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世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:もともとの自分と融合するだけ・・・」 [アセンション]

世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:もともとの自分と融合するだけ・・・」





(ここから)

死は必ず来る。死ぬ瞬間はつらいのか、痛いのか、それとも幸福なのか

・・・というコラムを読みました。


「人が死に関して感じる恐怖は3種類あると思う」という。 これこそが、死の本質だ。

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(1)死ぬまでのプロセス (2)よくわからない死後 (3)残される人との別離

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という3点について書いているのですが・・・

アシュタールが教えていることと同じだって思うところも結構ありました。

(ちょっと違うかな?って思うところもありましたが・・・)


なんにしろ、死ぬということは人間にとっては永遠の謎?テーマ?

なんですよね^^




この人が死に関して感じる恐怖3種類について教えてアシュタールぅ~~^^

「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

先ず1点目の死ぬまでのプロセスですが・・

死ぬときは死にます、死なないときは何があっても死にません、という

観点からお話ししますと、自分が死ぬと決めたときに死ぬということ

ですので、自分がまだ死なないと決めているときはどんなことがあっても

死なないのです。


そして、自分が死ぬと決めたときは、生きることに執着がなくなります。

だから死ぬことに何も感じなくなるのです。

悲しいとか、苦しいとか、もっと生きていたいとか、もっとこうしておけば

良かったとかの思考はなくなります。

ある意味、淡々と死を受け入れるということですね。


そして死ぬときは個性のエネルギーが物質的な身体から抜けるときなのです。

身体を脱ぐ・・その時は痛くも痒くもありません。

身体を脱ぐときはもともと頭の中に用意してあった快楽ホルモンの

カプセルが割れて気持ちよくなります。

快楽ホルモンは一種の麻薬のような作用を起こしますので、現実とは

違う感覚になるのです。

夢の中にいるような感じと言えばイメージしやすいでしょうか。

ですので、死ぬことを疑似体験した方(臨死体験)は、とても気持ちが

良かったとおっしゃることが多いのです。

ただ、日ごろから信じていることを見ることがあります。

死ぬときは亡くなった方が迎えに来てくれると信じていると、

そのような夢をみることがあります。

だから、自分は死ぬと怖いところに行くんだと信じている方は

怖い夢をみることもあるのです。

(ですから、死後は地獄へ落ちるなどの情報はあまり信じないことを

お勧めします)


死ぬまでのプロセスとしては、だんだん生きることに執着が

無くなっていき、身体を脱ぐときは快楽ホルモンが出て夢を

みているような感じで気持ちよく脱ぐことが出来ます。



そして2点目ですが・・・

死後はみんながいるところへ帰ります。

テラには遊びに来ているのです。

遊園地に遊びに来ていると思っていただければと思います。

そして、自分が帰ると決めた時間になったから帰る、それだけの

ことなのです。

身体を脱いだあとも、何も変わりません。

生きているときと何も変わらないのです。

ときどき自分が死んだということに気が付いていない方もいらっしゃる

くらい何も変わらないのです。

遊園地から出ても、何も変わらないですね。

自分が何者であって、どういう遊びをして来たかを覚えていますね。

それと同じです。

そして、家路につくのです。

その家がみんながいるところなのです。

その家が絶対無限の存在なのです。

絶対無限の存在に戻るだけなのです。

ただ、絶対無限の存在に戻ると、テラで遊んでいた時の個性はなくなります。

すべてが自分になりますので、テラのときのように別々の個性という

概念はなくなり、すべてが私になります。

この時点で”私がここにいる”という意識だけになります。

他の存在という概念もなくなくなりますので、他の存在たちがどこかの

遊園地で遊んだ記憶も自分の記憶となるのです。

ですから、個別の過去生やカルマや輪廻転生ということはありません。

(これはちょっと難しい話しになりますので、こんな話もあるんだな

程度に聞いていただければと思います)




死後はどうなるのか?という点につきましては、もともとの家に帰って

もともとの自分と融合するだけだとお伝えしたいと思います。

もともとの自分と融合するのですから、怖いことはありません。



3点目ですが・・

これは1点目のときにお話ししたことになります。

残される人との別離に悲しみを覚えるとか、心配するとかという

意味でしたら、それは感じないのです。

なぜならば、すべての執着が無くなるからです。

生きることへの執着が無くなるということは、別離に関しても

何も感じなくなるということなのです。

生きることに執着するから、別れの悲しみや自分がいなくなった後の

心配をするのです。

執着がなくなれば、現世(生きていた世の中)の考え方とまったく

違った考え方や価値観になるのです。

生きていた世の中の常識や価値観、物の見方考え方、倫理観、道徳観

宗教観とはまったく違うものになります。

だから、別離に関しても何も感じないのです。

それよりも快楽ホルモンで気持ちよくなっていますので、楽しい

気分でお別れすることが出来ます。


死ぬことは怖いことではありません。

ただの物理的な現象なだけです。

そして、みんな自分が決めたときに身体を脱ぎます。

だから、その時のことを怖がり、心配して生きるよりも、

生きている”いま”にフォーカスして楽しんでください。

せっかく遊園地に遊びに来ているのに、帰るときのことばかり考えて

憂鬱になったり、帰り道のことを心配しても楽しめません。


せっかく遊びに来た遊園地なのですから、目いっぱい楽しんでください。


あなたに愛をこめてお伝えいたします。」


ありがとう、アシュタール!感謝します。


(ここまで)


生きていて、まだ人生を楽しみたいと思っている人は死にたいとは思わないでしょう。

また、まだ若く、死ぬなんて思っていなかった人が突然の事故や病気で亡くなるときも

自分の死を呆然とした気持ちで迎えることになるかもしれません。

しかし、自分の死をはっきりと意識した時にはそれを受け入れざるを得ないので

死を受け入れ、そのまま元の世界に戻る決心をすることと思います。

しかし、あまりにもこの世に対する執着の強い人はその意識をこの世に持ち続ける

ので、死を受け入れるまでには時間がかかるかもしれません。


ただ、私もまだ生きている身なのでわからないのですが、死は自分で決めるという

部分です。

それは、肉体的に長くないと思ったとき(病気とか、事故とか)にマインドで

意識してなくて、ハートが意識し始め、それが最後にはマインドでも意識するように

なるのかもと思います。

こればっかりはその時になってみないとわかりませんね。

だから、自分の寿命はわからないとも言えます。

一説にはDNAのテロメアの残りが尽きたときに死ぬという生物学的な話もありますが

自分で決めるとしたなら、そういう時期を自分で悟るのかもしれませんね。

いずれにしても、生きていること自体が体験であるならば、そのときを心行くまで

楽しむのがいちばんだろうと思います。


この世界はホログラムであると私が何度も書いていることですが、あの世というのは

このホログラムの源となるところかもしれませんね。

すべてはそこから出てくる情報源によって動いているのでしょう。

だから、ゲームのモニター画面を見ていて、次はこうしようとか、こうしたらとか

という漠然とした指針をハートが受け取り、それをこの世界で体現しているのを

見ている自分がそこにいるみたいな・・・・。


ただ、自分自身は役者になり切っているので、そんなことを考えることなんか

ありませんが、それが過去の記憶を持たない理由かもしれませんね。





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