よろず屋寸話録から「サアラさんと並木さんの魂の話」 [アセンション]
よろず屋寸話録から「サアラさんと並木さんの魂の話」
(ここから)
最近、私は並木良和さんの本やDVDを観ています。
私が印象強く感じたのは、並木さんが言っていることと、サアラさんが言っていることがとても似ていることです。
いや、似ているというレベルではなく、同じものではないかという気がしています。
これまでは、スピリチュアルの本を興味深く読んでも、それ以前のスピリチュアルの本で得た知識と微妙に違っていたり、部分的に整合性が取れないということがよくありました。
しかし、並木さんとサアラさんは、同じ情報源でなければ、これほど同じことはないだろうというぐらい整合性が取れています。
この前、スピリチュアルのセミナー後の飲み会で隣に座った方に、並木さんとサアラさんの言っていることが驚くほど似ていると話したら、(サアラさんの方が先に本を出しているので)並木さんはサアラさんをパクッたんじゃないのと言われてしまいました(まあ、酒の席のことですから冗談だとは思います)。
私は並木のセミナーに出たことがないので直接本人の雰囲気(エネルギー)を感じたことがなく、確信を持って言えないのですが、並木さんの本やDVDを観た限りにおいて、名前を売る為に他人のパクリをするような人には見えないのです。
だとすると、やはり同じレベルの情報源ではないかという気がしてなりません。
だいぶ前ですが、サアラさんから聞いた、私たちと違う平行宇宙において宇宙規模でパンデミック・フルーが起きたという記事を載せたことがあります。
その内容と寸分違わぬことを並木さんも言っています。
私は、サアラさんの本を読み返してみたのですが、サアラさんが言っているアセンションの内容と、並木さんが言っているアセンションの内容はパーフェクトに一致していることに驚いてしまいました。
そして、その内容は神秘家ゲリー・ボーネルさんが言っていた内容とも整合性が取れます。
正直なところ、私はそら恐ろしくなってきました。
この記事を読まれている訪問者の方々の多くは、アセンションと聞いて、「もう過ぎ去った昔の話題」だと感じておられると思います。
当時、2012年12月にアセンションが起きると、スピリチュアルにあまり興味がなかった人までも巻き込み、一大ムーブメントになりました。
私は2012年12月に何か起きることはないと思うという記事を書いた記憶がありますが、やはり私たちの住む3次元世界では何も起きませんでした。
そして、期待した多くの人々の失望と伴に、アセンションのムーブメントは急速に萎んでいきました。その時に、スピリチュアルに興味を失くして去っていった人が大勢いたと思います。
ゲリーさんは当初言っていた集団アセンションは無くなり、個人で個々にアセンションするしかなくなったと言っていました。
私自身は、ゲリーさんが言うような個々のアセンションはあるとしても、地球の振動数が上がるので、そうした環境変化に人類は対応していく必要があるというバシャールの理論をとっていました。
しかし、私は考え直さなくてはならないかもしれません。
今のところまだ個人的に結論は出していません。
これから並木さんとサアラさんの本を読んで、検討を重ねていきたいと思っています。
今回の記事は、サアラさんと並木さんの魂の話を紹介したいと思います。
サアラさんの話は、魂がどういう目的で創造されたかという根源的な話です。
この話は、私がサアラさんのスクールに通っていた時に教えてもらったのですが、同じ内容が『覚醒への道』(サアラ著、徳間書店)に載っていたので紹介します。
そして次に、並木さんの、魂がこの地球に来た目的の話を紹介します。
・・・<『覚醒への道』、p39~p46から抜粋開始>・・・
まず、「空」(ヴォイド)という概念があります。
これはお釈迦様も使った言葉ですが、空という物理的には何も存在していないけれど、無限の可能性が潜在している真っ暗な闇が広がっていた。これが宇宙の最初の姿です。
もちろんそのときにはまだ「宇宙」という概念すらありません。
空は空自身の可能性を知りたいという欲求を持っていました。
皆さんも、なんだか知らないけど自分は何でもできるような気がする。とてつもない力や才能を持っていると根拠はないけれど、どこかで確信しているとしたら、そこを知りたいと思いますね。では「いったい何ができるのだろう?」と好奇心を持ち、新しいことに挑戦してみようとなりますよね。それとまったく同じです。
空は、自分に潜在しているあらゆる可能性を知りたくてたまらなかったのです。そのためにあらゆることを創造する力を持ちました。
ですから、そもそも宇宙という言葉も概念も、「時間」や「空間」の概念もなく、ここには「空」すなわち潜在する無限の可能性しかありません。ここに存在するすべては「空」の可能性が顕現したものです。
つまり「ここには空以外のものはない」と言うことができます。
そしてここに存在するすべては空と同じ資質を持っています。
なぜならすべての無機物、有機物、意識、思考や感情ですら、それらを作り出し構成しているのは目に見えない小さな粒たち、素粒子や光子たちで、それらが共通して持っているのは「知りたい」という欲求を表す情報つまりエネルギーと、「創造性」を表す情報=エネルギーです。ですから知りたいという欲求と知るための創造性は、宇宙万物すべてが持っている共通する要素なのです。
ついでに補足しておくと、宇宙では「無機物」とされるものはありません。なぜなら無機物を構成しているのは、小さな粒たちで、それらはそれぞれが空の意志を引き受けている意識、つまり生命の源です。このような粒の集合体を決して無機物、ただの物として扱うことはありません。このような考えや感覚がこの先地球における人工知能の分野を発展させることができるかどうかの鍵となるでしょう。
「魂」のしくみができたわけ
地球では「意識」という言葉がよく使われます。最近になって意識を科学的に解明しようとする科学者たちがずいぶん増えてきましたが、それまでは宗教の分野や心理学のような分野で曖昧に語られるだけで、明確に定義づけられできませんでした。
ですから、「意識」という言葉は、その意味や性質を明確に理解されないままに使われてきた代表的な言葉だと思います。それ以外にも「魂」「霊性」など目に見えない世界を表現する言葉は、皆さん曖昧なままでも何となく便利に使っていますよね。
でも本来スピリチュアルと科学は「=(イコール)」で結ばれるものなのです。ですから、これらの言葉は明確に定義することができます。地球の科学も曖昧だったこれらの言葉を立証するようになるときがもう目の前まで来ています。
「意識」に話を戻すと、意識とはすべての原動力となるエネルギーです。そしてその意識・つまりエネルギーの最も単純な動機は、「知りたい」という欲求なのです。
ですから皆さんも、無意識の好奇心に突き動かされるような衝動的な行動をする自分に「なんであのときあんなことをしたのだろう?」と後になって思ったというような経験があるのではないでしょうか?
それは皆さんが潜在的に持っている基本的な生命エネルギーである「好奇心」が無意識のうちに発動して起きることです。
この世的な表現をすれば、生命エネルギーそのものが「知りたい」という欲求ですから、純粋な好奇心を大切にし素直になって知りたいことを探求することは、健康を維持し、楽しく活力溢れる毎日を過ごす秘訣です。また何より効果的なアンチエイジング方法です。
肉体があるものも肉体のないものも、大きなものも小さなものも、あらゆる物質を構成している素粒子たちも、すべては空の一部として、空に潜在している可能性を知ろうとしています。
可能性は無限にあります。
この壮大な空の可能性を知ろうとするゲームを、できるだけ合理的に進めるために、空は?「魂」というしくみを作りました。
マスターソウルは無数のソウル=魂を宇宙中に派遣する
次ページの図のような大きな魂があります(管理人注:図は省略します)。これはマスターソウルといわれています。
このマスターソウルは小さな分身のような無数のソウル=魂を、宇宙中に派遣します。
物理世界だけでなく、非物理的な世界に派遣することもありますが、皆さんの場合は、派遣された先が現実というものがある物理的な世界だったわけです。
マスターソウルは一つではなく、非常にたくさんあります。
そしてマスターソウルごとに違ったテーマを持っています。
空には無限の可能性があるので、手分けして合理的に可能性を探究するためにテーマをバラバラにしました。
たとえばAというテーマを掲げた一つのマスターソウルには、Aというテーマを探究するために必要なあらゆる可能性としての情報、つまりエネルギーを空から受け取り、抱え持っています。能力や技術、あらゆる生命体(肉体)を構成するための基礎情報やそれぞれの肉体に特徴を持たせるための情報などです。
それが人間だとすれば、運動神経が発達する可能性や、病気を発症する可能性、逆に常に健康である可能性も含まれます。そのほかにも途方もなくたくさんの可能性を作り出せるような情報(a、b、c、d……)が入っています。
その中から魂は、マスターソウルが掲げるテーマをさらに詳細に分けてテーマを掲げ、それぞれが役割分担するように違う情報を持って探求のための冒険の場に生まれていきます。ある魂はadf、ある魂はmejという具合に組み合わせますが、ほかの魂と同じだと可能性が限られてしまうので、できるだけ違うものを持っていきます。
でも、mejを持った魂と同時に、たとえばoecを持った魂がいる場合もあり、この場合のmejのeとoecのeは同じです。これは同じような資質を持っているともいえるし、同じ記憶を共有し合っているともいえます。
空は、マスターソウルがこんなふうに自分の分身である魂をさまざまな天体やエリアやシップに送り出すことによって、同時にさまざまな場で違った経験をしたり、その経験を通してさらに新しい可能性を創造したりすることができるしくみを作って、可能性を追求する手段を合理化しています。
・・・<抜粋終了>・・・
サアラさんは、私たちの魂は、「空」が自分に内在する無限の可能性を知りたいが為に創造されたといいます。
ですから、その魂の原動力は「好奇心」です。
だとすると、好奇心こそ魂の本質と言えます。
この3次元世界の地球は、物理世界であるがゆえに様々な強力な制限があります。
その制限を魂は体験したいと思い、転生してきたと並木さんは言っています。
私たち一般的な認識では、「制限」とか「不自由さ」はネガティブな印象を持ちます。しかし、魂はその本質となる好奇心で、ネガティブと思える「制限」とか「不自由さ」を味わいたいと地球に転生したというのが並木さんの主張です。
そして臨場感を持って味わう為に、全知全能の能力を落として(眠った状態にして)地球にやってきたといいます。
『目覚めのパスポート』(並木良和著、bio)から抜粋して紹介します。
・・・<『目覚めのパスポート』、p40~p46から抜粋開始>・・・
ドラマ---スクリーンの前から観客席に
この章では、僕たちの見ている現実世界についての秘密をお伝えしたいと思います。
実は、僕たちが現実だと思っている世界は、目の前に映し出されている臨場感のある3D映画のようなものに過ぎないのだと言われたら、あなたはどう感じますか? 僕たちは観客席に座って、目の前に映し出される映画のストーリーを、ハラハラドキドキしながら見ているわけです。
と同時に、「真実の」僕たちは観客席にはおらず、映写室で好きな映画を自分で選んで映し出しているのです。
ところが、僕たちはあまりにも深く映画にのめり込み過ぎて、本来の自分の居場所をすっかり忘れてしまったため、目醒めた意識から遠く離れ、深い眠りへと落ちていったのです。
この事実について、詳しくお話していきます。
地球はゲームの場
僕たちが地球に生まれてきたのには、理由があります。
それは、「制限」や「不自由さ」を体験するためです。
あえて完全な自分の波動を落として、地球でさまざまな体験をするためにやって来たのです。
その意味で、地球は、僕たちにとってのテーマパークであり、ゲームの場でもあるのです。
本来の僕たちは、神なる存在です。できない、やれないということは、何一つないのです。ところが、それでは、面白くない。何もかも瞬時に自分の思い通りになることがわかっていたなら、何も予想外と感じることを体験することはできません。
つまり、本来の自分と違う在り方を体験してみたくなった訳です。
だから、僕たちは、自分に力がなく、制限されており、不自由であることを臨場感をもって体験したくて、二極に分離された波動の低い地球にやってきたのです。
また地球は、実験の場でもありました。
どんな実験かというと、もともと持っていた高い波動を落とし、自分が神であることを忘れて地球の波動にどっぷりと浸かり、そこから本来の自分を憶い出していけるかという実験です。
分離の惑星にいながら、神なる自己とつながり続けることができるか?
神であることを忘れて眠った状態から、また目醒めていくことはできるのか?
これは言い換えれば、物理次元をマスターするということなのですが、実験は何度も失敗しました。失敗というよりは、まだ眠っていたい意識が大半を占めていたと言ったほうが正しいかもしれません。
とにかく僕たちは、自分自身が神であることを忘れ、全知全能ですべてが思い通りになることを忘れ、制限と不自由さの中に浸り込んでしまいました。
目醒めるどころか、深く深く眠り込んでしまったのです。
強い臨場感を求めて
地球で行なわれた実験は、低い波動の中で自分が神であることを憶い出すという意味では失敗でしたが、臨場感を持って制限を味わうという意味では大成功でした。
そうして、僕たちは制限や不自由さを十分に味わうことができたので、そろそろゲームに飽きてきています。そのため、多くの意識たちが深いところで、「そろそろ目を醒まそうかな」、「本来の自分を憶い出そうかな」と思いはじめているのです。その意識が、地球が次元上昇していくきっかけとなりました。
最近では、VR(バーチャルリアリティ)の技術が発達し、仮想現実をまるで現実であるかのように味わうことができるようになってきています。もっと臨場感をもって体験したいという人類の希望は、VRの技術をどんどん進化させてきました。
それと同じように、神なる自分は、目の前の現実がゲームの世界であり仮想現実であるとわかっていても、もっと臨場感が欲しい、もっと楽しみたいと願って地球にやって来ました。
より強い臨場感をもって映画を楽しむには、自分が映写室にいることを忘れる必要があります。そして僕たちは映画のスクリーンに近づいて、映し出されている映像にのめり込むことで、まるで現実であるかのように臨場感をもって体験することに成功したのです。
つまり、目醒めとは対極の深い眠りに入っていったということです。
そう、僕たちは眠りたくて眠ったのです。
真実の私はここにはいない
真実の僕たちは、映画のストーリーとは関係のないところにいます。
映画の中で何が起こっても、無害でまったく影響を受けない場所にいるのです。
スターウオーズの戦闘シーンを手に汗を握って観ていても、当然のことですが、実際に自分が戦うわけではありません。作られたストーリーとその映像を、映画館という安全な場所でただ楽しんでいるだけです。
たとえ、映画の中で登場人物が傷つけられたり殺されたりしたとしても、自分には何の影響もありません。なぜなら、自分は、映画を楽しんでいる観客だからです。
映画の中でどんなストーリーが繰り広げられていようとも、自分は安全なところにおり、ただ楽しむことができます。
僕たちは、深く眠り込むことで、自分が映画の中の登場人物であると思い込むことができました。本来は、影響を受けることも傷つけられることもないのに、それをすっかり忘れて、目の前の映像が、まるで自分に襲いかかってくるかのように感情を強く揺さぶられ一喜一憂するようになっていったのです。
僕たちは、さらに深く眠り込み、真実の自分を思いださないようにし続けてきました。
なぜなら、真実の自分を思い出してしまうと、臨場感をもって体験できなくなるからです。映画なのだ、作り物なのだとわかってしまったなら、一気に白けてしまいます。もちろんストーリーを楽しんだり感情移入したりするくらいはできるかもしれませんが、自分のこととして臨場感をもって体験することは、もはやできなくなるでしょう。
実際、僕たちは現実と呼ぶものを、映画のように映し出しているだけなのです。
味わいたいストーリーを自分で選んで、映し出していただけだったのです。
安全で快適な映写室にいる自分を憶い出していくことが、目醒めるということなのです。
・・・<抜粋終了>・・・
私はこれを読んでいて、映画『マトリックス』を思い出してしまいました。
ただ並木さんが言っているのは、映画『マトリックス』と違い、私たちの魂は自発的にこの3次元世界に乗り込んできたということです。
そして、多くの魂が制限や不自由さを十分に味わってしまい、もう飽きたので目覚めようとしていると言います。
これは並木さんがいうアセンションに関係してくる話で、いずれ記事を書きたいと思っています。
(ここまで)
これを読まれると、アシュタールやさくやさんがいつも述べている
体験に善も悪もなく、波動の重い軽いもなくすべてが必要な体験として
そのために存在するということが理解できるのではないでしょうか?
(ここから)
最近、私は並木良和さんの本やDVDを観ています。
私が印象強く感じたのは、並木さんが言っていることと、サアラさんが言っていることがとても似ていることです。
いや、似ているというレベルではなく、同じものではないかという気がしています。
これまでは、スピリチュアルの本を興味深く読んでも、それ以前のスピリチュアルの本で得た知識と微妙に違っていたり、部分的に整合性が取れないということがよくありました。
しかし、並木さんとサアラさんは、同じ情報源でなければ、これほど同じことはないだろうというぐらい整合性が取れています。
この前、スピリチュアルのセミナー後の飲み会で隣に座った方に、並木さんとサアラさんの言っていることが驚くほど似ていると話したら、(サアラさんの方が先に本を出しているので)並木さんはサアラさんをパクッたんじゃないのと言われてしまいました(まあ、酒の席のことですから冗談だとは思います)。
私は並木のセミナーに出たことがないので直接本人の雰囲気(エネルギー)を感じたことがなく、確信を持って言えないのですが、並木さんの本やDVDを観た限りにおいて、名前を売る為に他人のパクリをするような人には見えないのです。
だとすると、やはり同じレベルの情報源ではないかという気がしてなりません。
だいぶ前ですが、サアラさんから聞いた、私たちと違う平行宇宙において宇宙規模でパンデミック・フルーが起きたという記事を載せたことがあります。
その内容と寸分違わぬことを並木さんも言っています。
私は、サアラさんの本を読み返してみたのですが、サアラさんが言っているアセンションの内容と、並木さんが言っているアセンションの内容はパーフェクトに一致していることに驚いてしまいました。
そして、その内容は神秘家ゲリー・ボーネルさんが言っていた内容とも整合性が取れます。
正直なところ、私はそら恐ろしくなってきました。
この記事を読まれている訪問者の方々の多くは、アセンションと聞いて、「もう過ぎ去った昔の話題」だと感じておられると思います。
当時、2012年12月にアセンションが起きると、スピリチュアルにあまり興味がなかった人までも巻き込み、一大ムーブメントになりました。
私は2012年12月に何か起きることはないと思うという記事を書いた記憶がありますが、やはり私たちの住む3次元世界では何も起きませんでした。
そして、期待した多くの人々の失望と伴に、アセンションのムーブメントは急速に萎んでいきました。その時に、スピリチュアルに興味を失くして去っていった人が大勢いたと思います。
ゲリーさんは当初言っていた集団アセンションは無くなり、個人で個々にアセンションするしかなくなったと言っていました。
私自身は、ゲリーさんが言うような個々のアセンションはあるとしても、地球の振動数が上がるので、そうした環境変化に人類は対応していく必要があるというバシャールの理論をとっていました。
しかし、私は考え直さなくてはならないかもしれません。
今のところまだ個人的に結論は出していません。
これから並木さんとサアラさんの本を読んで、検討を重ねていきたいと思っています。
今回の記事は、サアラさんと並木さんの魂の話を紹介したいと思います。
サアラさんの話は、魂がどういう目的で創造されたかという根源的な話です。
この話は、私がサアラさんのスクールに通っていた時に教えてもらったのですが、同じ内容が『覚醒への道』(サアラ著、徳間書店)に載っていたので紹介します。
そして次に、並木さんの、魂がこの地球に来た目的の話を紹介します。
・・・<『覚醒への道』、p39~p46から抜粋開始>・・・
まず、「空」(ヴォイド)という概念があります。
これはお釈迦様も使った言葉ですが、空という物理的には何も存在していないけれど、無限の可能性が潜在している真っ暗な闇が広がっていた。これが宇宙の最初の姿です。
もちろんそのときにはまだ「宇宙」という概念すらありません。
空は空自身の可能性を知りたいという欲求を持っていました。
皆さんも、なんだか知らないけど自分は何でもできるような気がする。とてつもない力や才能を持っていると根拠はないけれど、どこかで確信しているとしたら、そこを知りたいと思いますね。では「いったい何ができるのだろう?」と好奇心を持ち、新しいことに挑戦してみようとなりますよね。それとまったく同じです。
空は、自分に潜在しているあらゆる可能性を知りたくてたまらなかったのです。そのためにあらゆることを創造する力を持ちました。
ですから、そもそも宇宙という言葉も概念も、「時間」や「空間」の概念もなく、ここには「空」すなわち潜在する無限の可能性しかありません。ここに存在するすべては「空」の可能性が顕現したものです。
つまり「ここには空以外のものはない」と言うことができます。
そしてここに存在するすべては空と同じ資質を持っています。
なぜならすべての無機物、有機物、意識、思考や感情ですら、それらを作り出し構成しているのは目に見えない小さな粒たち、素粒子や光子たちで、それらが共通して持っているのは「知りたい」という欲求を表す情報つまりエネルギーと、「創造性」を表す情報=エネルギーです。ですから知りたいという欲求と知るための創造性は、宇宙万物すべてが持っている共通する要素なのです。
ついでに補足しておくと、宇宙では「無機物」とされるものはありません。なぜなら無機物を構成しているのは、小さな粒たちで、それらはそれぞれが空の意志を引き受けている意識、つまり生命の源です。このような粒の集合体を決して無機物、ただの物として扱うことはありません。このような考えや感覚がこの先地球における人工知能の分野を発展させることができるかどうかの鍵となるでしょう。
「魂」のしくみができたわけ
地球では「意識」という言葉がよく使われます。最近になって意識を科学的に解明しようとする科学者たちがずいぶん増えてきましたが、それまでは宗教の分野や心理学のような分野で曖昧に語られるだけで、明確に定義づけられできませんでした。
ですから、「意識」という言葉は、その意味や性質を明確に理解されないままに使われてきた代表的な言葉だと思います。それ以外にも「魂」「霊性」など目に見えない世界を表現する言葉は、皆さん曖昧なままでも何となく便利に使っていますよね。
でも本来スピリチュアルと科学は「=(イコール)」で結ばれるものなのです。ですから、これらの言葉は明確に定義することができます。地球の科学も曖昧だったこれらの言葉を立証するようになるときがもう目の前まで来ています。
「意識」に話を戻すと、意識とはすべての原動力となるエネルギーです。そしてその意識・つまりエネルギーの最も単純な動機は、「知りたい」という欲求なのです。
ですから皆さんも、無意識の好奇心に突き動かされるような衝動的な行動をする自分に「なんであのときあんなことをしたのだろう?」と後になって思ったというような経験があるのではないでしょうか?
それは皆さんが潜在的に持っている基本的な生命エネルギーである「好奇心」が無意識のうちに発動して起きることです。
この世的な表現をすれば、生命エネルギーそのものが「知りたい」という欲求ですから、純粋な好奇心を大切にし素直になって知りたいことを探求することは、健康を維持し、楽しく活力溢れる毎日を過ごす秘訣です。また何より効果的なアンチエイジング方法です。
肉体があるものも肉体のないものも、大きなものも小さなものも、あらゆる物質を構成している素粒子たちも、すべては空の一部として、空に潜在している可能性を知ろうとしています。
可能性は無限にあります。
この壮大な空の可能性を知ろうとするゲームを、できるだけ合理的に進めるために、空は?「魂」というしくみを作りました。
マスターソウルは無数のソウル=魂を宇宙中に派遣する
次ページの図のような大きな魂があります(管理人注:図は省略します)。これはマスターソウルといわれています。
このマスターソウルは小さな分身のような無数のソウル=魂を、宇宙中に派遣します。
物理世界だけでなく、非物理的な世界に派遣することもありますが、皆さんの場合は、派遣された先が現実というものがある物理的な世界だったわけです。
マスターソウルは一つではなく、非常にたくさんあります。
そしてマスターソウルごとに違ったテーマを持っています。
空には無限の可能性があるので、手分けして合理的に可能性を探究するためにテーマをバラバラにしました。
たとえばAというテーマを掲げた一つのマスターソウルには、Aというテーマを探究するために必要なあらゆる可能性としての情報、つまりエネルギーを空から受け取り、抱え持っています。能力や技術、あらゆる生命体(肉体)を構成するための基礎情報やそれぞれの肉体に特徴を持たせるための情報などです。
それが人間だとすれば、運動神経が発達する可能性や、病気を発症する可能性、逆に常に健康である可能性も含まれます。そのほかにも途方もなくたくさんの可能性を作り出せるような情報(a、b、c、d……)が入っています。
その中から魂は、マスターソウルが掲げるテーマをさらに詳細に分けてテーマを掲げ、それぞれが役割分担するように違う情報を持って探求のための冒険の場に生まれていきます。ある魂はadf、ある魂はmejという具合に組み合わせますが、ほかの魂と同じだと可能性が限られてしまうので、できるだけ違うものを持っていきます。
でも、mejを持った魂と同時に、たとえばoecを持った魂がいる場合もあり、この場合のmejのeとoecのeは同じです。これは同じような資質を持っているともいえるし、同じ記憶を共有し合っているともいえます。
空は、マスターソウルがこんなふうに自分の分身である魂をさまざまな天体やエリアやシップに送り出すことによって、同時にさまざまな場で違った経験をしたり、その経験を通してさらに新しい可能性を創造したりすることができるしくみを作って、可能性を追求する手段を合理化しています。
・・・<抜粋終了>・・・
サアラさんは、私たちの魂は、「空」が自分に内在する無限の可能性を知りたいが為に創造されたといいます。
ですから、その魂の原動力は「好奇心」です。
だとすると、好奇心こそ魂の本質と言えます。
この3次元世界の地球は、物理世界であるがゆえに様々な強力な制限があります。
その制限を魂は体験したいと思い、転生してきたと並木さんは言っています。
私たち一般的な認識では、「制限」とか「不自由さ」はネガティブな印象を持ちます。しかし、魂はその本質となる好奇心で、ネガティブと思える「制限」とか「不自由さ」を味わいたいと地球に転生したというのが並木さんの主張です。
そして臨場感を持って味わう為に、全知全能の能力を落として(眠った状態にして)地球にやってきたといいます。
『目覚めのパスポート』(並木良和著、bio)から抜粋して紹介します。
・・・<『目覚めのパスポート』、p40~p46から抜粋開始>・・・
ドラマ---スクリーンの前から観客席に
この章では、僕たちの見ている現実世界についての秘密をお伝えしたいと思います。
実は、僕たちが現実だと思っている世界は、目の前に映し出されている臨場感のある3D映画のようなものに過ぎないのだと言われたら、あなたはどう感じますか? 僕たちは観客席に座って、目の前に映し出される映画のストーリーを、ハラハラドキドキしながら見ているわけです。
と同時に、「真実の」僕たちは観客席にはおらず、映写室で好きな映画を自分で選んで映し出しているのです。
ところが、僕たちはあまりにも深く映画にのめり込み過ぎて、本来の自分の居場所をすっかり忘れてしまったため、目醒めた意識から遠く離れ、深い眠りへと落ちていったのです。
この事実について、詳しくお話していきます。
地球はゲームの場
僕たちが地球に生まれてきたのには、理由があります。
それは、「制限」や「不自由さ」を体験するためです。
あえて完全な自分の波動を落として、地球でさまざまな体験をするためにやって来たのです。
その意味で、地球は、僕たちにとってのテーマパークであり、ゲームの場でもあるのです。
本来の僕たちは、神なる存在です。できない、やれないということは、何一つないのです。ところが、それでは、面白くない。何もかも瞬時に自分の思い通りになることがわかっていたなら、何も予想外と感じることを体験することはできません。
つまり、本来の自分と違う在り方を体験してみたくなった訳です。
だから、僕たちは、自分に力がなく、制限されており、不自由であることを臨場感をもって体験したくて、二極に分離された波動の低い地球にやってきたのです。
また地球は、実験の場でもありました。
どんな実験かというと、もともと持っていた高い波動を落とし、自分が神であることを忘れて地球の波動にどっぷりと浸かり、そこから本来の自分を憶い出していけるかという実験です。
分離の惑星にいながら、神なる自己とつながり続けることができるか?
神であることを忘れて眠った状態から、また目醒めていくことはできるのか?
これは言い換えれば、物理次元をマスターするということなのですが、実験は何度も失敗しました。失敗というよりは、まだ眠っていたい意識が大半を占めていたと言ったほうが正しいかもしれません。
とにかく僕たちは、自分自身が神であることを忘れ、全知全能ですべてが思い通りになることを忘れ、制限と不自由さの中に浸り込んでしまいました。
目醒めるどころか、深く深く眠り込んでしまったのです。
強い臨場感を求めて
地球で行なわれた実験は、低い波動の中で自分が神であることを憶い出すという意味では失敗でしたが、臨場感を持って制限を味わうという意味では大成功でした。
そうして、僕たちは制限や不自由さを十分に味わうことができたので、そろそろゲームに飽きてきています。そのため、多くの意識たちが深いところで、「そろそろ目を醒まそうかな」、「本来の自分を憶い出そうかな」と思いはじめているのです。その意識が、地球が次元上昇していくきっかけとなりました。
最近では、VR(バーチャルリアリティ)の技術が発達し、仮想現実をまるで現実であるかのように味わうことができるようになってきています。もっと臨場感をもって体験したいという人類の希望は、VRの技術をどんどん進化させてきました。
それと同じように、神なる自分は、目の前の現実がゲームの世界であり仮想現実であるとわかっていても、もっと臨場感が欲しい、もっと楽しみたいと願って地球にやって来ました。
より強い臨場感をもって映画を楽しむには、自分が映写室にいることを忘れる必要があります。そして僕たちは映画のスクリーンに近づいて、映し出されている映像にのめり込むことで、まるで現実であるかのように臨場感をもって体験することに成功したのです。
つまり、目醒めとは対極の深い眠りに入っていったということです。
そう、僕たちは眠りたくて眠ったのです。
真実の私はここにはいない
真実の僕たちは、映画のストーリーとは関係のないところにいます。
映画の中で何が起こっても、無害でまったく影響を受けない場所にいるのです。
スターウオーズの戦闘シーンを手に汗を握って観ていても、当然のことですが、実際に自分が戦うわけではありません。作られたストーリーとその映像を、映画館という安全な場所でただ楽しんでいるだけです。
たとえ、映画の中で登場人物が傷つけられたり殺されたりしたとしても、自分には何の影響もありません。なぜなら、自分は、映画を楽しんでいる観客だからです。
映画の中でどんなストーリーが繰り広げられていようとも、自分は安全なところにおり、ただ楽しむことができます。
僕たちは、深く眠り込むことで、自分が映画の中の登場人物であると思い込むことができました。本来は、影響を受けることも傷つけられることもないのに、それをすっかり忘れて、目の前の映像が、まるで自分に襲いかかってくるかのように感情を強く揺さぶられ一喜一憂するようになっていったのです。
僕たちは、さらに深く眠り込み、真実の自分を思いださないようにし続けてきました。
なぜなら、真実の自分を思い出してしまうと、臨場感をもって体験できなくなるからです。映画なのだ、作り物なのだとわかってしまったなら、一気に白けてしまいます。もちろんストーリーを楽しんだり感情移入したりするくらいはできるかもしれませんが、自分のこととして臨場感をもって体験することは、もはやできなくなるでしょう。
実際、僕たちは現実と呼ぶものを、映画のように映し出しているだけなのです。
味わいたいストーリーを自分で選んで、映し出していただけだったのです。
安全で快適な映写室にいる自分を憶い出していくことが、目醒めるということなのです。
・・・<抜粋終了>・・・
私はこれを読んでいて、映画『マトリックス』を思い出してしまいました。
ただ並木さんが言っているのは、映画『マトリックス』と違い、私たちの魂は自発的にこの3次元世界に乗り込んできたということです。
そして、多くの魂が制限や不自由さを十分に味わってしまい、もう飽きたので目覚めようとしていると言います。
これは並木さんがいうアセンションに関係してくる話で、いずれ記事を書きたいと思っています。
(ここまで)
これを読まれると、アシュタールやさくやさんがいつも述べている
体験に善も悪もなく、波動の重い軽いもなくすべてが必要な体験として
そのために存在するということが理解できるのではないでしょうか?
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