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破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:起きたこと(事実)には・・・」 [アセンション]

破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:起きたこと(事実)には・・・」



(ここから)

今日の破・常識!



起きたことにどういうストーリーをつけるか・・

それはあなたの自由であり、

そのストーリーがあなたの現実を

動かしていくことを理解してくださいbyアシュタール


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今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。








「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

起きたことは、事実起きているのです。

そこに(起きたことに)どういう意味をつけるかで

起きたことがあなたの現実に関わって来るのです。

言っている意味が伝わっていますでしょうか?


たとえば、みんなにリンゴをひとつずつ配るとします。

まったく同じリンゴです。

(まったく同じリンゴなどありえないのですが、例えばです)


リンゴをもらったというのは事実です。

みんなに同じように起きた出来事です。

事実だけを見るならば、みんながひとつずつ

リンゴを持っている・・というだけです。

事実だけでは何も起きません。

そうですね。リンゴを持っている人がたくさんいるだけです。

ここから、そのリンゴをどうするか、

どう見るかで人それぞれの現実が変わってきます。

リンゴが好きですぐに食べようとする人もいるでしょう。

食べ方もそのままかじりつく人もいるし

包丁で皮をむいて芯をとって

8つに切って食べる人もいるでしょう。

赤いリンゴじゃなくて、青いリンゴの方が

好きなのになぁ~って思う人もいるでしょう。

そのリンゴを絵に描いてから食べようと思う人もいると思います。

リンゴが嫌いだからといって、捨ててしまう人もいます。

あの人がリンゴが好きだから

持っていってあげようと思う人もいるかもしれません。

ジュースにする人もいるかもしれません。

ひとつの同じリンゴであっても、それぞれのストーリーが出来ます。

出来事は出来事にすぎないのです。

その出来事にどのようなストーリーを持たせるかで

その人の次の行動が決まってきます。

ストーリーが決まれば、そのストーリー通りに動きますので

現実がそうなるのです。


起きたこと(事実)には何もパワーは無いのです。

そこにあなたの思考がストーリーをつくることで

現実を動かすパワーが出来るのです。

同じリンゴを手にしても、それぞれ個々の現実は

まったく違うものになるということです。

それは当然のことです。

まったく同じ感想を持つ人など存在しないのですから。

だからいろんな体験をすることが出来て面白いのです。

いろんな人がいろんな経験をすることが出来るから

とても面白い社会が出来るのです。

人はそれぞれの考え方があり、価値観があり、感性があります。

それを統一しようとすることは出来ないのです。

ムリなのです。

これが正しいリンゴの使い方です

・・などと言える人は誰もいないのです。

正しいリンゴの食べ方、使い方などないのです。

みんな同じことを考え、同じ行動をしなさい

・・などというのはムリなのです。

そんなことを強制したとしても

近視眼的には出来るかもしれませんが

それぞれの人の中に不平不満が溜まりますので

長い目で見ればそれはとても危険な方向へと

エネルギーは動いてしまいます。

100人いれば、100の使い方、食べ方があります。

それを尊重してください。

それぞれのリンゴの使い方、食べ方を

お互い尊重し、大切にしてください。

あなたはそう食べるのですね

私は好きではないので私は食べません。

それでいいのです。

せっかくもらったものを食べないなんて失礼じゃないですか

ちゃんと食べなさい・・などと干渉する必要はないのです。

皮をむいて食べなさい、お皿に入れて食べなさい

・・などと指図する権利など誰も持っていないのです。

リンゴをどうしようとそれはその人の自由だということです。

起きたことにどういうストーリーをつけるか・・

それはあなたの自由であり、

そのストーリーがあなたの現実を

動かしていくことを理解してください。

お互いのストーリーを尊重しあえることが出来れば、

とても気持ちの良い関係を築くことが出来ます。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」



ありがとう、アシュタール! 


(ここまで)


起きたことは起きたこと・・・・。

そうですね。起きてしまった事実は変えることも曲げることも

出来ません。そのまま事実として過去の領域に残り、私たちの

記憶として残ります。


私はどちらかと言うと、関心のないものはそのまま放置し=感想や

感情的な思い入れをせず忘れてしまう。

そして、関心のあるものはどうしてそうなったか?という事実関係を

調べ、自分の納得いくまで追求します。

そして、起きた原因とその結果からその後の方策を考える思考上の

くせ、傾向があるようです。

だから、認めたくない事実はどうしてそうなったかという原因を探り

良い方向へと転換できる(考え方を良い方向へ変える)ようにして

います。

そのため、あまり悲惨な結果を招くことは少ないように思います。


ものの受け取り方、考え方は人それぞれです。

だから、どれがいいとか悪いとかという考え方よりも、自分にとって

どうだったかということが重要なポイントになります。

あくまでも起こった事実の主体は自分であり、他人はそこにどのように

関わっているかというサブ的なことなので、次にはそこを観察します。

そうして、どうするのか?という解答を導き出すやり方です。

あるいは直感的に「こうだ」と思うこともあります。

この直感が案外当たることがるので馬鹿には出来ません。

あくまでも、これは私の場合ですので、参考までに・・・。






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