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破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:すべてどちらもあなたなのです・・・」 [アセンション]

破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:すべてどちらもあなたなのです・・・」



(ここから)


今日の破・常識!



ネガティブなことを考えるあなたも

ポジティブなことを考えるあなたも

すべてどちらもあなたなのです。

どこかに”素晴らしい自分”という幻を

つくらないでくださいね。byアシュタール


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今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。







「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

すべては、あなたなのです。

ネガティブなことを考えるあなたも、ポジティブなことを考えるあなたも

すべてどちらもあなたなのです。

どこかに”素晴らしい自分”という幻をつくらないでくださいね。

いつもポジティブで、明るくて、楽しくて、暗いところ?など

微塵もない自分・・そんな自分を創りだし

それをめざし、そう出来ない自分を責める・・

そんな不毛なことはしないでください。

そんな自分は、ただの妄想です。

ただの砂漠の蜃気楼にすぎません。

追いかければ、追いかけるほど

セルフイメージを低くしてしまうだけなのです。


100%”愛”で満たされている存在など宇宙のどこにもいません。

100%ポジティブな存在も、いないのです。


絶対無限の存在であっても、同じです。

絶対無限の存在は、あなた達が考える、教えられている

”神”のような存在ではありません。

絶対無限の存在の中にもネガティブな部分はあるのです。

絶対無限の存在を究極の愛だと思い

近づこうとしている存在もいます。

反対に、絶対無限の存在は恐怖だと思い

離れようとしている存在もいます。

あなた達の言葉を使わせてもらうなら

近づこうとしている存在はポジティブ、

離れようとしている存在をネガティブと呼んでいるというだけです。

それは、どちらが良い悪いではなく

どちらも絶対無限の存在にとっては素晴らしい経験なのです。

近づこうとしている存在(ポジティブな存在)も、

離れようとしている存在(ネガティブな存在)も、

どちらも絶対無限の存在なのです。

だから、絶対無限の存在が100%”ポジティブで

100%”愛”で満たされた存在ではないのです。

その絶対無限の存在の分身?小さな絶対無限の存在?

であるあなたが同じようにポジティブな部分と

ネガティブな部分があるのは当然なのです。

あなたの大元であるものが、両方持っているのですから

あなたの中に両方あっても当たり前だということです。

もちろん私も絶対無限の存在の分身、小さな絶対無限の存在

ですので、あなたと同じように両方あります。

どちらかを消そうと思ってもそれは無理なことだということです。

そして消そうとする必要もないということです。

どちらもあなたなんですから。

だから、自分の中で、ポジティブとネガティブを戦わせないでください。

どちらも私・・それでいいんです。

そして、一瞬一瞬に方向性を決めればいいのです、

もしネガティブな方向へ考え方が行きそうになったら

どっちに行きたいか、どちらの考え方を選びたいか・・を

その時に選べばいいだけのことです。


何度も言いますが、ポジティブが良い考え方で

ネガティブが悪い考え方だなんてことはありません。

あなたがどうしたいか・・それだけです。

こんな自分はいやだ・・と自分の中の自分を

排除しようとしないでください。

自分と戦っても何もいいことはありません。

反対にあなたの中が波立ちますので

ご機嫌さんでいることが出来ません。

波動の軽い方向を選択するならば、

すべてのあなたを受け入れてください。

意地悪なことを考えてる私も私。

こんなことを考えられる私ってすごい・・って思ってください。

そして、その意地悪なことを実際に体験してもいいし

それはイヤだなと思えば、その考えを、いまは必要ないわ

いまはそれを体験したくないわ、・・と

キャンセルすればいいだけのことなのです。


すべてのあなたが、あなたなのです。

自分の一部を排除しないでください。

自分と戦わないでください。

すべてを、素晴らしい自分として受け入れてください。

そうすれば、あなたの中は平和になり

あなたの現実も平和になります。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」



ありがとう、アシュタール! 


(ここまで)


確かに私自身もそう思うことがあります。

どうしてこのようなネガティブな部分があるのか?

と思うのです。


おそらく誰にでもあることでしょう。

5次元に居るならばすべてポジティブでなければならないと考えて

しまうと、とても苦しくなります。

それを目指すことは素晴らしいことでもありますが、どこかで

無理が生じてしまいます。

つまり、自分自身という存在を否定しなければならないからです。

また、退任からも最低な自分という姿を見せたくないし、他人から

そのようには思われたくないという気持ちもあるはずです。

すべてポジティブな人がものすごく素晴らしくて波動も大変軽く

神に近い人だと思いがちですが、そんな人でさえやはりネガティブな

部分はあるのだろうと思います。

そのため、いつもネガティブなのかそれともポジティブなのかと

問われると、本来の私たちはポジティブであったりネガティブで

あったりと、その時の状況によって目まぐるしく変化しているものと

思います。

それが自然な姿なのだろうと思います。

私たちはあらゆることを体験するためにここにいます。

そのため、ネガティブな考えや出来事に遭遇したりすることもしばしば

だろうと思います。

自分の人生を振り返ってみて、「私は100%ポジティブに生きて来たし

起こっていたこともすべてポジティブだった」と答えられる人が果たして

存在するだろうか?ということです。

答えは「皆無」です。

そんなことはあり得ないことです。

宇宙は何もないところからある存在の一つの思考から生まれ、そこから

光が始まったと考えるならば、その源は闇だったかもしれません。

闇の中を照らす光というのがこの宇宙の姿であり、それは光と闇を

両方とももともと含んでいたものと思います。

常に光と闇は対極にあり、両方とも互いを知るために存在します。

だから、闇を知ることは光を求めることになり、光の中に在っては

闇を知りたいという欲求も生まれてきます。

そのためこの宇宙には両方の世界が存在します。

今この地球は闇の支配下に在り、私たちは今そこから光を求めて飛び

立とうとしているところに在ります。

そして、光の世界にあったときにはまた闇の世界が訪れるときがある

かもしれません。

それが繰り返され変化しているのが宇宙の実相でしょう。

なぜ、そうなのか?

それはあらゆることを体験してみたいという思いがそこにあるからでしょう。


だから、すべたが自分なのです。

あらゆる面において現れてくるものが自分だということです。

それは他人の姿を借りたり、自然や環境の変化だったりします。

だから、自分のそうした部分を認めてあげるしか手がありません。

ただ、それに偏らないようにしないといけません。

すべてはバランスの問題です。

両方があるからこそ多面的なものとして自分を表現できます。

ある時にはやさしかったり、ある時にはいじわるだったり、ある時には

ある時には喜びをいっぱいに表現したり、反対に怒りに震えていたり

することもあるでしょう。

それがすべて自分だということです。

それがいつもいつもにこにこして優しく太陽のように光に溢れている

ことができていたら、それはその人はそれを演じているだけです。

おそらく、心の中は穏やかではないでしょう。

極端にならず偏らずバランスよく自分を表現するということで

いいものと思います。











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