

他の人が美味しいと言っても、そのとき自分が食べたくないと

思えば食べませんでした。

同じ人でも日によって体調が変わります。

昨日は美味しいと思っても今日はあまり食べたくないと思えば

食べないのです。


ただ自分の経験としてお腹をこわしたらこれが良い(この草が

良い)という物はありましたが、それがいつも良いとは限らないと

いうことも分かっていました。


というか、あまりお腹をこわすということはありませんでしたが・・

じょうもんの人たちにはほとんどストレスはありませんでしたので

いまのあなた達のように病気という状態がそんなにありませんでした。

気候の変化などの自然によるストレスはありましたが、それは受け入れて

何も抵抗しませんでしたのでストレスというほど影響はなかったです。

ある程度の必要なストレスと言えばいいでしょうか?

社会的なストレスはほとんどありませんでしたので病気にも

なりにくかったのです。

そして、彼らは死を怖れませんでした。

ですから病気や事故に対して怖れ、心配からのストレスも

なかったのです。

これは余談になりますが、彼らは自分で死ぬ時期を決めることが

出来ました。

もうここでの体験は充分楽しめましたと思えば自分で身体の機能を

止めることが出来たのです。


ということから、病気になることはあまりありませんでしたので

薬という概念もありませんでした。

病気を悪いものだと思っていないので、薬のようなものを飲んで?

食べて?早く治さなければいけないという考えもなかったということです。

これも余談になりますが、予防医学的な概念などまったくありません。


身体の声を聞き、素直にいま食べたいと思うものを食べて入れば

身体に負担をかけることもなく病気になることもありません。

いまあなたが食べたいと思うものがあなたの身体に必要なもの

だということです。

食欲がないときは食べないでもいいのです。

食べないと元気が出ませんと無理に食べる方が身体に負担をかけ

反対に元気をなくしてしまうことになります。


あなたの身体に必要なものは、あなたの身体が一番よく

知っているということです。

あなたの身体の声、あなたの感覚を信じてください。


あなたに愛をこめてお伝えいたします。」


ありがとう、アシュタール! 感謝します。

(ここまで)


「自分で身体の機能を止めることができました」

という言葉を聞き、これは何と言うことだろうか?

と、思いました。

つまり、死はひとつの過程であり、出来事であり、必然でもあり

恐れるものではなかったということです。

そして、死後、自分がどこへ行くのかも知っていたということですね。

現代人のように死んでしまえば何も残らないという考えはそこには

なかったということです。

さらに、病気と言う概念がなかったというのには驚きでした。

病気と言う概念そのものがなければ病気にはなりません。

怪我とか、身体の損傷は別としてです。

それ以外のものは病気として見ていなかったので、身体の具合が

具合が少し悪かったとしても、自然に元に戻せたのでしょう。

それも自己治癒力によって。


老化とあ老いるというのもそうです。

私たちの集団意識として老化とはこうしたものだと脳に刷り込んで

しまっているので、身体が歳を取るにつれてそのようにデザインされて

行くものだと思います。


小さいころから、歳を取るとこんな身体になると嫌と言うほどその

見本を見せられて育って来ました。

しかし、私が子供の頃の老人と言うのはほんとうにしわくちゃで

手の指の節々が盛り上がっていて何重にも波打つように折り重なって

いるように見えたものです。

でも、今の人は昔の様なしわくちゃだらけの手ではないです。

わりときれいな手をしています。

これって不思議な現象だと私は思っています。

そして昔の50歳は今の70歳から80歳に相当する外見です。

わずか半世紀でここまで変化したのです。


これが日本人全体がt持つ共有意識が変化してきているからです。

このようなことから老化も意識の持ち方の結果だろうと思っています。

いずれ日本人の寿命は100歳くらいまで延びることでしょう。

ある意味、政府の70歳まで働けと言うのは的を得ていることと思います。

ただ、問題は経済的なことです。

これが補完されない限り、いくら70歳までと言っても意味がないでしょう。

政府がなぜ、70歳を超えてまで働けと言うのか?

それは簡単な話です。

国の税収を増やすためです。

少子化が進行すると、労働人口が減り税収が減ります。

それを老人を働かせることで補おうと考えているからに他なりません。

今まで80歳くらいで亡くなっていたのが100歳まで延びたら、そりゃ

お金が足りなくなるでしょう。


また話が飛んでしまいました(笑)。

老いるということ一つとっても、意識が変われば老いなくなるということです。

同じようにじょうもんの人たちのようにストレスをなくし、病気と言う概念を

日本人の共有意識の中から追放してしまえば、病気も減っていきます。

それには、テレビの病気百貨みたいな番組は見ない、少しくらいの痛みとか

体調不良は自分の自己治癒力を信じ自分で治す。

医療界が喧伝する正常値に振り回されないということに注意していれば

やがて、そのような時代が訪れることでしょう。







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