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破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:エネルギーの対価が発生しない・・・」 [アセンション]

破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:エネルギーの対価が発生しない・・・」



(ここから)


今日の破・常識!



ボランティアはおすすめしません。

そこには、エネルギーの対価が発生しないからです。

そして、平等ではいられないからです。byアシュタール

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今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。







「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

ボランティアはおすすめしません。

そこには、エネルギーの対価が発生しないからです。

そして、平等ではいられないからです。

ボランティアをおすすめしない理由はたくさんあります。

あなた達は、ボランティアという言葉に

とても良いイメージを持たされています。

ボランティアをする人は、良い人、人格者、余裕のある人

自分より他人を大切に出来る素晴らしい魂?の持ち主・・などなど

とてもボランティアをする人は崇高な人だというイメージです。

そういうイメージを持たしておくと

自ら進んで喜んでただ働きをしてくれるからです。

企業などは、ただ働きをしてくれる人がいたらどうでしょうか?

企業の一番の経費である人件費を安く出来ますね。

企業にとってこれほど良いことはありません。

だからボランティアをたくさん募集するのです。

ボランティアがたくさんいれば、それだけ経費は浮きますね。


たとえば、介護施設などですが・・

介護施設の方はちゃんと利用者からお金をいただいています

・・直接でなくても政府からお金が出るシステムになっています。

利用者からお金をいただいているのに

働いてくれる人にお金を出さなくていいい・・

なんて企業にとっては都合のいい話なのでしょうか?

そして、ボランティアで働く人にも問題が出てきます。

先ず、ボランティア・・は、お金をいただいていない・・

ということはプロではないということです。

お金をもらっていないからプロではない

アマチュアなんです・・ということです。

プロではない、という考え方になるとどうでしょうか?

そうですね、無責任になってしまうということです。

対価をいただいていないから

イヤになればいつでもやめればいい・・

困ったことがあれば、プロの責任者に任せればいい・・

ということになりがちなのです。

そして、次に

好意でしてあげている・・という考え方にもなってしまうのです。

好意でしてあげているんだから

感謝してよね・・と(極端に言えばですが)なりかねないということです。

好意でしてあげているのに、ありがとうの一言もないのねとか

態度が悪いわとか、という感情が出て来てしまいます。

好意でしてあげている・・となると、上から目線になってしまいます。

だから、してもらっている人は、

小さくなってして頂かなければいけなくなるのです。

ありがとうございます・・といつも小さく、低くなっていないと

ちゃんとその好意をいただけないと思ってしまうと

平等な関係は築けません。

上下の関係が出来てしまうのです。


先ほどの介護施設のことにもなりますが・・

ボランティアの人は好意でしてあげてる・・

ということを忘れないでね的な考え方になるけど

利用者はお金を払っているんだから

自分の要求はしてもいいでしょ・・ってなるので

そこで意見?感情がすれ違い、うまく行かなくなってしまうのです。

私はありがとうのひとことがもらえればいいんです

喜んでもらえた笑顔を見れればそれでいいんです

それが私にとってはお金に代わる報酬なのですから、満足なんです・・

とおっしゃる方もいらっしゃいますが、

ありがとうの言葉も、喜んだ顔を見ることも

出来なかったらどうでしょうか?

がっかりしますね・・そして、イヤになります・・

ありがとうの言葉が私の報酬です

笑顔が私の報酬なのです・・というのは、

ある意味お金をきらっている方の発言なのです。

お金をきらい、お金をもらうことが悪いことだ、

汚いことだと思っているから、

そのような発言になってしまうのです。

言葉だろうが、笑顔だろうが、報酬として考えるのであれば、

そのような不安定な(言ってくれないこともあるでしょうし

笑顔を見せてくれないこともあります)報酬を欲しがらずに

しっかりとした対価としてお金をいただいてください。

その方がよほど精神的にも安定します。


ボランティアは素晴らしいことではありません。

ボランティアは自己犠牲です。

そして、無償であなた達の労力を使おうとする

支配者たちにとって都合のいい思考操作です。

どんなにきれいな言葉や素晴らしいイメージを繕っても

ただ働きなのです。

そのことを忘れないでください。

ただ働きをすると欲求不満になります。

自分のエネルギーが枯渇してしまいます。

自分のエネルギーが枯渇しているのに

人にエネルギーを差し上げることは出来ません。

こういう理由から、私はボランティアをおすすめいたしません。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」



ありがとう、アシュタール! 


(ここまで)


そうですね。

今回3度も台風に続く大雨で甚大な被害を受けた埼玉、東北地方には

多くのボランティアが参加していると思います。

そのボランティアも数日ならいいでしょうけど、これが1か月食事も

住むところも作業衣も提供されなかったとしたらどうなのでしょうか?

もっともこのボランティアだけでなく極め付きはオリンピックで国の

代理団体であるJOCが募集したボランティアでしょう。


それにしても私たちは「ボランティア病」という重い病にかかっている

のだと思います。

アシュタールが語るようにボランティアは崇高な行為であると小さい

ころから教え込まれていますので骨の髄まで沁みこんだ考え方です。

人はいったん自分でそれをとても正しいと受け入れてしまえば、どんな

悪い考えでも正しいものと思い疑うことはしません。反対に疑うことが

悪いことだと思ってしまいます。

支配者はそのことをよく知っているので、それを利用しているものと思います。

いわゆる「刷り込み」というものです。

日本社会全体として多くの場合、誰もが疑問を呈しないし、ましてやメデ

ィアがそのような疑問を自ら発することはなく、むしろ糺さんすることの方が

多いはずです。

確かにオリンピックボランティアでは何らかの発表があるたびにTwitterなどで

多くの人が疑問を呈していました。しかし、メディアがそれを真剣に取り上げる

ことはありませんでした。このことからもメディアも支配者のツールだという

ことがわかると思います。

もう、そろそろその問題点に多くの人が気づくべきだと思います。

また、義務教育の中においてもボランティア精神を持ち上げることを止める

方向で進めていくべきです。

もし、やるならばしっかりと対価を要求するべきと思います。





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