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世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:思考を変えるためにはやはり瞑想??」 [アセンション]

世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:思考を変えるためにはやはり瞑想??」



(ここから)


思考を変えれば現実が変わる・・という話しですが、

では思考を変えるためにはやはり瞑想が一番いいのでしょうか?

・・というご質問をいただきました^^

その件に関してアシュタールよろしくお願いしま~す^0^


「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

思考を変えるために瞑想は必要ありません。

思考を変えるためには疑問を持つことが一番です。


いままで刷り込まれてしまった常識や倫理観、道徳観、価値観などを

変えるためにはそれに対して疑問を持つことからはじまります。

疑問を持つことが出来なければ変えることは出来ないのです。


疑問を持つためには生活の中をしっかりとみる必要があります。

いままで”当たり前”と考えてそこに何も疑問を持っていなかった

ことに疑問を持つことで考えることが出来るようになるからです。


”当たり前””常識だから””みんながしているから””昔から

決まっているから”など言葉は思考停止の言葉なのです。

決まっているから従わなければいけないということは、自分の

意志はそこには無いということです。

自分では何も考えなくてもいいと思っているということです。

それでは何も変えることは出来ません。


”当たり前”だと思っていることに疑問を持つから

はじめて考えることが出来るのです。

それには刺激が必要となります。

刺激を受けるから”当たり前”が”当たり前?”に変わるのです。

本当に”当たり前”なのでしょうか?

それはどうして”当たり前”だとされているのでしょうか?

何かおかしいですね・・と考えることが出来るようになるのです。


瞑想はいいと思います。

でも、思考を変えるという点においては刺激がありません。

自分の中を見つめ、自分が何を考えているのかを見ることは

出来るかもしれませんが、そういう自分の内面を見つめるという瞑想は

頭が止まっていません。

頭で考えようとする瞑想は、瞑想にはならないのです。

頭の中にある知識や情報だけでいろいろ考えても新しい考えは

出てきません。

生活する中でいろいろな刺激を受けて考えることが出来るのです。


だからと言って瞑想を否定しているわけではありません。

瞑想と言うのは頭を止めて感覚に集中することです。

頭を止めて感覚に集中することで、頭の外の情報を得ることが出来ます。

頭の中にはない情報です。

でもそれは言語化出来ないのです。

その情報は意識の上にはなかなか上がって来ません。

難しいですか?


知りたい情報が明確にあってその情報を知りたいと思って頭を止めて

瞑想状態になれば、言語ではなく、あっ!っという形でアイディアが

出てきます。

それが直感とかひらめきです。

でも、明確にこの情報が欲しいと思ってする瞑想ではなく、何となく

思考を変えたいなと思っているような形の瞑想ではあっ!は起きません。

でも、深いところで何かを受け取ってはいます。

どういうことかというと、何かの刺激があった時に(たとえば私が

お伝えしているような破常識な情報など)何だかわからないけど

腑に落ちる、納得できる気がするという形でわかるということです。

証拠もないし、証明も出来ないけど、腑に落ちる、分かる、納得できる

と思うことは、頭の知識の外からの情報だということです。

そういう頭の外からの情報を得るということに関しては瞑想は効果的

ではありますが、ただ瞑想ばかりをしていても思考は変わらないのです。

瞑想状態で得た情報は刺激がなければ浮上して来ません。

刺激を得て、その刺激が腑に落ちて思考が変わるのです。


ですから、思考を変えるためには瞑想が一番良いでしょうか?という

ご質問には、思考を変えようと思って行う瞑想はいりませんとお答え

したいと思います。


思考を変えるためには刺激が一番です。

刺激を得るためには毎日の生活の中で・・疑問を持とうと思う意識が

必要なのです。

”当たり前”で済まさず、どうして”当たり前”だと思ってしまって

いるのかと考えること、疑問を持つことから思考の変化(進化)は

はじまるのです。

疑問を持つということは、いままで信じていたことを信じなくなると

いうことですから、頭はかなり拒否反応を起こします。

その拒否反応を、瞑想によって得た頭の外からの情報で薄める?のです。

頭は拒否するけど、何となくハート?では納得できる、腑に落ちると

いう感覚ですね。


日常の生活の中に疑問を持つという意識と、頭を止め感覚に集中する

瞑想のコラボレーションによって思考は変わっていくということです。

それもバランスになります。

バランスよくいろいろな現実を見てみてください。

あなたの思考はどんどん変化(進化)していきます。


あなたに愛をこめてお伝えいたします。」


ありがとう、アシュタール!感謝します。


(ここまで)


瞑想と言うのは頭を鎮めて何も考えずただじっと待つ・・・。

みたいなところがあります。

そして、そこから悟りが得られるというのがよく言われる瞑想

という姿なのですが、「どうも上手く行かない」というのが

大部分の人の感想でしょう。

この瞑想法にはさまざまな実に多岐にわたった方法があって、どれが

いいとも言えないような状況です。

だから、中には瞑想法を渡り歩いているような人もあるでしょう。


それと、瞑想と言っても、これが瞑想の本当の姿というものにはなかなか

到達できないんですね。

少し、心を静かにしてもすぐにざわついてきて集中できないんです。

だから、瞑想熟練者の語るようなところに到達するのが難しい。

私もいろいろ試しましたが、よく言われる光の世界なんてのには

めぐり逢えませんでした(笑)。

もっともこれは私の技能不足と言うところもあるかもしれません。


しかし、今考えるとそのようなものは必要ないものと思います。

迷走状態の時には心が空白になるのですが、その時の心理状態に

よって(波動の軽い重いです)この世の存在でないものに支配

される危険性が存在するからです。

ある意味、自分の意識があるからこそ他者による干渉を防御出来て

いるのですが、そこが無防備になる危険性があるからです。

だから、私は瞑想をあまりおすすめしません。


それよりもアシュタールの語るように、疑問を持って物事を見るという

ことがもっとも効果的だと思います。









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